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健康と生活

2019-05-31 08:26:42 | 住まい全般

健康と生活

現在いかに多くの建材が使われているか、また健康に暮すことのできる住まい作りはどのようにしたらよいのかなどについて講義がありました。

 住まいは私たち人にとってはなくてはならないもです。でも、その住まいによって体調が悪くなるという人も増えてきました。現在では住まいに

対する考え方や使用されている材料などが昔とは違ってきています。

 従来日本の住居の特徴は、夏を旨とすべしと言われていたように、建物の隅々にまで風が通り、湿気がこもらないような構造となっていました。

そのため、柱や壁・床などの材料がいつも乾燥した状態に保たれ、家が長持ちしたのでした。その反面、冬の寒さは厳しく辛いものがありました。

 その点、現在の日本の住まい(住居)は、断熱性・気密性が進み住まいの考え方が夏から冬へと変わり、冬を快適に過ごせるようになりました。

その結果、現在の住まいは昔に比べ風通しが悪くなり、梅雨の時期や湿気の多い夏場ではジメジメするようになりました。また冬場では、建物の外

と内では寒暖の差が大きくなり、結露という現象が起こりやすくなってきました。当然、住まい(住宅)そのものや、住まいに使われている材料な

どが傷みや劣化しやすくなり、シロアリやアレルギ-の原因にもなる、ダニ・カビを発生しやすくなってきました。この現象を防ぐために、化学物

質を原料にした薬剤処理が施されるようになったのです。

 現在の住宅には、施工性を効率よくした材料(建材等)が幅広く使われており、それらの多くに化学物質が使われるようになりました。

 化学物質は住宅だけではなく、食料品や衣料品・化粧品などの生活道具の大半に使用されています。言い換えれば、私たちの生活のいたるところ

に存在し、普段の生活の中で食べたり・触ったり・呼吸したときなどに体内に吸収されています。その吸収された有害な化学物質が体内に蓄積され

て、吸収された化学物質の総量が個々の持っている許容範囲を超えると化学物質過敏症になる危険性があります。

 現在の住まいに使われている化学物質の一部が揮発して空気中に存在しています。住まいの気密性が進んでいますので、換気量に注意しないと化

学物質の濃度が知らない間に高くなり、無意識のうちに多量の化学物質を体内に取り込んでいます。

 有害な化学物質に住まいが取り囲まれていると、目がチカチカする・喉が痛い(または咳が止まらない)・めまいや吐き気がする・頭痛がする

などの症状が引き起こされます。こう言った症状をシックハウス症候群といいます。

 しかし、これから建てる家は色々な対処ができますが、現在住んでいる住まいはどうしたらいいのか。建て替えるれば一番いいのでしょうが、そ

ういう訳には行きませんよね。それではどうすれば現在住んでいる住まいからでる有害な化学物質を少しでも減少できるか幾つかの方法を言います

が、シックハウスは様々な因果関係(ハウスダストも原因の一つです)により発生していますので、必ず効果が現れるというものではありませんが、

基本的な考えは以下の通りです。

換気する・・継続的に換気扇を回したり、こまめに窓を開けて空気を入れ替えることにより、最も効果的な方法で有害物質を低減することができま    す。

表面処理・・セッラクニスや特殊塗料で、揮発性の有害物質を抑制したりホルムアルデヒトを吸着させたり、中和させたりする。

吸着剤 ・・有害物質低減シ-ト(炭を入れて使用するものや、薬品で中和させるものとがある)や木炭・活性炭などにより有害物質を吸着させる。

 現在の生活では意識していかないと化学物質はどんどん増えていきます。家具を購入する時は、ホルムアルデヒトや塗料の成分に注意して下さい。

また、カ-テンやカ-ペットなどは、防カビ剤・抗菌剤・難燃剤に注意し、タンスや下足箱・トイレなどに使っている芳香剤・衣類などの防虫剤など

にも有害な化学物質が使われています。

 冬場に室内でスト-ブを使いますが、燃料となる灯油が燃焼中に有害物質を放出しまた、大量の水蒸気により結露します。結露が発生すると家を

