子授け・家内安全・商売繁盛
湯泉神社
(とうせんじんじゃ)
神戸市北区有馬町1908
通 称
温泉神社
(おんせんじんじゃ)
一の鳥居。ここから境内まで、長い石段が続きます。いったん呼吸を整えてからご参拝ください。
〔御祭神〕
大己貴命
(おおなみじのみこと)
少彦名命
(すくなびこなのみこと)
熊野久須美命
(くまのくすひのみこと)
有馬温泉の中心地にあって、温泉の守護神として古来より厚い崇敬を集めてきた古社・湯泉神社。「おんせんじんじゃ」と呼ばれることが多いこの神社の正式な読み方は「とうせんじんじゃ」。有馬の氏神として、また日本最古とも呼ばれる有馬温泉の守護神として創祀された湯泉神社の創建時期に関する明確な記録は残されていませんが、『日本書紀』には631(舒明天皇3)年に舒明天皇が、そして647(大化3)年に孝徳天皇が有馬温泉に行幸された際に参拝したという記録が残されていることから、7世紀には少なくとも何らかの祭祀が行われていたことがわかります。
境内へと続く長い石段(左)と、2009(平成21)年に建てられた鳥居(右)。
創建当初は大己貴命と少彦名命という2柱の神が祀られていました。この神々は、傷ついたカラスたちが水浴びをして傷を癒すさまを見て、有馬の地に湧く湯が傷病に効く効能を持つ優れたものである事を発見したといわれており、「有馬の守護神」として厚く崇敬されてきました。湯泉神社は、927(延長5)年に編纂された「延喜式神名帳」において有馬郡の大社に列せられるなど、高い格式を誇る名社として祀られてきました。
有馬温泉は水害や兵火のために何度も大難に遭いますが、「有馬の三恩人」と呼ばれる行基上人、仁西上人、豊臣秀吉公の尽力によって、そのつど復興がなされてきました。そのうちの一人、平安最末期から鎌倉時代にかけて復興に尽力された仁西上人は、熊野権現に詣でた折に「摂州有馬の山間に温泉がある。近時たいへん荒廃しているにつき、行って再興せよ」という夢のお告げを受けて有馬に入り、温泉地や神社仏閣、そして宿坊の整備に大いに力を尽くされました。その影響から、熊野の神様である熊野久須美命を合祀することとなり、湯泉神社の御祭神は「有馬温泉鎮護三神」と呼ばれるようになりました。元々の社地は温泉寺の境内にありましたが、1883(明治16)年になって現在の高台の場所に移され、有馬温泉の守り神として地元の方々や湯治客に厚く崇敬される事となり、今に至っています。
左右に国津社と天津社を配した堂々たる社殿。
境内には金比羅社(左)や宗像三女神を祀る胸形神社(右)などの末社があります。
湯泉神社では年間を通じて様々な祭礼が執り行われています。1年の安全・繁栄を祈願する1月1日の歳旦祭では、参道や本殿がライトアップで照らし出され、幻想的な雰囲気に包まれます。翌1月2日には江戸時代から続いている古式ゆかしい入初式が行われ、湯泉大神と行基上人・仁西上人に感謝するとともに有馬温泉の繁栄と安全の祈願が行われています。また、1月9日から11日までは厄除祈祷・子宝初詣が行われ、厄年にあたる方々の厄払いや子宝を望まれる方々の祈祷が行われます。特に、湯泉神社は子授けの神様としても有名で、有馬の湯に浸かった後にここで祈願すれば子宝に恵まれるといわれています。平安時代末期に記された日本最古の辞書といわれる「伊呂波字類抄」にも、子宝を望む方々が夜間に湯泉神社を詣で、男女の象徴の形を作って神前に献じて子授けの祈願をしていた事が掲載されているなど、古くからその御神徳はあまねく知られていたようです。また、10月に行われる例祭は湯泉神社最大のお祭りで、子ども神輿や大人神輿、獅子舞の演舞などが行われて大いに盛り上がります。
子授けの御利益があるという子安堂(左)。その横には恵比寿像が立っています(右)。
社殿の左側に鎮座する国津社(左)と、右手に鎮座している天津社(右)。
アクセス
・神戸電鉄有馬線「有馬温泉駅」下車、南へ徒歩8分。
湯泉神社地図 Copyright:(C) 2011 NTT Resonant Inc. All Rights Reserved.
【境内図】
拝観料
・境内無料
拝観時間
・常時開放
公式サイト
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