ごっとさんのブログ

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普天間返還日米合意20年

2016-04-15 10:35:53 | 時事
4月12日で日米間の普天間基地返還合意から20年経過しました。これに関連していろいろな報道がなされていますが、相変わらず辺野古移設は溝が埋まらないままのようです。

10年以上前ですが、沖縄に行ったとき車で走っていると、普天間基地は延々と続き本当に大きな基地と感じました。またその当時から周りは住宅街であったようです。この問題がここまでこじれてしまった理由として、新聞は3つの要因を挙げています。

まずこの基地返還の機運が高まったのは、1990年代米兵による事件やヘリコプターの墜落事故などが契機とされています。これにより日米間の話し合いがもたれ、1996年に返還合意がなされとされています。この時返還といっても移設するというのが条件であったことは、当時の日米関係から止むを得ないと思われます。この時から移転先の問題で先送りされる可能性があると報じられていたようです。

沖縄にしてみれば基地負担軽減という問題が、県内移設という形に変わったと感じたようです。ですから日米合意がなされた時点から、政府と沖縄とではとらえ方が違っていたということになります。

2点目が地元の意見よりアメリカを優先したということです。たぶん米軍にとっては、沖縄という地理上の位置が重要だったのでしょう、当初から県内移転が条件だったようです。1999年当時の沖縄県知事や地元市長は辺野古移転を受け入れたのですが、厳しい条件が付いていました。例えば15年間の使用期限や、軍民共用化といった、米軍基地の使用方法に制限をつける前例がないことでした。沖縄の県民感情を考えれば、少しでも納得性を高くするための要求だったようです。

このように難しい状況ではあったのですが、辺野古移転に向けて進んでいたものが、3点目の民主党による「最低でも県外」発言でした。これはある意味初めて沖縄県民の意見を取り入れた発言で、その後辺野古移設反対が、全体に広がったのは当然と言えます。これが2009年の話で、ここで完全に普天間基地問題は白紙に戻ってしまいました。

しかしその後民主党政権は、当然県外移設地を探したはずですが、受け入れる場所がなかったのか、米軍が納得しなかったのか分かりませんが、わずか1年で県外をあきらめ辺野古に戻ってしまいました。どこまで真剣にやったのか分かりませんが、実現困難な政策を公約しダメだったら退陣してしまうというのは、本当に無責任な行動としか言いようがありません。

その後自民党政権になり、辺野古移転を進めていますが、当然沖縄の反発はより強くなっています。現在政府と沖縄は和解案を了解し、一時中断していますが、今後の見通しは甘くないような気がします。たぶん辺野古移転が進むとは思いますが、無駄な20年だったような気もします。