奈良の魅力を発信

奈良のグルメ情報や史跡・名勝・万葉集・古事記・日本書紀・昔話のゆかりの土地を紹介します
ので、よろしくです!!

今日の健康

2021-01-31 15:03:30 | 健康生活
乳製品で感染症に負けないカラダ!
 新型コロナウイルス感染症との戦いとともに、風邪やインフルエンザウイルスにも注意が必要な季節です。
栄養バランスの良い食事を第一にして、免疫機能を整えてこの冬を乗り切りましょう。

そもそも免疫ってなに?
人体の免疫機能は大きく分けて、「自然免疫」と「獲得免疫」の二つのシステムから成り立っています。

「自然免疫」は、細菌やウイルスなどの原病体が侵入してきたら、直接攻撃して排除します。
自然免疫が外敵と戦っている段階では特に症状は現れません。しかし、この自然免疫も、加齢・不規則な生活・激しい運動・精神的ストレスによって、活性が落ちると言われています。

「獲得免疫」は、自然免疫で得られた原病体の情報をもとに、原病体に特異的に結合する抗体を作って攻撃し、原病体の動きを封じ込めて排除します。

感染症に備えるには、自然免疫と獲得免疫がスムーズに作動する状態を作っておくことが重要となってくるのです。

低栄養で免疫機能が低下する
自然免疫、獲得免疫のシステムがともに大きな影響を受けるのが「低栄養」です。
特に高齢者の場合、低栄養に陥りがちとなり、筋肉量、筋力の低下からロコモティブシンドロームを引き起こし、引きこもりがちになってしまいますので、「フレイル」(身体的、精神的、社会的虚弱)になってしまい、やがて寝たきり状態になってしまうのです。
こうした状況では、免疫機能も低下し、感染症になった場合、重症化のリスクが高くなるのです。
これを防ぐためには、十分なエネルギーを摂取するとともに、栄養バランスが偏らない食生活をすることが重要となります。

牛乳・乳製品が持つ感染防御機能
 牛乳、乳製品に含まれる栄養成分の中でも、アミノ酸バランスに優れた良質な乳タンパク質は、免疫細胞を含むすべての細胞や免疫物質をつくる材料となります。
またカルシウムは、細胞内の情報伝達機能において重要な働きを担っており、免疫機能の正常な働きに欠かせない栄養素です。
さらに、ビタミンAは、成長促進や生殖、免疫機能の維持、皮膚や上皮組織の粘膜を正常に保つ効果があるため、病原体などが体内に入るのを防ぎます。
牛乳にも比較的多く含まれますが、脂溶性ビタミンであるため、バターやチーズなどに多く含まれます。
ビタミンDはインフルエンザや、乳幼児の感染が多いRSウイルスなど、ウイルスの感染予防、さらに感染した際の重症化を防ぐ効果もあると言われています。
その他、免疫機能の維持に大切なビタミンとして、水溶性ビタミンであるビタミンB2、ビタミンB12、パントテン酸なども牛乳には比較的多く含まれています。
毎日のバランスのよい食事に、ぜひ牛乳・乳製品を取り入れて感染症に負けないカラダを作っていきましょう。



  




今日の健康

2021-01-24 12:32:26 | 健康生活
ジェネリック医薬品のこと
 よくテレビなどでジェネリック医薬品のCMを目にしたり病院や医院でジェネリック医薬品を勧められますが、ジェネリック医薬品ってどのようなものか分からない方もいると思います。

ジェネリック医薬品は本当に効くの?
新薬(先進医薬品)と同じ有効成分が同じ量だけ含まれていて、効き目も安全性も同じなのです。
製造・品質管理も厳しくチェックされていますし、より飲みやすく改良された薬がたくさんあります。

他の国では使われている?
欧米では医療費(薬剤費)を抑えるために、ジェネリック医薬品が積極的に使用されています。
しかし、欧米諸国と比べると、日本のジェネリック医薬品の使用割合は低くなっています。

ジェネリック医薬品への切り替えは?
医師や薬剤師へジェネリック医薬品を希望することを伝えるだけでよいのです。

ジェネリック医薬品は、新薬と同等あるいはそれ以上の品質でなければ、国の承認を得ることができません。
価格が安いのは品質が劣るからではなく、研究開発のコストが新薬ほどかからないからです。
病院や薬局がジェネリック医薬品をお勧めするのは、国が効き目と安全性を十分に確認し、安心して使うことができる医薬品なのです。

 

