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貯めてはいけない睡眠負債(3)

2020-01-15 07:47:42 | 健康生活
貯めていませんか「睡眠負債」(3)
 日本人の平均睡眠時間は世界で最も短いといわれています。「毎日が睡眠不足だあ」という方も多いのでは。
慢性的な睡眠不足は「睡眠負債」となり蓄積され、命にかかわっるかもしれません。そこで、睡眠負債を解消する方法や質の良い睡眠を得るにはどうすればよいのか考えていきましょう。
イライラ、集中力散漫・・・睡眠負債の弊害とは(1)
単なる睡眠不足とは異なり、睡眠負債の害は、ただ「寝ても疲れが取れない」だけではないのです。
眠気による弊害のほか、心身の健康にも大きな影響を及ぼすと言われています。
睡眠負債の弊害として代表的なものが、日中のパフォーマンスの低下なのです。
日中も眠気が残るだけではなく、脳と身体の疲れが十分に回復していないため、脳の働きは酩酊状態(お酒を飲んで酔っているような状態)のときと変わらないレベルにまで低下してしまうともいわれています。
重大な事故につながることもあり、1986年に起こったスペースシャトル「チャレンジャー号」の爆発事故は、作業員の多くが多大な睡眠負債を負っていたことによるヒューマンエラーだという説が有力視されています。
事実、睡眠負債が貯まっていると、「マイクロスリープ」という現象が起こることが確認されています。
マイクロスリープとは、日中に1~10秒ほどの短時間、本人も気付かないうちに眠ってしまう現象のことです。
脳が覚醒を維持できないほど強く睡眠を欲しているとき発生するといわれており、3~4日ほど睡眠不足の日が続くと起こりやすくなります。
チャレンジャー号だけでなく、仕事中や運転中の事故などではっきりした原因が分からない人的事故は、ほとんどがマイクロスリープによるものだと考えられています。
そのほか、睡眠負債が貯まると、認知症を引き起こすといわれる物質「アミロイドβ」が沈着しやすくなったり、免疫力が低下して発がんリスクが高まったり、血糖値を下げるインスリンの分泌が減って糖尿病のリスクが高まったり、神経機能が低下してうつや不安神経症にかかりやすくなったりと、多くの健康被害を招きます。
アメリカの研究では、国民の平均である7.5時間より3時間近く睡眠時間が短い人は、6年後の死亡率が1.3~1.4倍ほど高いという結果が出ているほどです。時には命を脅かすこともある睡眠負債を返済する方法はどのようなものなのでしょうか。
次回は、睡眠負債の返済法についてお話しします。




 
 





奈良の昔はなし(味噌なめ地蔵)

2020-01-15 07:17:30 | 地域と文化
奈良の昔はなし=味噌(みそ)なめ地蔵~
 生駒山地の東麓に、寄り添うように横たわっているようにみえる矢田丘陵。標高300mほどの低い山並みですが、緑豊かな中腹に白鳳から奈良時代の開基とされている古寺が点在します。
今回はその古寺の一つ矢田寺(金剛山寺)に伝わる村人に優しいお地蔵さんのお話しです。

昔、矢田寺の麓に、ある農家のお嫁さんが住んでいました。昔はどの家でも味噌は家で作っていたのでした。
その年のお嫁さんの味噌は、どうしてもうまくいかなかったのです。
ある夜、不思議な夢をみたのです。枕元にお地蔵さんが立たれ、「そんなに困っているのなら、一度私の口に味噌を塗って食べさせておくれ。美味しい味噌に味付けしてあげよう」と言われたのです。
半信半疑のお嫁さんは、翌日、いつもお参りしている矢田寺へ行ってみると、夢で見たのと同じお地蔵さんがおられるではありませんか。
早速、家から味噌を持ってきて、そのお口に自分の味噌を塗りつけたのです。
数日して、味噌桶の蓋をとって出してみると、おやおや、何と、味噌は本当においしくなっているではありませんか。お嫁さんは大喜びしたのです。
これ以後、そのお地蔵さんは「味噌づくりを助けてくださる有難いお地蔵さん」と評判になったそうです。
~解説~
このお地蔵さん、今も矢田寺本堂の石段下の北側に「味噌なめ地蔵」として赤い涎(よだれ)掛けをかけ、優しいお顔で立っておられます。
今も、味噌をお供えしたり、口に味噌を塗って多くの方がお参りをされています。
矢田寺は、大和郡山の市街地と指呼(しこ)の間(かん)にありながら、静かで山寺の風情漂っています。
振り返れば、田植えを待つ棚田が広がり、瓦屋根に土壁の落ち着いた農家のたたずまい、また遠くには青垣の山々も望める市街地でありながら里山の風情も残っているところです。
矢田寺の建立は、天武天皇の護持僧智通(ごじそうちつう)で、本尊は地蔵菩薩です。
境内でも多くのお地蔵さんが、悩める人々を救おうと今日も静かに待ってくれています。
~昔はなしゆかりの地「矢田寺」~
矢田山を彩るアジサイの寺として有名な矢田寺は、大和郡山市総合公園脇の道を北西に登っていくと見えてきます。
矢田寺は正式には「金剛山寺(こんごうせんじ)」と呼びます。
矢田寺は、壬申の乱の際、のちに天武天皇となる大海人皇子が矢田山に登り、戦勝を祈願したところです。
壬申の乱に勝利した大海人皇子は天皇として即位後、感謝して白鳳4年(674年)、矢田寺を建立したのです。
当初、十一面観世音菩薩と吉祥天女を本尊としていたのですが、弘仁年間に地蔵菩薩が安置され、地蔵信仰の中心地となったのです。
現在の本尊は、木造地蔵菩薩立像(貞観時代・重文)で、「試みの地蔵」と呼ばれる木造地蔵菩薩立像(藤原時代・重文)なども安置されています。
矢田寺のお地蔵さんの右手の親指と人差し指を結んだスタイルは珍しく、矢田型地蔵と呼ばれています。
         

         

     
     味噌なめ地蔵さん         御朱印