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ので、よろしくです!!

税金のお話し(車両にかかる税金)

2020-01-05 07:55:58 | 生活情報
忘れていませんか?「単車・軽自動車などの廃車・名義変更!」
  年が明ければそろそろ納税の季節がやってきます。あまりうれしくないですが。ところで、使っていない(乗っていない)単車や軽自動車などはありませんか?
高齢になったので免許書を返納した。この春から社会人になるので単車を使わない。車を買ったので単車はいらない。といった理由で知人や廃車の手続きをしなまま解体してしまった。などというときは4月1日までに廃車・名義変更などの手続きをしなければ税金がかかってきますよ。
すでに廃車や譲渡などを行っている場合は、4月1日までに手続きをしないと2019年度分の税金を支払うことになりますよ。ご注意ください。
手続きの方法や受付場所は車種によって異なってきますので、単車あるいは軽自動車を所有していた住所の市区町村役場の窓口でお問い合わせください。
・・・普通自動車の場合・・・
普通自動車の場合は、自動車税として都道府県の税収となります。普通自動車の移転登録(名義変更)や抹消登録(廃車手続き)などの各種手続きは、各都道府県運輸局で行ってください。
検査・登録の手続きの案内は、各都道府県運輸局のホームページに掲載されていますし、お近くのディーラーや修理工場などでも取り扱ってもらえるのでお問い合わせください。
3月末になると、自動車の検査・登録など各種申請が集中して窓口が混雑しますので、この時期だとまだ混雑していませんので、この時期に済ませることをお勧めします。


奈良の昔はなし(飽波神社と雀)

2020-01-05 07:24:37 | 地域と文化
奈良の昔はなし~飽波神社と雀~
 今はまだ冬ですが、秋に斑鳩の里の東南にある安堵町に訪れると、稲穂が風にそよぐ緑の田園風景の中に、古い神社やお寺、瓦屋根に白壁が美しい民家が立ち並び、何となく昔懐かしい佇まいに思わず子供のころのことを思い出してしまいます。
ここ安堵町は、聖徳太子ととりわけゆかりが深い街です。そんな安堵町ゆかりのお話しです。

聖徳太子は、推古天皇の即位とともに皇太子となり、摂政として政治を行った人物です。冠位十二階、十七条憲法を制定、遣隋使の派遣、また、仏教興隆に尽力したとされています。
太子が、自らの学問所として建てたのが斑鳩宮です。太子は、その斑鳩宮から当時飛鳥にあった小墾田宮(おはりたのみや)まで、愛馬の黒馬に乗り、従者の調子麿(ちょうしまろ)を連れて通われました。
ある時、太子が飽波神社(あくなみじんじゃ)の前まで来たとき、突風が吹いたのです。そして雨が降り出し、たちまち水が道に溢れたのです。
その時、どこからともなく、何万羽という雀が飛来し、太子の前で舞ったのです。太子は大変喜ばれたといいます。
それから、飽波神社では雀を神の使いとして保護し、このあたりでは、昔から雀を獲って食べないといわれています。
~太子の通勤路「太子道」~
太子が通ったとされる、斑鳩から飛鳥までの道を「太子道」といいます。また、飛鳥時代の南北に走る大きな道に対し、太子道は西に20度ほど傾くため「筋違道(すじかいみち)」とも呼ばれています。
~物語ゆかりの地「飽波神社」~
飽波神社には、今も拝殿の奥、本殿の正面には色彩も美しい「竹と雀」の彫刻があります。また、楠や松の大樹が茂る境内には「太子腰掛け石」があります。
拝殿には、宝暦6年(1756年)に奉納された雨乞い祈願の成就を祝う「なもで踊り」の絵馬があり、宝庫には、祭具、衣裳なども残っています。記録によれば、祭具にも雀の飾りが使われていたと伝えられています。
また、鳥居にかけられた額は、安堵町出身の陶芸家で人間国宝の富本健吉の揮毫(きごう)なのです。
毎年10月に行われる「なもで踊り」が終わると、この地に秋が深まって稲穂も色づきはじめます。
太子道沿いにある、聖徳太子ゆかりがある広峰神社、飽波神社が鎮座しています。広峰神社は、江戸時代を通じて「牛頭天王」と呼ばれていました。もともと飽波神社が置かれた場所という伝承があるのです。社地は聖徳太子の居た飽波葦垣宮(あくなみのあしがきのみや)跡地であると伝えられ、「太子井戸」とか「在原業平姿見の井戸」とも称されている井戸があります。
飽波神社は、聖徳太子が牛頭天王を祀る祠を建てたのが始まりとされています。斑鳩宮と飛鳥をつなぐ太子道沿いにあり、飽波神社の境内には、聖徳太子が腰を掛けたという伝承のある通称「腰掛け石」があります。

         


         

         

・・・なもで踊り・・・
なもで踊りは、中世・室町時代ごろに流行した風流踊りの流れを引く太鼓踊りの櫃です。
雨乞いを目的に、江戸時代前期頃から奈良盆地の各地で踊られたのです。また、この踊りは人々の娯楽でもあったのですが、明治20~30年代に廃れてしまったのです。
安堵町では、飽波神社から、なもで踊りの太鼓やうちわ、かつら、衣裳などが見つかり、奈良県の有形民俗文化財に指定されました。また、江戸時代の安堵のなもで踊りを描いた絵馬も残っています。
安堵町の商工会が中心となって、平成7年(1995年)、約100年ぶりに踊りを復活させ、これ以後、毎年10月の第4土曜日に飽波神社境内で行われています。