Kennyのブログあれこれ

写真付きで日記や趣味を書くあれこれ

日記(12.24) サンタの事

2013-12-24 22:32:06 | 日記
12月24日  (火曜日)   晴れ

日射しも暖かくなった頃に散歩へ。
ミニ工業団地の遊歩道には、まだピラカンサスだの
赤い実を付けた木々が、陽に映えて光っている。

鳥に食べられていない!

冬の合い間の晴れた日には赤が目立つ。
赤い色は可視光の中で一番波長が長い為かな?
これより長いと赤外線だ!


田圃でも少し農耕車が通れる道を歩くと、遠く富士山の白い頭が見える。
この時間になっても見えると言うのは、相当に空気が綺麗なんだなあ~!
写真で撮るのは難しい。

北の空にはぽっかり雲が並んで浮いている。


暖かいのも今日くらいまでか?イブもクリスマスの日も
雪はなさそうである。
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今日の記事には
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毎日がクリスマスならいいのに…毎日新聞 2013年12月24日
 
 毎日がクリスマスならいいのに……。
 子どもの時、こんな思いにひたった人は多いだろう。

NHKが放送した米国ドラマ「アリー・マイ・ラブ」に、
そう言い張る老人が登場したことがある。


教師の彼は自らをサンタクロースだと信じているが、
 学校は「妄想にかまけ子どもに悪影響を与える」と解雇した。


 彼は納得がいかず訴えを起こす。
▲「毎日がクリスマスですって?」。
 分別を疑う学校側の弁護士に老教師は語る。

 ○あなたが子どもたちの望みをかなえようとしているかどうか。
 ○老いていく者の弱さや孤独を思いやる用意があるかどうか。
 ○友人に好かれているかどうかではなく自分からもっと好意を寄せたいと
 思っているかどうか。
 思っているならクリスマスだ、毎日がね!


サンタのモデルは3世紀ごろ、
 現在のトルコ南西部・港町ミラの神父だった聖ニコラウス


 貧しい人や子どもに、たとえ異教徒でも、こっそりと贈り物を続けたという。
 困っている人がいれば、時は選ばなかっただろう。

▲ニコラウスにはなれない現世の大人も、
 この季節になると穏やかな気持ちを抱き、
 だれかのために何かをしたくなる。

 ドラマの判事は「サンタであることは解雇の理由にならない」との判断を下した。
 海外から持ち込まれた習慣とはいえ、
 この国においても、いつになく温かなものが心に満ちてくるように感じる。

▲この1年、悲しいこと、残念なことがいろいろ起きた。
 嘆きや憤りもたくさん聞いた。
 だが、人々が心の奥底で求めるのは、
 争い傷つけ合うことよりも、手をさしのべ助け合うことではないか。
 毎日がクリスマスなら。それは妄想ではないと思う。
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★サンタの話を少し・・・・
 サンタクロースはトルコの聖人、聖ニコラウスの事です。
 聖マリアをサンタ・マリアと言うように聖ニコラウスを
 サンタ・ニコラウス、 サンタ・クロース
 呼ぶようになりました。

  聖ニコラウスはギリシア南部の港町パードレ(パトラス)の
 裕福な家庭に生まれ育ち、のちにトルコ南部のリュキュア地方のミュラ、
  現トルコのイズミルの司教となりました。

  西暦271(または280)年から、342(350年頃)年12月6日まで
  生きたとされ、六世紀に聖人に列せられた後、
   12月6日が聖二クラウスの祭日となりました。

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聖ニクラウスにはいくつかのお話が残っています。
ニコラウスがまだ司祭になる前、ニコラスの近所に3人の娘のいる家族が
住んでいました。
たいへん貧しく、上の娘は結婚したいと思っていましたが
その資金のアテがありませんでした。
それどころか彼女は娼婦にならなければならない状況に追い込まれて いました。

そのことを知ったニコラスは、その夜、隣の家の煙突から 金貨を投げ入れました。
ちょうどその金貨は、暖炉のそばに干してあった 靴下の中に入って、

そのお金で娘は救われ、結婚することができたのです。

聖ニコラスは、同じことを下の2人の娘のときも繰り返し、
その家庭を救いました。

三女の時、両親はもしかしたら又誰か金塊を放り込んでくれるかも
知れないと考えました。
その人に会って、必ずお礼を言わなければと考え、 夜ずっと待っていました。

そしてついに三度金塊を届けに来たニコラウスを 見つけ、
それが隣人の若者であったと知り驚き、感謝しました。
しかし彼は誰にもこのことは言わないようにと言い、立ち去りました。

