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トホホおやぢのブログ.....

アンチエイジング、自転車、ダイエット、スイム、ラン等々、徒然なるままを・・・

出張ジョグ・・・・

2019-03-13 07:11:00 | 泳ぐ・乗る・走る
出張の楽しみ、地方のグルメ・酒そして、朝のジョギング。体調を確認する為にも、ダイエットする為にも大切。
今朝は、歴史好きなら、絶対知っている念願の稲葉山城(岐阜城)に登ることができた。
ふもとから見てもその急峻さは目をみはるばかりで、


圧巻、今朝は雨が降っていたので、霧雲というか雨雲らしきものが山裾にかかっていて、上りだす前から心が折れそう・・・駅前からふもとまでの平坦な道をジョギングしてきたのだけれど、自分自身の体調はよさそうだ。雨雲レーダーを信じれば、この雨の小康状態になるらしいし・・・・


七曲り登山道がいちばん近くて簡単そうなので、頂上アタックの為には、ここから標高差300m以上をのぼることに・・・・

路面が濡れているので、靴が泥だらけになるのが心配だったけれど、こんなに尖がった山は岩山なので、土の部分が少なく、しかもこんな感じで整備されているので・・・・とてもランでは登れない(笑)






実は、急いで登ろうと思うとけっこうキツイのだ・・・・
トレーニングを兼ねて、体幹とハムを意識して登る。明日はどの部分が筋肉痛になるやら・・・・
なんとか、頑張ってロープーウエイ(まだこの時間は営業していない)駅に到着。


凄い、顔ぶれが城主になっていたのね・・・
改めて関心















だんだん、城が近づいてきた。よくもこんなところに城を作ったもんだ。これじゃ、守るのも大変!四方八方が切り立った崖!

岐阜市内が雲の切れ目から見える。長良川が天然の堀の役目をしているのが良くわかる





こりゃ、天気が良ければ濃尾平野を手に取るように一望できるだろうな・・・・
織田信長の心境が、ちょっぴり理解できるような気持ちになる

いままで、出張城ジョグにはいろいろいったけれど、運動強度と大河ドラマの出演頻度という意味では一番かな(笑)

自分の城ジョグランク1位の姫路城を作った、池田輝政が城主であったということも興味深い。
あ、ちなみに2位は現在松山城!





多くの中高年はなんでトライアスロンをやるのか??

2018-09-05 08:14:00 | 泳ぐ・乗る・走る

 トライアスロンは、スイム、バイク、ランの三種の競技を継続して行う競技だ。アイアンマンと言われるトライアスロンは、スイム3.8km、バイク180km、ラン42.195kmをこなさなければ、ゴールにたどり着けない。運動にそれほど縁の無い普通の人ならば、とてもムリムリ、ましてもう歳だから・・・・という反応が一般的だろう。しかし、実際のレースになると多くの中高年が存在する。しかも、経験5年未満の比較的初心者が多い。
佐渡トライアスロンA(アストロマン)クラス、スイム4km,バイク190Km、ラン42.195Kmなので、アイアンマンを超える距離を消化しなければならない。参加者リスト1007名中、40歳未満は、わずか154名。約85%の853名が40歳以上の中高年だ。ふつうの世の中の常識?と大きくかけ離れて、こんなにたくさんの中高年が、どうしてこんなアホなことをやるのか?自らの動機を含めて、見つめなおしてみた・・・・ 


*エイジグループがある…
多くの他の競技と異なり、エイジの表彰がこの競技にはある。加齢による引退とは無縁なアマチュアスポーツなのだ。それに「同世代の中でも、オイラは別格??」という自己満足…オイラ○○歳でもこの肉体とアピールできるビジュアル競技である。
 実際に首から下だけを見たら年齢不詳の♂と♀がいかに多いことか・・・・つい騙されそうになる♂おやぢ・・・しかしそれは♀であっても思う事?感じることは同じと思われる・・・・
エイジグループがある競技は、まさに生涯スポーツという名前が相応しい。

*新たな進化……
年齢を重ねての新しいチャレンジは、なかなか勇気がいることだ。時として自らのプライドをズタズタにされる事もある。でも、ソレを克服した時の快感は、何事にも代えがたい……初めて泳げた500m、初めて完走したハーフマラソン、自転車で100km走れるんだという発見・・・・そして自らの新しい可能性に目覚める。同時にそれが可能な環境である事に気がつく(要は子育てが終わって、自らの為に使える金が増えるといくこと)気が付いたら、オリンピックディスタンストライアスロンを完走して、三時間切りを達成したいと思い始めたり、フルマラソンに挑戦してみたり、自分の倅ほどの若者に勝っている自分を発見したりすると、またエスカレートして、宮古島とかアイアンマンに走ってしまうのだ……
「俺って、まだまだイケる!進化できる!」なんて、内心思っている輩が多いんだよ(笑)


*加齢に抗う!?
「もう歳だから・・・」という言葉は、トライアスロンをやっている中高年からは、ほとんど聞かない。口にしたとしても内心は違う。去年の自分に勝つ、自分を目指す・・・・そうライバルは自分自身なのだ。若い時にトライアスロンをやっていないからこそ、PB(プライベートベスト)の記録が、毎年出たり、或はあとチョットだったりして、ど壺にハマってしまうのだ。



