神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

鳥取・妖怪神社。

2010年09月30日 | ▽中国・四国地方


妖怪神社

(ようかいじんじゃ)
鳥取県境港市大正町62-1




JR境港駅から続く「水木しげるロード」の中に鎮座する妖怪神社。


〔御祭神〕
美穂津姫命
(みほつひめのみこと)



 今回は、少し風変わりな神社をご紹介します。漫画「ゲゲゲの鬼太郎」でその名を知られる漫画家・水木しげるさんの妻・武良布枝さんが著した小説をもとにNHKで放送された朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。放送が進むにつれてその人気も急上昇し、「妖怪の父」というにふさわしい水木しげるさんが幼少期を過ごした鳥取県境港市の「水木しげるロード」には、200万人を越える観光客がつめかけるなど一大ブームが巻き起こりました。この「水木しげるロード」は、町おこしの一環として1993(平成5)年に整備された観光名所で、JR境港駅から本町アーケードまでの約800mほどの通りに妖怪のブロンズ像が設置されています。当初は23体しかなかった妖怪像も「ゲゲゲの女房」が放送された2010(平成22)年9月の時点で139体まで増やされています。そんな「水木しげるロード」の中に鎮座しているのが妖怪神社です。





鳥居左の碑文は水木しげるさん自筆のもの。右には「目玉おやじ清めの水」があります。



 「水木しげるロード」の中に鎮座する妖怪神社。神社といっても玉垣や見慣れた形の鳥居があるわけではなく、よく気を付けていないとうっかり通り過ぎてしまうほどの小さな神社です。民間の町づくり会社である株式会社アイズさんによって建立され、2000(平成12)年の元旦午前0時に落成入魂式が行われました。「水木しげるロード」に集まる妖怪たちの故郷として建てられた妖怪神社の境内は決して広くはありませんが、妖怪一反もめんをイメージして作られた鳥居や高さ3mと2.5mの黒御影石と樹齢300年のケヤキを組み合わせて作った御神体、そして手水鉢代わりに設置されている「目玉おやじ清めの水」などが、独特の雰囲気を醸し出しています。

 この御神体は水木しげるさん自らが入魂されたものですが、黒御影石を見た水木しげるさんが「この場所に目玉をつけると面白いなぁ」と指した部分の石が、不思議な事に設置の際に突然剥がれ落ちたそうです。この石は「目玉石」と名付けられ、御神体の左側に祀られる事となりました。





妖怪神社の御神体(左)。その右手には護摩木「妖怪念力棒」を納める一角があります。



 妖怪神社の公式ホームページには、「妖怪神社縁起」が記されています。それによると、妖怪神社の御神体は黄泉国の3霊山の一つである須弥山の麓の洞窟で生まれた岩だそうです。この岩は、突如8つに砕けて各地に飛び去り、それぞれが恐山、淡路島、石垣島、国後島、屋久島、青木ヶ原、谷川岳、夜見ヶ浜へと辿り着いたそうです。このうち夜見ヶ浜へ着いたものが妖怪神社の御神体として祀られるようになりましたが、岩の大部分は地中深くまで刺さったままで、現在地表にあって御神体として祀られている部分はそのほんの一部に過ぎないそうです。この御神体は、あくまで拝殿に過ぎず、本殿は御神体が生まれた須弥山麓の洞窟の中にあり、常世と現世を行き来することの出来る選ばれたものしか訪れることが出来ないとされています。

 御神体が夜見ヶ浜に辿り着いた時には一筋の光が龍の如く天空より射し込み、その光に導かれるように村人たちは御神体のもとへと集まってきたそうです。さらには「投入堂」で有名な三徳山の開山の折にこの地を訪れた役行者が霊験を感じて祈祷を行うと、不思議な事に御神体の一部が音もなく剥がれ落ちたという話も伝えられています。この石は「目玉石」と呼ばれ、一心に祈りながら撫でると眼病に効くとも言われています。

 妖怪神社が歴史の表舞台に登場するのは、約1,600年前の雄略天皇の時代の事で、社伝によると朝鮮半島に対する外交政策の転換を図った雄略天皇百済へ勅使を派遣する際、護国祈願のために妖怪神社に玉と鏡を奉納したとされています。この段で述べた「縁起」はあくまでフィクションですが、8世紀末に編纂された「続日本紀」に「妖怪」という記述があり、平安時代には清少納言紫式部も「もののけ」という言葉を残していることから、「物の怪」や「妖かし」などに対する人々の畏敬の念は大昔から存在していたと思われる事は確かで、昔の人々が妖怪を祀りその御霊を慰めることで怪異現象から身を守ろうと考えたとしても不思議ではありません。そう考えると、この「縁起」も妙に説得力があり、一瞬本当の事ではないかと信じてしまいそうになります。





御神体から剥がれ落ちた「目玉石」(左)。御神体の奥にはこんなスポットもあります(右)。



アクセス
・JR境線「境港駅」下車、東へ徒歩3分。
妖怪神社地図   Copyright (C) 2000-2010 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・境内無料

拝観時間
・9時~18時

公式サイト


ゲゲゲの女房
武良布枝
実業之日本社

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妖怪のまち境港 公式ガイドブック (ブルーガイド)

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島根・八重垣神社。

2010年09月02日 | ▽中国・四国地方
縁結び・夫婦和合・授児安産・災難厄難

八重垣神社

(やえがきじんじゃ)
島根県松江市佐草町227

出雲國神仏霊場・第14番札所




光に溢れた明るい境内。「縁結び」の御神徳にふさわしい清々しい気に満ちた神社です。


〔御祭神〕
素盞嗚尊
(すさのおのみこと)
稲田姫命
(いなたひめのみこと)



