少彦名神社
(すくなびこなじんじゃ)
大阪市中央区道修町2-1-8
通 称
神農さん
(しんのうさん)
ビルの狭間に鎮座する少彦名神社。隣の社務所ビルには「くすりの道修町資料館」があります。
〔御祭神〕
少彦名命
(すくなびこなのみこと)
神農
(しんのう)
少彦名命(すくなびこなのみこと)は「古事記」や「日本書紀」に登場する神様で、我が国の黎明期における国造りに大きな役割を果たした神として描かれています。出雲国の美保岬に佇んでいた大国主命のもとに、海の彼方から「天の羅摩船(あめのかがみのふね)」に乗って現れた少彦名命は、その後大国主命とともに名コンビとして国土の開発に尽力。小人神として知られる少彦名命は、その小柄な体に備えた溢れんばかりの豊富な知識と技術を活かして大国主命の国造りをサポートしていきます。特に力を発揮したのは病気療養の分野で、医薬に関する豊富な知識で病気に苦しむものを精力的に救っていきます。また、「酒は百薬の長」「温泉療養」などの言葉に見られるように、疾病平癒に関する多岐に渡る分野において存分に能力を発揮したことから「医薬の神」「酒造の神」「温泉の神」として知られ、鳥害や虫害から作物を守る禁厭(=まじない)を用いたことから「禁厭の神」「農耕の神」としても人々の崇敬を集めています。本日ご紹介する少彦名神社は、その名のとおり少彦名命を主祭神として祀る神社で、「くすりの神」として多くの医薬品業界関係者に厚く信仰されている神社です。
ビルの間を伸びる参堂(左)と、入り口に建てられた「春琴抄の碑」(右)。
明治43年奉納の石灯籠(左)。「薬の神」らしく、氏子である製薬会社の製品が陳列されています(右)。
大阪市中央区にある道修町(どしょうまち)。大阪市役所のやや南、大阪城の西側に広がるこの町には、カイゲン、小林製薬、塩野義製薬、大日本住友製薬、武田薬品工業、田辺三菱製薬、和光純薬工業などといった数多くの有名製薬会社が本社を構えています。これほどまでに医薬品会社が集中している理由を知るためには、安土桃山時代・江戸時代にまで遡らなければなりません。道修町を含めた船場地域は、豊臣秀吉公が大阪城三の丸を築城する際に築城予定地に住んでいた人々を移住させるため、城下町として新たに開いたエリアです。ここには徐々に薬種業者が集まるようになり、薬種取引の場として栄えていきました。寛永年間(1624~1644)に堺の商人・小西吉右衛門が薬種屋を開いてからは益々その傾向は顕著となり、1722(享保7年)に8代将軍徳川吉宗公が道修町の薬種中買仲間124軒を「株仲間」として公認し、薬に価格を付ける権利と、それを全国に売り捌く特権を認めたことから、道修町は「くすりの町」としての地位を確立します。当時は、薬の原料として中国から輸入されていた唐薬種や日本国内で採れる和薬種の品質を見分けることが非常に難しかったため、専門知識を持つ薬種業者に適正な検査をさせて医薬品の品質の安定を図ることが必要だったためにこのような措置を行ったといわれています。つまり、「命を守るために必要な規制」だった訳です。しかしながら、人命にかかわる薬の製造には多くの困難と責任が生じます。そこで薬種業者たちは日々の研鑽に加え、神の徳によって職責を誤ることなく果たそうと考え、1780(安永9)年に京都の五條天神宮より少彦名命を勧請し、すでに祀られていた中国の薬種神である神農炎帝王とともにお祀りしました。これが少彦名神社の祭祀の始まりです。
鳥居(左)。その後ろに高くそびえる御神楠。ご神木です(右)。
薬種業者の崇敬を集めていた少彦名神社ですが、その歴史は決して平坦なものではありませんでした。1837(天保8年)には「大塩平八郎の乱」の兵火に巻き込まれて全焼の憂き目に遭いました。しかしながら数年のうちに新たに祠が再建され、無事に祭祀が再開されました。明治維新後しばらく経った1906(明治39)年には、財政上の理由から内務省神社局主導で全国的に進められた神社合祀政策のため、少彦名神社に対しても大阪府より「近隣の神社に御祭神を合祀させるか、独立社として維持していくのか」の決断を迫る通達が為されました。存続の危機を前に氏子の皆さんは一致結束、独立した神社として祭祀を続けていくことを決め、境内を拡充して社殿や社務所を新築。1910(明治43)年に無事正遷宮を執り行い、「くすりの神」が守られることとなりました。1980(昭和55)年には鎮座200周年を記念して拝殿と本殿の修復と社務所の新築工事が行われ、11月22日に「少彦名神社鎮座二百年祭」を斎行。この時、10年に一度式年大祭を行うことが決定されています。2007(平成19年)には少彦名神社を崇敬護持することを目的とした団体「薬祖講」が行っている行事である「神農祭」「冬至祭」が民俗行事として大阪市無形民俗文化財に指定されています。
1910年に建てられ、1980年に修復工事が行われた社殿。
「神農祭」は毎年11月22~23日の2日間に渡って執り行われている祭礼で、張り子の虎を笹に吊るした疾病除けの「神虎」が授与されることで知られています。これは、1822(文政5)年に大阪でコレラが流行した際に「虎頭殺鬼雄黄圓」という丸薬を作り、少彦名神社の神前で祈祷を行って病に苦しむ人々に施し、その時に丸薬と一緒に張子の虎を授与したことに由来するといわれています。「神虎」は神農祭の直前に丹波の笹を仕入れて作るために祭礼より前に求めることは出来ませんが、神農祭の日より1月末頃までお求め頂くことが出来ます。12月23日に「神農祭」の御礼祭りとして行われる冬至祭「満願成就祭」も、約400社の医薬業関係企業によって構成されている「薬祖講」の手によって執り行われ、歴史を紡ぎ続けています。また、毎月23日には「献湯祭」と呼ばれる湯神楽奉納式が、8時30分と12時30分の2回に渡って執り行われています。
参堂脇には絵馬がぎっしりと奉納されています(左)。社殿脇の手水舎(右)。
アクセス
・大阪市営地下鉄堺筋線「北浜駅」下車、南へ徒歩3分
・大阪市営地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」下車、南東へ徒歩8分
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【境内図】
拝観料
・境内無料
拝観時間
・常時開放 (※授与所・社務所の受付は平日午前9時~午後5時まで。)
公式サイト