クリスマスに靴下を下げておくと、サンタクロースが煙突から入って
贈り物を入れてくれるという習慣は、ここから生まれたと言われています。
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上の様な良い話とは全く逆の記事・・

 多忙にして短日。身はそれほどでなくても、気だけは急から、
 年の瀬の日々は矢のごとしだ。

「『忙』という字は心を亡(ほろ)ぼすと書く」という。
 その忙(せわ)しない季節に乗じて、非道に心を亡ぼされた面々が、
 今日もうごめいていよう。


▼振り込め詐欺など、いわゆる「特殊詐欺」が止まらない。

警察庁がまとめたら、被害は10月までに全国で383億円にのぼり、
 最悪だった去年の年間額を上回っていた。


 子や孫を思う親心につけいる輩(やから)は、
 反省どころか騙す舌先を研ぐのに余念がないらしい。

▼東京の88歳の女性は、知的障害のある娘の将来を思って
 貯めていた1200万円をだまし取られて悔し涙を流す。
 孫をかたる電話のあとに、「孫の同僚」という男が自宅まで受け取りに来たそうだ。

▼福島の81歳の女性が「息子」に埼玉まで呼び出され、
 300万円入りバッグをひったくられる事件もあった。

 振り込みに加え、直接受け取る手口が最近目立つ。
 後者のような荒っぽい例も少なくないらしい。

▼詐欺師は一体どんな顔をしているのだろうか――と
 博識の文学者だった種村季弘(すえひろ)さんが
詐欺師の楽園』なる本に書いていた。

 考えた揚げ句、「結局は、私やあなたのような顔をしているだろう、と
 答えるよりほかはない」という。

ありきたりの顔、ありきたりの物腰で彼らは師走の街に紛れている。
 電話が鳴ったらまず疑え、と言えば大げさすぎようか
 ともあれお年寄りは用心されたい。

 高齢社会が詐欺師の楽園では、あまりに腹立たしい。

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日記(12.24) 水槽  みかん

2013-12-24 09:50:04 | 日記
12月24日 (火曜日)  晴れ

昨日、旅仲間のNさんから来年の干支である午の置物をいただいた。
有り難い。

良い年であればと願いたい。

庭の隅っこで、アセビの花芽が赤くついている。

綺麗な花である。
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馬酔木 (あせび)

開花時期は、 3/ 5 ~ 4/15頃である。
「あしび」とも呼ぶ。

枝葉に「アセボチン」という有毒成分を含んでいる。
 馬が食べると酔って足がなえることから「足癈(あしじひ)」と呼ばれ、
 しだいに変化して「あしび」そして「あせび」となった。


 漢字の「馬酔木」もその由来による。
 また、このことから、葉を煎じたものは
 殺虫剤としても使われている。


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11月の産業祭で孫君が欲しがって、買ってきた”金魚”や”めだか”であるが
小さい器から大きい水槽に入れ替えて、出来る限り長い金魚人生にさせようと
セットした。
”めだか”は素焼きのカメっぽい器に入れて21匹が元気だ。

見ていない様だが、彼も結構チラチラは見ているらしい。

しかし最近は、こういう生き物を飼うのは面倒なものだと思う様になってきた・・
老いたんだなあ~!
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自分も子供が小さい時には、6つの水槽に
金魚・タナゴ・熱帯魚のグッピーやソードテイル・アメリカ鯰・他にも鮒や錦鯉など
を飼っていた。友人のインテリア関係の仕事をしていたG君に
アクリル板を熔接して貰って、大きな水槽を作ってもらったりして・・
当時は夢中であった。
夏場の管理が大変だった。

綺麗にしてくれると言って子供が”ママレモン”の洗剤を入れられて
泡だらけの玄関になってしまった事が懐かしく思い出されている。
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みかんが美味しい季節になった。
夫婦共通の友達に出身が瀬戸内海の小島で育ったFさん方がいて
年末には、サイズや形を選ばなければ、取り寄せてくれる。
40KG程頼んで、気の置けない方におすそ分け
あとはジップロックに小分けして冷蔵庫に保管しておくと
お正月までは十分ある。
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みかんと言えば、
■温州みかん


 温州みかんは中国からの小ミカンが鹿児島県長島で
突然変異によって種なしが出来たもので、日本生まれです
といっても日本中どこでもできるという訳ではなく、

年の平均気温が15度、冬の気温がマイナス5度以上の場所でないと栽培できません。
また、冬前に温度が高すぎると色づくのが遅れ、
一方低温すぎると寒害を受けるなどの条件から、

