★北河内路上通信-the Voice of VoICelESs on roadsides in EastOsaka

 北河内路上通信は大阪北河内において、同地域の野宿者と助け合い、共にあろうとする有志によって始められました。

★布施の路傍より

2006-02-26 05:14:29 | 野宿者支援
 2月最後の日曜未明の今夜の気温は、午前3時過ぎで8度と比較的温かいが、雨が風と共に時折吹き付けてくる事もある不安定な天候。商店街を追い出されたという仲間たちが元の場所に戻っていた。雨の日は元の場所ではしのげないはずだが、一体どうするのだろう。誰にも迷惑をかけない夜にささやかな休息を得る事の何が不都合なのか? 追い出そうとする個々人は是非一度、路傍での厳しさを味わってみるがいい。それから愚行に及んでも遅くはあるまい。そんな体験をしようというような御仁はいないと思うが。そんなに気楽に見えるなら、うらやましいと思うのなら、やってみよ。先ずそういう諸氏には続かないことだろう。あなた方の言う「怠け者」が路傍で冬季に生きていけるという事らしいが、そう思うなら、やってみればいい。「生きよう」という努力をしない者が路傍で生き残るなど、申し訳ないが難しいと言わざるをえない。厳しい条件下のサバイバーである野宿の仲間たちを蔑む前に考えてみるがいい。ぬくぬくとした空間で過ごす事になれた御仁は厳しい条件下では単なる落伍者であり、負け犬でしかないのだ。彼らの強靭な精神力・生活力の前には驚嘆する事はあっても蔑む必要は無いだろうと思うが。

★布施の路傍より

2006-02-19 05:29:49 | 野宿者支援
 昨夜よりは幾分か寒さが和らいだ今夜の布施の午前3時過ぎの気温は3度。それでも風があり、冷え込む。昨夜のように車に霜が下りていることは無いが。いずれにしても今晩は何だか騒々しい夜だ。最近に無いくらい改造車の重低音爆走族が寄り集まり、それにつられて集まってきた若者らがデカイ声で談笑している。昨夜のように鉄柵を車で突っ切り、乗り越えて布施署の世話になるバカな奴はいないようだ。 それはともかく、路傍の南側の某所で今夜もささやかな休息をとる野宿の仲間たちを確認すると、昨夜は行方不明になっていたAさんがいたので、あまり食べていなさそうな本人に温かい缶入りスープを渡して昨夜の事を聞いてみた。「皆、昨日はどうしてるのか気にしてたんですよ。何処にいたんですか?」「昨日は、ある人から酒を飲ませてもらって、そのまま商店街の片隅でダンボール囲いをして寝てましてん。皆の寝た後やったから、気つかってゴソゴソせんと別のとこで寝たんですわ」…というような事だったが、どうも俄かに信じがたい。一緒に寝床を並べる仲間たちによれば、近頃、缶取りも思うように行かず、何故か率の悪い「自販機回り」を並行してやっており、ゲームセンター内で立ってでも眠ってしまうという。(最近、この店は店内のレストスペースのイスを撤去したので、ゲームセンターで暖をとるなどしている仲間たちは立っているより他ない)どうもお菓子しか食べていないという事なので、どうかと確認してみれば、本人はスープをがっつく様にして飲んでいた。大阪市内東部のアルミ缶買取業者では現在キロ当たり150円まで単価が上がっており、アルミ缶の出は悪いものの、10キロ取れれば1500円と助かっているというが、Aさんは取れるところも見落としがちで、最近はすぐに「オレはもう、ええねん」と開き直ったり拗ねてしまって現場から帰ってしまうという。そんなAさんに付き添うように「あそこに缶あるで」と一緒に回りながら教えたりもするという寝場所を共にする仲間たちは「自販機回りに割くくらいなら、もう一回りして取った方が率がいいはずなのに」と首をかしげる。確かにAさんは見る度に段々身なりが乱れていっている…改めて話を聞く機会を持たねばならないのかもしれない。いずれにしても、何とか無事いつもの定位置の寝場所に帰って来てくれた事だけでも一安心。