*会社以外の人間関係
 仕事に追われる多忙な年齢を過ぎ、役職定年を迎えたり、退職等で責任から解放された時、 やっと自由に好きな事にチャレンジできると思うタイプと自己喪失感を苛まれるタイプに大別される。トライアスロンは、3種目をこなさなければならないので、様々なノウハウが必要。必然的に情報収集するために自然と幅広い年齢の仲間が増える。会社という組織では経験できないような、オープンな関係が魅力でもある。他人の頑張りに対して、嫉妬でも妬みでもなく、素直に応援できて、元気をもらって分けあってお互いそれを感じあうことは、おそらく多くの中高年がハマってしまう魅力のひとつだ。トライアスリート同士は、自然に握手してしまう!

*生活習慣病からの脱却
 中高年になって、健康診断をすると、いくつかの項目にNGのマークを付けられることが多くなる。BMI、血糖値、高血圧、コレステロール、尿酸値、肝機能、中性脂肪・・・・要再検査とアドバイスされ、病院にいけば、『タバコ止めなさい、食事気をつけなさい、運動しなさい、酒減らしなさい、ダイエットしなさい』なんて、あなたもメタボじゃないの?!思われるような医師から宣告される。ゴルフはやっていたけど、運動量が不足らしい、ジムにいくのか?朝ウォーキング?マラソンなんてムリムリ、ジョギングだってキツイ、えっ!?筋肉も鍛えなくちゃいけないの!?三日と続きません・・・・がマジョリティらしいが、その中で一部の人間が、痩せた!汗かくことキモチイイ!楽しい!なんて思い&発見して、泳げた!走れた!んっ!?あと自転車でトライアスロン!ママチャリ乗れるから、なんとかなるかも・・・・なんて安易・・・いやポジティブな発想でこの世界にいらっしゃることになるのだ。そして気が付いたら、10kg痩せたなんてのは、周りに普通に居て、健康体の中年細マッチョが出来上がったりしているのだ。

ただ注意しなければいけないのは、”運動しなさい”といわれて、マジメな中高年は既往症があるのに追い込みすぎて、悪化させる可能性がある。多くの医者は”運動しなさい”とは言うが、具体的なアドバイスをしてもらえないのが現実だ。運動に理解のあるメタボじゃない(笑)専門医に相談してから始めた方がいい。オイラの場合には、そんな専門医が身近にいたのが、今でも続けられる要因だ。

*♂も♀も皆チャーミング
 チャーミングって言葉は、若い綺麗なお姉さんに対する言葉のように一般的には解釈されるが、オイラは中高年のアスリートにピッタリの言葉だと思っている。あんな苦しんだ佐渡Aを完走したお姉さま達、もう来年のAを考えているなんて、チャーミングすぎる・・・・オイラは、もうAで・・・・ごちそうさま・・・・

参考までに、トライアスロン仲間であり主治医です。


アイアンマンになった・・・・

2016-10-03 19:01:00 | 泳ぐ・乗る・走る

 
 
 21年間の喫煙・・・・運動とは無縁な生活、44才から始めたトライアスロンも14年目を迎えて、ある節目を迎えたといえる。
 今まで、何回かのストロングマン(宮古島TR)ではあったが、アイアンマンは、半人前(70.3)だったのだ。オイラにとってのはじめてのアイアンマンは、中国大陸と台湾海峡の間の小さなポンフー島(澎湖島)でおこなわれたアイアンマン。言うまでもなく、スイム3.8km、バイク180km、ラン42.196kmのロングディスタンストライアスロンだ。この島にとっても初めてのアイアンマンレースの開催とかで、島民による多くのボランティアでこの大会は運営されたらしい。最初の大会とはいろいろトラブルがあるのが常だけれど、終わってみれば些細なことだったのかもしれないという印象で、むしろ再び訪れてみたいとの気持ちが強い。
とにかく暑くて、湿気もあって辛かったことを除いて(笑) だってフィリピンからの選手が「とても辛い、フィリピンの方が快適だ!」と言い切っていたので、北国のオイラ達は、もっと辛いのは当たり前?数日前に通過した台風が、暑さと湿気を運んでしまったらしい。本来はもっと爽やかな季節のようだ。


要約するとすると・・・
☆素晴らしかったのは・・・・
素晴らしいカーボパーティとレース後の食事会?
泳ぎやすい海
定刻で運行するシャトルバス
西瓜やチャーハン・お粥のでるエイド
すばらしいボンランティア達


古代真琴さんのライブ!彼も選手なのである!

