神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

京都・錦天満宮。

2011年06月01日 | ◇京都府 -洛中
智恵・学問・商売繁盛・厄除け・開運招福


錦天満宮

(にしきてんまんぐう)
京都市中京区新京極通四条上ル中之町537


洛陽天満宮二十五社霊場・第25番札所
菅公聖蹟二十五拝霊場・第2番札所

通 称
錦の天神さん



1935(昭和10)年に建立された大鳥居。両側のビルはこの鳥居の建立後に立てられたため、
笠木の両端がビルの壁を突き抜ける形で残されています。



〔御祭神〕
菅原道真公
(すがわらのみちざねこう)



 「京の台所」としてその名を知られ、地元の方々のみならず、京都を訪れる観光客の皆さんで連日賑わいを見せる錦市場。この市場の歴史は非常に古く、平安京が造営された延暦年間(782-805年)には、既に道幅12mほどの市が開かれていたといわれています。錦市場のある「錦小路」は、もともとは「具足小路」と呼ばれていましたが、10世紀末から11世紀前半に「錦小路」と改められました。これにはいくつか説があり、時の村上天皇が四条南の「綾小路」に対して「錦小路」という名を付けたという説や、1054(天喜2)年に後冷泉天皇の宣旨によって「錦小路」に改められたという説があります。そんな錦市場の東の端に鎮座しているのが、錦天満宮。学問の神様として知られる菅原道真公が祀られており、「錦の天神さん」の名で親しまれている繁華街唯一の鎮守社です。





提灯の明かり鮮やかな錦天満宮(左)。境内には名水で知られる「錦の水」があります。



 京都御苑の西側にある下立売御門。この向かいには、菅原道真公の曽祖父である菅原古人公が築き、菅原清公公、菅原是善公、菅原道真公と代々菅原家が屋敷を構えた「菅原院」がありました。現在は菅原院天満宮が鎮座しており、その鳥居脇には「菅家邸址」の石碑も立てられています。この地から、「源氏物語」の主人公・光源氏のモデルといわれた平安時代初期の貴族・源融卿の邸宅だった六条河原院の跡へと菅原院の邸宅が移築され、「歓喜寺」が創建されたのが、今を遡ること約1,000年前の1003(長保5)年頃だといわれています。その際、菅原道真公を御祭神とする祠が歓喜院の鎮守社として建てられました。この祠が錦天満宮の創始だといわれています。

 歓喜寺は1299(正安元)年、時宗の寺院・善導寺と合併し、時宗寺院「歓喜光寺」と改名されました。この歓喜光寺は、1587(天正15)年に豊臣秀吉公が行った京の都市計画に伴って錦小路の東端にあたる現在の地に移転され、同時に菅原道真公を祀る祠も現在地に移されました。この頃には、移転地である錦小路に因んで「錦天満宮」と呼ばれるようになったといわれています。





錦天満宮社殿。機械仕掛けの獅子が神楽を舞いながらお御籤を運んでくれる「からくり御籤」が人気。



 明治時代に入り、「神仏分離令」によって歓喜光寺は東山五条へと移転しましたが、錦天満宮はそのままこの地に留まり、人々からの崇敬を集め続けています。境内には、豊臣秀吉公の都市計画による移転時に周辺のいくつかの神社が遷座されており、社殿脇には源融卿を御祭神に祀る「塩竃社」や、傅役として菅原道真公に仕え、大宰府での最期を看取った忠臣・度会春彦公を祀った「白大夫社」、五穀豊穣・商売繁盛の神である倉稲魂命を祀る「日乃出稲荷神社」など、数多くの末社が軒を連ねています。





忠臣・渡会春彦公を祀る白大夫社(左)と、倉稲魂命を祀る日乃出稲荷社(右)。


アクセス
・阪急電鉄京都線「河原町駅」下車、北へ徒歩5分
・京阪電車本線「祇園四条駅」下車、北西へ徒歩10分
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拝観料
・境内無料

拝観時間
・8時~21時

関連サイト


京都の寺社505を歩く (PHP新書)
著者・槇野 修
監修・山折哲雄
PHP研究所