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奈良の昔はなし(當麻蹶速)

2020-01-09 15:00:00 | 地域と文化
奈良の昔はなし~當麻蹶速(たいまのけはや)~
 中将姫伝説で有名な當麻の里があります。奈良盆地の西に連なる葛城山系の麓では、霜柱が立っている田園風景が広がっています。
當麻寺への参道の中ほどに相撲館「けはや座」があります。中に入れば、寄せ太鼓に相撲甚句のBGMに迎えられます。本場所と同じ大きさの土俵があり、色鮮やかな幟(のぼり)が並んでいます。土俵の周りには、力水・清めの塩・桝席など、もうすっかり力士気分になれます。
さて、今回は葛城市當麻町が相撲発祥の地となったお話しです。

當麻には當麻蹶速(たいまのけはや)という怪力を持った男がいたのです。蹶速は、動物の角をへし折ったり、足で人を蹴り倒したりしており、日ごろから「この世で自分と互角に力比べできる者はいない。もしいれば対戦したいものだ。」と豪語していたのです。
それを聞いた大和朝廷の初期の天皇である垂仁天皇は、家臣に「彼と力比べをする者はいないか」と問われました。すると、「出雲に野見宿禰(のみのすくね)という者がいます。」と答えると「その者を呼べ」と仰せになったのです。
垂仁天皇7年7月7日が、対戦の日と決まったのです。天皇、家臣らが居並ぶ緊張の中で、蹶速と宿禰の相撲が始まったのです。
互いに足を上げて蹴り合ったのです。長い戦いの末に、蹶速は腰、脇の骨を折られ、とうとう命を失いました。
この時、勝った宿禰は、褒美として蹶速の所有していた領地を賜ったのです。
~昔はなしゆかりの技「相撲」~
この対戦が、日本の国技、相撲の起源とされており、また天覧相撲の初めとされています。
「日本書紀」にこの記述がみられ、その後も奈良時代の天平6年(734年)7月7日、聖武天皇の前で相撲が行われたとあります。
もとは豊作祈願の意味ももつ相撲でした。諸国から力士が招し出されて相撲をとる「相撲節(すまひのせち)」と呼ばれる宮中行事が平安時代まで行われていたようです。
・・・葛城市相撲館「けはや座」・・・
蹶速の墓とされている蹶速塚の横に、全国的にも珍しい相撲の資料館「けはや座」があります。
館内には誰でも上がることのできる土俵があり、まわしをしめ、塩をまいて力士気分が味わえます。
関連イベントや相撲甚句の披露が定期的に開催され、毎年7月には、蹶速塚の法要とワンパク相撲大会が開催されています。
葛城市と宿禰が賜ったとされる腰折田(こしおれだ)伝承地として土俵跡や桟敷席が残る大坂山田神社(穴虫)がある香芝市、初の展覧相撲が行われたとされる相撲神社のある桜井市の3市は「相撲発祥の地」として注目されています。