弓場八幡神社
(ゆみばはちまんじんじゃ)
神戸市須磨区南町3-2-11
赤鳥居は1995(平成7)年12月、玉垣は2003(平成15)年に再建されました。
〔御祭神〕
誉田別尊
(ほんだわけのみこと)
五十猛命
(いそたけるのみこと)
菅原道真公
(すがわらのみちざね)
阿保親王の次男で「伊勢物語」を書いた事でも有名な在原業平卿の兄である平安時代の歌人・在原行平卿は、光孝天皇の怒りに触れたために須磨での蟄居を余儀なくされますが、その際に山から登る月を眺めて須磨での暮らしの寂しさを紛らわせたといわれています。この故事にちなんで「月見山」という風雅な名前が生まれ、旧東須磨村では「月見ノ下」や「月見口」という字名が残されていました。山陽電車が1910(明治43)年3月に設置した新駅に「月見山駅」という名前を採用して以来「月見山」という名前が市民に定着していた事から、1930(昭和5)年に正式に町名として採用される事となりました。
1954(昭和29)年に建て替えられた社殿。
山陽電車の月見山駅から南東へ5分ほど歩いた住宅街の中に鎮座している弓場八幡神社の創建時期については確かな記録は残されていませんが、1000年以上も前の永延年間(987~989)に建てられたという言い伝えが残されています。旧東須磨村の氏神として村人の崇敬を集めていた弓場八幡神社には、その名の通り三十三間の長さを持つ射場があり、毎年旧暦の2月1日には「御弓の当(おゆみのとう)」と呼ばれる儀式が行われていましたが、残念ながら明治に入って途絶えてしまいました。
社殿の左奥には弓瀧稲荷神社が鎮座しています。
誉田別命(=応神天皇)を主祭神として祀る弓場八幡神社には、明治時代に入って五十猛命(いそたけるのみこと)を祀る権現社と菅原道真公を祀る天満宮が祀られるようになり、1954(昭和29)年の社殿建て替えを契機に合祀されるようになりました。1995(平成7)年1月17日に起こった阪神・淡路大震災の際には、社務所が全壊するなど弓場八幡神社も少なからずダメージを受けますが、不思議なことに神輿だけは全くの無傷で被害を免れています。
社殿手前には地蔵尊も祀られています。
アクセス
・山陽電車「月見山駅」下車、南へ徒歩5分
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拝観料
・無料
拝観時間
・常時開放
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