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ごっとさんのブログ

病気を治すのは薬ではなく自分自身
  
   薬と猫と時々時事

今よりもっと幸せな人生を送る方法

2025-08-05 10:31:24 | その他
タイトルの言葉はよくあるのですが、ここでは仏教の内容を紹介しています。私は宗教には全く関心がなく、勉強もしたことがありません。

もうかなり前になりますが、自宅の近くの教会で著名なクラリネット奏者の演奏会があるということで、女房と聞きに行きました。演奏自体は素晴らしいものでしたが、そこの雰囲気が異様でした。

多分聴衆もほとんどが信者の方だったのかもしれませんが、女房も何か気味が悪かったというほどで表現は難しいのですが、宗教色に染まっていたのかもしれません。

ここでは僧侶の話を紹介します。ストックホルム商科大学では、市場経済が繁栄するためにはその市場に関わる誰もが同じデータにアクセスできるように、情報の自由な流れがなければならないと教えられていました。

僧院の経営は、すべて周りの人たちからの寛大な寄付や施しによって賄われていました。このルールの唯一の例外は、僧院のために何かがしたいが、どうすればいいかわからないと誰かに尋ねられた時、それに対応することでした。

ほとんどの場合、人々は僧侶にとって必要だろうと自分で判断したものを持ってきてくれました。だから僧院は、それを有効活用するための斬新な方法を常に模索しなければなりませんでした。

この僧院の支援者であるバンコクの富裕な人物が、日本を訪れた際トイレットペーパーの上にかぶせて使うプラスチックの筒のようなものを発見しました。その状態でロールの中心にある厚紙の筒を取り出すと、真ん中の穴から適切な長さのトイレットペーパーを引き出せるようになります。

見た目の良くないロールが、ダイニングテーブルにぴったりの便利なティッシュディスペンサーに早変わりするというわけです。このディスペンサーの裏には次の言葉が書いてありました。知識は、知っていることすべてを自慢する。知恵は、知らないことすべてに対し謙虚になる。

この言葉は、思い込みにとらわれないことに価値があることを思い出させてくれました。知っていると思っていることにしがみついていると、視野が狭くなり多くのことを逃がしてしまいます。

高次の知恵が得たいのなら、知っていることはいったん忘れて、知らないことに目を向けなければなりません。私はこれを知っていると思い込んでいると、大きな問題を招くことが多くなり、私はこのことを知らないという謙虚な態度が、大きな問題を招くことはめったにありません。

既に知っていると思っていることにしがみついていたら、どうやって新しいことを発見するのでしょうか。ここではやや哲学的な言い回しをしていますが、要は知らないことを認めることが重要ということかもしれません。

左利きに天才が多いは本当だった

2025-08-02 10:30:48 | その他
私は普通に右利きですが、左利きは10人に1人といわれ、私の周りでも左利きはかなり多くいました。

ただ多くの左利きの人は訓練で右でもできるようにしており、いわれないと左利きであることがわからない人も多かったような気がします。

あまり感じないかもしれませんが、右利きは右手でしかできないことは非常に多く、訓練で右でもできる左利きの人がうらやましいと感じていました。ここでは左利きの著者が、左利きに焦点を当ていろいろ解説しています。

左利きの強みとして、直観力、独創性、ワンクッション思考などを挙げつつ、右利きの人にも役立つ脳の鍛え方を紹介しています。左利きが持つ独創性には理由があり、右利きとは脳のネットワーク構造が異なるからとしています。

右利きとは異なる回路で常に脳を使っていますから、本人にとっては普通でも周りから見ると独創的にならざるを得ないのです。

最も大きな脳の使い方の違いは、右利きが主に言葉で情報をインプットするのに比べて、左利きでは目でとらえた情報をイメージで記憶する傾向が高いことだとしています。言語を扱う左脳は、情報を一つ一つゆっくりと理論的にとらえていきます。

一方で右脳は、カメラがシャッターを切るように、全体を瞬間的にイメージで保存するのです。比較としてわかりやすいのが、スマホでの情報保存です。

テキストを保存しても、使用する容量はわずかでしかない一方、画像や動画は大きなデータサイズになり、それだけ情報量が多いということです。脳のデータも同じで、イメージで保存してあれば、データ容量がテキストよりも圧倒的に多くなります。

