トホホおやぢのブログ.....

アンチエイジング、自転車、ダイエット、スイム、ラン等々、徒然なるままを・・・

「自転車に乗り始めた理由・・・・・その2」

2010-03-11 10:00:00 | 泳ぐ・乗る・走る
 マトモに自転車に乗りはじめて間もない頃、黄昏時の荒川CR
 ボクよりも、8歳と9歳年上のおやぢ二人は、向い風をものともせず、土手の上をグングン走り、どうもがいても追いつくことができなかった。

 この現実を認めたくない自分が、何故?どうして?ついていくことが出来ないのか?アタマの中で自問自答を繰り返していた。その半年ほど前に、MTBで学生時代の先輩に連れられて狭山湖へ走りに行った時に、
「どうしてそんな軽いギアでクルクル回すのか?!かえって疲れるじゃない?」
と訊ねた自分を思い出した。
その時に上り坂でついて行けなかったのは、ただ体重が重いせいだと考えていたのだが、それだけではなさそうだと・・・・遠く見えなくなってゆく年上のおやぢ二人の後を追いながら、その時初めて気が付いた。このおやぢ達もクルクル回していたのだ。

 クルクル回す(ケイデンス90rpm以上)は、はじめのうちはとても苦痛だった。最初は股関節が硬いせいもあったかもしれないが、なんで??どうして??てな感じだった。
 まもなくクルクル回すことを覚え、なんとなく会得してから世界が変わった。長距離を走れるようになったのだ。以前は、辛い帰りの事を考えると遠くに行くことに抵抗があった。でもクルクル回すようになって、しばらくしたらそんなことは考えなくなった。航続可能距離が飛躍的に向上したのだ。それからはバイクに乗って見ることの出来る世界が飛躍的に拡大した。スピードメーターの距離の積算が伸びるのが楽しくて、バイクに乗る為の休日の天気が悪いとすごくがっかりした。

 この頃から、バイクに夢中になった。そして年上のおやぢ二人において行かれる事が無くなってきた。 そして自分がアベ25km/h以上で走る事が可能であるとわかった時に、とてもうれしかった。

 元々オートバイのレース経験があったのでドラフティング(直ぐ後を走って風の抵抗を減らし、エネルギーを温存すること)は、得意になった。速度の遅い自転車であっても、独りで走る150kmよりも集団で走る150kmの方がすごく楽だと知った。最初は、チャリ如きのスピードでそんな馬鹿なっ!なんて考えていたのだが、実際に経験して見ると非力な人間の足がエンジンであるからこそ、その効果は身に沁みてわかった。

 ハートレイトモニターなんてのも、最初は新鮮な体験だった。そもそも、乳バンドをつけるのに妙な気持ちになったものだ・・・・ブラをつける感覚とはこんな案配ではないかと(笑)
苦しい150の心拍と気持ちいい150の心拍があるということも、理解できるようになった。消費 カロリーが予測どおりに表示されたりすると、それはそれでキモチ良かった。

 こんな経験や知識が増すにつれて、ツールドフランスやジロ・デ・イタリアの中継を見ることが楽しくなった。実際に仲間に連れられて、宇都宮のジャパン・カップでクネゴが友達のシッケビッツ?に、最後のゴールスプリントで勝利を譲ったのではないか?なんてことを感じ取れるようになった頃には、もう自転車の虜になってしまっていた。

 でも、自転車は好きだけれど、チョット感覚が変わってきた。続きはまたいずれ





Calamita Unoの出来たワケ(裏)

2010-03-09 09:19:00 | スチールバイク

 ラグ付の自転車にのりたい要望は、おやぢの専売特許と勘違いしているショップさんは多い。


 しかし、トマジーニのお客様を例に取ると 50歳を過ぎた私のようなおやぢは実はマイノリティだ。恵まれた40歳前後が多いようだ。ベテランが多いと思われがちだが、初心者の割合(経験5年未満)も多い。職業はクリエィター系。皆なお洒落でこだわりをもっている。恵まれたという意味合いは、経済的には勿論だが自転車を楽しむことができる総合的な環境という意味である。

「体ひとつしかないのに、なんで何台も自転車が必要なのよぉっ!!」

なんて罵声には無縁な生活を送っている人々だ。

 でも、こんなセリフを日々聞かされている人々の多くは、前日に御機嫌取りをして翌朝そ~~っと家を出て自転車に乗る・・・つかのまの休日
 どういう訳か、ほとんど見つかってしまう

「昼までには戻って、午後は買い物に付き合うから・・・・」
なんて、頼まれてもいないのに信頼できない言葉を自ら発する

自らの視点では、有る意味虐げられていると思っている人々にとって、Tommasini SINTESI や CasatiのLinea oroを買って乗るなんて夢の夢・・・・でも、

