奈良の魅力を発信

奈良のグルメ情報や史跡・名勝・万葉集・古事記・日本書紀・昔話のゆかりの土地を紹介します
ので、よろしくです!!

健康長寿が延びる!「健康食材」とは(2)

2020-01-20 07:39:45 | 健康生活
長寿食材で健やか毎日(2)
 「健康寿命」などの言葉が注目される現在ですが、健康的な老後を送るために、毎日の食事はとても重要になってきます。
高齢になるにつれて不足しがちな栄養素を取り入れ、健康長寿を目指しましょう。
・・・健康で長生きするためには食事のバランスが大切・・・
近年、「健康寿命」という言葉を耳にする機会が増えています。健康寿命とは、健康的に日常生活を送れる期間のことです。
2016年時点で、日本人の健康寿命は男性72歳、女性74歳です。一方、平均寿命は男性80歳、女性87歳となっています。
平均寿命と健康寿命の差、つまり不健康な期間が10年近くもあるのです。高齢化が進む日本において、この差を縮めることは重要な課題だと考えられているのです。
健康寿命を延ばしていくためのカギといわれるのが、毎日の食事です。
厚生労働省が進める国民健康づくり運動「健康日本21」において、日本人の長寿を支える一助として、「バランスのとれた食生活」が挙げられています。
バランスのとれた食生活とは、肉だけ、野菜だけという偏った食事ではなく、何種類かの食材を組み合わせることです。
食材の数が多い程、ビタミン、ミネラル、食物繊維など、重要な栄養素を満遍なく摂取でき、食べる楽しみも湧いてきます。
前回記した栄養素はその代表的なもので、身体の不調を改善する効果があります。実際に100歳を超えても元気な方には、さまざまな食材を食べているという共通点があります。
しかし、特に若い世代はお金をかけずに食事を済まそうとするあまり、偏った食習慣になりがちです。
そのような食生活は、免疫力・集中力の低下や、肥満の原因になります。偏った食事で健康や美容を損なうのであれば、多少食費をかけても食生活を改善した方が、結果として出費を抑えられるのです。



 

奈良の昔はなし(梨の木の仏さま)

2020-01-20 07:11:56 | 地域と文化
奈良の昔はなし~梨の木の仏さま~
 古代、飛鳥から吉野に入る玄関口として栄えたのが大淀町です。
飛鳥からもたらされた仏教信仰は、吉野寺(今の世尊寺の前身)など古代寺院の建立につながり、吉野における仏教文化の始まりとなったのです。
今回は、梨の木の彫りかけの仏像が、お声を発して願いを知らせたという不思議なお話しです。

聖武天皇の奈良時代、上総国(かずさのくに:現在の千葉県)の高僧、広達(こうたつ)が吉野の金峯山に入り修行をしていたときのことです。
ある日、里に出て秋河(秋野川)を渡ろうとすると、橋の下から声が聞こえたのです。「ああ、痛い、そんなにひどく踏まないでくれ。」
広達は不思議に思い、辺りを見回したのですが誰もしません。行き過ぎがたく、橋の下に降りて見上げると、何と、仏像を彫りかけたまま梨の木が川の橋として架けられているではありませんか。
驚いた広達は、早速その梨の木を清浄な場所に移し、合掌して誓ったのです。
「ご縁があってお会いしました。私が必ずやお造り申し上げます。」
やがて広達は、阿弥陀仏・弥勒仏・観音菩薩のお像を彫り上げ、越部村(大淀町越部)の「岡堂」に安置しました。
・・・解説・・・
このお話しは、平安時代の「日本霊異記(にほんりょういき)」「今昔物語集」などにも記されています。
越部川沿いの古道(壷坂道)を北へ辿っていくと、岬状(みさきじょう)の台地の先に「越部古墳」があります。直径24mの円墳で、七世紀ころの地元有力者の墓とされています。
この古墳の近くに寺院があったようです。石室から「堂」と書かれた平安時代の墨書(ぼくしょ)土器が発見されました。「堂ノ坂」「堂ノ上」の地名も残っています。
広達が彫った仏像を安置した「岡堂」はこの近くにあったと思われます。
その北が、今は埋め戻されて保育所が建っている、「越部ハサマ遺跡」です。
縄文晩期の墓地と弥生中期(約3000年前から2000年前)の竪穴式住居が発見されました。
温暖なこの地に住んでいた往時の人々は、鮎やアマゴなど吉野川の幸、鹿や猪などの肉、木の実や野草など山の幸に恵まれて、豊かであっただろう日々の生活がしのばれます。
古道をさらに進むと、鬱蒼(うっそう)とした大樹が天を覆う静寂の壺阪峠へと続き、峠を越えれば、壷阪寺、飛鳥へと続きます。
~越部古墳~
越部古墳は、近鉄吉野線越部駅を降りて北へ歩いて10分ほど行ったところにあります。
越部川東方の丘陵端には、従来から古墳の存在が知られていましたが、平成9年(1997年)、道路拡張工事にともなう発掘調査の結果、近接する2基の古墳の様相が明らかとなりました。
1号墳は、推定約24m、高さ5.6mの円墳で、石室全長8.3m(玄室長3.6m)、奥壁幅約1.9m、現在の高さ約1.5mの片袖石室です。
2号墳は、推定約16mの円墳で、石室全長4.8m(玄室長3.1m)、幅約1.6m、現在の高さ約1.4mの片袖石室です。
両者とも玄門部(石室の入り口部)に縦長の袖石をもちいていました。これは、吉野川(紀の川)流域の古墳の特徴といえます。