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歴史小説

2011年03月29日 | 田舎生活の衣食住
 幕末にタイムスリップした三人の男女。一人は歴史に身を投じ、一人は歴史を変えようと、一人は歴史からの脱出を、それぞれに思いは違えど、渦に飲み込まれ…。
 時代を彩るのは、新選組と会津藩、そして薩長、土佐の偉人も加わって。
 実存する人物と史実の中で現代人が翻弄されます。
 大河小説はいかがですか?

http://blog.goo.ne.jp/shortstory_001

東北地方太平洋沖地震

2011年03月15日 | 田舎生活の衣食住
 日々、亡くなられた方の数が増え、悲しみでいっぱいです。千人の遺体が発見されたと聞くと、莫大な数に気が遠くなります。被災者の方は今は生きて行くことに精一杯でしょうが、生活が落ち着いた時のご落胆を思うと言葉が有りません。
 そして、どうしてなのか腹立たしいくらいに今日からは寒さが戻り、被災者の方には増々お辛いかと思いますが、お力を落とされること無く、復興を祈って乗り切ってくださいますよう、お祈り申し上げます。
 
 こちらも無傷ではなく、今こうしている間も、余震があり、その度に肝を冷やしています。夜間もすぐに逃げ出せるように準備しています。眠っていても緊張は解けません。

 実は、こんな折り、「大丈夫ですかー」と絵文字入りのメールをいただきました。正直、愕然として返事を書くのを躊躇っています。悪気はないのでしょうが、四十代の立派な大人の方です。そんな陽気な状況でないことがどうして分からないのだろうか。悲しくなりました。怒る気にもなれません。
 
 
 

凄いことになってます

2011年03月14日 | 田舎生活の衣食住
 朝10時半にスーパーへ行ってもほとんどパンはありません。開店直後に売り切れちゃうのか。レトルトのカレーもカップ麺もほとんど無く、ミネラルウォーター、電池、懐中電灯そしてトイレットペーパーまで完売状態。なぜトイレットペーパーまで? と不思議ですが、これでは我が家のストックもなくなってしまうので、ある時に買っておかねばと、あちこち回ってようやく見付けましたが、それも売り切れ寸前でした。
 毎日余震があったり、停電の恐れがあったりと不安と不便な日々ですが、被災地の皆さんを思えば、贅沢な悩みです。それにしてもなくなられた方の数字が増える度にぞっとします。一瞬で、数千人がこの世から消えてしまったのです。
 今日から輪番停電改め、計画停電が本日から実施されるとのことで、某局のコメンテーターが、「今日の明日で準備ができない」などおっしゃったり、東京電力の方の的確な説明で、視聴者の自分にも分かったのに、おかしな質問をする記者の方とかを見ておもうのですが、東京電力は頑張っていると思います。これだけの市町村を電力の消費率、人口などで割り出して、分けているのです。しかも、こんな急な対応、初めてのことで、周りが思うほどスムーズに事が運ぶものではないでしょう。
 そして、停電しないで済むようにぎりぎりまで対応しているのです。スタジオでどうのこうの言う前に現場の混乱を考えましょうよ。そうやって自分はピラミッドの頂点にいて、手を下さず揚げ足だけを取るのは日本人の悪い癖です。
 事件があると必ずコメンテーターが出てきますが、それは専門的知識は必要でしょうが、批判を聞かされるくらいなら、今後への発展的なコメントにしてください。
 もうこれ以上、余震がなくなり、被害が少なくて済むことを祈ります。

地震

2011年03月12日 | 田舎生活の衣食住
 昨日は大変でした。できるだけ被害が少なく、一刻も早く無事に元通りの生活ができるようにお祈り申し上げます。
 という、こちらも地震発生から今朝の8時過ぎまで、電話、電気、ガスがストップ。日頃から備えが足りず、急遽小型ラジオと懐中電灯を探し出し、真っ暗な部屋の中でお茶も飲めずに過ごしました。普段ラジオなど聴かないのですが、あってよかった。
 昨日は遅い昼食を食べ終えたところでの揺れ。最初は気に留めなかったのですが、いつになっても揺れが修まらず、大きな揺れで、襖が開いたりしたので、慌てて、ガスの元栓を締めて、貴重品やら当座に衣類を鞄に詰め待機していました。停電もすぐに電気がくるだろうと悠長にしていましたが、夜になり、明日まで開通しないらしいと。
 天災は本当に恐ろしいと思いました。何ら変わりない日常が一瞬にして崩壊されます。夕べから今日も何度も予震があり、未だ安心はできませんが、何の前触れもなく、命を失われた方も、地震発生までは普通に生活し、普通に明日が来ると信じて疑わなかったわけですから。本当にお気の毒だと思います。お悔やみ申し上げます。

紀三井寺 和歌山県

2011年03月11日 | 国内の名所・旧跡
 奈良時代唐僧・為光上人によって開基された霊刹で、寺名は三つの井戸(湧き水)があることに由来している。西国三十三所観音巡礼第二番の札所でもあり、多宝塔は国の重要文化財に指定されている。

