★北河内路上通信-the Voice of VoICelESs on roadsides in EastOsaka

 北河内路上通信は大阪北河内において、同地域の野宿者と助け合い、共にあろうとする有志によって始められました。

★現 長居公園テント村のはじまり

2006-02-15 12:42:10 | 野宿者支援
現長居公園テント村のはじまり
 今日は、現長居公園テント村の位置にテント村が移転した日である。そこは2000年8月6日に当時の仲間の会を準備した支援者らが100人くらいの園内野宿者と共に寄り合いをもった後、寄り合い場として使われてきた幾つかのテント小屋に隣接する場であった。 あれから、5年の歳月が経っていった… 口約束の意地汚い大阪市のやり口は何一つ変わらず、奴らのより一層陰湿な暴力は「1.30靭・大阪城公園など野宿者コミュニティ同時多発テロ攻撃」以後も何ら変更は無い。奴らが長年やりたかった顕在化した大規模暴力が加えられただけだ。あの大規模同時多発テロ攻撃に参加した役人どもに「良い役人」がいるという「希望的観測」など無意味であることを現場で感じなかったならば、余程お人よしだろう。考えてもみるがいい、本当に良心があるなら、「風邪をひきました」などの理由をつけて休み、参加しないという方法もあったのではないか。にもかかわらず、暴力を行使するその現場に例え渋々だろうとノコノコ参加した役人どもに「良い役人」などいるはずが無いのだ。度合いの差こそあれ、奴らはテロ攻撃を担い、警備員を前面に立たせて盾とし、暴挙を貫徹した大阪市と警察権力の手であり足であったという事を悔い改めるまでは家庭に帰っても単なる「一般市民」なんかではない。度合いの差こそあれ、テロリストである。奴らをグレーゾーンに置いてやるという「慈悲」はまたしても我々の現実を暴力で覆われることになるのだということを知らねばならない。厳冬期の寒空の下の寄る辺無き個々人から居住空間を奪い、その上、全治1カ月近くの骨折した者や倒れた者、役人どもやガードマンの暴力による多数の負傷者を積極的に生んだ加害者がマスコミなどに被害者面するオゾマシサには吐き気すら覚える。また、警備員もまた被害者であったという言葉には、半分うなずけるが、積極的に暴行を働いた警備員もいたことをその事で薄めないでいただきたい。奴ら戦犯を野放しにすることは戦後の日本列島を勝手に統治した政府のやって来たことと何ら変わらない恐ろしい現実を生むことだろう。攻撃と追及の手を緩めるな。奴らは微笑みながらいつも戦意解消を求めてくる一方で確実に攻撃目標に攻撃を遂行し確実に打撃を与える。長居闘争を今一度振り返っていただきたい。現仲間の会はどう考えるかは知らないが、闘いの意志を取り下げて、もしくは闘わずしてあの場を維持できたと勘違いする事だけは遠慮いただきたい。「口約束」の「確約」など何の意味も無かったことは2000年8月より2001年11月末の最後の闘士が失踪するまでの状況を見知る元現闘団メンバーが訴えてきたことだ。2001年11 月、「再建の過程で長居を切ろう」と決定した個々人たちと袂を分かち、長居公園テント村とそこに集ってきていた元野宿者や野宿の仲間たちと共にあるためにも周辺部などの野宿の仲間たちとの繋がりを再度模索し、それを現テント村の再建につなげた元現闘団メンバーがいなければ、今の長居公園テント村があったかどうかは疑問だ。ともかく、あの5年前の2.14鍵声明を受けた自主移転後、のじれんなどから集まった連合現闘団による輝かしい闘い(-3.16)、そしてEAG=東アジア競技会前のリベロ警備と南部方面公園事務所などの画策での重機による3戸のテント小屋の破壊(5.9)やEAG前の連続テント小屋放火テロ攻撃(http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8932/may9_19nagai.html 写真参照)後の衰退期、そしてEAE後の「長居切捨て」、2001年11月から1月までの再建過程、2002年2月から7月までの対ワールドカップ防衛、園内襲撃の被災者20名余をテント村に収容してのテント増築、それ以降の工事を名目とした水攻め土攻め攻撃の延長線上にある2003年4月25日のテント村囲い込み監視後、現テント村に至っている。闘わずして座して待つ歴史は長居公園テント村には無いのだということを記憶の片隅にでも置いていただきたい。祭やイベントは人々を集めるが、楽観はコミュニティ防衛の敵であるということも。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8932/tousou_document.html
  2001年2月14日   建設局・鍵が公園管理事務所の職員を伴って、シェルター前現闘本部を訪れ、公開の場で①園内にある50張りのテントについては強制排除は行わない②新規テント、シェルターの問題については相互理解を深めるための話し合いを行っていく――と回答、これを現場レベルで確約させた。 しかしながら、慎重に構える必要あり。 磯村は不気味な沈黙を守っている。

  2001年2月15日   昨日の確約により、朝8時より自主解体と元の場所への移動作業などを行う。 シェルター前からは撤収。 以前の集会場所であるスーパー「ライフ」筋向い側園内へ移動。

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