アイアンマン台湾の社長のレイニーさん





★次回以降改善される(欲しい)であろうことは・・・
バイクの輸送(人の運賃より高いのは、チョットいただけない・・・・)
バイクのエイドでの水の不足
バイクでも、水を被る桶が必要かな(笑)


9/29木曜日
 羽田をたって夕方台北松山空港に到着。残念ながら、この時間だとバイク一式がポンフー島に到着するのは土曜日になるらしい・・・・(ネットに書いてはあったけどね)
松山空港には、アイアンマンのサインは何もないので、右往左往している日本人が何人かいたようだ。何人かの友人や知り合いに会う。松山空港からポンフー島の馬公空港までは30~40分ほどだろうか、ほどなく到着。ここにもサインは無い。本日、木曜日にはシャトルバスは動いていないらしい。しかたがないのでタクシーでホテルまで・・・・英語は通じない。当然日本語も・・・NT$130ほどで到着。この島のタクシーにはメーターが無いようだ。台湾はタクシーが日本ほど高くないので助かる。
ホテルに到着する。都合が良いことに目の前がセブンイレブンだった。しかし、多くのアスリートが買い物をしたせいか、モノがほとんどない。お腹もすいていなかったので、ビールと軽食で本日は就寝・・・・


9/30金曜日
 月末の仕事を持ち込んでいたので、早朝からそれと格闘する。PCとインターネットが有ればどこでも仕事ができる反面、公私のケジメ云々いう人もいるけれど、いまや分単位、秒単位でオン・オフのスイッチが切り替えられないとダメだと思いつつ、それを終わらせ、チェックインに行ってゼッケンをもらってくる。







ホテルに戻って中身を確認すると、袋の中に、スケジュールなどのプログラムが入っていない・・・すべてはQRコードとかネットに情報が集約されているため、スマホ必携なのか???ゼッケンとか販促物とか、これを仕分けするのがおやぢたるオイラにとっては、結構労力を要する・・・が、荷物が運搬中なので作業は途中で中止。こんなこともあろうかと思い、ゴーグルと科海パンだけは持参してきたので、せめてスイム会場にいって、少し泳ごうと思いシャトルバスででかける。水温が上がるとノーウエットになるので不安だし・・・・だいいちプールで3.8kmなんて泳いだことないんだから・・・・ましてノーウエットにでもなったら、DNSを選ばざるを得ないかも・・・・と思いながら一人シャトルバスでスイム会場に向かう。バス停のあんちゃんは、愛想が良くて好感が持てる。


 水に入るときはいつも、緊張する・・・・まして海では、波もあるじゃん(汗)ましてノーウエットでは、潮目で水温が変わってドキドキするし、実際泳いでみたらドキドキしたけれど、思いのほか泳ぎやすかった。


 夕方からはカーボパーティがあるので、30分ほどでビーチを後にする。ホテルに戻ってシャワーを浴びて知人と一緒に会場に向かう。なんと会場は大きな海鮮レストランだ。古代真琴さんのライブが始まった。なんと台湾海鮮料理のコースが振舞われた。味も日本人向きで美味しかった。
こんな素晴らしいカーボパーティなんて、他のアイアンマンであるのだろうか???昔、アイアンマンコナのパーティに出たことがあるけれど(選手じゃないよ、仕事で)こんな記憶に残るようなパーティでは無かった。




10/1土曜日
 朝食後、早めにバイクの引き取りにでかける。今日は、バイクの組み立てとトランジションへのチェックインと、そのあと競技説明会がある。しかも明日朝は、準備もあるので2時半に起床にしなければいけない。だから、早く寝なくちゃいけない。忙しい一日になる。
バイクの引き取りに行くが、まだ来ていない。情報では昨晩到着したとの話も有ったのだが・・・
11時からの引き渡しだから仕方がないと思いつつ2時間以上前についてしまった。エクスポをブラブラして時間を過ごす。エクスポ会場からバイクの引き渡し会場を除いたらバイクが運ばれてきた。聞けば、昨晩到着したのはどこかの倉庫に保管されていたらしい。10時過ぎに自分のバイクが到着し、すぐに引き渡してくれた。引き取って急いでホテルの部屋に運ぶ。組み立てをして、トランジションバックの準備。今日のうちにランのトランジションバックを競技場に預けなければいけない。そもそもトランジションバックってのが本能的に苦手だ・・・忘れ物をしたり、何をいれるべきか考えられられなかったり・・・・
不安な気持ちを引きずりつつ、組み立てたバイクの調子を見ながら、ランのトランジションへ、どうもRDの調子がイマイチだ。バイクスタンドを持ってくればよかったと後悔する。
時間がないので、そのままバイクチェックインに向かう。一番不安なスイムの為にもう1回泳ぐ。
シャトルバスでホテルに戻り、またまたトランジションバックやら準備やら格闘する。明日朝の日本から持参した白米パックを電子レンジで温めておにぎり製造するために、フロントに電話する。ありがたいことに朝3時過ぎに温めてくれることになってこれも無事解決・・・あっ一口サイズのおにぎりを包むラップを忘れた!ということで買い出しに出かける。こんなことをやっているうちに、気が付いたら夜の7時、早く寝ないと十分な睡眠時間を確保できない・・・・と焦ると逆に目も覚めてしまう・・・何時に寝たのか不明・・・


