神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

京都・岬神社(土佐稲荷)。

2011年09月17日 | ◇京都府 -洛中
諸業繁栄・火難除け・土木建築


岬神社(土佐稲荷)

(みさきじんじゃ)
京都市中京区蛸薬師河原町東入ル備前島町317-2


通 称
土佐稲荷



繁華街の路地に鎮座する岬神社。坂本龍馬ゆかりのお社でもあります。


〔御祭神〕
倉稲魂命
(うかのみたまのみこと)
石栄神
(せきえいのかみ)



 鴨川の西、高瀬川沿いにある木屋町・先斗町。往古の昔、この辺りには鴨川の河原が広がっていました。平安時代末期、絶大な権勢を誇っていた白河法皇でさえ「ままならぬもの」として「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と愚痴をこぼすほど、鴨川は幾度となく氾濫を繰り返して大きな水害をもたらす「暴れ川」でしたが、そんな鴨川の西寄りの中州に、今から600年以上前の1348(貞和4)年、一宇の祠が建てられました。
 この祠を建てたのは、備前国西大寺村からこの中州に移り住んだ新右衛門という人物です。「吾を信ずるものは諸業繁栄福利を与へ、火難を免れしめ、土工建築修工を守護し、一切の災厄を免れしめん」という神託を受けた新右衛門は、祠を建てて倉稲魂命をお祀りし、1万個の福狐を用意して参拝に訪れる人々に授けました。これが岬神社の始まりといわれています。





玉垣の裏には石碑が建てられています(左)。右は岬神社の境内。



 1614(慶長19)年、角倉了以角倉素庵父子によって京都と大阪を結ぶ運河として高瀬川の開削が行われ、木屋町をはじめとする一帯の整備が進められました。高瀬川の西にある備前島町一帯は土佐藩へと下賜される事となり、土佐藩はここに京屋敷の建設を行います。その際、当初の中州から鴨川西岸へと祭祀の場所を遷されていた岬神社は、さらに土佐藩京屋敷の敷地内に遷座される事となりましたが、産土神として近隣の住人たちから厚い崇敬を集めていた岬神社を引き続き参拝できるようにと、町衆にも屋敷内を通り抜けて岬神社に参拝する事を許可するという粋な計らいをしたといいます。また、土佐藩京屋敷内に鎮座された事にちなんでこの頃から「土佐稲荷」とも呼ばれるようになりました。

 明治時代に入り、1871(明治4)年に行われた廃藩置県によって藩有財産の処分が進められ、この年に土佐藩邸は売却される事となりました。この際、近隣の氏子たちが有志等祭典永続法を定めて岬神社の祭祀を継続する認可を得て、一時期南にある下大阪町へと遷されましたが、大スポンサーだった土佐藩を失った事で運営も厳しくなり、著しく衰退の途を辿ってしまいます。産土神の厳しい状況を救ったのは、坂本龍馬暗殺の舞台となった近江屋の初代主人・井口新助でした。近隣の町衆の崇敬厚く、また激動の幕末に若き命を散らした坂本龍馬中岡慎太郎ゆかりの岬神社の衰微を憂えていた井口新助は、1885(明治18)年に土佐藩京屋敷があった備前島町の土地を買い取り、2年後の1887(明治20)年に祠を設けて岬神社の遷座を行いました。その後、1913(大正2)年には周辺の有力信徒の尽力で募金が集められて大規模な境内整備が行われ、現在の社殿が造営されるなど威容が整いました。 近年には近隣の氏子有志たちによって崇敬会も設立され、集められた浄財によって改めて境内が整備され、社殿や御輿の修復なども行われています。常駐の神職はおらず、現在は八坂神社の宮司が岬神社の宮司も兼任して管理されています。





小ぶりな坂本龍馬像(左)。参道右の社務所には坂本龍馬の写真も飾られています(右)。



 岬神社の境内には、小ぶりの坂本龍馬像が建てられています。これは、前述の通りこの地が土佐藩京屋敷があった場所であり、坂本龍馬もここで「土佐稲荷岬神社に崇敬を寄せていたという故事に基づくものです。1862(文久2)年3月に土佐藩を脱藩した坂本龍馬は、江戸で師事した勝海舟の取り成しによって翌1863(文久3)年2月に土佐藩主・山内容堂公より脱藩の罪を赦されます。赦免にあたり7日間ほど土佐藩京屋敷での謹慎を命じられましたが、この際に土佐稲荷に崇敬を寄せていたという事から、「由縁の志士・坂本龍馬像」が建立されました。
 現在の坂本龍馬像は2009(平成21)年12月に再建された2代目で、一番最初に建てられた坂本龍馬像は熱狂的な龍馬ファンの愚行によって像のあちこちが削り取られ、頭部がほとんど原型を留めないなど無残な姿になったために有志の皆さんのご尽力で無事に再建されました。歴史上の偉人に熱い思いを寄せる気持ちは理解できますが、像の一部を削り取ったりする行為は器物損壊の犯罪行為で、決して許されるものではありません。節度ある史跡巡りをお願いしたいものです。





水の枯れた手水舎(左)。右は、1913年に建てられた社殿。


アクセス
・阪急電鉄京都線「河原町駅」下車、北東へ徒歩5分。

岬神社(土佐稲荷)地図 Copyright:(C) 2011 NTT Resonant Inc. All Rights Reserved.


拝観料
・境内無料

拝観時間
・7時~22時





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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
さまーず (リン)
2013-01-27 23:43:25
こんばんは。稲荷はモヤモヤさまーずでやっていましたね。
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