兵庫県の南部や千葉県、静岡県や和歌山県、愛媛県など
比較的温暖な地域が大きな産地となっています。

温州みかんはだいたい11月から12月末に完熟し出荷されます

温州みかんは、旬のこの時期に最も多く出回ります。
果皮から緑色が抜け、黄色あるいは赤味が出る頃、果汁が溜まって糖度が上がり、
酸味が抜けます。

最近では、完熟のものも販売されていますが、比較的日持ちが良いので、
完熟状態で出荷されても品質を保ったまま消費者の食卓に届けることができます。また値段も手ごろで、日本の冬には無くてはならない存在です。

みかんはその成分にも注目されており、みかんのすっぱさの成分であるクエン酸は、
疲れを取り、活力の再生に重要な役割を果たしています。

また、ビタミンCやビタミンA効力を持つカロチン、
そしてビタミンEも多く含まれ、風邪の予防効果や美肌効果があると言われています。
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日記(12.23) お歳暮のこと・・

2013-12-23 20:11:32 | 日記
12月23日 (月曜日) 天皇誕生日
  
天気は 晴れ→時折り曇り

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個人的にはあまり、ここ何年かは
やらなくなったし貰わなくなったお歳暮。
虚礼廃止と言いつつも、この原点を考えれば
伝統的な習わしで良いものである。

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■お歳暮


 もともとお歳暮は、年2回、先祖の霊を迎えるにあたり
 お供物や贈り物をしていた日本独特の古い習わしに起源があるといわれています


本来は、親・里親・親方などに物品を贈る儀礼的なものでした。

しかし、現在では、一年の終わりに、お世話になった方に対する感謝や、
ご無沙汰している方への挨拶のしるしとして、
気持ちを込めた贈りものをする意味合いで定着しています。
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 元来、お歳暮はお正月の準備を始める12月初めより20日ごろまでに贈るもので、
 以前はこの時期になると百貨店、スーパーなどでギフトコーナーができました。

 しかし、最近では10月下旬や11月1日からコーナーを設けている場合がほとんどです。
 早くより予約すると割引きや特典がつく場合もありますので、
 毎年利用される方は早 い目のチェックも必要。

 最近では年末の忙しい時期をさけて 早めに挨拶をする方も増え、11月に入ってか ら贈るケースも増えているようです

 また、関東と関西では贈る時期もすこし違うようです。

 関西では12月の始めから中旬あたり、
 関東では11月下旬から贈られるようです。


しかし、あまりにも早いのも考えもの。
昔から12月13日(お正月の事始め)は、1年の締めくくりとして、
新年の準備を始める日とされています。
ですので基本はやはり12月中旬がふさしい時期かと思われます。

本来は訪問して直接渡すのが原則ですが、
現在ではデパートなどから直送するケースも増えています。

直送する場合、荷物が届く頃に手紙かはがきであいさつ状を出しておきましょう。
その際、いつ頃何を送ったのか書いておくと、
荷物が届かないなどのトラブルが起こった場合に役立ちます。

逆に、お歳暮をいただいた場合も無事に荷物が届いた旨と
お礼を書いた手紙やはがきを送ると良いでしょう。
荷物が届いたらなるべく早くお礼を書くようにしましょう。

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日記(12.22) 体操教室 夕食

2013-12-22 21:45:24 | 日記

12月22日  (日曜日) 晴れ


今年の最後の体操教室であった。寒い朝である。
体育館の桜の木は寒さに耐えて春を待つ感じだ。
青空が綺麗な日。

本日のスケジュール表

幼児は前半がマット運動。後半は縄跳び。
先ずは準備体操、体が軋む感じだ。

マット出しを、これが重くて疲れる。
園児達もこの一年で大分上手になって、側転やブリッジが上手くいっている。
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午後にはスタッドレスにタイヤ交換に行ってくる。
この時期は、タイヤ交換の方が多いのであろう。店内は混雑している。
他、気になるところも点検していただき2時を廻ってしまった。
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帰ってから、
紹介された店、皮製品のカバンを販売をしている個人のお店に
バアと孫と3人で行ってみる。
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3時を廻った・・早くも陽が沈む時刻、冬至なんだ!