  若かりし頃の、紀ノ国屋文左衛門が母を背負って寺の表坂を登ったところ、草履の鼻緒が切れてしまい、それを緒をすげ替えてくれたのが、紀三井寺の真向かいにある玉津島神社の宮司の娘のかよ。
 これがきっかけとなって、文左衛門とかよの間に恋が芽生え、二人は結ばれる。そして、文左衛門は宮司(かよの父)の出資金で船を仕立て、蜜柑と材木を江戸へ送り豪商にまで上り詰めたと言われている。
 以降、紀ノ国屋文左衛門の出世のきっかけとなった紀三井寺の表坂は、結縁坂と呼ばれるようになったそうな。






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拙政園 蘇州

2011年03月11日 | 今時の上海2010
  世界遺産に指定されている蘇州古典園林のひとつ。
 1509年(明王朝の正徳4年)、官僚を追放され故郷の蘇州に戻った王献臣が、8年の年月を費やして造った自庭。愚かなものが政をつかさどるという皮肉を込めて「拙政」と命名した。
 東園、中園、西園の3つの部分に分けられた庭園のほとんどは蓮池が占め、その周りに東屋、橋、回廊、緑を巡らせ、水面との四季に応じて一番美しい景観を見られるように、構成ている。
 中国の古典文学「紅楼夢」の舞台とも言われている。




 敷地内の自邸も粋を極めている。



中国王朝時代にワンポイント。
 プライベートルームも見分け方。古来より、男性上位の中国。南側の一番良い部屋は男性のものとされ、席順も決まりが有るが、部屋を見て一目で男性の物か、女性かを見分けるには、天井の梁や窓枠などの装飾。欄間のような華美な装飾が成されている部屋は男性。一方女性の部屋には、装飾の無い木の梁、木枠のみとなっている。


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上海の普通の暮らし

2011年03月11日 | 今時の上海2010
 日本のように豪華マンションや億ションもあれど、一般的な住まいはこちら。




↑高層マンション。増えてます。





↑こらはいわゆる団地。古い外観だが内装は、マンション並だったり、またはそのまんまのコンクリートむき出しだったり人それぞれ。自治会もあり、住むとすぐに係の人が名簿作成のためやって来る。日本で言うところの町内会だが、日本みたく、わずらわしいことは一切無し。


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オールド上海 七宝2

2011年03月11日 | 今時の上海2010


↑これぞ、正に下町。崩れかけた家にはよれよれの洗濯物が翻り年寄りは道路の地べたで占いや、書の店を勝手に広げている。今の世の中、物が溢れていることを反省させられる。




↑中国は今や車社会。あまりの交通渋滞にナンバープレートを偶数、奇数で曜日ごとに走ろうといった動きもあったが、それならばと皆車を2台買っちゃった。しかし、中国のだだっ広い道には自転車が似合う。




↑閑散としているが両脇に並ぶ店は営業中。間口半軒の小さな麺屋や、テイクアウトの総菜屋など。


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オールド上海 七宝1

2011年03月11日 | 今時の上海2010
 七宝老街は観光客相手の店がほとんどだで、町いや村もメインストーリはデパートや飲食店など近代的だが、一歩路地を入れば1930年代に出会える。
 上海市内からわずか40分(地下鉄)で、こんなに景色が変わるのだ。




↑漬け物屋。





↑上海では珍しい山査子売り。山査子の実を串に刺して、飴でコーティングしたもの。路上の埃をバンバン貼付けて売っている。




↑人の家先で開業中? の八百屋。誰もいなくても盗まれない。


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オールド上海 豫園老街

2011年03月11日 | 今時の上海2010
 昔ながらの風情を残す上海の下町の暮らし。本当の庶民の古き良き時代の暮らしがここにある。一種のコミュニティができているので、部外者が立ち入るのは勇気が必要。



↑安い衣類や雑貨の生活品の店が並ぶ豫園老街メインストリート。




↑後ろの門の中が屋外の市場。露天には野菜、肉、魚なんでも揃う。下町には結構こうした露天も多く、生きている鶏も…




↑家は細い路地の中の長屋。日本風の流行の言葉でいうなら古民家。水場は外で、玄関前の路地もほとんど自宅感覚で使用中。


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上海雑記

2011年03月11日 | 今時の上海2010
 見てのとおり、電話ボックスと郵便ポスト。今や公衆電話はほとんどないのだが、観光スポットになら若干あり。ポストのグリーンは郵政局のイメージカラーで配送車もこの色。なんと小包用の段ボール箱も淡いグリーンだった。
 因に中国からの小包は、郵政局で段ボールを購入し、局員の前の箱詰めしなくてはいけない。だが実際は局員によって差があるようで、今回、全くのノーチェック。勝手に箱に詰めてガムテープで閉じる時だけの立ち会いのみ。
 下の写真は空港内の喫煙所のライター。上海の空港では有無を言わさずライターは没収される。ここで文句を言ったら、「喫煙室にある」と言う。嘘ではないがただの使い捨てライターがご丁寧に鍵付きで入っているだけ。しかも引っ張れないから、口に煙草をくわえた間抜けな状態でこの箱まで顔を近づける。
 4~5本ライターは用意されているが、見知らぬ人と至近距離で顔塚付けてまで火をつけたかねーよ。こういう場合は、ライターにチェーンでも付けて引き出せるようにしないとね。