アクションスポーツの試乗会でスチールバイクってこんなに軽くて乗りやすいんだと気づかされ・・・・その葛藤に苦しみ、夢までバイクが出てきたりする・・・・・・


 巷に多く存在するデブセンのアルミフレームから、スキニーなクロモリフレームに、初々しくセクシーだった頃の○カ○ちゃ○を投影しているのかも知れない・・・・・

 まぁ理由はいろいろ有れど・・・・完成車で10~15万円くらいだったら、なんとか手が届くという感触をボク自身の現実を踏まえ、肌身で感じていた。

 どうせなら、スキニーなスチール(クロモリ)フレームで、完成車で10kgを切りたい。100km乗っても疲れないマイルド感が欲しい。雰囲気はトラッドで、かつレーパンをはかなくても、抵抗なく乗れる雰囲気・・・・ツィードのニッカボッカーにウールジャージを着ても絵になるバイクなんて事を考えながら作った。

 実は乗ったフィーリングを含め、あまりにも良くできたので、上位機種であるCasatiやTommainiの影響も心配したほどだ。でもそれは杞憂だった。”パスタ”と”武蔵野うどん”を比較するようなものだ。そもそも比較するのがおかしい。多くの鉄バイク好きな友人・仲間と一緒に走った荒川周辺のCRや奥武蔵の風景があったからこそ、このバイクはできたようなものだから。彼らの多くは、声に出しては言わないけれど自分のバイクに似合う風景を探して走ってるような気がする・・・・なんて普通の人には理解してもらえないだろうなぁ

 そんな思いが、カタチになったのだ


春の荒川CR



大芦橋手前のコスモス畑


榎本牧場付近





Clamita Due

2010-03-06 15:31:00 | スチールバイク
ダブルバテットのクロモリスチールフレームだ。でも、素材の持つトラッドな意味合いよりも、イメージとしてはMC用語でその昔使われたアーバン・カフェレーサーがコンセプト。だから改造前提なのだ。だから基本骨格のフレームには綺麗な出来の良いTig溶接に拘った。オートバイ好きに言わせれば、ヤマハだとSR400じゃなくてSRX400。ホンダでいえばカウルの付いたCBR400じゃなくて、昔のネイキッドのCB400FOURてなイメージだ。


 実は、想像以上に良く走るのが楽しい。ブランドは要らないから、そのコストをチューブセットに開発に投資。予定したよりも軽量化に成功。完成車重量がこの価格帯にも関わらず、なんと8.9kgを達成した。またシートステーのベントが、平均的なエンジンの持ち主のアベスピードとその加速に大きく作用することになった。


 オートバイの世界では、カフェレーサーと言えばマフラー、ハンドル、バックステップ、シート、ホイルなんかを換えて、その雰囲気を楽しむ事も重要な儀式だった。自転車の場合は構造上改造の限度がある。・・・とはいえ、自分からCalamitaを作っておいて、そのコンセプトに沿ったバイクスタイルを具現化しないのは、ある意味無責任に等しい・・・・!



手前味噌と言われるかもしれないが、ペダルを漕ぎはじめたとたんに口元が弛む。おやぢがニヤニヤしながらバイクにのっているので、傍目から気持ち悪いおやぢに見えることだろう。

余っていたカンパのケンタウルを装着、ホイルはNOVATECのLASSERにChallengeのクリテリウムをはいている。30km/h前後の走りはキモチイイの一言つきる。マトモな鉄に乗った事がなければ、まさに目から鱗という表現が適切かもしれない。重量は8.2kgになった・・・まだイケそう・・・・



このシルクブラッシュモデルは微妙に黒が似合う、したがってカーボンも似合う。
その結果さらなる軽量化も可能。 しかし、自分の財布の軽量化が問題だ・・・

坂道 その1 日光・金精峠を越えて

2010-03-05 13:18:00 | Italia & Bike
今日は良い天気だ、自転車日和。今週末がこんな天気だったらいいのだが・・・・

自転車の登りは辛い、特に体重が軽くないボクにとっては、最初からハンデキャップを背負っているようなものだ。

最初の頃は、坂道が嫌で嫌でしょうがなかった。でもその後の下りの御褒美に辛うじて我慢をしていた。


いつの間にか、うまく折り合いをつけて楽しむ事ができるようになった。早く登る事はできないけれど・・・・!

