昭和30年代の初め頃に「板垣退助」の「100円札」が財布の中に入っているととても幸せでした。
やや臙脂(エンジ)かかった色の「100円札」はとても使いでが有ります。
駄菓子屋のお菓子やアテモノはすべて5円が基本でした。
「タコ焼」は5円から「お好み焼き」は10円から食べられます。
「貸本屋」は一泊二日で一冊の借り賃が5円。
「マルサン」や「三共」のプラモデル・ピーナッツシリーズは30円でした。
お小遣いが一日10円で充分だった頃が懐かしい。
やや臙脂(エンジ)かかった色の「100円札」はとても使いでが有ります。
駄菓子屋のお菓子やアテモノはすべて5円が基本でした。
「タコ焼」は5円から「お好み焼き」は10円から食べられます。
「貸本屋」は一泊二日で一冊の借り賃が5円。
「マルサン」や「三共」のプラモデル・ピーナッツシリーズは30円でした。
お小遣いが一日10円で充分だった頃が懐かしい。
1つは、大阪万博の頃、万博マークの買ったばかりのお財布が100円でした。嬉しくて全財産を入れていました、板垣退助100円札x3枚。自転車に乗って駄菓子屋さんへ行き、お店に入って・・・え~ん!財布が無い! 落としたようですが、探してもどこにもありませんでした。悔しいから今もあの日のことは忘れない...
もう1つの記憶は、お年玉やらお小遣いを貯めて20枚くらいあったしわ無しの新品板垣退助の100円札。ある日、母が貯金しましょうね! と銀行へ。直後から100円札は段々見かけなくなりました。今なら1枚200円くらいの価値はあるでしょう。・・・ちっ、儲け損ねた。
今、
>悔しいから今もあの日のことは忘れない...
拾った事より落とした事の方が多いのは何故?
中には拾う方が多い子供も居るのかな・・・
>ある日、母が貯金しましょうね! と銀行へ。
母の強制貯金には往生しましたです。