神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

京都・本能寺。

2009年05月25日 | ◇京都府 -洛中


本能寺

(ほんのうじ)
京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522

洛中法華21ヶ寺霊場



戦国時代の英傑・織田信長公の遺徳を偲ぶ人々で賑わう本能寺。


〔宗派〕
法華宗本門流 大本山
(山号なし)

〔御本尊〕
南無妙法蓮華経曼荼羅
(なむみょうほうれんげきょうまんだら)


 
 1582(天正10)年6月1日夕刻、毛利軍と対峙する羽柴秀吉公の支援を命じられ、13,000人の兵を率いて亀山城を出陣した明智光秀公は、翌6月2日未明、進路を西ではなく京へと変え、桂川を渡ったところで「敵は本能寺にあり」と織田信長公への謀反の意思を表明しました。明け方(午前4時頃といわれています)に突如襲撃を受けた織田信長公は、本能寺を囲む桔梗の旗印を見て明智光秀公の謀反を知り、「是非に及ばす」との言葉を残してわずかな手勢を率いながら奮戦。やがて森蘭丸に火を放たせて奥の間で自刃して果てました。これが日本の歴史を揺るがす大事件となった「本能寺の変」です。



 
総門脇に立つ「日蓮上人辻説法」の像(左)と、本堂へと続く参道(右)。


 「本能寺の変」の舞台となって後世まで広くその名が知られるようになった本能寺は、日隆上人が1415(応永22)年に油小路高辻の地に創建した寺院で、当初は「本応寺」と呼ばれていました。京都の法華宗本山であった妙本寺との間で起きた激しい対立により、一度はその宗徒に襲われて1418(応永25)年に破却の憂き目に遭いますが、1429(永享元)年には豪商・小袖屋宗句の支援を受けて千本極楽の地に再建されました。

 さらに1433(永享5)年には足利直義公の子・如意王丸より六角大宮の土地を寄進されて移り、寺号も「本能寺」と改められました。本能寺は足利氏の庇護のもと、「京都法華宗21ヶ本山」の一つとして栄えます。



 
加藤清正公の寄進と伝えられる供養塔(左)と臥牛石(右)。


 日蓮宗・法華宗の各派は京都の町衆の大半に浸透して16世紀に最盛期を迎えますが、その勢いを危険視した各宗との間で摩擦が絶えず、1536(天文5)年には比叡山との間で起きた教義論争を発端に、6万を越える延暦寺の宗徒が大挙して押し寄せ、京都にあった日蓮宗21本山を悉く焼き払うという最大の宗教戦争・天文法華の乱が起きました。これによって本能寺の伽藍も焼失、一時堺の顕本寺に避難することとなりました。

 1547(天文16)年になって四条西洞院の地に広大な敷地を確保、日承上人の手によって復興された本能寺は、畿内を中心に積極的に地方への布教を展開、瀬戸内から遠くは九州、さらに種子島までの広範囲にわたって勢力を伸ばしていきます。種子島との結びつきから、当時の最新兵器だった火縄銃や火薬の流通ルートにも影響力を持っていたため、火縄銃の重要性に着目していた織田信長公は日承上人に帰依し、本能寺を上洛の際の定宿にするなど関係を深めていったといわれています。




1929(昭和4)年再建の本堂。京都大学教授だった天沼俊一氏による設計。



 四条西洞院の地に再興された本能寺は、前述した「本能寺の変」の兵火によって全焼。1592(天正20)年に豊臣秀吉公による大規模な都市計画によって現在地に移転された本能寺は、江戸時代には徳川幕府の庇護のもと、92の末寺を抱える大寺院となって栄えました。しかしながら1788(天明8)年に京都を襲った天明の大火によって全焼、1840(天保11)年に日恩上人によって再建されましたが、1864(元治元)年に起きた蛤御門の変によって起きた「どんどん焼け」と呼ばれる大火によってまたしても堂宇が焼失してしまいました。

 1927(昭和2)年に7度目の再建を果たした本能寺は、再び火災に巻き込まれる事のないよう「ヒが去る」すなわち「」が去るようにとの願いを込めて寺号の「」の字の「ヒヒ」の部分を「」という字に変えました。その甲斐あってか、この再建以降、本能寺は火災に遭うことなく無事に法灯を今に守り伝え続けています。


※本能寺の寺号に使用されている「能」の字 ⇒    



 
本堂奥には「本能寺の変」で志半ばで斃れた織田信長公の御廟所(左)と、
主君を守る為に懸命に奮戦した家臣たちを弔う合祀墓(右)があります。





本能寺の変」当時の場所にある本能寺跡に関しては、当ブログ「京都・本能寺跡。」に掲載しております。ぜひご覧ください。



アクセス
・京都市営地下鉄東西線「京都市役所前駅」下車、南へ徒歩すぐ
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拝観料
・境内無料 (大寶展宝物館の宝物展示拝観は大人:500円、中高生300円、小学生250円)

拝観時間
・7時~17時 (大寶展宝物館10時~14時)

公式サイト
  本能寺ルネサンス (本能寺公式サイト)






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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ここがあの本能寺ですかぁ・・・ (FUSA)
2009-05-28 10:25:00
再建されたとはいえ、なんだかずしりと歴史の重みを感じますねぇ。一度は行ってみたいと思います。寺号の話は最近、テレビのクイズ番組で知りました。
私の住む熊本も、加藤清正や細川ガラシャ夫人など、この寺との因縁浅からぬものがあります。
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本能寺 (陽子)
2009-07-20 00:29:29
私が先月行ったときは、本殿は改装中でした。
時間がなくて、当時の本能寺跡をさがせなかったのは残念です。
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コメント感謝です。 (きみー)
2009-07-20 23:03:47
>FUSAさん
いつもブログを見てくださって、ありがとうございます。
熊本はまだ訪れたことはありませんが、名城・熊本城をはじめ、行ってみたいところがたくさんあるので、機会を見つけて訪れてみたいと思います。

>陽子さん
「本能寺の変」当時の本能寺跡は現在の場所からは離れているので、時間に余裕がないとなかなか足を運びづらいと思います(石碑が建っているだけですが…)
このブログでも紹介していますので、訪問することがありましたら参考にしてくださいね。
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