10/2 日曜日
 朝2時半起床。シャワーを浴びて、フロントに3時に出向き、白米を温めてもらう。それと朝食パックをもらう。これは残念ながら、美味しくなかった・・・・なぜかその時納豆を食べたいとおもった(笑)
4時には、スタート地点へのシャトルバスが出るので準備を加速しなくちゃいけない。あ、トイレにも行かなければ・・・ひねり出そうとするとますます拒むように、出にくくなるのが常、なんでだろう・・・
まだ暗いウチに出かけるので、ヘッドライトを持参して、これは良かった。会場について空気を確認して、一段落したら、もよおしてきた。こういう時に限ってトイレは長打の列だ・・・あっ紙を忘れた。紙が無かったらどうしよう・・・かなり長い時間またされたあげく、汚いトイレにはいったら、案の定 紙がない!!!青ざめる!と同時に無性にしたくなるのが常、脂汗をにじませながらトイレからでると順番を待っていた次の人が突進してきた・・ふと手洗いの横をみるとそこには紙が置いてあった。次の人に、ウエイト!ウエイト、プリーズ ノーペーパー!!」と叫びプライオリティを主張し、なんとか無事に用を足すことができた。ほっとしたら東の空が朝焼けでピンクにそまっていた。残念なことに試泳の時間に間に合わず、そのままスタートのウエティングに、事前に2回泳いでいてよかった。運よく友達のアルフに会う。お前は何時間が目標だなんて会話をしていたら、西の空の大きな虹が出現!まもなくスタートが始まった。ローリングスタートなので、宮古島ほど極端なバトルにならないのが良かった。心配した水温もギリギリ基準よい低くて(でも超暖かい)
ウエットが着られることになり、スイムが下手糞なオイラとしては、メデタシの心境。


<スイム>
 ローリングスタートで泳ぎ始めた瞬間、昨日までの二日間の泳ぎとぜんぜん違う自分を感じる。(ウエットのおかげ)同時になんとかいけそうな予感と自信が湧いてきた。1.9kmを2周回ってのは少々長いと思ったけれど、2LAP目からは、スイマーズハイになったのか?水と同化したような感覚・・・・こんな時は、生物としての自分のルーツは水の中という思いに気持ちが満たされる。なにがキツイって、スイムアップした瞬間って、なんであんなにキツイのだろう???水中の方が、らくちんと思う自分とスタート前の自分は180度違うのが、いまさらながら可笑しい。
ただ注意すべきは、平泳ぎの人が異様に多いことだ・・・
注意してそばを泳がないと、頭をキックされること数回(笑)

さてさて、バイクパート。あれっ!?入れたはずの日焼け止めが無い・・・・あ、無意識に別の袋にいれてしまった
のを思い出す・・・日焼けは体力を消耗するから・・・またまた不安材料が・・・


<バイク>
 なにはともあれ、得意のはず?のバイクスタート・・・あ、RD調子悪いと思いながら調整するのを忘れた! 練習不足と微妙なアップダウン、そして湿気と暑さのせいか?スピードがまったく上らない。本来は好きなはずのコースの雰囲気なのに・・・・走り込み不足は深刻だ。特にDHポジションで乗る機会が少なかったので腰にストレスが溜まってくるようだ。モゾモゾ動いていたら今度は、DHバーのステーが壊れてしまった・・・・これでは正しいポジションがとれない・・・まだ80kmほど残っているのに・・・・それにしてもネッチョっと熱い、それに肌がヒリヒリしてきた。数日前に試走したシーポの田中さんの情報では暑さ対策云々言っていたので、水を3本ボトルに入れていたのが、救いだった。このボトルの水を頭からかぶるので、エイドのたびに水を補給。水が予想以上に不足しているせいか?エイドでボトルの水をかぶるのは禁止されているらしい・・・・ボトルに水をもらって、走りながらボトルの水をかぶることにする。あとトイレにいったときに水道の蛇口に指をあててシャワーにして、なんとか体温の上昇を防ぐ。体温が上昇すれば熱中症の危険はもちろん、当然モチベーションは下がり、完走目的の高くないモチベーションであっても打ち砕かれる、
 なんとか水ボトル3本で、頭から靴の中までビショビショにする。このおかげで下り坂のたびに体を冷却することができて、なんとかバイクパート終了。これしてなければ、バイクパートで棄権していたと思う。実際に私のカテゴリーでもたぶん二桁の人たちがDNFになっていたようだ。



<ラン>
 トランジッション靴を脱いだら、水をかぶったせいで、足はふやけまくり、このままではすぐにマメができると思い靴下を交換。濡れたシューズと靴下で、走ったらやる気も失うと思ったからだ。新しくなった皮膚保護クリーム、プロテクトJ1をたっぷり、ふやけて白くなった足に塗る。結果としてこれは大正解だった。


