Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

泣くこと

2012-01-08 00:13:51 | Weblog
――思うんだけどさあ、人は怪我したとき痛いから泣くんじゃないんだよな。人に優しくされるから涙が出てくるんだよな。

そんなことを言った中学生が昔いた。

ネタ切れ

2012-01-06 23:26:20 | Weblog
要するにネタがないんだよね。何も。
小説も読んでないし、アニメも見てない。ああそういえば、ブリューゲルの動く絵という映画を観に行きたいと思っているんだよね。ユーロスペースでやっている。あそこは立地条件が悪いよね。

年末さぼっていたせいで、年始が急に忙しくなってしまった。やらなければいけないことが色々ある。先程その内の一つは大体終えられたのだけど、まだ面倒な仕事が二つほど残っている。まあ別に仕事ってわけじゃないけどさ。

明日できることは明日やろう、と言ったのは誰だっけ。機知に富んだいい言葉だよな。

ちょっと変わったことがしてみたいな、なんてふと思ったりする。例えば、何だろう。何がいいんだろう。

古い友人から何年か振りにメールが来たので返信したら、それっきりだった。何だったんだろう。最近の波紋(人生のさざ波)といったらこれくらい。そんな、日常。そんな日常がいつまでも続いてくれればいい、そう思う。

近藤さんの二つの勘違い

2012-01-02 23:47:56 | アニメーション
しかし、これは勘違いではないのかもしれません。

近藤さん――近藤喜文さんは、その画文集『ふとふり返ると』の最後の画に寄せる文章の中に、与謝野晶子の歌を引用しています。「清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵会う人皆美しき」が元の歌ですが、これを、「今宵会う人みな幸せ」と書いているのです。「美しき」から「幸せ」へ。これは、勘違いでしょうか?それとも意図的な変更でしょうか?いずれにしろ、「幸せ」と書いた近藤さんの心持ちが、なんとなく分かるような気がするのです。その画の舞台は三の酉の宵で、画面手前に、飾り立てられた小さな熊手を持つ幼い少女と、彼女を優しく見つめるお父さんの様子が印象的に描かれています。人でごった返している中、幸福感のようなものが画面からこちら側に漂い流れてきます。近藤さんはこの風景を歩き、「今宵会う人みな幸せ」と感じたのに違いないのです。

近藤さん、高畑勲監督が言うには、『ひょっこりひょうたん島』のドンガバチョの歌も、別の歌詞で覚えていたそうですね。「きょうがダメならあしたにしまちょ」という歌を、「きょうがダメならあしたがあるさ」という風に。

近藤さん、あなたは、持病の肺疾患に苦しめられながら、ひたすら絵を描き続けましたね。無口だったと関係者は言います。しかしその絵には底抜けに明るいものがあったとも宮崎駿監督は言います。きっと、「あしたがあるさ」と考えるような、真摯な前向きさが近藤さんの根っこにはあったのでしょう。

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この文章は、ぼくが何年も前にワードで書いたものだ。どこに発表するという当てもなかったけれど、近藤さんの監督した『耳をすませば』へのとめどなく溢れる愛情を、ともかく何らかの形にしたかったのだと思う。今ぼくはこの文章に少し加筆することで、何年も前の思いをネットへと解き放とうと思う。・・・

・・・近藤さん、あなたは「イバラード目」の持ち主でした。あなたの眼差しのフィルターを通して見られた世界は、忽ち「幸せ」に変貌してしまうのです。その世界を変えてしまう目は、偶然も意図も超越してしまっているのでしょう、あなたの「勘違い」はもはや必然の結果であり、あなたの眺める世界では、幸せが形作られてゆくのです。

もうすぐ、命日。

今年が去って今年がやって来る

2012-01-01 01:17:37 | Weblog
明けてしまいましたねー。来年など来るのだろうか、と思った年でしたが、来るものは来てしまうのですね。

さてと。ぼくはこれまで、色々な人たちから助けられたり、大切にしてもらったりしましたが、でもそれなのにそのことにほとんど気が付かないでいて、ただただぼんやりと生きて参りましたが、今年はせめてそういうところへの感受性をもっと鋭くしたいなと思うのでした。そして願わくは、少しでも恩返しをしてゆきたいと思うのでありました。もうその願いを届けられない人もいるけれど、でもそれなら今いる人たちに対して何かできたら、と思うのです。

ごめんね・・・おれグズで・・・全く気が付かなくて・・・人が自分に何をしたのかとか、自分が人に何をするとか、そういうところに鈍感だと、たぶんいいこともあるんだろうけども、きっと大事なことも見落としてしまっている。人に優しくできる人は、それだけ傷ついている人だ。だからぼくは、優しさや傷を分かち合いたいと思った。独りきりで耐え忍ぶのではなく、手に手を取り合って。ね、歩いていきましょう。