★現 長居公園テント村のはじまり

2006-02-15 12:42:10 | 野宿者支援
現長居公園テント村のはじまり
 今日は、現長居公園テント村の位置にテント村が移転した日である。そこは2000年8月6日に当時の仲間の会を準備した支援者らが100人くらいの園内野宿者と共に寄り合いをもった後、寄り合い場として使われてきた幾つかのテント小屋に隣接する場であった。 あれから、5年の歳月が経っていった… 口約束の意地汚い大阪市のやり口は何一つ変わらず、奴らのより一層陰湿な暴力は「1.30靭・大阪城公園など野宿者コミュニティ同時多発テロ攻撃」以後も何ら変更は無い。奴らが長年やりたかった顕在化した大規模暴力が加えられただけだ。あの大規模同時多発テロ攻撃に参加した役人どもに「良い役人」がいるという「希望的観測」など無意味であることを現場で感じなかったならば、余程お人よしだろう。考えてもみるがいい、本当に良心があるなら、「風邪をひきました」などの理由をつけて休み、参加しないという方法もあったのではないか。にもかかわらず、暴力を行使するその現場に例え渋々だろうとノコノコ参加した役人どもに「良い役人」などいるはずが無いのだ。度合いの差こそあれ、奴らはテロ攻撃を担い、警備員を前面に立たせて盾とし、暴挙を貫徹した大阪市と警察権力の手であり足であったという事を悔い改めるまでは家庭に帰っても単なる「一般市民」なんかではない。度合いの差こそあれ、テロリストである。奴らをグレーゾーンに置いてやるという「慈悲」はまたしても我々の現実を暴力で覆われることになるのだということを知らねばならない。厳冬期の寒空の下の寄る辺無き個々人から居住空間を奪い、その上、全治1カ月近くの骨折した者や倒れた者、役人どもやガードマンの暴力による多数の負傷者を積極的に生んだ加害者がマスコミなどに被害者面するオゾマシサには吐き気すら覚える。また、警備員もまた被害者であったという言葉には、半分うなずけるが、積極的に暴行を働いた警備員もいたことをその事で薄めないでいただきたい。奴ら戦犯を野放しにすることは戦後の日本列島を勝手に統治した政府のやって来たことと何ら変わらない恐ろしい現実を生むことだろう。攻撃と追及の手を緩めるな。奴らは微笑みながらいつも戦意解消を求めてくる一方で確実に攻撃目標に攻撃を遂行し確実に打撃を与える。長居闘争を今一度振り返っていただきたい。現仲間の会はどう考えるかは知らないが、闘いの意志を取り下げて、もしくは闘わずしてあの場を維持できたと勘違いする事だけは遠慮いただきたい。「口約束」の「確約」など何の意味も無かったことは2000年8月より2001年11月末の最後の闘士が失踪するまでの状況を見知る元現闘団メンバーが訴えてきたことだ。2001年11 月、「再建の過程で長居を切ろう」と決定した個々人たちと袂を分かち、長居公園テント村とそこに集ってきていた元野宿者や野宿の仲間たちと共にあるためにも周辺部などの野宿の仲間たちとの繋がりを再度模索し、それを現テント村の再建につなげた元現闘団メンバーがいなければ、今の長居公園テント村があったかどうかは疑問だ。ともかく、あの5年前の2.14鍵声明を受けた自主移転後、のじれんなどから集まった連合現闘団による輝かしい闘い(-3.16)、そしてEAG=東アジア競技会前のリベロ警備と南部方面公園事務所などの画策での重機による3戸のテント小屋の破壊(5.9)やEAG前の連続テント小屋放火テロ攻撃(http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8932/may9_19nagai.html 写真参照)後の衰退期、そしてEAE後の「長居切捨て」、2001年11月から1月までの再建過程、2002年2月から7月までの対ワールドカップ防衛、園内襲撃の被災者20名余をテント村に収容してのテント増築、それ以降の工事を名目とした水攻め土攻め攻撃の延長線上にある2003年4月25日のテント村囲い込み監視後、現テント村に至っている。闘わずして座して待つ歴史は長居公園テント村には無いのだということを記憶の片隅にでも置いていただきたい。祭やイベントは人々を集めるが、楽観はコミュニティ防衛の敵であるということも。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8932/tousou_document.html
  2001年2月14日   建設局・鍵が公園管理事務所の職員を伴って、シェルター前現闘本部を訪れ、公開の場で①園内にある50張りのテントについては強制排除は行わない②新規テント、シェルターの問題については相互理解を深めるための話し合いを行っていく――と回答、これを現場レベルで確約させた。 しかしながら、慎重に構える必要あり。 磯村は不気味な沈黙を守っている。