今日の健康

2021-01-16 15:56:44 | 健康生活
人工呼吸器の役割とは
  人工呼吸器ってどのようなモノかご存知ですか?
新型コロナウイルスの関係でテレビなどで一度は耳にしたり目にしたりされた方もあると思います。
でも、実際どのような役割をするのかご存知ない方が少なからずいると思いますので簡単にお話します。
私たちの体は、体外から酸素を取り込み、身体を動かすためのエネルギーを作り出し、細胞活動によって作り出された二酸化炭素を体外に排出しています。
その回数は成人で1分間に12~20回、換気量(1回の呼吸で出入りする空気の量)は約500mlになります。
人は普段、絶えることなく呼吸をしていますが、病気や何らかの原因によって正常な呼吸ができなくなり、酸素を身体に取り入れ(呼気)、身体の中に溜まった二酸化炭素を排出(呼気)することが困難になる人もいます。
それらの人を対象に、呼吸の補助や代行する機器が「人工呼吸器」なのです。
人工呼吸器には、マスク式のものや口や鼻に細いチューブを入れる気管内挿管、気管を切開し直接チューブを挿管するものがあります。
人工呼吸器を使用する目的は、ガス交換(体内に酸素を取り入れ、体内から二酸化炭素を排出すること)を改善することや、呼吸仕事量を減らすことにあります。
実際には、人工呼吸器から患者さんの口元に陽圧のガス(高圧医療ガスの酸素、圧縮空気)を送り、この圧力によって肺を膨らませる方法です。
またいくつかの換気モードがあり、患者さんの状態によって変更していきます。
人工呼吸器が必要となる病態は、急性期から慢性期と幅広くあります。


  



万葉集を身近に

2021-01-13 13:35:44 | 地域と文化
日本に現存する日本最古の和歌集「万葉集」を身近に!
巻2・202番歌 詠人:檜前王女

泣沢(なきさは)の 神社(もり)に神酒(みわ)すゑ 祈祷(いの)れども わご大君は 高日知らしぬ
(訳:泣沢の女神に命のよみがえりを願って神酒を捧げて祈るのだが、わが大君は高く日の神として天をお治になってしまった。)

解説
 この歌は、「万葉集」中で最長の歌である柿本人麻呂の高市皇子挽歌(巻2・199番歌)の反歌の一首なのです。
一方で、「類聚歌林(るいじゅうかりん)」という歌集には「檜隈女王(ひのくまのおほきみ)の泣沢神社を怨む歌」として掲載されているとの注も添えられています。
つまり、「万葉集」が編纂された当時から作者は柿本人麻呂か檜前女王(ひのくまのおほきみ)かの二説があったということになるのです。
「類聚歌林」とは、「万葉集」巻1・6番歌の注に山上憶良が編集した歌集であったときされており、ほかの箇所にも引用されているのですが、現存はしていなのです。
檜前女王は、この歌の作者としてのみ名前が伝わり、系譜や生没年などは一切不明です。
この歌の注ではさらに、高市皇子の死去に関する「日本紀」の記事を紹介しています。
現行の「日本書紀」(巻第三十)によれば、持統10年(696年)7月10日に「後皇子尊(のちのみこのみこと)薨(みまか)りましぬ」と記されており、「万葉集」の注と合致します。
天武天皇の最年長の皇子ではあっても母親が皇族ではなかったため皇嗣とはなり得なかった高市皇子を「後皇子尊」と称したのは、「皇太子」とされた草壁皇子亡き後にそれに次ぐ人物とみなされたことによるといわれています。
「高日知らしぬ」とは、天孫とされた天皇にこそふさわしい死の表現であり、太政大臣であった高市皇子にとっては破格の扱いといえるのです。
「泣沢の神社」とは、現在の奈良県橿原市木之本町の畝尾都多本(うねおつたもと)神社であり、祭神は伊邪那美命(いざなみのみこと)が火の神を産んで亡くなった際に伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が嘆き悲しみ流した涙に成った泣沢女神である、と「古事記」上巻に記されています。
この女神に祈れば命がよみがえると信じられていたようです。
しかし、祈りもむなしく神となって天上界へ去ってしまった、という嘆きがこの歌では表現されているのです。









万葉集を身近に

2021-01-02 13:21:32 | 地域と文化
日本に現存する日本最古の和歌集「万葉集」を身近に!
巻1・35番歌 詠人:阿閇皇女

これやこの 大和にしては わが恋ふる紀路(きぢ)にありといふ 名に負ふ背の山
(訳:紀州路にあるとしてかねて大和で心ひかれていた背の山。これこそ、その名にそむかぬ背の山よ。)

