トホホおやぢのブログ.....

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台湾に学ぶ・・・

2019-11-20 14:55:00 | 他愛無き事
 台湾の老人が、日本の国家『君が代』を歌っている映像みた日本人のおばさんの発言、『あんな歳になっても、覚えているなんて! 子供のころよほど酷く無理じいをさせられて覚えさせられたんだろうね。可哀想で涙がでる・・・・』表現の不自由展・ あいちトリエンナーレ2019の取材のTVドキュメンタリーの一コマである。
 基本的に政治・宗教的な話は、SNS上の話題にはしたくないが、このおばさんの発言は、僕の体験と知識の中では看過できない。もしかしたら、おばさんの言うような台湾のご老人もいるかもしれないが、そんな単純なものではないと少なくとも自分は思うし、そのおばさんのシンプルな感情的発言に対して、違和感を持つ台湾の人達が数多くいることを知ってもらいたいと思う。
 残念ながら現在の歴史教育の中でどれだけ正確に教えているのか知らないが、1895年から1945年の50年間、台湾は日本国だった。日本国台湾県だった。だからその50年間は日本の施政下で、彼らにとって国歌は「君が代」だったのだ。仮に1895年に生まれた台湾の人が、50年間慣れ親しんだ国歌を歌うことが苦痛だったのだろうか?

 戦後、中華民国としてスタートするが、1947年外省人と本省人(内省人)との対立から2.28事件が発生し、その後戒厳令が1987年まで続く。補足すると、外省人とは中国本土から戦後台湾に来た人たりを呼び、本省人とは日本の統治下で戦後を迎えた人達である。
 少なからず日本に縁のある蒋介石の国民政府は、日本にとって戦後賠償問題で在外資産の没収だけで済むという配慮ある判断してくれた。一方、日本の施政下で教育を受けたインテリには2.28事件以降は、徹底的な本省人の弾圧と排除を行った。そして日本が50年間してきたことを徹底的に否定したのだ。いまのどこぞの隣国のように・・・・必ずしも、本省人達は蒋介石政権下での国のあり様を歓迎していない。
 このような事実は、軽率な感想を漏らしたおばさんも、その映像を流した某国営放送のディレクターも知らないのだろう。

 私の友人のお父さんで、4~5年前に亡くなった方は日本語が堪能で・・・・というより多分日本語で物事を考えていたような気がする。(元総統の李登輝も難しいことを考える時は日本語で思考すると言われている)
 彼は終戦時日本海軍の軍人でパイロットだったた。特攻隊に志願したものの終戦末期で特攻する飛行機がなくて生き永らえた人物である。日本の大学出身で学徒出陣したらしい。何度か彼の自宅に訪問したのだけれど、彼の自宅の居間には昭和天皇と皇后の写真が飾られている。最後の訪問になった約10年前に、彼の息子から(息子は日本語は喋れず、私との会話は英語)「親父は最近、Senileだ」=老人性ボケ と玄関前で言われ、えっ!?ボケ爺さんの相手しなきゃいけないの!?なんて正直失礼にも思ってしまった。しかしながら、いざ実際に会ってみると、全くその気配は無いどころか・・・
「神田さん、日比谷公園で活動しているらしい、年越ナントカ村って何あれ!?僕が知っている日本政府は、民間にそんなマネはさせない。もっと頼もしかった。情けないよね」
ですって!ぜんぜんぼけてないじゃん!お父さんがトイレにいった隙に、お母さんに「息子さんが、父上がボケていると言っていたのですが、ぜんぜんそんなことないですね」と聞いたら、笑いながら「最近は、TVとしか会話しないのよ。日本語放送みて、会話している。台湾語話すのめんどくさいみたい」
 ある意味、日本の敗戦とう史実は、戦後こんなに時を経てから親子の断絶をもたらすのか!?と驚いた半面、歴史の罪というか複雑な心境になる。
 もっと強烈だったのは、このお父さんに帰り際に、寂しそうに
「神田さん、僕らは所詮トカゲのしっぽだから・・・」
と呟かれ、かえす言葉が見つからなかった・・・・・

 彼のイデオロギーは決して、日本の統治下で強いられたものではないし、彼が選択したことであることは間違いがない。少なくともこのような老人が台湾には少なくないことは、仕事を通じて知っているし、元総統の李登輝の経歴を見れば、このお父さんとも共通する部分が多い。彼らが歌う「君が代」の映像を某国営放送が、おばさんの非見識な発言と一緒に安易のオンエアすることに少なからず不快感と残念さを覚えるし、あの君が代を歌っている人達は、トカゲのしっぽである私たちをもっと知って欲しい・・・言い換えれば、台湾が歩んだ歴史を学んでほしいというメッセージにも聞こえる・・・








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