  2001年2月15日   昨日の確約により、朝8時より自主解体と元の場所への移動作業などを行う。 シェルター前からは撤収。 以前の集会場所であるスーパー「ライフ」筋向い側園内へ移動。

★雑感

2006-02-14 03:16:04 | 野宿者支援
 大阪市内で「識者」たちが、野宿者問題についてシンポジウムをやるとか。また、それとは別に靭・大阪城公園の暴挙についてなどを資料化するオンライン上の動きもあるとか。前者は大阪で大阪市の「野宿者対策」にデータなどの資料を提供したり、助言を行ってきた大阪市立大学の島らをはじめとする面々やNPO釜ヶ崎支援(?)機構のマツシゲらがドイツ語圏の野宿者支援組織との共同で、神戸や京都の支援組織なども巻き込んで行われるようだ。全く「恥を知れ」といいたい。後者は研究者などを中心にオンライン上に現場の状況を資料提供していくという趣旨のようだが、当人たちのアカデミックな欲求は満たされるとして、それが公開されて誰がどう使っていくのか? ろくでもない政策の資料になるようなものは、ハッキリ言えば迷惑だ。それがたとえ「中立的立場に立つもの」であってもだ! 大阪市にいいように使われてきた御用学者ともいえる大阪市大の学者どもは、長居闘争時やその後のホームレス特措法制定にあたり苦闘を重ねる野宿者や野宿者を支える個々人を誹謗中傷する側の者たちだった。そしてNPO釜ヶ崎支援(?)機構こそは、恥知らずにも運動体を装い、統治機構の委託を受けて釜ヶ崎に君臨する貧民管理の支配機構そのものである。一体、そいつらが集うシンポジウムが何をめざすのか? 本当に、奴らの蠢きにはオゾマシサを感じずにはおれない。 純粋にアカデミックな追究というなら、少なくとも統治機構と手を組むな。 野宿者個々人の不利益になるものも遠慮なく出すという資料のオンライン化は決して統治機構の政治的暴力と無縁ではないということを忘れるな。 5年前の今日、奴らの誹謗中傷のもと、長居闘争は本部テント自主移転という「停戦」の道を選ぶことになった。 しかし、その停戦は大阪市の「これからも粘り強く説得を行っていく」という2.14鍵声明にもあるような意地汚い非正規戦の継続であった。
あの苦闘の日々を生き残った数少ない個々人は言うであろう…「もう、沢山だ!」と。

