稲爪神社
(いなづめじんじゃ)
明石市大蔵本町6-10
楼門には地元の名工・左甚五郎作の「素戔嗚尊の八岐大蛇退治」の彫刻が。
〔ご祭神〕
大山祇神
(おおやまづみのかみ)
面足大神
(おもだるのおおかみ)
惶根大神
(かしこねのおおかみ)
休天神社の南東、国道2号線に面するところに稲爪神社があります。大きな看板も立ててあるので国道2号線沿いから入る方が多いと思いますが、1本南を東西に伸びる旧街道から入る事をお勧めします。この近辺は昔は畿内と以西をつなぐ交通の要衝で、旧街道には大蔵谷宿場があり、江戸時代中期には実に60件近くの旅籠があったそうです。往時の面影を残す建物もいくつか残っています。
この神社の由緒は、6世紀末から7世紀初頭にかけての推古天皇の時代にさかのぼります。この頃三韓(朝鮮半島)から「鉄人」を大将に、約8,000人の大軍が侵攻。全身を鉄に包まれた「鉄人」の軍隊は破竹の勢いで九州の守りを突破し、都へ向けて進軍を続けます。この深刻な事態を受けて、朝廷は勇猛で知られた伊予国の越智益躬公(おちのますみ)に勅命を下して迎撃に向かわせます。豪傑ながら、越智益躬公は『今昔物語』にも記されているほど非常に信心深い方で、出陣に際しても一族の氏神である大三島の大山祇神社に必勝祈願を行って九州へと向かいます。
拝殿の前には越智益躬の故事にちなみ、矢が祀ってあります。
その越智益躬 公をもってしても「鉄人」軍を止めることは出来ませんでした。そこで彼は一計を案じます。偽装降伏をして都までの道案内をする振りをしながら、「鉄人」軍の一瞬のスキを狙う作戦に切り替えたのです。越智益躬公に導かれた「鉄人」軍は、瀬戸内海を通って播磨の室津から上陸。淡路島を一望できる明石の和坂のあたりにさしかかった時、連戦連勝の気の緩みもあったのか、あまりの景色の良さについつい寛いでしまいます。
すると、大山祇神 の瑞顕で一天俄かにかき曇り、稲妻が光り雷鳴がとどろきました。馬上でおののく鉄人の足の裏に弱点を見つけた越智益躬公が放った矢は、足の裏から脳天へと突き抜け、みごと鉄人を倒すことができました。越智益躬公は大三島の大山祇神に感謝し、大蔵谷の地に社を建て稲妻大明神と崇め奉ったということです。これがのちに転訛して稲爪神社と呼ばれるようになりました。
拝殿東側には稲荷神社をはじめ、摂社がずらりと並びます。
稲爪神社は羽柴秀吉の三木合戦での大蔵谷城攻めによって社殿が炎上するなどして、一時いまの熊野皇大神社のあるあたりに移転したこともあります(今の拝殿は、1977年の失火でほとんど焼失したものを建て直したコンクリート製のものです)。
拝殿脇には「えべっさん」の像がにこやかに鎮座しています。
祭礼
1月9日から10日までは十日えびすで賑わいます。また、10月の秋祭りでは、県の重要無形民族文化財に指定されている「神楽獅子」と、明石市の無形文化財に指定されている伝統芸能の「囃口流し」が行われます。
拝殿には祭りで担がれる神輿があります。
神輿の隣には祭りで引かれる牛のハリボテもあります。
アクセス
・山陽電車「人丸前駅」下車、東へ徒歩5分
・山陽電車「大蔵谷駅」下車、西へ徒歩5分
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拝観料
・無料
拝観時間
・常時開放