スタートしてみると、
 練習不足の上、この蒸し暑さの中42km走る気力はなかった。歩いてもギリギリ間に合う時間だったので、半分折れかけた心と一緒にかろうじて歩き出す。右から左から多くの人たちが抜いていった。とにかく最初のエイドまで歩くことにする。幸いなことに2kmごとにエイドがあるのだ、でも一応ボトルホルダーのついたウエストバックに羊羹とアミノ酸系のアプリを持参。暑さのせいで食欲も無いのがアブナイ予感・・・・無理やり羊羹を水で流し込む・・・これも大正解だった。暑さのせい体がが固形物を受け付けなくなっているようだ。
ランパートのエイドでようやく、かぶり水が用意されていた。しかし、足を濡らすとマメのリスクが増えるので、最初のエイドではそれを我慢する。最初のエイドをすぎて少しジョグすると・・・え~~~~何この長い上り坂・・・気持ち折れてまた歩く、なんとかその坂をのりこえ、二番目のエイドに到着。走るためには体温を下げなければと観念して、マメができたら嫌だなと思いつつ頭から水をかぶることにする。過去のランの経験から、靴と靴下が濡れるとマメができるのが確実なのだ。 濡れてマメが出来やすくなる別の原因の一つは、シューズの排水機能もあると思う。残念ながら多くのランニングシューズは付いていない。プロテクトJ1でマメは回避できたが、ずぶ濡れのシューズのせいで、両親指のツメが死んだ・・・・


 着地のたびに、グチョ・グチョと不快な音と感触・・・・でも、水をかぶったおかげで、100m歩いて100mジョグみないなことができるようになり、少しずつジョグの距離も増えてきた。太陽が西に傾き、気温も少しは下がったのか日陰では、ジョグをキープできるようになり、だんだんジョグを維持できるようになった。残った距離を時間から完走を確信できるようになると、ひとり、ふたり・・・走り始めとは逆に抜かすことが増えてきた。あれっ!?そういえば、いつもできるはずのマメも出来ていない!!すごいなJ1、ここまで効果があるのかと実感。




まもなく太陽が沈み気温も下がって、ピッチも上がる、同時に歩く回数も減ってきた。同じく食欲もでてきた。当初無味乾燥なエイドだと思っていたが、あれ、お粥が用意されている!旨い! こんどはチャーハン、これも旨い!デザートには西瓜!
いつの間にか、あれだけ苦しみだけだったランが、楽しみとは言えないまでも、ゴールのあとのビールを想像すると頑張れて希望の持てるランに(笑) ランコースは、オレンジ色の街灯があるので暗くなっても安心だ。
競技場がちかくなると、応援してくれる人も増えてきた。午後9時半過ぎに無事にゴール!!これでやっと半人前(70.3)とストロングマン経てアイアンマンになれた。単純にウレシイ!
ゴール地点には、マッサージはもちろん、いろいろな食材を用意しれている。もちろんビールもある。しかもスーパードライだ!しばらく、ビールを飲みながらマッタリして、バイクを回収してホテルにもどって風呂に入る。
「あ~~~~シアワセ!!」



 はじめてのアイアンマンは、内容は別にして無事にゴールできた。宮古島ストロングマンよりも800m多いスイムと25km長いバイクは、想像していたよりも大きな差ではなかった。S師匠のアドバイスどおりだったのだ。長ければながいほど、脳内覚醒がおこるのか?理由はわからないけれど、「800mよけいに泳いで、さらに25kmよけいにバイクで、さらにフルマラソンかよっ~~」と自分自身のネガティブな思いにとらわれ過ぎていたようだ。


 次週には、コナでのアイアンマン決勝大会だ。ということは、エイジの強豪はコナに行っているはずだから、理屈では、スロットを取りやすいかも・・・・なぁんて考えるから、練習も満足にせずにまたポチっとやっちまうんだよね・・・たぶん

それにこのポンフーの場所も、再び訪問したいし,,,,,,今度は台中から行ってみよう!


それにしても、こんなにカロリー消費しているのに、痩せないな・・・・



中高年アスリートへの警鐘

2016-03-01 11:20:00 | 泳ぐ・乗る・走る
 先日、大阪で車を運転しながら、突然死して他人までも死亡させてしまった事故があった。オイラの年齢になると他人事ではない。しかもマラソン愛好者だったらしい。
実は数年前もオイラよりも若いのに トライアスロンをはじめて2年にも満たない友人が突然死したことがある・・・・

 いずれも、死因は大動脈解離で高血圧の既往症があったようだ。高血圧はコワイ、ふだんはなんの自覚症状もない。いつのまにか動脈硬化がすすんで、突然死がやってくる。大動脈解離に限らず、心筋梗塞だったりする。基本的には血管の弾力性がなくなった状態が動脈硬化で、その原因は遺伝的なものもあるらしいけれど、その多くは生活習慣病と言われるように偏ったよく生活や運動不足が原因とされる。最近、「定期的に運動しなさい」のアドバイスそのまま鵜呑みにしていいのかどうか?こんなニュースが報道される度に少々疑問を感じている。まじめなおやぢは、いきなりマラソン等を始めかねないからだ・・・・

 コレステロールとか中性脂肪って健康診断の時に聞いたことがあるだろう。あと尿酸値とか血糖値とか・・・・それぞれの異常な値は血管の健康の為には良くないらしい。

 突然死の多くは、血管の病気(循環器系)であるらしい。素人のオイラが多少詳しいのは、
僕の父親も母親も、どちらかというと血管の病気をもつ家系であることと、運良くトライアスロン仲間が循環器系の専門ドクターであったことだ。しかもありがたいことにスポーツドクターでもある。父親は、脳動脈瘤の破裂でくも膜下出血をおこし、5年近く寝たきりのあげく25年以上前に死んだ。母親も、心臓に動脈硬化が進みステントを心臓の冠動脈に入れている。そんな背景から多少は理解しているつもりだ・・・・