傷め、ダニ・カビの発生にもつながります。全ての面を考えると定期的な換気が一番手軽で効率がいいと思いますので実行して下さい。


隠れた観光スポット「鶯の滝」

2019-05-31 08:20:07 | 地域と文化

隠れた観光スポット「鶯の滝」

 鶯の滝(うぐいすのたき)は、春日山原始林の北東端付近、「佐保川」の源流部に位置する春日山中で唯一ご覧いただける「滝」です。 

 滝は江戸時代頃には既に名所として知られていたようで、高さは8メートルほどの小さい滝ではありますが、水が枯れるようなことはなく、いつでもしっかりとした水量があるほか、春日山のうっそうとした森に包まれているため昼間でも薄暗く、涼しいマイナスイオンたっぷりの空間となっています。なお、その名の由来は、水の流れ落ちる音が「鶯(うぐいす)」の鳴き声に似ていたことにちなんだものとされています。 

 鶯の滝は、春日奥山エリアのスポットの中ではドライブウェイ沿いからのルートも整備されているため比較的訪れやすい場所となっていますが、歩きやすい恰好などで訪れることをおすすめします。また雨天時や雨上がりには増水することもありますので念のためご注意ください。

          


                 



借りたお金が返せなくなったら

2019-05-30 09:01:25 | 生活情報

借りたお金が返せなくなったら

 金融機関から借りたお金、クレジットカードの利用代金やその他返済の約束をした支払いは行わなければなりません。しかし、収入が減り生活費が足りなくなると、借金で借金を払う、ヤミ金と言われるところから借りて厳しい取り立てに遇う、食費を切り詰めて健康を害し働けなくなるなど、さらに生活が苦しくなることがあります。

 借金問題は、弁護士などの専門家に相談することが解決につながります。お早めにご相談ください。

借金を整理するには、弁護士や司法書士に相談を!

 役場などで開催されている無料の法律相談などを利用して、弁護士や司法書士にご相談ください。弁護士会では借金の相談に関して、電話で相談できる専用窓口を設けています。

借金を整理する方法

 裁判所が関与する破産や個人再生という手続きと裁判所が関与しない任意整理という方法があります。任意整理には裁判所を利用する特定調停という制度もあります。

 どの方法を選ぶかは、借金(債務)の内容と金額、収入・財産、特に自宅を持っているかどうか、支払いができなくなった事情などを総合的に判断して決める必要があります。弁護士などの専門家と、納得がいくまで相談して決めてください。

 弁護士や司法書士に債務整理を依頼する際の費用に関しては、収入などの資力要件に該当すれば、法テラスが一旦費用を立て替える民事法律扶助制度を利用することができます。法律相談の案内や債務整理の一般的な情報について知りたい時も、法テラスに電話で問い合わせることができます。詳しいことは各地方の弁護士会にお問い合わせください。


山の辺の道を歩こう(番外編)

2019-05-30 08:48:40 | 地域と文化

桃尾の滝(布留の滝)

 

「布留の滝」として古今和歌集にも詠まれる景勝地です

 滝本町にあり、布留川の支流に位置します。JR天理駅から東へ約5.5㎞の位置にあります。市街地から国道25号線を東へ進むと、左側(北側)に標識が見えてくるので、そこで左へ曲がります。夏場は道路の南側に水色の「のぼり」が何本も立てられているので、すぐに判ります。

 国道から曲がるとと、道幅が狭くなり傾斜もきつくなります。鬱蒼とした木々の中をしばらく進むと、滝の手前に駐車場が現れます。地元では古くから布留の滝として親しまれ、春は新緑、夏は納涼、秋は紅葉と四季折々の姿が楽しまれています。


                  

 滝の落差は約23mあり、春日断層崖に沿う滝の中では最大の規模です。滝からさらに登った場所には古来からの名刹、竜福寺があります。寺が隆盛を極めた頃、この桃尾の滝は行場として利用されていたようです。

 滝壼の左側には不動三尊麿崖仏が彫られており、鎌倉中期の秀作とされ、これを見るのが目的で足を運ぶ人もいます。

 後嵯峨天皇がここを訪れ、「今はまた 行きても見やば 石の上 ふるの滝津瀬 跡をたづねて」と詠まれた歌が残っています。また、元禄元(1688)年には松尾芭蕉もこの地を訪れている名刹です。

