竹尾稲荷神社
(たけおいなりじんじゃ)
神戸市兵庫区七宮町1-3-18
赤と青の2本のノボリがその存在を知らせてくれました。
〔御祭神〕
宇迦御魂大神
(うかのみたまおおかみ)
松尾稲荷神社を訪れたあと、生田8裔神のひとつ七宮神社へと向かう道すがら、竹尾稲荷神社を訪ねてみました。創建時期に関する確かな資料は残っていませんが、この辺りを描いた古い地図には竹尾稲荷神社は載っていませんし、境内に建っている石灯籠に1813(文化10)年と1818(文政元)年の刻文が残されていることから、この時期の創建だといわれています。
一説には、江戸幕府では11代将軍・徳川家斉が、そして朝廷では光格天皇がその座に就いていた1802(享和2)年、この地の人々が京都の伏見稲荷大社から御祭神を勧請し、兵庫の津を一望できる岬にお社を築いてお祀りしたのが始まりだとも言われています。
以前は、鳥居の前には入江や佐比江へと流れ込む水路があったそうで、明治時代になって埋め立てが行われるまでは竹尾稲荷神社の参道も今の東西に走るものではなく、南北に走るものだったそうです。その頃には多くの赤鳥居も建っていたそうですが、1944(昭和29)年6月に都市計画に従ってやや西に遷されて現在の地に落ち着きました。
この地域には「竹尾会」という会があり、神社の管理・運営を行っています。阪神淡路大震災でダメージをうけた社殿を修復するなど、地域でしっかりとお社を守っているそうです。
1953(昭和28)年に育友会と婦人会の手で建てられた「高田屋嘉兵衛顕彰碑」
題字は当時の原口忠次郎神戸市長によるものです。
淡路島の津名郡都志村に生まれた高田屋嘉兵衛。1792(寛政4)年に24歳で兵庫に出てきた高田屋嘉兵衛は、西出町の樽廻船問屋・堺屋喜兵衛のもとでメキメキとその才能を発揮していきます。
やがて廻船問屋として独立を果たした高田屋嘉兵衛は、ここ兵庫・西出町に本店を構えて活躍。北海航路を開拓するなど大成功を収め、兵庫津の繁栄に大きな貢献を果たしました。また、測量中に松前藩に拿捕されたロシア海軍軍人・ゴローニンをめぐる「ゴローニン事件」では一身を賭して問題解決に奔走し、長年にわたる紛争を巧みに収めたその手腕は、日ロ両国から大きな尊敬の念をもって賞賛されました。
その高田屋嘉兵衛の功績を讃える意味を込めて建てられたのがこの記念碑で、もともとは旧入江小学校の校庭に建てられていたのですが、学校の統廃合の影響を受けて境内に移設されました。
道を挟んだ向かい側には、嘉兵衛の本店跡の記念碑もあります。
アクセス
・JR「神戸駅」下車、南西へ徒歩10分
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拝観料
・無料
拝観時間
・常時開放
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