★野宿者のテント・小屋に対する強制撤去反対の署名

2006-02-13 11:22:53 | 野宿者支援

 北河内路上通信では、主に公園などから追い出されたり、追い出しが日常化する中、最初から路傍にしかささやかな休息の場を持てないでいる「彷徨える」野宿者個々人と接してきました(そんな中で昨年3月には布施のセガ前で1人の野宿者が亡くなっています)。それは公共空間からさえ追い出されたテント小屋に住まう野宿者、そして私たち個々人が何時辿っていってもおかしくない現実です。ここ大阪府東部河内地域においても失業、事業の失敗、病気…などをきっかけに「ごく一般的」生活をしてきた個々人が路傍に至っている現実を目の当たりにする中で、路傍に至った非常時ですら「街の人に迷惑がかかってはいけない」からと自分たちの休息を我慢し、慢性的な睡眠不足と休息不足によって倒れていく野宿者を見てきました。そこには、血税をクスネとり、犯罪を犯し、罪が明らかになれば懲戒免職になる前に「退職願」を出してまとまった額の退職金をチャッカリとせしめる役人どものようなズルイ個々人は殆どいません。(そんな御仁は路傍に至る前に人を騙してまで現状を維持しようとする故に先ず路傍に至らない!)大阪市のみならず役人どもは、そんな役人ネズミどもに窮迫状況を訴えても「どうせうまく行かない」と諦めさせるような現状、窓口で怪訝な顔をしてにらみをきかせるような役人を配置して相談しようとする窮迫した個々人を近付かせないなどという呆れる「工夫」を怠らない現状、それでも窓口に辿り着いた個々人に「アンタの自己責任やで」と本人に一層自己嫌悪に陥らせるよう説教して「まあ、頑張りや」と対応せずていよく追い返す現状を長年つくっておきながら、そのことを居直り、棚にあげて「十分な施策は行ってきたが」などとイヤシイ言葉を頭につけてモットモラシク正当化する手段を持ちますが、一方では寄る辺無き個々人は全く生きてそこに存在する権利すら奪われています。そういった行政なんぞに頼らず自らの手で、同じ境遇の仲間たちと助け合いながら必要なものを獲得し、「自立」した生活を営んできた個々人にとっての命の砦ともいえるテント小屋を奪われることというのは、方策も無い状態でまさに「さぁ、死ね!」と言われたのと同じ意味合いを持ちます。そんな言葉を血税を何とも思わず湯水のように使い、ブクブク肥え太り、クスネとった資金で俄かに立派な自宅を新築したりする、支配者だと勘違いしている「公僕」どもが吐ける道理などあっていいはずがありません。大阪市のみならず、多くの中央の統治機構=政府や地方統治機構=自治体において、もっとも追い立てられるべきは寧ろ「役人ネズミ」どもであり、彼らこそが「必要の無い、世の恥であり、呆れるべき汚点」なのではないでしょうか。以下の署名要請と署名本文は大阪市で野宿当事者や野宿者を支援するグループと個人が集う2002年3月に結成された緩やかな運動ネットワークである「失業と野宿を考える実行委員会(失野実)」からの
署名要請です。 是非、ご協力をお願いいたします。
 *署名用紙などについては、下記「失野実」連絡先にお問い合わせください。
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★野宿者のテント・小屋に対する強制撤去に反対の署名をお願いします!

 1月30日、大阪市は西区・靭公園東園全域内の約20軒と、中央区・大阪城公園内の5軒のテントを、行政代執行により強制撤去しました。そこで野宿を強いられていた人々が住居としてきたテント・小屋などを、こともあろうに手続き開始からわずか3週間足らずで強制的に破壊し、住人をこの厳寒の路上に追い出したのです。

 代執行の当日、当然のなりゆきとして多くの良心的な市民による抗議と抵抗があり、大きく報道されたのは記憶に新しいところですが、残念ながら誤解を招くような報道も見られました。市職員に負傷者が出たことのみ大きく報じられていますが、支援側も救急搬送3名(うち1名は全治1ヶ月の重傷)他軽傷者多数を出しており、1名が逮捕されるほか暴力的な弾圧を受けました。ましてや、追い出された人々を受け入れるために支援者側が用意した他公園のテントなどを当日先回りして撤去、封鎖するなどして、その行き場すら奪うと言う、救命ボートを沈めるような大阪市の非道な行為については、テレビカメラを追い出して公正な報道を妨害しようとした行為同様、ほとんど知られていません。

 元々行政代執行の根拠となる都市公園法に基づく撤去対象は、公園内に張られたテントなどの物件に対するものですが、これらは長年にわたって人が居住してきた「家」であって、単なるモノではありません。それは寒さや襲撃から身を守り、生活用具を保管する生活の本拠であり、仕事の拠点です。強制撤去はそれらを一挙に奪うことを意味します。