浅間山や雲が紫に染まる、綺麗なので助手席から撮影を。
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元々は自宅で作っていたらしいが・・カバンやバックが並んでいた。
ブランド品ではないがA4サイズが入るので結構便利そうに使える。
一つ購入。

年に2回、展示販売をしているそうだ!
次回は来年6月らしい。

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その足で、夕食へ行こうと言う事で
久々に妻沼の”辻九”に寄ってみる。

現役の頃は毎月のようにここで夕食を済ませて帰った時期もあった。

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注文品が来るまで、さっき100均(金)で買って来た、幾つかの雑貨を出して
遊ぶ・・結構うるさい子になってきた。
食事も終えて帰宅したが、まだ6時を少し廻ったところであった。
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先日19日は東京が雪だったので
雪の事を・・・メモ

霙(ミゾレ)と雹(ヒョウ)と霰(アラレ)が一緒のようであった。
霙は冬の季語だったと思うが・・・
雹と霰は夏の季語だったと!?
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■雪
 
 雪はやはり冬のイメージとは切っても切り離せない風物誌のひとつ。

 雪は、大気中で水蒸気が結晶してできた白い小片で、
 高山や極寒の地方では冬だけでなく晩春や初夏、

 秋にも見られます。同じ本州でもほとんど降雪のない地域もあれば
 毎年数メートルの積雪に悩まされる地方もあります。

 特に日本海に面した北陸から奥羽地方にかけては世界でも類の少ない多雪地で、
 数ヶ月の間雪に閉ざされながらも、『五穀の精』、『豊年の瑞兆』とも呼ばれ、
 雪国の生活の一端を担っています。


古来より、雪は「五穀の精」、「豊年の貢ぎ」、「稲の花」などと呼ばれ、
新年に雪が降るのは豊年といわれてきました。

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 またウィンタースポーツの楽しみの一つが雪なくしては出来ないスキー。
 昔から『雪月花』という美しい日本語もあり、

 雪は冬の景観の大きな要素となっています。
 新雪は降ったばかりの雪、
 根雪は春まで溶けずに固まった雪、
 牡丹雪は雪片が大きくぼってりした感じの雪、
 細雪は細かく小粒に降る雪を言います

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雪降れり時間の束の降るごとく』(石田波郷)

 時間が止まったように雪が降る、という表現をよく目にする。
 しんしんと降る雪を静的に捉える手法である

 波郷の句はそれとは逆に、降る雪を動的捉える
 降ってきた時間の束は、雪だけを地上にのこしてそのまま奈落へ、
 さらに大宇宙に飲み込まれてゆく。

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日記(12.21) 「足尾鉱毒の図」特別展示に(太田市)

2013-12-21 20:37:22 | 日記
12月21日 (土曜日)  晴れ  

晴れた!よかった。
雨の日とは気分が違う。

早速、年末恒例の窓ガラスの掃除を始める。

自動車用の液状WAXを先ずはかけておく。
そのあと拭きとるのだが
裏と表のどっちが汚れているのかわからない!

綺麗にしたつもりが・・脚立から降りてから、残った汚れが・・ああ面倒だ!
今日は10枚分程掃除して終わりにする。又明日に・・・
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午後から太田市の学習文化センターのギャラリーで開かれている。

「足尾鉱毒の図」特別展示ギャラリーに・・


孫君もついて来た。これを”あしでまとい”というんだろう。

苦渋に満ちた顔やオドオドロしい絵などは7歳では興味はない。
何か、お菓子のおねだりが目的だ!・・


「足尾鉱毒の図」特別展示を観る。
パンフレット

作家は丸木位里・俊共作・・お二人ともに鬼席に入られた。
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★私が入社したころ、足利・館林方面から通勤してきていた同僚達は
 まだ盛んに戦っていたことが思い出される。
 お米がとれなくなったり、カドミュウム汚染などで土地改良などの
 損害賠償で・・ 日本の公害訴訟の初めだったのか・・
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写真撮影が禁止で外に出てから

入り口近辺を
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チラシには
足尾の鉱毒問題に正面から向き合い、解決の為にその人生を注いだ田中正造。
栃木県岩舟町の篤志家、山中鹿之助氏は、正造の活動に共感し、

「原爆の図の作者として世界的に著名な丸木位里・俊夫婦を招聘し
夫妻は長年にかけて「足尾鉱毒の図」全6冊を完成させました。
この作品は山中氏と親交のあった渡良瀬川鉱毒根絶太田期成同盟会会長
板橋明治氏を介して太田市へ寄贈され、今回、田中正造没後100年の事業として
全作品の特別展示を行っている。
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田中正造没後100年に合わせて

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★田中 正造
天保12年11月3日(1841年12月15日) - 1913年(大正2年)9月4日)は
日本の政治家。

日本初の公害事件と言われる足尾銅山鉱毒事件を告発した政治家として有名
衆議院議員選挙に当選6回。
幼名、兼三郎。下野国安蘇郡小中村(現・栃木県佐野市小中町)出身。
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正造氏の名言が


真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず
村を破らず 人を殺さざるべし
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下記参考に
足尾鉱毒事件(109秒)

◆ 足尾鉱毒問題


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