神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

京都・日向大神宮。

2014年10月20日 | ◇京都府 -洛東
開運・厄除け・縁結び


日向大神宮

(ひむかいだいじんぐう)
京都市山科区日ノ岡一切経谷町29


通 称
京のお伊勢さん




日向山の西、神明山(日御山とも呼ばれる)の中腹に鎮座する日向大神宮。


〔御祭神〕
- 上ノ本宮(内宮)-
天照大御神
多紀理毘賣命 ・ 市寸島比賣命 ・ 多岐都比賣命

- 下ノ本宮(外宮)-
天津彦火瓊々杵尊 ・ 天之御中主神




 ふと一歩足を踏み入れた瞬間に、日常とは違う感覚に襲われる場所があります。まるで先程までの喧騒が嘘であるかの如く穏やかな、しかし厳かな雰囲気に包まれ、なぜか心が静かに凪いでゆく。そんな清涼たる空気と豊かな自然に包まれた神社が、京都の蹴上にひっそりと、しかし凛として鎮座しています。その神社の名は日向大神宮。「京のお伊勢さんという呼び名でも親しまれ、敬われてきた1,500年以上の歴史を誇る古社です。





猿田彦社(左)と拝殿(右)。その右脇には神馬舎があります。

天津彦火瓊々杵尊、天之御中主神の2柱が祀られている外宮。

 


 日向大神宮は、第23代顕宗天皇の治世(485~487年頃と比定)に日向国現在の宮崎県)の高千穂峰の神蹟を勧請して創建されたと伝えられています。高千穂峰天照大御神の孫である瓊瓊杵尊葦原中つ国を治めるために高天原より降臨された霊峰とされています。皇祖神を祀る日向大神宮は京都最古の社ともいわれており、皇室からの厚い庇護のもと祭祀が続けられてきました。第38代天智天皇668~672年)の御世には圭田が寄進され、鎮座されている山が「日御山」と名付けられたといわれています。さらには第56代清和天皇の御世(858~876年)には「日向宮」の勅額が下賜されたと伝えられています。一説にはこの清和天皇の時代に天照大御神が勧請されて祭祀が始められたのではないかという説もあります。
 第60代醍醐天皇の御世の927(延長5)年に編纂された「延喜式神明帳」では宇治郡10座のうちの式内小社として列せられ、後醍醐天皇による鎌倉幕府打倒の建武の戦乱のさ中には新田義貞公が日向大神宮を参拝し、太刀と良馬を奉納して戦勝祈願を行ったといわれています。そのように皇室やそれに従う武士たちからも尊崇を集めてきた日向大神宮も、応仁の乱の際には兵火に巻き込まれて焼かれ、貴重な古文書も含め消失の憂き目に遭いました。

 

 


内宮への(左)と、手前に鎮座する恵比寿社・天鈿女社(右)。

天照大御神と、宗像三女神である多紀理毘賣命、・市杵島比賣命、多岐都比賣命を祀る内宮。




 天照大御神を祀り、内宮外宮が建てられているように、日向大神宮伊勢神宮とのゆかりが深く「京のお伊勢さん」として伊勢神宮まで行くことが出来ない人々の代参の場所としても崇敬を集めていました。これはこの地が「粟田口」と呼ばれる要衝の地であり、東海道や大津方面・伊勢方面へ向かう人々が旅の安全を祈願する社として信仰していたことと深い関係があります。応仁の乱の際に洛内から離れた日向大神宮が兵火に巻き込まれたのも、この地が交通の要衝であったことが原因のひとつと考えられます。当初は市街地で激突を繰り返した東西両軍も、大内政弘公が周防国より参戦したあたりからパワーバランスが変わり、山城を制圧した西軍に対しての戦闘が繰り返された1468(応仁2)年前後に日向大神宮が焼かれたと推察されます。

 

 


内宮の奥、戸隠神社が祀られている天岩戸(左)と、内宮脇にある影向石(右)




  応仁の乱で一時期荒廃していた日向大神宮ですが、江戸時代に入った1614(慶長19)年に近隣の松坂村の農民である松井藤左衛門によって仮宮が建立され、寛永年間(1624~1644年)に伊勢国の野呂左衛門尉源宗光により本格的に再興が行われました。境内に立つ「御日山神宮碑」には野呂宗光が慶長年間の末頃から「宮を再興して祀るべし」という霊夢を頻繁に見たこと、この慶事を喜んだ徳川家康公が復興の後押しをしたことなどが記されています。はたして徳川家康公より寄進を受け、喪失していた社領の安堵も行われて経済的基盤も安定したことで日向大神宮は再び活気を取り戻します。第108代後水尾天皇とその中宮・東福門院徳川秀忠公の5女)からは修理料や御神宝が下賜され、それ以降も天皇家よりたびたび御参拝が行われたり寄進が行われるなど、日向大神宮は昭和に至るまで皇室と結びつきの深い名社として繁栄することとなります。

 境内には内宮外宮をはじめ荒祭宮多賀神社春日神社恵比須神社天鈿女神社など数多くの摂社・末社が建てられています。また、境内には平安時代に疫病が流行った際に「境内に湧く清水を万民に与えるべし」との神のお告げに従って疫病を抑えることができたという伝説の残る「朝日泉」や戸隠神社を祀る「天岩戸」があります。内宮の左側にある山道の奥に鎮座する「天岩戸」はくぐり抜けると開運や厄除けの御利益があるといわれています。京都市内の観光地とは少し離れていて参拝客もそれほど多くはいませんでしたが、秋の紅葉シーズンには見事な景色を楽しむことが出来ますので、隠れた紅葉観賞スポットとして足を運ぶ先に加えてみるのも良いのではないでしょうか。

 


 


拝殿の手前の参道の奥に鎮座する多賀神社(左)と福土神社(右)

境内に隣接するように鎮座する神田稲荷神社(左)と厳島神社(右)。

 


アクセス
・京都市営地下鉄東西線「蹴上駅」下車、南へ向かい三条への坂を上る。徒歩15分。無料駐車場5台分あり。



日向大神宮地図 Copyright(C)ZENRIN CO.,LTD.  Copyright:(C) 2014 NTT Resonant Inc. All Rights Reserved.

【境内図】

拝観料
・境内無料

拝観時間
・9時~17時  (山中ですので、陽の高いうちに下山される事をお勧めします)

公式サイト




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