 市が代替住居として提示するのは本年中に閉鎖される大阪城一時避難所(シェルター)と自立支援センターのみで、そこにはテントや荷物を放棄した上で、再就職出来なくても最長6ヶ月(自立支援センター)までしか居られず、再入所も出来ずそこを出たら以前より状況が悪くなるというリスク、加えてプライバシーのない粗末な環境など過酷な制約があるにも関わらず、野宿者だからこれで充分、それを拒否するのはわがままだという差別的なまなざしすらあります。

 先般、大阪地裁も居住の事実が認められれば、公園に張られたテントなどにも住所が適用出来、住民票を申請出来るとの判断を示したばかりです。住所は各種の社会的権利の拠り所であり、判決は住所を持たぬ者は「人」扱いされないのはおかしいという、憲法にのっとった誰が見てもむしろ当たり前の判断ですが、公共の場所の占有を認めたものではありません。それが一部の報道など誤認されて批判されているようですが、本質を見誤っています。

 もとより災害時の緊急避難場所でもある公園が、失業など様々な事由による経済的難民たる野宿者の受け入れ先となっている事実の背景には、彼らが私有地を侵害せずに生存するためには、公有地に拠らざるを得ないというやむを得ない理由があり、ひいては野宿に至る水際の段階や、野宿に至った後での救済における行政の無策があります。

 多くの野宿者はテントすら持たず、路上を放浪して暮らしています。この「豊かな」国の大阪と言う大都会で、年間200人以上の人々が路上死を強いられている事実をご存知でしょうか? 公園のテントは一部の人々が自力で築いた「命の砦」です。どこにも行く場所がないゆえの結果なのであり、決して自由気ままに「不法占拠」しているわけではありません。その彼らがここに至ってまた居所を失って路上に放り出されることがどういう結果を招くかは容易に想像出来ますし、それが重大な人権侵害、とりわけ生存権の侵害であることは明白です。

 そもそも行政代執行は法的には最後の手段であり、公的権力の直接行使であって、本来その適用には慎重であって然るべきです。言うまでもなく、ことは住居に関わる問題だけに、人の生死に関わる重大な結果を招く恐れがあります。

 にも関わらず今回の行政代執行には緊急性のある理由が何も示されておりません。大阪市は5月に予定されている「国際バラ会議」や「緑化フェア」などに合わせた整備工事を市内各公園で行っていましたが、それらが緊急避難として公園に居住する人々の生存権を侵害してまで不可欠なものとは到底思われません。また仮に工事を行なうにしても、必要なら公園内でテントを移動するなどしても工事は可能であり、また実際に野宿者側が工事に協力すべく話し合いに応じ、円満に対処してきた経緯もあります。ところが、昨年来、大阪市はそうした話し合いをも一方的に拒否しているばかりでなく、証拠を残す文書での交渉にすら一切応じていないのです。

 今回の強制撤去は、市民の税金を湯水のように使って暴力をふるった結果、ただ野宿者を追い散らしただけで根本的な解決には全くなっていません。片方では再三報道されてきたごとくムダ金を使い、業者との癒着、汚職を繰り返しておきながら、こうして選択肢を奪われた弱者たるひと握りの野宿者を野垂れ死にに追い込もうとする大阪市のやり方は断じて見過ごすことは出来ません。ましてや「差別のない明るい社会」と、人権都市を標榜する大阪において、国際人権規約にも明らかに違反するこの強制追い立てを絶対に許すべきではないと考えます。私たちは法的手段として靱・大阪城両公園の処分取り消しを求めて提訴しています。私たちは大阪市がこの処分を取り消し、今また他公園にもその手を拡げようとしている強制排除というこの恥ずべき行為を直ちにやめるよう強く要求しています。

※本署名活動並びに、本件についての疑問やご質問があれば失業と野宿を考える実行委員会
(〒557-0002大阪市西成区太子2-1-2 特定非営利活動法人・釜ヶ崎医療連絡会議 気付 TEL/FAX06-6647-8278  iryouren@air.ocn.ne.jp)にてお答えいたします。

(以下、署名本文)