情報量が多いほどそこから取り出せるものが増え、多様な形に発展させやすいわけです。これが既成の枠に収まらない発想に繋がります。左利きは、人生のあらゆる場面でみんなと違う自分はなぜなのか、どうすれば周りと同じようにできるのか、様々な視点で考え抜いています。

これは左利きの大きな強みですが、右利きでもまねができるはずです。さらに左利きは、ある意見を聞いて自分は違うなと思ったとしても、思考はそこで終わらないのだとしています。

こう思うのは自分がおかしいから、それとも内容の理解が足りないのかななどと、あらゆるか角度からなぜ自分だけが異なるのかを考えるというのです。そのため右利きに比べてひとつのことに対して考える時間が圧倒的に長く、その分情報量も増大します。

そうして左利きは、独自の発想を生み出していくのです。このように左利きの問題点を指摘していますが、とてもすべての左利きがこのような苦労をしているとは思えません。

若干の差はあるのかもしれませんが、通常は気にならない程度ではないかと思っています。

総合型選抜でもう入試に学力はいらない

2025-07-25 10:36:25 | その他
今年は孫が大学に入学しましたので、また若干入学試験などに注目していました。既に大学入試の半分が推薦入学になっており、今後は国立大学で推薦入試を拡大するでしょう。

中学受験にしろ、高校受験にしろ頑張って難関校に進学するよりは、中堅私立から推薦で大学に行くほうが効率的では、と考える保護者が増えています。

そんな中で、北陸地方の名門国立大学、新潟大学の総合型選抜で新しい動きがあり、注目されています。令和8年度の新潟大学の総合型選抜の入試要項が公表されましたが、これがなかなか目を引く内容でした。

通常、国立大学の推薦入試では、出願要件として評定平均値4.3以上か共通テストの受験を求めます。ところが新潟大学の要項を見ると、経済学部と工学部は出願要件に評定平均値も求めませんし、共通テストも受験しなくてもいいとあります。

経済科学部の総合型選抜は募集人数が30名で、経済科学部は1学年が約350名となっています。つまり一割弱をこの共通テストなし、評定平均値いくつ以上という条件がない入試で入学をさせる方針です。

配点は書類審査50点、小論文200点、面接150点で合計400点満点です。書類審査の配点が少ないということは、評定平均値は重視しないと推測されます。

配点が大きい小論文と面接はどんな内容か、小論文は項と学校の学習一般を前提とし、特に経済・社会に関する諸問題について、論理的な思考能力および日本語の理解力・表現力を評価し点数化するとしています。

面接は、集団討論を実施し、特に論理的な思考能力及び主体性をもって多様な人々と協働して議論を進める態度を評価し、点数化するとしています。

去年までは大学は推薦入試で小論文と称して実際には学科試験を出題することもありましたが、6月に文部科学省からだされた大学入試要項ではそれはしてはいけないという旨が明記されました。

そのため新潟大学の総合型選抜は、純粋な小論文試験と集団討論で合否を決める入試になるでしょう。国立大学の新潟大学がこのような一般選抜とは全く違う能力を問う入試で30名を募集するのは、受験業界では注目に値します。

このような大学受験の変化を見ていると、受験生の保護者も一般選抜向けに5教科の学力を上げる指導が中心の進学校よりは、推薦対策もしてくれる学校のほうが良いのではと考えるのは無理もありません。

実際この新潟大学の総合型選抜に対して、中堅高校の生徒にもチャンスが増えた、と話す声もネット上で見かけました。しかし、学力が必要ない入試なら中堅高校の生徒も合格するチャンスが大きくなるという説は、少し慎重に議論すべきところです。

こういった入試改革的な試みはかなりやられていますが、定着するような制度かどうかが問題なのかもしれません。

2026年受験生に文高理低の兆し

2025-07-23 10:33:47 | その他
今年次男の家の孫が大学に入学しました。第一志望ではなかったようですが、本人も家族も満足しているようですのでよかったと一安心しています。

孫が大学生になるまで生きていられたということは、若干感慨深いものがあります。夏は受験の天王山とも言われています。受験生にとって、夏の過ごし方が受験の成否に大きな影響があるとされているからです。

