神戸水天宮
(こうべすいてんぐう)
神戸市長田区長田天神町5-5-1
〔御祭神〕
天御中主神
(あめのみなかぬしのかみ)
安徳天皇
(あんとくてんのう)
建礼門院
(けんれいもんいん)
二位の尼・平時子
(にいのあま)
神戸電鉄長田駅の西に位置する長田天神町。ここは、その昔天神山と呼ばれた場所で、長田神社の神さまが最初に降り立った地だといわれています。伝説では、神聖な清浄の地であった天神山に降臨された事代主命は、麓の賑やかさに惹かれ、人里を離れ寂しい場所であった天神山を下りられて現在の長田神社の地に遷座されたといわれています。
白い鳥居の奥には朱塗り鮮やかな社殿が鎮座しています。
平安時代末期、神戸に都を築いた平清盛公。そのとき神戸・福原京の主として入京されたのが、まだ2歳の幼き帝・安徳天皇でした。平家と皇室との結びつきの象徴だった安徳天皇は、1185(元暦2)年の壇ノ浦の戦いで大敗を喫した平家と運命をともにし、祖母であり平清盛公の正室であった二位の尼に抱かれて入水。わずか8歳で崩御されるという悲劇的な最期を遂げました。この時建礼門院に仕えていた官女の按察使局伊勢が壇ノ浦を脱出し、久留米の鷺野ヶ原に安徳天皇と平家一門を祀る祠を建てて菩提を弔い水天宮総本宮のもとを築いたという話は、日本橋水天宮の記事で掲載させていただいた通りです。
1997(平成9)年に鮮やかに塗り直された美しい社殿。
1914(大正3)年、神戸にゆかりの深い悲劇の幼帝・安徳天皇の御魂を慰霊するため、西学治氏が中心となって久留米の水天宮総本宮に請願を行い、水天宮講社神戸支部を結成します。水天宮総本宮より勧請された御分霊は当初楠町に祀られ、その後熊野神社の境内に遷されます。そして1923(大正12)年4月、現在の天神山の地に社殿を築き神戸水天宮として祀られるようになりました。戦後、1973(昭和48)年には幣殿と拝殿を造営、宗教法人神戸水天宮して再スタートを切りました。
白長社(左)と末社長田社(右)。境内には水天宮を開いた西家を祀るお社もあります。
その後、境内の整備が進められ、1974(昭和49)年には社殿の右側に末社長田社が建立され、鳥居や手水舎、末社白長社などの社殿が次々に建てられました。1997(平成9)年10月には社殿と境内の柵や手すりなどが鮮やかな朱色に塗り直され、現在の美しい姿にリニューアルされました。神戸水天宮の御祭神である天御中主神は高天原に最初に現れた神で、宇宙の根源神として万物創造の神として信仰され、子育てと安産の神さまとして崇敬を集めています。また、安徳天皇は水難・病気・火災・航海などの厄除け招福、さらには子どもの守護神として崇敬を集めています。
樹齢96年になるクスノキ。雨上がりには良い香りが
すると神職の方が教えてくれました。
アクセス
・神戸電鉄「長田駅」下車、西へ徒歩10分
神戸水天宮地図 Copyright (C) 2000-2006 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.
拝観料
・無料
拝観時間
・常時開放
公式サイト
神戸の神社兵庫県神社庁神戸市支部神戸新聞出版センターこのアイテムの詳細を見る |
西氏は菅原家末裔であるかどうかは分かりませんので、一度調べてみようと思います。
コメントありがとうございました!