Kennyのブログあれこれ

写真付きで日記や趣味を書くあれこれ

日記(12.28) 資料(一学究の救国論 日本国民に告ぐ)

2013-12-28 21:53:38 | 日記
12月28日 (土曜日)  晴れ

晴れたが、気温が上がらず寒い日だ。
7時に白菜と大根の収穫に行ったが、
土がしっかり凍っている。
遅まきの野菜類が芽を出したところで、かじかんでいる。

少し掃除とかたずけを手伝う。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
旅行で知り合ったI氏が送ってくれた、手書きの資料を読んでみた。

お茶の水女子大学名誉教授藤原正彦氏が文芸春秋に連載したものを
丁寧に写しとって、手書きでしたためたものである。
H22年7月号かららしい・・・

一学究の救国論 日本国民に告ぐ
という、タイトルであった。

良く写しとったものだ。


多分72歳のころに書きうつしたのであろうが、忍耐があるなあ~!
彼は僧侶である。
~~~~~~~~~~~
文末に、何故書きうつしたかが
書いてあった。

私が移書した目的は
  日本が今のようになったかがわからない。からと・・
  多くの人にコピーして読みたい人にあげたいと思ったからと
  パソコンの世間に反発したかった。
一寸耳が痛い!
~~~~~~~~~~~~~
今の日本が閉塞感に包まれている、この国はいったいどこで道をあやまったのか・・
国家の品格の著者が敢えて提言する・・自立・誇り・を取り戻すために
今、日本人がなすべきこと。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

著者の藤原正彦氏は誰でも知っている、父は新田次郎(藤原 寛人 ひろと)氏
気象庁から作家となった方。
気象職員として最も知られている仕事に富士山気象レーダー建設がある
そのほか沢山の本また、映画の原作にもなっている。
特に八甲田山死の彷徨は有名だ。他歴史小説も多く書いている。
~~~~~~~~
さて正彦氏だが
戦後いずれも作家となった新田次郎、藤原てい夫妻の次男として、
満州国の首都新京に生まれる。

ソ連軍の満州国侵攻に伴い汽車で新京を脱出したが、
朝鮮半島北部で汽車が停車したため、
日本への帰還の北朝鮮から福岡市までの残り区間は母と子3人(兄、本人、妹)による
1年以上のソ連軍からの苦難の逃避行となった。

母・藤原ていのベストセラー『流れる星は生きているの中でも活写されたこの経験は、

本人のエッセイの中でも様々な形で繰り返し言及されており、
老いた母を伴っての満州再訪記が『祖国とは国語』(2003年)に
収録されている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


藤原 正彦(ふじわら まさひこ、1943年(昭和18年)7月9日 - )は、
日本の数学者。お茶の水女子大学名誉教授。
専門は数論で、特に不定方程式論。
エッセイストしても知られる。

妻は、お茶の水女子大学で発達心理学を専攻し、
カウンセラー、心理学講師そして翻訳家として
活動する藤原美子

気象学者の藤原咲平は大伯父、
美容家のメイ牛山は大叔母にあたる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
記事の抜粋
ここをクリック。全部では無いが概要はわかる。