近年はさまざまな受験方式が導入されるなど、受験の仕組みも複雑化しており、適切な受験情報を得ることも重要な要素となってきています。

今年5月に実施された河合塾第1回全統共通テスト模試での志望校の記入状況を分析したところ、今年は文系学部の人気が高まっており、文高理低の傾向がみられたようです。

コロナ禍の時期には、医療系を中心に資格取得にかかわる分野が人気を集めたこともあり、理系人気が高くなっていました。コロナ禍では、文系でも国際・外国語の分野の人気が低迷していましたが、コロナ禍の落ち着きとともに、人気も回復しています。

学部別・分野別の志望状況でみると私立大では法学部の志望者が前年の109%、経済学部が110%と人気でした。文系の中でも経済や経営、そして法学といった実学志向の学部選びが目立つと分析しています。

一方コロナ禍の影響で志願者が増えていた、医療系学部の人気は落ち着きつつあるとしています。国公立大前期日程の志望者数が前年比101%だったのに対し、私立大志望者は105%となっていました。

受験方式が多様化していることで、受験しやすい環境が整い、併願校数を増やそうという意識が広がっている可能性もあるようです。

国公立大志望者の動向では、全体的には難関大学への志望が積極的なチャレンジ志向はみられるものの、東京大学の志願者が前年の99%と減少し、一橋大学は116%と大幅増の傾向が見られました。

情報が加わった令和7年度の大学入学共通テストでは、現役生向けの情報Iの平均点が69.26点だったのに対し、既卒者向けの旧情報が72.82点と平均点が高水準になるなどの話題もありました。

専門家によると、今年の受験生もチャレンジ志向が強く、有名難関大を中心に志願者数は増えそうですが、志望校の合格を目指して初志貫徹してほしいとしています。

私が団塊の世代の最後で、息子は団塊ジュニア世代とやはり多かったのですが、孫はそれほどでもなかったようです。それでも同世代が多いということはデメリットも多く、本人のせいではないだけにやや気の毒な感じがしています。

プレッシャーで人は成長するは本当か

2025-07-16 10:37:26 | その他
このブログでも昔書いた気がしますが、私は宇宙にほとんど興味がありません。この理由ははっきりしませんが、宇宙には新しい発見がないということかもしれません。

宇宙飛行士がプレッシャーと成長との関係について述べていますので、それを紹介します。競争社会の中で、人はいいプレッシャーを感じて成長するものだという成長神話があり、それがずっと鎮座しているようです。

分かりやすい例として少年野球や高校野球があります。苦しい練習を耐えたから勝利に意味があるとか、あのプレッシャーを切り抜けたから成長できたのだとか、そういう価値観が根強く残っています。

年長者は、今は大変かもしれないけれど、この難所を切り抜ければもう1段上に行けるから頑張れと声を掛けます。多くの人が経験することとしては、受験勉強もそうでしょう。

ここを乗り切れば、この1年頑張れば、成長できる、あるいは会社であればこのプロジェクトが終わるまでは、課長になるまでは、と一心不乱に頑張ろうという風潮が根強く残っています。

大変かもしれないが、それがばねみたいなものになって大きな成果があるという思いが染みついています。おそらくこれはある年齢以上の日本人に共通する一般的な現象だと思われます。

プレッシャーにも、いいプレッシャーと悪いプレッシャーがあるという考え方があります。悪いプレッシャーだとつぶれてしまうが、良いプレッシャーは必要だとよく言われています。しかしプレッシャーはやはりプレッシャーであり、つまりはストレスです。

だからプレッシャーを与えることで成長するというのは、昭和マインドでは当然だったのかもしれません。それが本当に正しかったかというのが、当事者研究を通じていろいろな形で感じている疑問です。今はみな、等しく心が折れる時代です。

ずっと以前からそうだったのかもしれませんが、うまく気を紛らわすとか、違うところで力を発揮するとか、社会としてのいいサポート体制があったとか、そういうことでなんとかなっていたのかもしれません。

プレッシャーに対するストレス耐性が落ちている状況で、成長戦略としてのプレッシャーがあること自体を見直す必要がありそうです。もっともみんなが優しくなれというわけでもなさそうです。

若い人が会社を辞める理由の1つはブラックだからですが、ホワイトすぎるというのもあります。こんなぬるい会社ではスキルアップできないという理由で、つまりノーストレスも嫌なわけです。

つまりストレスが低いことと緊張感がないことは、明確に別物であるということのようです。長くなりましたのでこの辺で終わりにしますが、現代は難しい時代であることは確かなようです。