 桃尾はモモオと読まれるが、宮城の北の桃生はモノウと読まれ、元々モノオであって、物部の聖地であっても不思議ではない滝の名とも思える。 なお、神奈備掲示板に香具さんが桃尾を(とび)と読ませる資料を発見された旨カキコがあった。 とび、とみ、長髄彦や饒速日命にまつわる地名でもある。

 高さ約23m、大和高原の西端を南北に走る春日断崖層の中では最大。八剣神社の由緒にあった八箇の石は、現地の奥まで探索された香具さんによれば、 桃尾の滝の水が落ちてくる上の方の、さらに奥で、テラスのようになっている所だそうである。

古今和歌集 今はまた 行きても見やば 石の上 ふるの滝津瀬 跡をたづねて(後嵯峨天皇)

基本情報

天理市滝本町 0743631001(天理市観光協会)

天理駅から奈良交通バスで上滝本バス停下車後、徒歩10分ほどでアクセスできます。

桃尾の滝へのアクセスは、天理駅からだと車で約15分の道のりです。


                   


           


腸能力を身につけよう

2019-05-29 08:35:31 | 健康生活

腸能力を身につけよう

 赤ちゃんがお母さんのお腹の中で形作られますが、最初にできあがる器官は何かご存知ですか?実は、脳でも心臓でもなく、腸が最初に作られる臓器なんです。

人間が生きていくためには、食べ物から栄養を摂取しなければいけません。消化・吸収を担う腸は生命活動の根本として、まず初めに必要だということになります。

腸は「人体最大の免疫器官」

 腸は「人体最大の免疫器官」と言われています。小腸は病原菌などの外敵を免疫細胞が攻撃して排除し、大腸の腸内細菌はこれを高めます。腸内細菌は、小腸で排除しきれなかった病原菌を抑え込む働きもしています。

腸内環境のバランスが大切

 腸内細菌は3種類あり、体に良い作用をもたらす「善玉菌」、体に悪い物質を生成する「悪玉菌」、立場がはっきりせず状況に応じて良い働きも悪い働きもする言わば優柔不断な菌である「日和見菌」に分けることができます。これらが良いバランスで共生することで健康が保たれています。

 ところが偏った食生活などで悪玉菌が増えると、バランスが崩れ、健康に悪影響を及ぼします。しかし、悪玉菌も全く不要なものではなく、何らかの存在意義があるらしいと考えられています。腸の働きはまだまだ未知数で、それを解明すべく活発に研究が行われています。

食物繊維と乳酸菌で健康維持

善玉菌を活性化させて免疫能を上げ、健康を維持するためには「食物繊維と乳酸菌」が必要です。

 食物繊維は善玉菌のえさに、乳酸菌は善玉菌を増やす働きをします。食物繊維は、穀類・野菜・海藻・きのこなどに、乳酸菌はヨーグルト・チーズなどの乳製品や乳酸菌飲料、漬物などの発酵食品にそれぞれ多く含まれてます。ヨーグルトを欠かさず、野菜中心の生活をすると、体調が良くなり、花粉症が改善されたとの報告もあります。

 このように腸内環境は食べ物と大きく関連し、また健康にも深く関わっています。毎日の「食物繊維と乳酸菌」で、腸能力を身につけるようにすることが大切です。

 

 

 

 


磐余(いわれ)の道をあるく「桜井~飛鳥」

2019-05-29 08:05:02 | 地域と文化

 

 

磐余の道を歩く「艸墓古墳(カラト古墳)」

 若桜神社を後にして南へ歩いて10分くらい行ったところに艸墓古墳(カラト古墳)があります。

             

