★北河内路上通信-the Voice of VoICelESs on roadsides in EastOsaka

 北河内路上通信は大阪北河内において、同地域の野宿者と助け合い、共にあろうとする有志によって始められました。

★河内路傍夜話

2008-03-29 12:18:18 | Weblog
★河内路傍夜話

 気がつけば、野宿者の居住空間を更地にした後に大阪市が2001年に植えていった長居公園のうぬぼれ者のナルキッソスが茶枯れしていこうとしている時節。(それとは別に大阪市の公僕どもは今尚貧困者を踏みつけにして自惚れているが)河内の地でも梅、桃、沈丁花が咲き香り、桜までもがつぼみを大きく膨らませ開花し始めるものまである季節となってきた。まだ桜も咲いていないのに花見で雄叫びをあげる中学生や高校生までもが浮かれて酒を飲んだくれて暴れ、後始末もせずに何時しか消えていく。後始末をするのが、奴らが最も忌み嫌う野宿者だというのは、この10年ほど変わらない光景だ。まだ食べもしない食材や開けてもいない飲み物、お菓子、ブルーシートやバーベキュー用のコンロ、そしてもちろんアルミ缶を粗方処理するのは奴らが迷惑だと考える野宿者だというのを知るものは少ないだろう。飽食の宴会獣どもよ、恥を知れといったところか。
 ともかく、このような暦の上や気候の上での春は来たようだが、この地の路傍などの野宿者には季節と反比例の現実があり、厳寒はまさにこれからだ。3月15日未明、城東貨物線がJR大阪東線として河内西部で高架開通し、家賃などの高騰がこの地にも押し寄せてきた。これに伴う同沿線での貧困者のあぶり出しも一層激化することが予想できる。3月20日、布施などの野宿者が缶取り後に談笑休息したり、半額食品を買い求めてきた生活の一部でもあった大型店舗がこの地から消えた。生活を大幅に変えねばならない状況を強いられる野宿者が一層増えたのは言うまでもない。そして数日前、近鉄布施駅前では野宿者が缶を沢山とれた日に「はりこんで食べるゴチソウ」であった格安ラーメン店がポッポアベニューから姿を消し、一杯300円以上のラーメンをメニューにもつラーメン店にフランチャイズ本部の都合で変わった。それでも一般的には安いだろうが、野宿者にとっては大きな痛手なのだ。次々訪れる「厳冬」にぽつりと「ゴチソウの楽しみがなくなったわ」とこの地の野宿者が言った時は妙に納得した。そういったフラストレーションはやがて野宿者同士の暴力沙汰まで産み、被害の当事者は衆目監視下の突然の一方的暴力を加えられたにもかかわらず(腹部打撲)スゴスゴ引き下がり「あいつのノサバるここにはおれへんわ」と言うとその後行方不明となってしまったままだ。加害者の家のある男は今も酒による恐怖支配を敷き河内某所の治外法権の路傍で野宿者をパシリにしてノサバっている。権力に媚びへつらい、相対的な経済的弱者になる野宿者のボス猿となる馬鹿な男のサモシサには哀れささえ感じる。ともかく、そんなある日に布施に立ち寄った河内東部の野宿者が言った「自転車を置くところも無くなったし、寝るところは言うまでもなく座って休むところも無くなっていく・・・おまけに喰う楽しみまで。俺らみたいなのはここにおったらあかんのか? 俺はヨソもんやない、長いことここの職工やったんじゃ。日雇いの奴らとはちゃうぞ。せやのにもう奴ら以下や。缶もどんどん数が減り、それに比べ缶取りする奴が増えとる・・・その上、中国の金属需要が減ればレートも何時下がるか分からん。どうやってやっていけるか、もう自信もない」という悲痛な声はそれを単純に日雇い差別者や釜ヶ崎差別者と糾弾してすむ生っちょろい時代が終わったことを意味している。河内各所の公園などの野宿者が何処へか歯が抜けていくように消え、一層不可視化が進んでいる現実は、釜ヶ崎のNPO釜ヶ崎支援機構などが市大の御用学者どもや行政機構と画策して2002年7月にでっちあげた「ホームレス特措法」による「適正化」攻撃排除の使者=巡回相談員やボッタクリ福祉などの凄まじい暗躍を一方で意味している。それは医療収容所である行路病院群を潤わせ、薬業を潤わせ、そして不動産屋どもも潤わせ、闇社会をも潤わせている。夜に大阪東線の高架からその沿線の労働者階層の街を見渡すと、その昔、銀河鉄道999というマンガの本を苦手ながらも文字を見て絵を見て苦労して読んだことがあったが、そこに天空にそびえ立つ街と底辺下層の住まう街のコントラストが描かれていたことを思い出さずにはおれない光景が垣間見え始めていることに気づかされた。そこで突き出ていた幾つかの高層マンションには役人どもや高所得層が労働者階層を見下ろすように住んでいるのは殆ど疑う余地もない。そこは労働者階層の長屋やささやかな生活があったり、家内工場などの機械油と鉄臭さ、機械音が響いていた場である。季節がどうあれ、春が来たのは奴らにだけだろう。路傍の厳冬は、労資協調をますます爆進する大政翼賛勢力の小細工や大本営発表の数字のマジックとは裏腹にますます激しくなる一方である。いずれにせよ、期限延長によりますます猛威を振るう特措法の下で野宿者「最終解決」は野宿者に漏れなく自己責任というエッセンスで処断し叩きのめした上で恭順させ、統治機構の無責任の居直りと封印を無慈悲に結果している。それをこしらえるのに尽力し、行政とともに運用の一端を担ったNPO釜ヶ崎支配機構のような御用ききどもは「ニュールンベルク」裁判のような場で裁かれることがフサワシイ。我ら貧困者の恨みは闇が支配する海の底より深い事を思い知れ。

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