日光いろは坂・金精峠 
 当然ながら自転車をマジメ?乗る前は、いろは坂がこんなに自転車で登りやすい場所とは知らなかった。歯を食いしばるほどの急勾配は存在しない。東武日光駅から明智平まで1時間半~2時間ほどで着く。紅葉の時期の週末は、自動車だと渋滞で4~5時間掛かる。自動車を尻目にスイスイ登るのもまた気分が良い。ふつうの人?は、いろは坂を自転車で登るなんていうと目を丸くしてビックリする。


 本当は、中禅寺湖~戦場ヶ原の先の金精峠(標高1860m)が手強い。一部傾斜の急な箇所がある。金精峠を越えると、鎌田までイッキに1000m以上の標高差をダウンヒルだ。



でも、途中にとうもろこし街道があるので、そこで名物の焼きたてのとうもろこしを食べる為に一休みが通。



カーボン黎明期・・・

2010-03-03 23:56:00 | 自転車事情
自転車のカーボンフレームの歴史を語る時に彼の名前を知らない人は・・・・、
Kestrelが世界で一番最初に自転車用カーボンフレームを作った事を知らない
に等しい輩だと思う

http://www.catbikes.ch/

 その名前は、ルディ・カース。キャット・チータというカーボンバイクを今でも作っている。根っからの技術屋で、その探究心を満たすためには、毎日ジャガイモだけ食べていても生きていける人間かもしれない(失礼ながら実際に会った印象だ)

 その昔、彼の事はボクのヤマハ時代の古い友人に聞かされ、その彼がなぜか突然バイク(自転車)を作り始めたので、見てやってくれと連絡があったのがキッカケだ。
 なんでそんな情報が、ヤマハ時代の友人から来たのか?実は彼は、日本人で初のオートバイロードレースの世界チャンピョン片山敬済(350CCクラス)のマシンを作った男なのだ。このエンジンは、TZ250のエンジンの1個を真っ二つに切って繋ぎ合わせて350ccにしたというシロモノ。彼はそれを作った。そして彼の才能はそれに限らず、フィアットのレース用自動車のカーボンボディの設計・サイドカーレースのボディ設計・飛行機の設計をカーボンでやったりして、その才能と経歴は多彩を極めている。そんな彼が自転車を作ったので、それなりの価値があるとボクの友人は思ったのだろう。加えて、彼は、突然CO2を発生するものの設計を止めた。すなわち自転車に専念したということだ。

 彼は、かつてオートバイを作っている日本企業のヤマハNV(オランダ)にいたので、奥様のダネさんとともに日本びいきだ。その昔は、片山選手が活躍する以前にヨーロッパのオートバイのロード選手権に挑戦した日本人、例えば後の雑誌ライダースクラブの編集長になった根本健氏等を居候させていたこともあったらしい。そんな彼らの飼っているペットの猫の名前は、”熊”と命名するくらい、こよなく歴史・文化を問わず日本のテイストを愛してくれている夫婦だ。

 彼の工房に訪問して、衝撃的だったのは、当時は気袋内圧成型法(チューブの中に風船を入れて熱硬化させる)のが、パイオニアのKestrelをはじめまだ一般的だったのだが、早い時期から彼の工房には真空釜(オートクレープ製法)があったことだ。ジャガイモしか食ってない奴になんで、そんな高価なものが準備できるんだ!?と最初は思っていたのだけれど、2日目のディナーの時に合点がいった。彼には地元の有力な医者のスポンサーだ居たようだ。その医者の自宅にディナーに招かれ、いろいろ話を聞いて、そんな関係ではないかと推測がついた。ちなみにオートクレープの場合は、気袋内圧成型法に比較して、形の自由な設計が可能であることが強みだ。(中に風船をいれなくてもいいから)その変わりに、その器材には莫大な投資が必要なのだ。

 まだ、ヨーロッパの自転車メーカーでカーボン素材なんて注目されていない頃の話だ。
でも人が良い彼は、あまり知られていないがヨーロッパの自転車業界に直接・間接的にそうとうな影響を与えたようだ。しかし極めて日本人的な(いまやこの例えは正しくないかもしれない)彼は、惜しむことなくノウハウをタダ同然で業界人に教えて、350CCのエンジンを作った時と同じように自分がオモテに出ることなくこの業界の発展に貢献した。

 実際にイタリアのメーカーで、真空釜を持っている事を確認できたのは、MURAKAとORIAの2社だけだ。そして、そこから多くの有名ブランドが製造されている。
 その中の1社は、正直にルディの功績を認め、なんてお前は彼を知っているんだ!?と驚かれ、情報源としての彼の存在をあまり公にしたくない様子だった。

 実際、彼のマシンは空力抵抗に優れ、たしかアイアンマンの世界選手権の女子(ナターシャバッドマン)で、3か4連覇をしている。 彼のマシンの優れているところは、金型に独自の工夫をして、モノコック構造なのにオーダーメイドができる点だ。それはTZ250のエンジンを1+1/2で世界チャンピョンマシンを作った技術と共通するものがあるらしい。
 残念ながら、日本のマーケットではグラン・ツールで露出の無いブランドは商品価値が高くないこともあり、イマイチ訴求しきれなかったようだが、個人的には余裕があれば是非乗って見たいバイクだ。