★北河内路上通信-the Voice of VoICelESs on roadsides in EastOsaka

 北河内路上通信は大阪北河内において、同地域の野宿者と助け合い、共にあろうとする有志によって始められました。

*FWF T-shirts, now ON SALE?

2008-08-30 18:28:38 | Weblog
 残暑にきらめくダイヤモンドが降り注いだ日とは別に、来る日も暗雲の緞帳が垂れこめた荒れ狂った空から激雨が襲いかかる今日、如何お過ごしでしょうか?
FWF筋の情報によれば、どうやら限定生産で試験的にTシャツを売っているとの事。”「ドギツイの」や「レアもの」好きの方にのみ、オススメします”とはFWF筋。「それでも気になんねん」という方のみ以下に問い合わせください。Yさん救援費用の足しにするとの事です。
free_workers_federation(A)riseup(dOt)net

暮れ行く八月最後の日々に…

2008-08-30 18:14:18 | Weblog
 今週は、何処に居ても大変な雨だった。大阪はあまり降っていない方だと思うが。
週はじめ頃に用があって、知己と琵琶湖に近い野洲駅前のベンチで寝ることになったが、雨上がりのせいか随分涼しかった。その後も雨は続いたが、うまく小雨くらいですみ、首都圏では少し濡れたものの、有難い事に、幾人かの知己に再会して夜が明ける頃まで話し、少し寝た後、朝に帰路についた。行く先々でお世話になった方、「旅もしないお前は死人と一緒や」と言いつつ18きっぷを払える時払いで用立ててくれた方には感謝してなお余りある。その節は、こんな貧乏神に格別の配慮を賜り、有難うございました。二日間だったけれど、旅の気分は味わえました。

★ポルダーの地のスクォッターより

2008-08-25 16:30:20 | Weblog
 風車とチューリップとポルダーの地、東アムス要塞解放区のスクォッターより、便りあり。毎度ながらの熱い戦闘的メッセージだ。特に「運動がその為の囚人を見捨てるようなものは、運動ではない」は秀逸だ。どっかのクーデター一派にせんじて飲ませたい。
---:
親愛なる同志たちへ

 大いなる関心をもって、この6月13日頃に大阪で起こったことについての下記の大阪からのメッセージを私は拝読した。 残念ながら、それは、G8が日本列島における奴ら帝国主義者どもによって行われた期間中に起こった最も注目されるべき事件の一つであった。 それにもかかわらず、私は最も重要な事件の一つであると思う。巨大政治的イベント群への抗議は良いことだが、真の社会闘争は日常的規範上の生活の中で勿論行われており、その必要がある限り確かに続くものなのだ。(万人が食料を、居住空間を、教育を、そして何の妨害もなく結社する権利を獲得するまでだ) 「運動がその為の囚人を見捨てるようなものは、運動ではない」は世界中の総ての叛乱者たちの伝統的な知恵である。6月13日に警察署の外で抗議と抵抗でもって、あなた方が再度証明した連帯は単なる空虚なものではない。 その精神において、世界中の万人があの日、あなた方とともにあった。世界の別の場にいる私からはさほどのことが出来ないとは思うが、大臣どもやその他価値のない政治屋どもなどへの抗議の文書を認めることくらいは助けになるかもしれない。だから、奴らの連絡先を送ってほしい。これからも、我々はより一層相互に連帯しよう。