大阪市長 關 淳一 殿

【要望】
野宿者の「家」たるテント・小屋等をこれ以上強制撤去しないでください

 大阪市はこれ以上の野宿者の強制排除を直ちにやめてください! 大阪市が多数の職員と多額の税金を投入して1月30日、靱公園、大阪城公園で行った強制撤去は、そこで暮らしていた人々を路上死の危機に追い込み、なかんずく多数の市職員やガードマンらを殺人行政に加担させた愚行でしかありません。

 その結果は野宿者を追い散らしただけで、野宿問題の解決には何の進展もありませんでした。これを正当化し、あるいはまた野宿できそうな余所をフェンスで囲い、置石をし、普通の利用者からも憩いのスペースを奪い、威圧するような「追い出し」に執心する限り、差別感情に歯止めはかからず、陰湿で理不尽な襲撃による犠牲者はあとを絶たず、大阪市の標榜する「差別のない明るい社会」にはほど遠いままです。

 野宿者が差別を受けない権利を持つ同じ市民であることを想起して下さい。彼らは野宿なりに懸命に働き、収入相応の納税も果たし、日々の命をつないでいる隣人です。同じ「人」としてのまなざしで接してみる時、施設収容などの単純かつ間に合わせ的な施策がいかに人道に外れているかも理解出来るはずです。

 国際人権規約にも明らかに違反する人権蹂躙行為である強制追い立てを直ちにやめ、多種多様な選択肢を含む、きめ細かな支援施策の充実と、野宿問題の根本解決を目指して、対話のテーブルにつくことを大阪市に対し強く要求します。

(以下、署名欄)

★近日中に1.30野宿者コミュニティ同時多発テロ写真を公開

2006-02-09 01:46:19 | 野宿者支援
 近日中に、 http://ca.geocities.com/kitakawachi_nojuku/ のページ内で、大阪市などによる野宿者のテント小屋群に対する許し難い同時多発テロ攻撃の現場の一つであった靭公園での画像群を公開します。丸腰で非暴力の100人くらいに対する750人以上の笑い、楽しみながらの暴力。大阪市は被害者であるとの主張を恥知らずにも繰り返しているが、こちらが骨折などの負傷した人間を真剣に数え、それをキッチリ法的に処理していたら、そんな安っぽいプロパガンダなど言えなかっただろう。とにかく、もう二度とあんな惨事を「嬉々として」起こさせないためにも。

★府東部の路傍より…

2006-02-05 05:52:57 | 野宿者支援
 今夜の寒さは半端ではない。風が吹き雪花がちらついたここ大阪府東部、河内の地の布施駅前の電光温度計は午前3時過ぎ現在0度を表示しているが、実際にはもう少し下がっているかもしれない。寒風が吹きすさび、つま先や手が見る見るうちに痺れてくる。体感気温は確実に零下である。そんな未明に、この駅前の野宿の仲間たち20名以上は眠れず歩き回ったり、ダンボールの囲いの中で身体を丸めている。流石に毛布のない人は少ないが、ある吹きっさらしの路傍にダンボールの囲いだけで休息をとる1人の仲間に起きていたので皆に配っている使い捨てカイロを2枚手渡した。「今夜と明晩はかなり冷えるから、特に気をつけて。先輩、毛布も何も無いようだけど、大丈夫?」と声をかけると、「流石に今夜は寒いですわ。毛布は自分で何とかしますわ、カイロは助かります」と震えながら答えていた。毎年、この地では、毛布すらなく厳冬期の夜を懸命にしのぐ野宿者が半数を超えていたが、この冬は知り合いからもらったり拾ってきた毛布を皆が使っている。薄い厚いは当然あるけれども、毛布があるかないかでは全く状況が違うのだ。いずれにせよ、今夜と明晩の日の出前の冷え込みで起こされる仲間たちや夜通し歩き回る仲間たちは心配ないが、寝る前に空腹なまま酒を飲み、「そのまま起き上がれない」仲間たちが出ないよう、可能な限り安否確認をやるつもり。