.

.

ゴーヤと納豆のかき揚げ/フィリピンの長いいち日1

2015年02月28日 | 田舎生活の衣食住
 ゴーヤと納豆のかき揚げを拵えたら、月末の冷蔵庫は、空になりました。なあーんにもない(笑)。




ペットボトルには、玄米と麦が入っています。瓶はジャムと食べるラー油。



 冷凍庫には乾燥させたゴーヤと椎茸。そしてニンニク。ニンニクは一片づつにして冷凍し、使う時に使う量だけ出していけば長持します。




 あっ、卵だけは沢山ある(笑)。




 
 九死に一生を得た話。フィリピンでの出来事です。まず、台風のため、成田からマニラ行きは全て欠航。そう我がフィリピン航空以外は。後に、この時、「何故飛んだ」と恨みがましく思えた程です。
 まずはマニラで一泊。この時は未だ後の予兆を知る良しもありませんでした。
 翌日ダカトの町から舟(ディンギーというボート)でアプアオ島へと向かいました。そう台風の真っただ中です。ディンギーは揺れまくり、船内では「泳げるか」といった声も飛んでいました。ちょっとした「タイタニック」。
 まあ、無事に島に上陸は出来たのですが、台風は次第に勢力を増して接近。上陸した翌日からは全島停電。トイレに行くにもライターの火だけが頼りでした。また、普段は暑い地域ですからシャワーも水しか出ません。
 思いっきり風邪を引いてしまいました。
 そして、予定の二泊三日が過ぎても(もしかしたら一泊二日だったか)台風の為、島から離れられません。
 島には電話もなく、ただただ状況は無線でダカトまで知らせ、そこから必要な電話を掛けて貰う有様。
 そして滞在すること一週間。漸く台風が去りましたが、ダカトからマニラまでの国内線のチケットが取れず、十時間以上を掛けてバスで行くことになりました。
 結果、これで命が長らえたのです。なぜなら、その日、クーデターで最初に爆破されたのがダカトの国内線空港だったのです。
 そんなことはいざ知らず、ひたすらバスは走り、途中パンクしてマニラに到着したのは随分と遅い時間になっていました。十二時間は掛ったんじゃないかな。
 そこからはタクシーでホテルへと向かうだけ。一刻も早く熱いシャワーが浴びたい。そんな気持ちでした。人間って、極限状態に疲れている時って空腹よりも風呂で身体をほぐしたくなるものだと感じました。
 でも、未だ終わりません。乗ったタクシーが接触事故を起こし、一度下りて待つ。ほかのタクシーを拾う気力も、考えもありませんでした。
 漸くホテルにチェックイン出来たのは夜も遅くなってから。朝5時からなんと、十四時間の強行軍でした。
 しかし、これで終わった訳ではないのです。翌日はあの有名な政変。続く




 人気ブログランキングへ

人気ブログランキングへ 


コメントを投稿