 もし、健康診断をして、血圧が高いとか血がドロドロだとかが解って、「①タバコやめなさい、②食事・酒に気をつけなさい、③運動しなさい」とのありがたいアドバイスを受け、①と②をふっとばして、いきなり③の実行、マラソンやトライアスロンを始めようとするならば、限りなく危険なような気がする。多くの医師たちは、そんな自堕落な生活をしてきたひとが、いきなりマラソンやトライアスロンをするなんて、思わないから・・・・
既に脆くなった血管が、ガタガタと崩壊して死んでしまうかもしれない。運が悪ければニュースに載るような事故を起こしてしまうかもしれない・・・・・

 オイラの場合は、タバコを止めて数ヵ月後に走り出して、(太ると困るので・・・)父親と母親の病気の経験から、なんとなくそんなリスクが潜んでいることが分かっていたので、マラソンが面白くなりかけてきた時、運良く主治医をマラソン大会でバッタリ会って、相談の上、負荷心電図なるものをドクターに計測してもらった。徐々に心拍数を155まで上げ、異常がないかどうかしらべてもらった。もともと高脂血症(今は脂質異常症)が、健康診断するたびに要再検査のマークがついていたので、この主治医のところに時々通っていたのだ。幸い異常はなかったので、100%絶対安全というワケじゃないけれどリスクは低いことはわかった。動脈硬化も進んでいなくて、血圧も正常だった。
 周りをみていると、とくに中高年から始めると自分の新しい可能性を発見して、のめり込んでしまう人が多い。運動し始めるキッカケは、ダイエットや健康診断の結果だったりする人が多いのだけれど、僕の周りにいる中高年のアスリート達の中には、元々はいまより20kg重かった!メタボだった!なんていう強者が少なくない。ある意味、事故がなかったのは幸いかもしれない。(余談だが、だから中高年のアスリートは酒が強いのかもしれない・・・・)

動脈硬化や脂質異常症、高尿酸値(発症しなければ)、高血糖等は、血管にダメージを与え続けているのに、本人は痛くも痒くもないので、自己ベスト更新の為に夢中になったりして、無理をしてしまう・・・・・ボロボロになった血管にそれは、危ない仕打ちだ。そんなファクターが突然死をまねくらしい。

事故が起きてからでは、遅い。何のための運動なのか?本末転倒の結果にならないためにも、わかっているドクターに相談することを中高年になって始めたアスリート達に強くすすめたい。


奇跡?!脊柱管狭窄症なのにマラソン完走できたおやぢ!

2015-11-17 19:26:00 | 泳ぐ・乗る・走る

埼玉国際マラソン サブ4チャレンジ
結果からいうと、無事にサブ4を達成して制限時間の2分前(グロス)で完走
ネットのタイムは、3時間55分ほどだと思う。
涙がでるくらいうれしかった・・・・

なぜなら、1ヶ月ほど前は、脊柱管狭窄症による、左股関節から、左足全体への痛みと痺れで、杖をつきながら歩行していた状態だったのだから・・・



それを知っている人からはしてみれば、あれは仮病だったんじゃないの?ブラフ?なんて思われても仕方ない。自分自身がこの回復については、漠然と考えると奇跡かも・・・・なんて思ってしまうくらいだ。同世代の人達が同じような症状を持ち、我慢しながら生活をしている人も多いようだ。冷静に考えれば治療方法さえ間違えなくて、診断さえ的確ならば治癒する可能性は高いような気がする。


発病からどのように治療していったかを、同じ悩みをもつ人のために記すことにする。

発症は、約1年前の11月1日試乗会でなにか重いものを無理して持ったときからと思う。

どんな具合かというと、間欠跛行という症状がでる。歩きはじめて100mくらい、或いは2~3分はいいのだけれど、少しづつ股関節から痛みと痺れがはじまり、我慢していると足全体にそれが広がり歩行困難に至る。座って少し休むと、また少し歩けるという厄介でいまいましい症状だ。実はこんな状態が1年ほど続いていた。
後屈すると、左足に痺れと痛みが発症するので、ゴルフもできない(フォロースルーができない)歩くことも厳しい。不思議なことにスロージョグならば歩くよりもラクだった。マトモな医師は痛くなければ運動はしていいよ。無理のない範囲で的なアドバイスをくれる。前屈は問題ないので、自転車にはふつうに乗った。ツールド東北211kmもまったく問題なく完走できた。でも、この影響で、9回目の完走を目指した宮古島TRはDNFだった。


昨年11月発病して、すぐにトライアスロンをしたいという前提での治療を考えていたので、迷わずスポーツ整形外科で、以前からお世話になっている北浦和のK整形外科へ、リハビリとレントゲンでなかなか回復の見込みが立たず、友人に教えてもらったJスポーツ整形へ、MRIをとり、ここで脊柱管周辺の血流を良くする点滴を12月から今年の1月に実施。しかし、状況は改善せず。