 艸墓古墳ですが、桜井市谷の住宅街の中に残された古墳で、安陪文殊院の直ぐ近くにあります。墳形は方墳(南北28m、東西22m、高さ8m)で東南に開口しています。墳丘斜面に玉石の露出箇所あり葺石の可能性もあります。埋葬施設は花崗岩を用いた両袖式横穴式(全長13.2m)で、玄室部は長さ4.4m、幅2.7m、高さ2m。羨道部は長さ8.8m、玄門幅1.9m、高さ約1.5mで、玄室の側壁と天井石の間隙に漆喰が残っています。石棺は竜山石製の刳抜式家型石棺で6個の縄掛突起を持っています。正式な発掘調査はされておらず出土遺物は不明ですが、築造時期は石室や石棺の様式から7世紀前半と思われます。

                           

 副葬品も見つかっていませんし、それほど大きな古墳ではありませんが、ここは「石室のサイズに比べて、石棺が大きい」ことが特徴です。分かりやすく言うと、お墓の入り口に対して棺桶が大きすぎるんですね。このため、石棺を造ったあとで周りの丘を築いたのではないか…と考えられているそうです。

                  


                

              

 

               

 桜井市による説明。「石棺の規模と石室の規模から、石棺を安置したのち、石室を構築し墳丘を築いたかと考えられる。」これが間近で確認できます!(現在は復旧工事のため見学することはできません。(詳しくは桜井市まで:TEL 0744-42-9111)

 

 

 


介護ベッドの機能と特性

2019-05-28 08:27:23 | 健康生活

介護ベッドの機能と特性

 身体に障害が残り、寝返ることや起き上がることに支障がある場合は、介護用の機能をもったベッドを使用する必要があります。

電動介護ベッドの機能と種類

電動で背もたれや、足元の高さ、マットレスの高さなどを変えられ、正しい治療姿勢をとったり、衰弱した体の姿勢を変化させたりできます。コントロールスイッチは手元にあり、寝ながら操作することができます。

 介護ベッドの機能は、「背上げ」「背膝運動」「膝上げ」「高さ調節」の4種類です。1~3個のモーターが付いていて、モーターの数が多くなるほど他の機能と分離した動きができます。

 使い勝手は3モーターが一番良いと思いますが、自身の身体機能を考え、ベッド任せになり過ぎないものを選ぶのがポイントだと思いますよ。

介護ベッドの特性・体のずれ

 背上げ機能によって、足元の方へ体がずり落ちます。ずれ落ちを少なくするためには、まず膝を上げ、次に背上げをした方がよいと言われています。

介護ベッドの特性・体の圧迫

 背上げ膝上げ機能により胸部から大腿部(だいたいぶ)が圧迫される「背圧」という現象が起きることがあります。これは、体を動かすことが困難な人を背上げしたときに、背中全体に圧がかかるため起こります。

 自分で体を動かすことのできない人にとっては、非常につらく、痛みも生じ、場合により呼吸困難に陥ります。よって、背を上げる途中と背上げ終了時に体をマットレスから離し(背抜き)、背圧を除く必要があります。

背圧は体感することができる

 体を一切動かさず、背を0度から70度の間にするだけです。痛みを体感し介護に生かしてください。ここでは、背圧のみを取り上げていませんが、仙骨(せんこつ)や下腿裏(かたいうら)も圧迫されるので手を入れてあげましょう。また、ズボンのしわを伸ばしてあげることも気持ちがよいと言われています。背圧は床ずれを悪化させる場合が多くありますので、十分注意してあげてください。



磐余(いわれ)の道をあるく「桜井~飛鳥」

2019-05-28 07:41:30 | 地域と文化

磐余(いわれ)の道をあるく

 磐余の道は、桜井から飛鳥を経て紀州へと至る幹線道路でした。旧くは白浜温泉への観光路でもあったこの道は、大化の改新ゆかりの道とも言える街道です。今回は、桜の井から若桜神社へ行きます。

桜の井

 JR・近鉄桜井駅から南へ約800mくらのところにあるのが桜の井です。井の深さは九尺余り、径約二尺二寸、円形に積み上げた石は苔むしていますが、水は水量豊かで鏡の如く澄み、特別の甘味があり、昔から大和の七ツ井の1つで、ここは若桜部氏の祖神を祭る若桜(わかざくら)神社の北にあり、今から約千六百年前、第17代履中(りちゅう)天皇が井のほとりに桜を植えて、清水をめでさせられたので「桜の井」と呼ばれ、この辺りが履中天皇の磐余(いわれ)若桜宮跡とも云われ、ここが奈良県桜井市の発祥の地です(桜の井の碑より)

