渉成園
(しょうせいえん)
京都市下京区烏丸通七条下ル
東本願寺(真宗大谷派) 飛地境内
渉成園西門。この先に広がる「洛中の静寂」。
〔御本尊〕
阿弥陀如来像
(あみだにょらいぞう)
~持仏堂・園林堂内~
JR京都駅から京都タワーの脇を北へ向かうと、巨大な門構えが目に飛び込んできます。ここは正式名称を真宗本廟、一般に「東本願寺」や「お東さん」と呼ばれる真宗大谷派の本山で、巨大な門は御影堂門といいます。東本願寺にはここ以外にも、御影堂門から東へ3分ほど歩いたところに飛び地の境内があります。約10,600坪の広さを持ち、美しい池泉回遊式庭園を持つこの境内は渉成園と呼ばれ、都会の喧騒から隔離された洛中の静寂を私たちに与えてくれます。1602(慶長7)年に徳川家康公より烏丸の土地を寄進されて建立された東本願寺は、さらに第13代宣如上人のときの1641(寛永18)年に徳川家光公より東側の土地の寄進を受けます。宣如上人は1653(承応2)年に隠棲の地をここに定め、徳川家康公近侍として活躍したこともある文人・石川丈山に作庭を依頼しました。東晋の詩人・陶淵明の詩の一節にある「園日渉而成趣(園、日に渉って趣を成す)」を採って渉成園と名付けられたこの庭園は、かつてカラタチの生け垣に囲まれていたことから枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれ、代々の門主の隠居所となりました。
庭園までの道のりにも様々な演出が(左)。右は北側の池を囲む臨池亭と滴翠軒。
渉成園にはゆったりと水を湛える印月池が南東に広がり、桜やカエデをはじめ椿・菖蒲・ツツジや睡蓮などの豊かな自然に包まれ、多くの水鳥が羽根を休めています。この自然を支える豊富な水は、かつては東側を流れる高瀬川から引いてきていたのですが、明治に入って高瀬川の水位が下がったこともあって難しくなっていました。この頃、防火水源の確保のため、1885(明治18)年から工事が始められて東山の蹴上まで伸びていた琵琶湖疏水から東本願寺まで水を引くことが計画され、1897(明治30)年に「本願寺水道」と呼ばれる分流が完成しました。渉成園もこの本願寺水道を利用して邸内の水源を確保することに成功しました。今では北側・臨池亭前の池へと引き込まれた流れは、邸内の鑓水によって南東の広大な印月池へと導かれています。
1892(明治25)年再建の傍花閣。2階建の楼門造り。
渉成園は、もともとは平安時代に嵯峨天皇の息子で『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとなった源融卿が邸宅を構えていた六条河原院の跡地だったのではないかという話が古くから伝えられていました。それにちなんで印月池には、源融卿の供養塔といわれる九重の石塔が建てられています。『源氏物語』では、光源氏が四季になぞらえて4つの御殿を建て、それぞれに愛する女君を住まわせたという六条院があった場所とされています。近年の調査では六条河原院は現在渉成園が広がる場所よりも東北にあったという説が強くなっています。
1884(明治17)年に再建された回棹廊。
1858(安政5)年の安政の大火と1864(元治元)年の蛤御門の変による兵火で灰燼に帰した渉成園。池泉や道などは作庭当時のままの姿を残していますが、建造物に関しては1865(元治2)年に再建された漱枕居や閬風亭をはじめ、ほとんどが後年に建てられたものです。焼失以前の景色については1827(文政10)年にここを訪れた頼山陽が「渉成園記」の中で絶賛、「渉成園十三景」として紹介しています。1936(昭和11)年には国の名勝に指定されました。
縮遠亭の麓にある侵雪橋(左)と、印月池に浮かぶ北大島(右)。
(東本願寺)
東本願寺(真宗本廟)に関しては、当ブログ「東本願寺(真宗本廟)」に掲載しております。ぜひご覧ください。
アクセス
・JR「京都駅」下車、北東へ徒歩10分
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拝観料
・「参観者協力寄付金」という形で500円以上の寄付金から志納。
拝観時間
・9時~16時(受付は15時30分まで)