トホホおやぢのブログ.....

アンチエイジング、自転車、ダイエット、スイム、ラン等々、徒然なるままを・・・

自転車業界とのかかわり・・・

2010-12-26 22:34:00 | 自転車事情
 一番最初に、イタリア人の溶接が綺麗だなと思ったのは、ビモータのYB5のダイヤモンドフレームの溶接だった。重い空冷の1300ccの四気筒エンジンを抱える細い鉄チューブを繋ぐ溶接は、ヤマハのオートバイの大量生産品の溶接しか見たことがない僕には新鮮だった。

 ビモータ社が溶接しているわけではなく、ベルリッキという溶接専門の会社が、その技術を持っていると知ったのは、それから間もなくのことだ。ミラノショーでベルリッキの展示ブースに訪問して、いろいろ質問したら当時のトライアルバイク(モータサークル)のベータのフレームもそれだったし、ドカッティのフレームもそれだった。
 今から20年以上前のことであることに、驚いている今の自分が・・・・不思議。

 当時、ベルリッキは自転車のフレームを手掛けはじめたところだった。ミニマムは?と聞いたら、500セットと聞いてあきらめた記憶がある。ロッキーマウンテンのリアのスイングアームも当時生産していた。

 当時はまだ、サラリーマンだった頃で、インターネットも無く、テレックスなんて代物でコレポンをしていた時代。最初のイタリア出張は直行便が故障かなんかで遅れて、アンカレッジ経由でイタリアに入った。遅れてイタリアに着いたその日に代理店会議で、会話にもついていけず、社長から拳骨をくらった思い出がある。夜9時ごろから始まったディナーは、地獄のだった。その時にも鉄拳制裁をO社長から頂いた(笑)それからずっと、サラリーマン時代は出張が嫌いということにしていた。

 当時のミラノショーは、モーターサイクルとバイク(自転車)が一緒に開催されていた。その出展社の中で、LARMという元々はイタリアのモーターサイクル関係の問屋だった会社の2代目(マッシモ)が技術系の大学を出ていた影響で、ベルリッキと使ってマウンテンバイクを作り始めた。その会社は、同時にマルゾッキやフォーミュラ等の世界中の販売戦略をオランダの会社(名前を忘れた)と担い、世界中のデストリビューターを毎年、イタリアのボローニャに集合させていた。その中に後にBBBを立ち上げたオランダのAUGUSTAの連中もいた。

 その会社のマウンテンバイクのブラントは、SINTESI。トマジーニの商品名のSINTESIと同じだが、全く関係ない。マッシモは
「商標登録をしているの訴えることもできるのだが、トマジーニはクライアントの一人なので、それはしない。」
なんて言っていたことがある。

 ここのSINTESIのバズーカは(当初はベルリッキ社製)なかなか優れたDH(ダウンヒル)フレームで、1997年には元消防士のDHライダーのコラードヘリンが、あのニコラスブイヨスを抑えてワールドカップでチャンピョンになったこともある。

 当時は、毎年のボローニャに出かけて、いろいろなことを学んだ。学んだことの大半は忘れたと思うが、旨い食材とワインの味は、舌が記憶しているのか!?どうもイタリア贔屓にしてしまうようだ。







 


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