ここのリハビリのトレーナーは、スポーツをすることを前提にリハビリをしてくれて、複式呼吸法等をコーチしてくれて良かったが、ここの整形の先生の一言で信頼を失う・・・
「その程度動けるのならば、年齢も年齢だし、まぁそれでいいんじゃない?」
リハビリのトレーナーは、「神田さんはトライアスロンをやられているので・・・・」
と言ってくれたが、この先生はこの発言を無視・・・・
これで、この病院への信頼は無くなる。

 インターネットでスポーツ整形外科をさがして、ネット上ではよさげなK病院へ、しかしここも、治療方法は投薬のみで、その薬も効かなかった。効き目無い旨説明しても、次への治療の方向性を示すことは無かった。宮古島トライアスロンに4月に出場するので、それまでになんとか・・・・という要望をぶつけても、首を傾げるか、薬を変えてみましょうかね?との方法ばかり・・・・


 インターネットで脊椎管狭窄症を調べると硬膜外ブロック注射の効き目がある場合もあるとの情報もしっていたのだが、そのサジェスチョンは無かった。どうやら、麻酔科の分野と整形外科の分野で微妙に問題解決方法について、優先順位が違うのか?背骨に注射を打つ行為が不得手なのか?この3件の整形外科ではブロック注射の話は一回も出てこなかった。
奇しくも、そんな事が分かり始めた頃、ぼくの病状を心配していた、トライアスリート兼友人の主治医がペインクリニック(麻酔科)に行くアイデアをくれて、彼の後輩のペインクリニックを紹介してくれた。真摯なここの先生の姿勢は好感を持てたが、硬膜外ブロック注射を3回やっても、残念ながら効果は現れず、結局、獨協医科大学越谷病院送りとなったのだ。



神経根ブロックと硬膜外ブロック注射
 硬膜外ブロック注射で効き目がなければ、神経根ブロック注射という方法に移行するかもしれないという手順は、インターネットで調べて知っていた。まさか、いきなりそれをやられるとは思わなかったので、心の準備ができていなかった。結論からいうと神経根ブロック注射は、レントゲンを写しながら、神経に直接薬を注射する治療なので、信じられないほど痛い。生まれて半世紀以上生きてきて、経験したことない苦痛である、うめきながら女性の看護師さんに思わずしがみついてしまったほどだ。
こんな苦痛を味わっても、実は注射は効かなかった。(後述:どうもインターンの医師のモルモットにされた可能性が高い。後に神経根ブロックを上手な医師にしてもらったが、こと時ほどの苦痛はなかった)

 話は前後するが、スーパーへ買い物にも満足に行けない私をみて、誕生日へのお祝いだと長男が「杖」をプレゼントしてくれた。8月末から出張も控えているので、これは実に助かった。大きな荷物を持って、ジョグの方が歩くよりもラクといっても、それは傍目からは信じられない話だ。ジョグできるのに杖の生活なるかと思うと憂鬱で、あまりうれしくないプレゼントだった。杖を使い始めてまもなく都内の地下鉄で、どう見ても僕より不健康そうな中年の男性が
席を譲ってくれた・・・・
「大丈夫ですから・・・」
「いえいえ、是非座ってください」
「いえいえ」(影の声:メタボの体型で、無理するなよ・・・運動しているか?)
「是非、遠慮なく・・・」
「いえいえ」」(影の声:マラソン走ったら、オイラの方が絶対速い自信あるっ!)
「そんなむりなさらずに・・・」
「そ、そうですかありがとうございます」(影の声:なんだ!?この敗北感・・・・)
この記憶は、たぶん一生忘れまい・・・・



その後、獨協医科大学越谷病院の先生の診察で、「神経根ブロックは、もう二度とゴメンです」という要望に対して、提案されたオプションはふたつ
① 造影剤を背骨にいれて、精密検査。原因の特定をする。2~3日の入院が必要
② もう一箇所、怪しい箇所があるので、そこへ硬膜外ブロック注射


 入院はしたくなかったので、迷わず②を選択した。約1週間後、獨協医科大学越谷病院の麻酔科へ、硬膜外ブロック注射は、神経根ブロックに比較すれば痛くないとは言え、背骨に注射針を打つ尋常ではない治療である。背骨の中に、何かが注入される感覚は麻酔が効いているので痛みはないものの、けっして良い感覚ではない。本能的に危機感を感じさせる感覚・・・
この注射は、麻酔薬をいれて、痛みを和らげるためだけではなく、神経の炎症を抑えるステロイド系の薬をいっしょに注入される。
今までのブロック注射の場所よりもかなり上部に注射針を刺された。
一時間ほど、安静にさせられて、立ち上がるといつも感じる股関節の違和感が薄れていた。そして、少し前かがみの歩行姿勢ではなくて、ふつうに歩くことが出来るような予感を感じた。
でも、ここ一年間ほど、背筋をピンと立てて歩くことが出来なかったので、その歩き方を忘れて戸惑ってしまう自分に思わず笑みがこぼれた。傍から見たらへんなおやぢに思われたに違いない。


最初のブロック注射と神経根ブロック注射は、場所が間違っていたのだ。たしかに素人目に見ても、MRIの写真では狭窄していることが明らかだったが、この大学病院の整形外科の先生曰く
「ブロック注射が効かないということは、そこに原因が無いということだ」
と説明してくれた。巷多く聞く「ブロック注射が効かない」噂の多くはこれが原因かもしれない。合計3回この正しい場所にブロック注射をした結果、日々症状が抑えられていくのを感じて、マラソンの当日を迎えることになった。

脊椎管狭窄症を抱えながらの練習法・・・・目標ダイエット65kgに!

