幸神社
(さいのかみのやしろ)
京都市上京区寺町今出川上ル西入ル幸神町303
寺町通から一歩入った住宅街の中に佇む幸神社。
〔御祭神〕
猿田彦命
(さるたひこのみこと)
寺町通から西へ入った住宅街の中に建つ幸神社は、もともと現在地より北東へ300mほど離れた賀茂川のほとりに祀られていた道祖神で、昔は「出雲路幸神」とも「出雲路道祖神」とも呼ばれ、この辺りに居住していた出雲氏が氏神を祀ったのが始まりではないかといわれています。その後、桓武天皇が平安京を開いた794(延暦13)年に鬼門の方除けの守護神とされて社殿が整えられたと伝えられています。京都御所の鬼門に当たる北東の角の「猿ヶ辻」には鬼門除けの猿細工がしてあり、猿ヶ辻から鬼門に向かって一直線で結ばれている幸神社には、それにちなんで名工・左甚五郎が彫り上げたといわれる御幣を持った猿の像が供えられています。
緑に囲まれた社殿には、猿田彦命とともに8柱の御祭神が配祀されています。
奈良の都・平城京の頃から、都の鬼門の方角に方除けの意味で「賽の神」を祀る風習があったそうです。その風習を踏襲する形で祀られた幸神社ですが、現在社殿がある場所は、平安京創建当時の大内裏から見ると鬼門の方角からはズレがあることから、おそらく賀茂川のほとりを出発点に、方除けの幸神社は御所が移転するごとに祀られる場所を変えてきたと考えられます。現在の京都御所は、もともと藤原邦綱卿の邸宅だった土御門東洞院殿が後白河上皇などの手を経て1331(元弘元)年に北朝の光厳天皇が里内裏として本拠を構えたのが始まりなので、その頃に幸神社も現在の位置に遷座されたと考えられます。
応仁の乱の兵火によって大きなダメージを受けた幸神社は、荒廃しながらも何とか祭祀を受け継いできましたが、豊臣秀吉公による京都再興計画によって一町(約109m)四方あったといわれる境内が縮小の憂き目に遭います。その後、1682(天和2)年に会津藩出身の奥村右京仲之神主となって再興しますが、1788(天明8)年に起こった天明の大火で焼失するなど、名前に似合わぬ受難の歴史を耐え抜いて今日まで命脈を保ち、ようやく安息の日々を迎えて幸せを願う人々の厚い崇敬を集めています。
「御石さん」とも「石神さん」とも呼ばれる神石。拝むと縁に恵まれるといわれています。
幸神社に祀られている御祭神は多彩で、道祖神と同視されて祀られることの多い猿田彦命が主祭神として祀られているのをはじめ、天之御中主神・少彦名命、猿田彦命が天孫降臨の際に道案内をしたとされる瓊瓊杵尊・事代主命・可美葦牙彦舅尊・天照大御神・大国主命・天鈿女命が配祀されています。境内の北東の位置には疫神社と「大日本最初御降臨旧跡地・猿田彦御神石」と記された神石が祀られています。「御石さん」とも「石神さん」とも呼ばれるこの神石には、縁に恵まれ幸せが訪れるという御利益があるそうですが、触れると祟りがあるとも伝えられています。その南側に建つ摂社には、稲荷社や天満宮、淡嶋社・春日社などが祠を構えています。
摂社にも多くの御祭神が祀られています(左)。幸神社の東の通りにある石柱が目印(右)。
アクセス
・京阪電車鴨東線「出町柳駅」下車、西へ徒歩10分
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拝観料
・無料
拝観時間
・常時開放