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伊弉諾神宮
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(いざなぎじんぐう)
兵庫県淡路市多賀740
通 称
一宮さん
(いっくさん)
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〔御祭神〕
伊弉諾尊
(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊
(いざなみのみこと)
「古事記」や「日本書紀」には日本の国の草創期を伝える物語が記されており、この物語のことを「くにうみ神話」といいます。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)という2柱の男女神は、日本の島々を創り出そうと天沼矛という玉で飾られた矛を持って天浮橋に立ち、渾沌とした状態の大地をかき混ぜます。その矛先から滴り落ちたものが積み重なって出来た最初の島が「淤能碁呂島(おのごろじま)」、すなわち淡路島だったのです。淡路島を生み出した伊弉諾尊と伊弉冉尊は、続いて「伊予之二名島(四国)」「隠伎之三子島(隠岐島)」「筑紫島(九州)」「伊伎島(壱岐島)」「津島(対馬島)」「佐度島(佐渡島)」「大倭豊秋津島(本州)」の8つの島を次々に創っていきました。はじめにこの8島が出来たために、日本のことを大八島国(おおやしま)とも呼ぶようになったといわれています。最初に生み出された淡路島の一宮として全国から厚い崇敬を今も集め続けているのが「伊弉諾神宮」です。
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長く伸びる参道(左)と、その奥の二の鳥居を越えた左手にある手水舎(右)。
大八島を創り、様々な神々を生み出して「国産み」と「神産み」を終わらせた伊弉諾尊は、完成した国を治める大業を娘である天照大御神に託し、淡路島に「幽宮(かくりのみや)」を築いて余生を過ごしたといわれ、この幽宮が伊弉諾神宮の起源となったといわれています。幽宮が営まれた場所に関しては、「古事記」に「故其の伊耶那岐大神は淡海(おうみ)の多賀に座します」と記されていることから、滋賀県(近江)の多賀大社にも同様の伝説が残されています。しかし「古事記」では近江国は「近淡海(ちかつおうみ)」と記されることが多いため、「淡海」は「淡道(=淡路島)」の書き間違いで淡路島の伊弉諾神宮のことを指していると解釈する説が有力です。ちなみに伊弉諾神宮の鎮座する場所の地名が淡路市の"多賀"となっていることも興味深く感じられます。
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二の鳥居の右にある香木傳来記念碑(左)と、その奥に広がる放生の神池(右)。
神代の頃から祭祀が行われていた伊弉諾神宮は「淡路島神」「多賀明神」などと呼ばれて人々の崇敬を集めていましたが、927(延長5)年に編纂された「延喜式神名帳」にも「淡路伊佐奈岐神社」の名で記され、特に古来より霊験が著しい神社として名神大社に列せられています。806(大同元)年には神封13戸が与えられ、859(貞観元)年には第1位の神位が授けられるなど財政的にも地位的にも朝廷からのバックアップを受けた伊弉諾神宮は、平安時代の終わり頃には淡路国の中で最も社格の高い神社として一宮とされ、「一宮大神」とも呼ばれるようになりました。
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1883(明治16)年建立の表神門(左)と、境内にある夫婦和合の「夫婦大楠」(右)。
1871(明治4)年に国幣中社に列せられ、1885(明治18)年に官幣大社に昇格された伊弉諾神宮は、伊弉諾尊のみを祀る神社とされていましたが、1930(昭和5)年に本殿の修復を行った際に伊弉冉尊も伝承通り祭祀されていることが確認されたことから国に対して請願が行われ、1932(昭和7)年には内務大臣より認可が下りて正式に伊弉冉尊の合祀が行われました。また、1954(昭和29)年には社名が「伊弉諾神社」から現在の「伊弉諾神宮」へと改称されました。
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1882(明治15)年に建立された、舞殿を兼ねる拝殿。
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祓殿(左)と、1879(明治12)年建立、1882(明治15)年に現在地に遷された本殿(右)。
アクセス
・JR神戸線「舞子駅」よりJR・本四海峡バス「津名港」バス停下車→淡路交通バス西浦線「神宮前」バス停下車
・JR神戸線「三ノ宮駅」より神姫バス「郡家」バス停下車→淡路交通バス西浦線「神宮前」バス停下車
・神戸淡路鳴門自動車道「津名一宮IC」より「津名一宮IC前交差点」右折、88号線にて車で5分
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拝観料
・境内無料
拝観時間
・常時開放