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上海影視楽園2

2011年03月09日 | 今時の上海2010
 以前紹介した上海影視中心。正式には上海影視楽園だった。忘れてた。
 以前は、八万人体育場から上海影視楽園行きの上海旅遊集散中心のバス(1日に1便)を利用するのが一般的でしたが、地下鉄網が張り巡らされたお陰でぐんと便利に。地下鉄9号線の松江新城駅からタクシーで10分ぐらいで30~35元が目安。
 再現されているのは、
南京路
 メインストーリには1930年代の旧上海がリアルに再現され、先施・永安・新新・大興の4大デパートを中心とした、南京路が再現され、路面電車も運行され乗車もできる。
租界中心街
 租界時代に外灘を中心に建設された欧風ビルと町並み。
蘇州
 外灘北端の外白渡橋のようにも見える浙江路鉄橋を再現。
石庫門
 租界時代に19世紀末から中国人向けに建設された長屋街。
上海古里
 豫園付近を中心とする旧上海城時代から続く古い町並み。
エリック・マーラー邸
 租界時代にイギリス籍ユダヤ人富豪が建築した邸宅(静安区陝西南路に現存)。
和平広場
 現在の人民広場の前身で租界時代の社交の中心となっていた上海競馬場。
教会
  徐家汇協会
湖山区
 上海郊外の江南水郷地区である朱家角や周荘。

 のエリアに別れる。
 撮影された日本の作品は、
 映画 スパイ・ゾルゲ、広島 昭和20年8月6日、T.R.Y.、三丁目の夕日、地下鉄に乗って
 ドラマ 華麗なる一族、李香蘭、わが家の歴史など多数。
 映画やドラマで路面電車が走るシーンや、昭和30年代ものはまずここで撮影したと思って間違いないだろう。倉庫にはクラシックカーやオールドタイプのバス、バイクなど「よこも残っていたものだ」と思えるくらいに懐かしい車種が多くあるが、圧倒的な数を誇るのは、軍用車。ジープ、戦車、サイドカーの付いたバイク、救護班用ミニバスに並び、なんと敵役日本軍のジープはご丁寧に国旗が掲げられていた。中国では、TVで放送されている戦争物のドラマが凄く多く、朝っぱらからもやっているくらいだから、軍用車の需要も多いのだろう。敷地内には、洞窟も造られている。

 訪れた時には、ローカルドラマの撮影が2本行われており、カメラマンのほぼ真後ろまで行っても大丈夫だった。ただ「写真は撮るな」と言われたけど。もう1本の撮影現場は、室内の撮影で、玄関口まで覗き込んでも何も言われなかった。だが、松潤あたりにいて欲しかった。最後には、「大泉洋でいいよ」。(家族の肖像)


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上海(蘇州)のお寺巡り5 虎丘

2011年03月09日 | 今時の上海2010
 春秋時代の呉王・闔閭の埋葬3日後に白い猛虎が現われ墓を守ったとの伝説から虎丘と呼ばれる小高い丘のンボルとも言える雲巌寺塔(虎丘斜塔とも)は、961年建立の高さ47m、八角七層の雲巌寺塔は、地盤沈下により3.5度傾き(6度、15度説もあり)、東洋のピサ斜塔とも呼ばれている。 全国重点保護文物。
 剣を好んだ闔閭のために、剣が3,000本埋められたという湧き水が湧く、剣池が闔閭の墓と伝えられる。
 秦の始皇帝や孫権がその剣を探し求めて掘ったが徒労に終わったとも言われる。闔閭の墓を建造した際携わった1,000人の工匠達を殺戮し、鮮血に染まったと伝えられる巨岩の千人石など、血なまぐさい伝説もあるが、運河のとおる美しい景観と広い敷地は蘇州市民の憩の場となっている。


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上海(蘇州)のお寺巡り4 寒山寺

2011年03月09日 | 今時の上海2010
 南北朝時代に創建されたが、現存のものは清代末の再建。創建当時は妙利普名塔院と呼ばれていたが、唐の時代に寒山、拾得の両高僧が住職を務めたこtから、寒山寺と呼ばれるようになった。
 張継の詩「楓橋夜泊」にも 寒山寺は読まれている。
 赤いリボン(30元、20元)に名前を書いて人よりも高い所に結ぶと願いが叶うと言われ、寺院内の木々には赤い花が咲いているかのようだ。

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