打出天神社
(うちでてんじんじゃ)
芦屋市春日町1-21
阪神・淡路大震災で倒壊した鳥居は、翌1996(平成8)年に再建されました。
〔御祭神〕
菅原道真公
(すがわらみちざねこう)
事代主命
(ことしろぬしのみこと)
1905(明治38)年に阪神電車が開業したときに開設された打出駅。当時はすぐ近くまで海岸が迫っており、駅の開設と時を同じくして打出浜海水浴場が開かれたそうですが、牡蠣の貝殻が多いなど海水浴には適した砂浜ではなかったようで、あまり人気が出ずにまもなく廃止されたそうです。その打出駅から北へ3分ほど歩いたところにあるのが打出天神社です。
1964(昭和39)年に再建された打出天神社の社殿。
創立時期ははっきりしていませんが、18世紀末に編纂された「摂津名所図会」によると打出天神社は「産土神」と記されていますので、菅原道真公を祀る天満宮としてではなく、元々は地元の守り神を祀る神社として創建されたようです。しかしながら、芦屋荘が京都・北野天満宮の社領だった事、そして打出が西国街道が通る交通の要衝だったことから天神信仰ブームが比較的早く伝わり、平安時代末期には菅原道真公を御祭神とする天神社としての体裁が整えられていたのではないかとも考えられます。また、1667(寛文7)年には初代宮守・南嶺氏が願主となって菅原道真公の木像が納められたという話が残されています。
打出の各地にあった神社が合祀されている摂社。
1906(明治39)年の勅令に則り、「一町村一神社」の原則で進められた神社の合祀によって、全国に20万社あった神社は13万社に絞られました。ここ打出でも神社の合祀が進められ、宮川町の金比羅神社、南宮町の南宮八幡宮、春日町の春日神社、若宮町の若宮神社、金津山の厳島神社の各社が打出天神社の境内に合祀されました。その後、打出天神社は1945(昭和20)年8月5日の大空襲によって社務所を除いて境内のほとんどを焼失、ようやく1964(昭和39)年に社殿が再建されました。阪神淡路大震災でも拝殿や鳥居が倒壊しましたが、無事に再建されて現在に至ります。
社殿の左脇には稲荷社もあります。
アクセス
・阪神電車「打出駅」下車、北へ徒歩2分
打出天神社地図 Copyright (C) 2000-2006 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.
拝観料
・境内無料
拝観時間
・常時開放