制限時間4時間。厳しい関門条件・・・・グロスのタイムで4時間なので、たぶん3時間55分で走らなければ行けない。となると、キロ当たり平均5分34秒になる・・・・・
体重1kgにつき、フルマラソンでは3分タイムが変わるといわれている。7月に70kgの体重が11月のレース当日65kgであるならば、15分のタイム圧縮になる・・・・はずだったが・・・

が、とにかく走り初めが、痛くて辛いので、走り始めるのに気合がとても必要だった。夏場は特に気持ちが萎えた。痛いのとまだ時間があると思っていたから・・・・

7月57km、8月24km、9月71km9月までの月間走行距離はとても少ない。そのかわりに自転車に乗ったつもりだったが、出張やらなんだかんだで、絶対的運動消費量が摂取カロリーとイーブンだったようだ・・・ダイエットは失敗だった・・・

とにかく朝飯前に走る。走る前は、軽く水分補給しかしない。走ったあとは、牛乳もしくは飲むヨーグルトを300ccほど30分以内に摂取(運動直後の牛乳の乳たんぱくは、血液量を増加させ、結果的赤血球も増加するので酸素運搬能力が向上するらしい)
脊柱管狭窄症のせいで、走り初めが辛かった。その痛みは、2~3kmで治まってくる場合もあれば、5~6km走っても、良くならない場合もあった。靴底を見ると足を引きずっているのが良くわかる。




それとLT値を向上させるために、140前後の心拍まであげて、ランの終わりには160位までビルドアップした。

10月は、こんなトレーニングを、13回で170km、一度コースの下見で30kmほど走行して、合計200km走った。症状の回復に加えて、5分30秒前後で20km走れることが出来た時、埼玉国際マラソンをなんとか完走できるかもしれない光明が見えてきたのだ。

その調子を確かめつつ、11月に入っても9日までは、心拍を160位まであげるビルドアップと5分30秒前後のペース走りを交互に繰り返した。ただ、マトモな30~40km走を一度もしていないのが不安の種だったが、10日以降は、テーパリングとして負荷を減らし、走っても軽いジョグで5kmほどに抑えて、糖質の蓄積につとめた。その結果70kmちょうどだった体重は、レース当日は71.5kgと増加してしまった。理屈では、わかっているが・・・・いまさら体重を無理やり減少させたら、レース途中に低血糖症(ハンガーノック)で棄権せざるを得なくなることは、解っていても不安だった。

LT値を体感するして、その値を向上させる・・
一般的なLT値は、
(220-年齢―安静時心拍数)x0.75+安静時心拍数
で出る。これは私が運動していないと仮定すると137位の心拍数になる。朝飯前のジョグで、オイラの場合だけかもしれないが、心拍155以上の高い負荷をかけて走ると急に空腹感を感じ、心拍数140前後に戻すとそれが治まるのが、心拍計をつかって走るようになってから感覚的にわかっていた。とにかく、LT値をあげる、空腹を感じない心拍数をあげること、すなわちLT値をあげることが、4時間近く走り続ける為の必須の条件だと考えていたのだ。最終的に150位の心拍で走っても、空腹感を急に感じることが少なくなった。これは、自分で考えた以上に上手くいった。偉いぞミトコンドリア!

当日までの不安要素は、
減らない体重
30km過ぎてからどうか?


いよいよ当日になり
スタートしてびっくりしたのは、皆恐ろしく速い事だ。制限時間4時間の恐怖がそれをさせるのか???キロ4分45秒の声が周りから聞こえてきたくらいだ。そんな最初からぶっ飛ばしては潰れると思い、最初の関門を過ぎてからマイペースで走ることにした。
それでも、心拍は160前後で推移している・・・・アレドナリンがでているのか練習の時よりも苦しくない。折り返しでは多くの知り合いや友人にすれ違う。いつも見慣れた風景だったはずだが、以外に車道をランニングしてると新鮮に感じる。
20km過ぎたら、調子がでてきたと思ったが、30km近くなると体が思うように動かなくなった・・・・時計とニラメッコしながらペースと残り時間を計算しながら走るが、思うように足が動かなくなった。腕をとにかく振りながらゴールする。ゴール前では、勢いよく前半戦カッ飛んでいった数人の友人達が、足の痙攣で苦しんでいた。

なんとか2分前にゴール

やった~~!
なんか、今までのトライアスロンとマラソンのレースで一番うれしい。いや~自分で自分を褒めてあげたいっと本気で思った瞬間だった。
それと・・・体重を減らせば、まだ自己ベストの更新に確信をもった・・・
イエイ~~っ!