解説
 この歌は「背の山を越えし時に、阿閇皇女(あへのひめみこ)の作りませる御歌」と題された一首なのです。
「これやこの」とは、これがあの有名な〇〇か、という意味の慣用句で、これまでは伝え聞いていただけで見たことがなかった光景や事象を目の当たりにした感動を表現するときに用いられるのです。
「背の山」とは、大和国(奈良県)から紀伊国(和歌山県)へ行く道の途中にある背山(和歌山県伊都郡かつらぎ町)とされます。
「日本書紀」巻第二十五に載る大化2年(646年)の詔(みことのり)では畿内の南限とされており、畿外との境界のランドマークとして旅の歌などに詠み込まれました。
畿内とは都とその周辺地域を指し、現在の「近畿」という言い方などにその名残りがみられます。
「背」は「兄」の意味で、古代日本では夫や恋人など親しい男性へ呼びかける言葉として用いられたのです。
これに対して親しい女性を指す言葉として「妹(いも)」という言葉が用いられました。
「万葉集」には「妹背の山」(巻4・544番歌など)とも表現されており、背山の山頂が二峰あることに基づく呼び名であるとも、紀の川を挟んで向かい合う妹山(同町長者屋敷)と一対の表現であるともいわれています。
作者である阿閇皇女は、後の元明天皇なのです。
この歌が詠まれた年月日は記されていませんが、直前の歌が持統天皇4年(690年)9月の紀伊行幸時の歌であることから、同じ行幸の際の歌であった可能性が指摘されているのです。
690年の歌だとすれば、阿閇皇女は夫であった草壁皇子を前年に亡くしていたことになります。
皇女はどんな気持ちで「背の山」を見たのでしょうか。
そこには、有名な地名の現地を初めて訪れた感動や旅の道程への感慨だけではない、「背」という言葉に対する深い思いがあったことを想像させてくれます。

育乳に興味ある方、下記のURLをご覧ください。


万葉集を身近に

2021-01-01 13:53:56 | 地域と文化
日本に現存する最古の和歌集「万葉集」を身近に
巻2・116番歌 詠人:但馬皇女

人言(ひとごと)を 繁みに言痛(こちた)み 己が世にいまだ渡らぬ 朝川渡る
(訳:人の噂が多くうるさいので、うまれてはじめて、夜明けの川を渡るこよよ。)

解説
 この歌の題詞には、「但馬皇女(たじまのひめみこ)が高市皇子の宮におられた時、ひそかに穂積皇子(ほづみのみこ)と関係を結び、その事が露見して作られた歌」とあります。
ここの登場する高市皇子・穂積皇子・但馬皇女はいづれも天武天皇の子ですが母親はそれぞれ異なります。
古代の慣習では異母兄弟の間での恋愛や結婚は特に問題とされていませんでした。(今では考えられませんが)
但馬皇女は、異母兄弟である高市皇子の宮で同居していながら、同じく異母兄弟の穂積皇子と密通し、そのことが世間に知られてしまって二人は自由に逢うことができなくなったそうです。
そうした障害を乗り越えてみせるという彼女の決意が、「生まれてこのかた渡ったこともない朝の川を渡る(この当時では、川は男女の逢瀬を隔てる象徴だっのです)」と表現されています。
当時の皇子女は、皇子宮(みこのみや)という宮宅を各自所有して居住していたのです。
高市皇子宮は香具山の麓に立地していたようです。
但馬皇女はこの宮の主である高市皇子と同居していたことから、高市の妻の立場であったと言われています。
一方、穂積皇子宮の場所は不明でしたが、2003年に橿原市出合町・膳夫町で行われた発掘調査において、藤原京期の道路側溝跡から「穂積親王宮」と書かれた木簡が出土しました。
木簡出土地点は香具山から北へ約1㎞の位置にあり、この付近に穂積皇子宮が立地していた可能性があります。
高市皇子の子である長屋王が平城京で居住していた邸宅跡では、父の高市皇子宮を指すとみられる「北宮」の意であるとすると、高市・穂積の両皇子宮はかなり近接していたのかもしれません。
なお、藤原宮跡から出土した木簡に「多治麻(たじま)親王宮」と書かれたものがあり、高市皇子が持統天皇10年(696年)に亡くなった後、但馬皇女は独自に皇子宮を構えたことが判明しています。