Fw:★涼しい月夜に河内西部より

2008-08-22 10:45:10 | Weblog
 羊雲の合間に少し傘をさした上弦の半月がおぼろに輝く幾分か涼しい今夜の1時現在の気温は、近鉄布施駅前で18度。ほんの数日前までの暑さが嘘のようだ。おまけに浮かれた若者らの血迷った撃ち合い花火もなく、平日のせいか、珍しくおとなしく静かな夜だ。布施の多くの野宿者には一応今夜は異状はないようだ。ともかく途中で拾った買い物袋に満杯に入ったアルミ缶をあまりいつも穫れてないとぼやく野宿者の段ボール敷きの側にそっと届けて布施駅前を後にした。明日は穫れますようにと願いながら・・・
 現在、河内某所の繁華街の公園は半分近くを鋼板で囲われ、来春まで工事されているが、昼間の居宅保護者&野宿者の連合酒呑み旅団とは別に1人だけ常連がいて、その人は変わりないようだった。また中央環状沿線某所の廃車の野宿者は、廃車を撤去されて何処かに移動させられてしまったようだった。野宿者排除でストレス発散する大阪市の役人どもほどではないが、このところ、河内西部などでは大阪府関連役所管轄の空間における排除が顕著で、多くの廃車に住まうヤドカリ野宿者がトドメとばかりに追い出されている。関連法令改悪以来、奴らはより有利に手っ取り早く都合良く撤去できるようになった。3カ月保管すれば良いのだから、従来の半分の時間で撤去してしまえるのだ。強制収用をはじめ、撤去の行政代執行をやりやすくするこの法令に異議を申し立てる者が殆どいない中で、戦時の有事法制が現実に機能しているのだ。役人共の公共空間のヤリタイ放題はいうまでもなく、私有物であろうとなかろうと、私有地であろうとなかろうと、奴らこの列島を勝手に実効支配する権力機構とその払いの良い支持者どもが意図すれば、それを妨げるものは随意に取り除
かれ、それらの意志が総てに優先されるということをシッカリ頭の
片隅にでも置いておくべきだ。異議申し立てなど、総ては後の祭りにされて機能不全を強制されている・・・これが代議制”民主主義”とやらの民衆欺瞞装置によるファシズムの化けの皮の一片であることは言うまでもない。「そんなんやられるの、ホームレスだけや。一般人には関係ないわ」なんて今は無き甘い甘いサッカリンより甘いわ、だ。千葉の松戸の暴挙を見るがいい、奴らは私有財産すら遠慮会釈無く随意に「最大多数の最大幸福」とのオゾマシイ念仏を唱えつつ能面を下げて黙々と任務をこなすロボットでしかないことは最早明らかだ。奴らの一片の感情を動かそうなどという映像本位の糞パフォーマンスを動機とした長居公園テント村の恥ずべき最期でも十分理解せねばならないことだ。(2000年8月21日公式に発足した長居公園仲間の会は、同11月8日までの第一次、それから同年末までの第二次、明けて2001年正月三日からの長居闘争の最盛期を闘い抜き東アジア競技会を闘ってEAE以降消滅された第三次、釜パトの機関決定による長居切り捨てキタ集中建て直し路線に失望して長居に留まり、秋以降に密かに針中野路上交流
会を経て緩やかに再組織化された野宿者と第三次仲間の会の生き残りらによる2002年正月二日以降の第四次まで闘わないで座して待つ歴史は存在しなかったが、その最期は最も恥ずべき闘わず奴らの正気と慈悲を期待して乞う結末だった。組織的抵抗などもう無いと自信をつけた大阪市がその後次々と市内全域で躊躇いもなく馬鹿にするように野宿者を一掃していった事、「演劇して撤去された奴らのせいで俺らがナメられた」と悔し涙を流して撤去されていった市内周辺部のテント小屋の野宿者たちを決して忘れるわけにはいかない)
 ともかく、河内某所の大型店舗前にはいつも通り年輩の女性野宿者が今夜も食料を自転車にくくりつけて小出しに食べているのに出会った。食欲はかなり旺盛だが、殆ど骨と皮状態というのに朝になれば何処かへと移動する本人は声をかけてもコミュニケーションがとれないままだ。このことはやっぱり気にかかる。fascist大阪市ではないが粘り強くコミュニケーションをとって行くしかないのだろうか。少し横になってから帰路につくことにする。気がつけば白みつつある空があった・・・
*

*for a comrade living in philipin islands...

2008-08-17 13:28:46 | Weblog
for a comrade living in philipin islands;

saluton from a western area of main-island, japnese islands. thanx for your reply. by the way, i really knew your terrible situation. comrade...also i hate fuckin' stupid cultural "activists" engaging in doing nothing for the real struggle at their area. especially, i strongly hate fuckin' stupid "video activists" spreading these stupid words: "i just record precious revolutional moments. security? it is up to the persons watching my video films, also i have no responsibilities for your security risks. this is a free expression, isn't it?", "security first? shut up, are you ok?"...und so weiter...
however, remember comrade...at least, your daily efforts and our daily efforts will make our lives on this planet better. so, never, never give up your efforts. "activists" eagering their famous name are enemies for all of us.
anyway, keep on your good efforts. you are a precious comrade of mine, ok? thanx. in strong solidarnosc.