 最近「パワースポット」という言葉を良く聞きます。風水や気学などの観点から特別なパワーが宿るといわれている場所の事で、書店にも様々なパワースポットを紹介する書籍が並べられています。今回は、そのようなパワースポットの一つといわれ、出雲神話とも縁の深い島根県の八重垣神社をご紹介します。松江市の中心街から市営バスに30分ほど揺られた山沿いに鎮座する八重垣神社は、八岐大蛇を退治した事で有名を馳せた素盞鳴尊とその妻・稲田姫命を御祭神とする古社で、「早く出雲の八重垣様に、縁の結びが願いたい」と出雲国の昔からの民謡にも詠われているように、縁結びの御神徳でも広く知られています。





楼門(左)をくぐると、青々とした葉を茂らせた御神木が優しい日陰を演出してくれています(右)。



 社伝によると、高天原を追われて葦原中国・出雲国の烏髪山へと降り立った素盞鳴尊は、そこで美しい娘を囲んで歎き悲しんでいる老夫婦と出会います。訳を尋ねてみると、足名椎命(あしなづちのみこと)手名椎命(てなづちのみこと)と名乗る老夫婦は、8人いた娘を毎年この地にやって来る八岐大蛇に1人ずつ食べられてしまい、最後に残された末娘の稲田姫命も、餌食になる運命だと悲しんでいたのです。娘の美しさに魅せられた素盞鳴尊は、娘を守る代わりに妻として貰い受けたいと願い、老夫婦もすがる思いでこの提案を受け入れました。

 八岐大蛇の来襲を待ち受ける素盞鳴尊は、佐草にある「佐久佐女の森」に伸びる大杉を囲むように八重垣を造って結界を作り、稲田姫命をそこに避難させました。そして、八岐大蛇が好物としている酒を満たした8つの桶を用意します。娘を襲いに来た八岐大蛇は計略通り酒に惹かれ、一気に飲み干して泥酔し、その場で眠り込んでしまいます。それを好機と素盞鳴尊は剣を持って襲い掛かり、八岐大蛇を八つ裂きに切り刻んで討ち果たすことに成功しました。その後、約束通り稲田姫命を妻とした素盞鳴尊は、この地に宮を築いて新居を定め、正式に夫婦としての結婚を行ったといわれています。この故事から八重垣神社は夫婦和合と縁結びの聖地として広くその名を知られるようになりました。しかしながら出雲神話では若干内容が異なり、素盞鳴尊八岐大蛇を退治する際には稲田姫命を櫛の姿に変えて自らの髪に刺して戦い、退治が成功した後に今の雲南市にある須賀の地に築いた宮で夫婦の契りを交わします。その後、八重垣神社が鎮座する地である佐草里八雲床に宮を構えて、遷座されたといわれています。





2003(平成15)年に屋根が葺き替えられた社殿。



 実際の創建時期は明らかではありませんが、素盞鳴尊の子である青幡佐久佐日古命を祀る佐久佐神社がこの地に鎮座していた事が出雲国風土記に記されています。出雲国風土記は733(天平5)年に完成したといわれている事から、それ以前よりこの地で祭祀が行われていたことがわかります。そして、神話に記されている通り「須賀の地から遷座」された本来の八重垣神社がこの境内に遷り、縁結びの御神徳に思いを寄せる人々の支持を受けていつしかメジャーな八重垣神社が本社、佐久佐神社が末社というように入れ替わってしまったのではないでしょうか。

 八重垣神社は朝廷の崇敬社として厚く庇護を受け、江戸時代にも松江藩主だった松平氏が厚く崇敬を寄せるなどして栄えました。1872(明治5)年には本社と末社を入れ替え、本来のこの地の御祭神であった佐久佐神社八重垣神社を合祀する形で郷社に列せられる事となりました。しかし、やはり人々の「八重垣」の名前に対する思いは強く、1878(明治11年)には八重垣神社に社号を戻す事となりました。1981(昭和56)年には神社本庁の別表神社へと社格を上げ、2003(平成15)年には遷宮が行われて本殿の屋根の葺き替えや境内の整備が進められました。





山神社(左)と、それに並んで立つ歌碑(右)。素盞鳴尊の御歌が刻まれています。



 ここに訪れる際には、ぜひ奥の院への参拝をお勧めします。ここには、八岐大蛇からの難を避けるためにこの地に避難していた稲田姫命が、鏡代わりに自分の姿を映したといわれる「鏡の池」と呼ばれる神池があります。「鏡の池」は良縁占いが行われる事でも有名で、社務所で販売されている占い用紙に10円玉や100円玉などを乗せて池に浮かべて吉凶を占います。水面に浮かんだ紙にはお告げの文字が浮かび、その紙が早く沈めば近々良縁に恵まれ、近くで沈めば身近な人と、遠くに流れていけば離れた場所の人と結ばれるといわれています。さらには、紙の上をイモリが横切って泳いでいくようなことがあれば、大変な吉縁に恵まれるともいわれています。





奥の院の涼やかな森(左)の奥に「良縁占い」で有名な「鏡の池」(右)があります。



アクセス
・JR山陰本線「松江駅」より松江市営バス15・66系統に乗車(約25分)、「八重垣神社」バス停下車すぐ。
八重垣神社地図  【境内図】  Copyright (C) 2000-2010 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・境内無料  (宝物殿:大人・中高校生:200円、小学生:100円)

拝観時間
・9時~17時


出雲国神仏霊場巡り心の旅
藤岡 大拙
ハーベスト出版

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