         

若桜神社

 桜の井の近くに若桜神社があります。若桜神社は若桜部朝臣や阿部朝臣の祖神といわれる伊波我加利命(いわがかりのみこと)を祭神とし、『大和志』には「在桜井谷邑 今称白山権現」とあり『延喜式』神名帳城上郡の若桜神社に比定されますが、大字池ノ内の稚桜神社とする説もあります。

  また高屋安倍神社は『延喜式』神名帳に登載されている名神大社で、祭神は屋主彦太思心命(やぬしひこふとしたまのみこと)・大彦命(おおひこのみこと)・産屋主思神(うぶやぬしおもひのかみ)の三座で、名神大社として崇敬され天慶三年(940年)頃までの記録はあるようですが、その後、歴史上消息を絶っています。

           

  又、この地を履中天皇の磐余稚桜宮跡に充てる説もあり、書記に履中天皇が皇后と磐余の市磯池(いちしのいけ)で遊宴中に、桜の花が盃に落ちた事を天皇は珍しい事と喜ばれ、この桜のあった御所の掖上の桜を清水湧き出る泉のそばに植えられ、宮の名前も磐余稚櫻宮にされたといい、桜井という名はここからきているといわれています。この井戸といわれるものは、当神社のすぐ近くにありますが近年、若櫻神社にも復元されています。

 神社にある由緒には、書紀・履中天皇3年(430年頃か)冬11月6日条に、「天皇は両股船(フタマタノフネ)を磐余(イワレ)の市磯池(イチシノイケ、磐余池のことか)に浮かべられ、妃とそれぞれの船に分乗してともに遊ばれた。
 膳臣(カシワデノオミ)余磯(アレシ)が酒を奉った。そのとき、桜の花びらが盃に散った。天皇は怪しまれて、物部長真胆連(モノノベノナガマイノムラジ)を召して、 『この花は咲くべきでないときに散ってきた。何処の花だろうか。お前が探してこい』といわれた。
 長真胆連はひとり花を尋ねて、掖上(ワキガミ)の室山で花を手に入れて奉った。天皇はその珍しいことを喜んで、宮の名とされた。磐余若桜宮(イワレノワキサクラノミヤ)というのがそのもとである。
 この日、長真胆連の本姓を改めて稚桜部造(ワカサクラベノミヤツコ)とし、膳臣余磯を名づけて稚桜部臣(ワカサクラベノオミ)とされた」との説話が記されています。


        

基本情報

 住所:奈良県桜井市大字谷字西浦344

 式内社:大和國城上郡 若櫻神社

 ご利益:国家安泰、商売繁盛、家内安全、入学安全

 


AEDの役割

2019-05-27 07:54:46 | 健康生活

救命時におけるAEDの役割とは

 AEDという機器を見たことはありますか?駅の構内や電車、公共の施設、大型スーパーなどに設置されていますが、案外、見ているようで見ていないと思います。

 AED(自動体外式除細動器)とは、体に貼った電極から自動的に心臓の状態を解析し、心室細動という不整脈を起こしていれば、強い電流を流して心臓の状態を正しい状態に戻すものです。近年では、役場、学校などの公共施設、駅・ホテルなどでも広く設置されています。

  日本では、救急車が現場到着するまで平均約7分を要しますが、早期にAEDを使用することで、救命率が数倍高くなることが明らかになっています。AEDは、停止した心臓を電気ショックで再起動させるものではありません。そのため、心臓が動いている早期に使用する必要があります。

倒れている人がいた場合

  まず、意識があるかないかを話しかけ確認します。次に周りの人に救急車を呼んでもらいます。そして、呼吸の確認を行い、呼吸をしていない場合は、人工呼吸を行い(人工呼吸が難し場合は省略してもいいですよ)、心臓マッサージを行います。そして、AEDが到着したら、心臓に電気ショックを与えます。