★大阪市南東部の元野宿者テント村跡

2008-08-15 19:39:55 | Weblog
 筆者の他には数人の関係者が語らなければ、もう誰も語ることの無いだろう野宿者居住のテント村が、そこには確かに存在した。最後の1戸の居住者であった顔見知りの野宿者は、行路病院に入り、役人ドモの都合で、やがて「個人情報保護法」の厚い壁の向こうにかき消されて行った…そしてこの6月13日までに「不安要素を拘束するなどして取り除いて」大阪市は嬉々として待望の「市南東部」からの野宿者集住地の殲滅を完了したのだ。(その事は以前にも書いている通りだ!)
 去年の今頃は未だ居住者のしたたかな闘いが、ナチズン(地域ファシスト市民)どもや市南部方面公園事務所の役人ども、襲撃し火をかけるなどした少年らに対応するという名分での暴動仕様の警察車両と機動隊のほぼ連夜の常駐と周辺パトロールが行われる中で行われていた。封鎖ロープを切り、封鎖テープを解除して「引いては寄せる」あのゲリラ戦は、2001年4月以降、2002年正月三箇日以降の長居公園テント村再建過程で南部方面公園事務所にはお馴染みの悪夢だったことだろう。大阪市内の野宿者支援活動家らが殆ど知りもせず見向きもしない中、現地の野宿者たちはハンメルンの笛吹き男のような「巡回相談員」の甘言に安易には乗らず、可能な範囲でより有利な条件を引き出すために闘い抜き、やがて力尽きて軍門にくだり入院後に居宅保護へと入っていった。敢闘せずに戦線離脱した野宿者はその後、やつれ果てた姿で筆者と出会い、その時に食料を分け合った後に行方不明になり、自転車も地域住民らによって破壊された。闘わず去る者に容赦なく災難が降りかかる中では、可能な限り闘う選択肢しか残された野宿者には無かったのだ。先ずこのコミュニティの長老を公園事務所の姑息な謀略の下に巡回相談員らが誘拐したわけだが、それでも残留した野宿者3名はナチズンの嫌がらせや少年らの襲撃などにひるみつつも良く頑張ったと思う。それに比べ、ナチズンどもや役人ドモのサモシサと卑劣さは全く軽蔑せねばならない恥じて然るべきものだった。ましてやその周辺でハイエナのようにうろつく巡回相談員やボッタクリ福祉(ヤミ福祉)などには呆れ笑いしか出ない。ここにテント村というコミュニティがあり、花見を幾らかの地域住民らと興じてみたり、近所付き合いする野宿者たちがいたことは、奴ら官民総てにとって早々にかき消すべき景気の悪い風景に過ぎなかったのだ。あのテント村の彼ら一人一人を知り、彼らの闘いを精神的にであれ陰ながら支えることになった筆者には、あの拘束によって最後の1戸の野宿者の確実な「敢闘賞」獲得まで見守れなかった悔しさが今もある…

*osaKKKa prison/大阪拘置所

2008-08-15 18:19:41 | Weblog
 門の手前右側の建物(警衛)に黒くなったドアらしいものがあるのが分かるだろうか? ここが拘置所面会人らの通用ドアである。ここで用を告げ、携帯電話、カメラなどの「管理に不都合な」持ち物をキーつきロッカーに預け、番号札をもらう。その後、金属探知機と身体検査を係官から受けて警衛の受付は終わり、拘置所面会の手続きを門の向こうに見える建物の1階で行う。書類には印鑑も要るので注意。(無いと拇印になってしまいます)同じ書類に3人までの面会者名を連記できます。また、差し入れの書籍などは、差し入れリストに①品目(書名)②個数――を書いた上で、窓口にお願いします。この際、小説などのカバーが代用監獄(警察留置室)では剥がされるのですが、大阪拘置所では付けたままで大丈夫です。便箋などのレターセットは差し入れ用のものを拘置所で買わねばなりませんので、あらかじめ持って行くと持って帰らねばなりません。ご注意を。午前中の受付が11時を越えると面会が午後1時以降になってしまう恐れがあるので注意。なお、面会受付は、①受付用番号札をもらい②面会受付書類や差し入れリストを記入し③「XX番の方、窓口までどうぞ」というアナウンスで呼ばれ④先程の番号札を受付に手渡してから再度受け取って⑤窓口で指定された面会室に向かう――という流れで行われます。