神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

京都・東本願寺(真宗本廟)。

2009年09月21日 | ◇京都府 -洛中


真宗本廟

(しんしゅうほんびょう)
京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754


通 称
お東さん
東本願寺




烏丸通に面して立つ豪壮な阿弥陀堂門。1911(明治44)年再建。


〔宗派〕
浄土真宗大谷派 本山

〔御本尊〕
阿弥陀如来像
(あみだにょらいぞう)


 本願寺山科本願寺合戦によって拠点を失ったのち、交通の便もよく小高い山や川の多い要害の地である大坂・石山に本拠を移して勢力を拡大していきました。特に、なす術もなく敗れた山科での教訓から軍備を拡充していったため、各勢力も警戒を深めて攻略を試みましたが果たせず、正面からの闘争を避けて同盟を結ぶなど懐柔策に出たために年々石山本願寺の影響力は拡大していきます。そういう状況の中で1568(永禄11)年、織田信長公が上洛を果たし、畿内を制圧して勢力を拡大していきます。両者の対立は起こるべくして起こったと言えます。

 1570(元亀元)年に織田軍が三好三人衆征伐を行うと、「次の標的は本願寺である」という危機感から本願寺は決起、三好氏攻略のために摂津国・福島に陣を敷いていた織田軍を急襲。同じ頃、長島一向一揆が尾張国を攻撃。ここに11年間にも及ぶ「石山合戦」が始まりました。1558(永禄元)年に顕如上人の長男として生まれた教如上人も、父とともに「石山合戦」に身を投じていきます。





現在修築中で大屋根に覆われた阿弥陀堂(左)。右はその内部の様子。


 
 本願寺勢力との間で一進一退の戦いが続き、足利義昭公が中心となって包囲戦線が築かれるなど当初は苦戦していた織田信長公でしたが、1571(元亀2)年に比叡山延暦寺を攻略、さらに1573(元亀4)年に最大の対抗勢力である武田信玄公が病没した事を契機に戦況が大きく変化を見せます。朝倉義景公を急襲して滅亡させ、返す刀で浅井長政公を滅ぼすなど各個撃破を進め、長島一向一揆を徹底的に制圧。1575(天正3)年には武田勝頼公を長篠の戦いで撃破、さらには朝倉氏滅亡後の越前で実権を握っていた越前一向一揆勢力を内部分裂に乗じて瞬時に制圧するなど包囲網を次々に破っていきます。そして1578(天正6)年には本願寺の支援のために攻め寄せた毛利水軍を破り、補給路を断たれた石山本願寺を完全に孤立化させます。これにより、ついに石山本願寺は1589(天正8)年、朝廷からの和議を受け入れ、石山からの退去を余儀なくされました。





見る者を圧倒する迫力の御影堂。2009(平成21)年に修復が完了しました。


 
 和議に対して徹底抗戦を唱えた教如上人顕如上人と対立して抵抗を続けますが、情勢悪化を受けて石山を明け渡し、雑賀へと退去します。この後、本能寺の変の後に2人は和解しますが、最終的に内紛の原因となった教如上人は廃嫡され、三男の准如上人が後継者に定められます。顕如上人示寂ののち一度は教如上人が跡を継ぎますが、1592(文禄元)年になって顕如上人の遺志を尊重すべく顕如上人の妻・如春豊臣秀吉公に働きかけた結果、翌年に隠居(裏方)させられて准如上人が跡を継ぐ(表方)こととなります。

 この対立に目をつけたのが徳川家康公です。当初は関が原の戦いに協力した教如上人の返り咲きを考えていましたが、重臣である本多正信公から出た内部対立を残すことで勢力を弱体化させるべきだという進言を受け容れ、1602(慶長7)年に寺院を建立させて勢力を二分させます。教如上人が建立した寺院は「東本願寺」と呼ばれ、准如上人が継承した本願寺は「西本願寺」と通称されるようになりました。長らく共に正式名称を本願寺と名乗っていましたが、1987(昭和62)年に入り、東本願寺側の宗教法人「本願寺」は法的に解散し、「真宗大谷派」という新たな宗教法人に生まれ変わりました。それ以降、宗祖の教えを聞信する根本道場であるという意味で「真宗本廟」と名乗るようになり、現在に至っています。





東本願寺の総合窓口として、1934(昭和9)年に建てられた参拝接待所。


 
 江戸時代に4度もの火災に遭い、「火出し本願寺」という不本意な呼び方もされたほど受難の歴史を持つ東本願寺。現在の諸堂は幕末の騒乱期の1864(元治元)年に勃発した禁門の変の兵火が引き起こした「どんどん焼け」で境内が全焼した後に再建されたもので、御影堂と阿弥陀堂は1895(明治28)年、御影堂門と阿弥陀堂門は1911(明治44)年に再建されました。また、境内から東へ5分ほど歩いた場所には、飛び地境内である渉成園があり、美しい庭園風景を愉しむことが出来ますので、東本願寺を訪れた際にはぜひ足を運んでみてください。




阿弥陀堂門と同じく、1911(明治44)年に再建が果たされた御影堂門。




渉成園に関しては、当ブログ「渉成園」に掲載しております。ぜひご覧ください。

アクセス
・JR線「京都駅」下車、北へ徒歩5分。
東本願寺地図  【境内MAP】  Copyright (C) 2000-2009 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・境内無料

拝観時間
・5時50分~17時30分(3月~10月)
・6時20分~16時30分(11月~2月)

公式サイト






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4 コメント

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Unknown (陽子)
2009-09-23 00:04:49
いつも参考にさせていただいてます。きみーさんが、1日でまわるコースも教えていただけたら、休日の寺院めぐりのお手本にしたいんですが。よろしくおねがいします。京都は何度か行きましたが、西本願寺辺りはいったことがないので、次、いってみますね。朱印帳もはじめたので、ますます寺院めぐり楽しめそうです。
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Unknown (きみー)
2009-09-25 01:41:15
紅葉の季節の東山はお勧めです
銀閣寺をスタートして、哲学の道沿いに法然院→安楽寺→霊鑑寺→大豊神社→熊野若王子神社→永観堂→南禅寺を巡るコースは、少ししんどいですが紅葉を堪能できてお勧めです。疲れたら一休みできるカフェもありますし
余力があれば青蓮院や知恩院を訪れてみるのもいいかもしれません。

※安楽寺と霊鑑寺は期間限定公開なので、観光情報などをチェックしてから訪れてみてくださいね
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ありがとうございます。 (陽子)
2009-09-26 21:44:33
紅葉の季節になったら、このコースまわってみますね。青不動は、見に行かれましたか?
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Unknown (きみー)
2009-09-26 23:58:50
青不動さんは見に行ってきましたよ!ご開帳が始まって間もなくだったので、結構たくさんの参拝客で込み合ってました。
12月20日までご開帳は続きますので、ぜひ行ってみてくださいね
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