AEDの使用方法

 AEDの使用方法ですが、各メーカーによって多少異なる部分がありますが、基本的な使い方は下記の通りです。

1、電源を入れます

2、電極パッドを描かれた位置に貼り付けます

3、心臓の状態が解析され、除細動が必要な場合、音声ガイダンスに従いスイッチを押します。

AEDの使用中の注意とは

 解析中や除細動時は傷病者から離れてください。除細動時は、強い電気ショックがあります。回復しても、救急隊到着まで電極パッドを貼ったままにしてください。

ためらわずAEDの使用を

 これから夏本番、海へ山へと出かける日が多くなり、それに比例して事故や熱中症などにかかる方も増えてきます。そこで、基礎的なことを覚えておけば、大切な命が救われることが多くあります。

 大切な命を救ってくれる機器がAEDです。説明書もついていますので、操作は簡単なものが多いですので、ためらわずに早期に行うことが大切です。各地の消防本部や日本赤十字社の支部が救命講習を開催していますので、特に小さなお子さんをお持ちの方は、一度、講習を受けてみてはいかがですか。

                                                    国保中央病院より


山の辺の道を歩く

2019-05-27 07:24:04 | 地域と文化

山の辺の道を歩く「石上神宮」

 山の辺の道もそろそろ中盤、内山永久寺跡より歩いて15分くらい行くと山の辺の道・南コースの最終地点であり、山の辺の道の中間地点でもある石上神宮に着きます。

 

            

 石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られています。また日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。

 総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰がれる御祭神は、第10代崇神天皇7年に現地、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には「石上神宮」「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも呼ばれていました。平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿(国宝)は天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えています。

           

 中世に入ると、興福寺の荘園拡大・守護権力の強大化により、布留川を挟み南北二郷からなる布留郷を中心とした氏人は、同寺とたびたび抗争しました。戦国時代に至り、織田尾張勢の乱入により社頭は破却され、壱千石と称した神領も没収され衰微していきました。しかし、氏人たちの力強い信仰に支えられて明治を迎え、神祇の国家管理が行われるに伴い、明治4年官幣大社に列し、同16年には神宮号復称が許されました。


          

 石上神宮にはかつては本殿がなく、拝殿後方の禁足地(きんそくち)を御本地(ごほんち)と称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていました。明治7年菅政友(かんまさとも)大宮司により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、大正2年御本殿が造営されました。禁足地は現在も「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ、昔の佇まいを残しています。

神剣渡御祭(しんけんとぎょさい・でんでん祭)6月30日午後1時より 

 境内末社の神田神社(こうだじんじゃ)に御神剣が渡御になり、神田神社の例祭を奉仕した後、神前に設けられた斎場にて田植の神事を行う祭で、明治以前には国宝の七支刀が御神剣の代りとして用いられていました。明治12年頃から中断しましたが、大正4年に御大典記念事業のひとつとして復興され現在に至っています。

 渡御の行列が太鼓を「でんでん」と打ち鳴らしながら進むので「でんでん祭」とも呼ばれています。御田植神事では、作男(さくおとこ)・牛役と早乙女(さおとめ)2名とが、田おこしから田植までの農作業を模した所作を行います。神事に用いた苗は害虫除け・疫病退散・除災招福の苗として参列の人々が取り合い持ち帰ります。


         

夏越大祓式(なごしおおはらえしき)6月30日午後5時より

 大祓式は全国の神社で年2回、6月と12月の晦日(みそか)に行われ、6月の大祓は「夏越(なごし)の祓(はらえ)」と呼ばれています。

 6月までの半年間に私達が知らず識(し)らずのうちに犯した罪、心身の穢(けがれ)、一切の厄災(わざわい)をも祓い清め、神々の御守護により本来の清浄な姿に立ち戻り、心身ともに清々しく、元気に暮らして行けるようにと願う神事です。

 大祓式に続いて、御神剣を先頭にして「水無月(みなづき)の夏越(なごし)の祓(はらへ)する人は千歳(ちとせ)の命延(いのちの)ぶと言ふなり」の古歌を全員で唱え、健康長寿を祈りながら茅(ち)の輪(わ)を3回くぐります。