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日記(12.16) 東京家族をみて

2013-12-16 14:50:14 | 日記
12月16日 (月曜日)  晴れ

風が冷たい。寒気が居座る様子だ。
寒い日だが、小用は朝のうちにかたずける。
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つい先日、TVで5回目くらいだろうか?
”東京家族”を観た。前にもブログに書いたことが有るが
何度見ても・・家族の単位と結び付きを考えさせられる映画である。

この作品は橋爪・吉行さんが夫婦役のリメイク作品だ。
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昭和28年作品の東京物語は!

あらすじ と 出演者は・・・

笠智衆・ 東山千栄子・ 原節子・ 杉村春子
1953年の夏、尾道に暮らす周吉とその妻のとみが東京に旅行
 に出掛ける。

東京に暮らす子供たちの家を久方振りに訪ねるのだ。
しかし、長男の幸一も長女の志げも毎日仕事が忙しくて
両親をかまってやれない。


寂しい思いをする2人を慰めたのが、戦死した次男の妻の紀子だった。
紀子はわざわざ仕事を休んで、2人を東京名所の観光に連れて行く。


両親の世話に困った幸一と志げは、2人を熱海の旅館に宿泊させる。
しかし、その旅館は安価な若者向きの旅館で、
2人は騒々しさになかなか眠れない。

翌日、熱海から早々に帰って来た2人に対し、志げはいい顔をしない。
居づらくなった2人は志げの家を後にする。

周吉は在京の旧友と久方振りに再会して酒を酌み交わし、
とみは紀子の家に泊まる。

ここでとみは、戦死した夫を忘れて再婚するよう、
紀子に強く勧めるのだった。

周吉は旧友に本音をぶちまけるほど泥酔する。
深夜、泥酔状態のところをお巡りさんに保護されて、
志げの家に帰ってきてしまう。そこで志げ夫婦の顰蹙を買う。

2人は、子供たちからはあまり温かく接してもらえなかったが、
それでも満足した表情を見せて尾道へ帰った。


ところが、両親が帰郷して数日もしないうちに、
とみが危篤状態であるとの電報が子供たちの元に届いた。
子供たちが尾道の実家に到着した翌日の未明に、とみは死去した。
幸一と志げは悲しみつつも、間もなくさばさばした乾いた表情を見せる。

とみの葬儀が終わった後、志げは次女の京子に、
とみの形見の品をよこすよう催促する。

そして志げは、とみよりも周吉が先に死ぬのが望ましかったと主張し、
幸一もそれに同調する。
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紀子以外の子供たちは、葬儀が終わるとそそくさと帰って行った。
京子は憤慨するが、
紀子は歳を取れば誰でも自分の生活が一番大切になるものだといって
義兄姉をかばい、若い京子を静かに諭す。

紀子が東京に帰る前に、周吉は上京した際の紀子の優しさに感謝を表す。
そして紀子に再婚を勧める。

ここで紀子は初めて、自分の苦悩を吐露する。
独身を通す自分の将来の不安がぬぐえないことを打ち明け、
涙を流す孤独な紀子に、周吉は妻の形見の時計を与える
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この作品は2011年に、山田洋次監督の新作が動き出していた。
タイトルは『東京家族』。小津監督作品へのオマージュである。

これまで家族を描き続けてきた山田監督が、監督生活50周年を迎え、
敬愛する小津安二郎監督の名作『東京物語』(1953年)を
モチーフに現代版『東京物語』に取り組むことになったのだ。

脚本は、時代も風景も変わった今の東京に設定を変え、
>「現在の家族のあり方」をテーマに書き上げられた。
2012年に世界の映画監督が選ぶ優れた映画第1位に選ばれた、
小津安二郎監督の『東京物語』をモチーフに製作されました。
日本の社会が変わろうとするその時を、
 ある家族の日常風景を通して切り取った




『東京物語』から60年─奇しくも現在の日本も、
東日本大震災とそこから生じた様々な問題により、
大いなる変化を突きつけられています。

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★親とは子とは家族とはそのつながりを深く考えさせられる映像であった。
 時代という時間は後戻りできないから・・せめて当時はこうであったんだと
 記憶にはとどめて行きたい。
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数日後の新聞コラムには・・・小津監督の誕生&命日の日にかかれていた。
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苦楽をともにしてきた老妻が死んで、葬式もすんだ。
隣家の奥さんが通りかかって「お寂しゅうなりましたなあ」。
「一人になると急に日が長(なご)うなりますわい」。

つぶやく夫の向こうに瀬戸内の海――。

変哲もないシーンながら、
映画「東京物語」のラストは何回見ても胸にしみ入る。


▼監督の小津安二郎は映画ってのは、あと味の勝負だと僕は 思ってますよと後に語っている。

 その術に心ふるわせたファンは多かろう。
 世界的な巨匠の、きょうは誕生日にして命日。

 生誕から110年、没して50年にあたる。

▼作品の多くは、家族や人のつながりを「無常の相」として とら える。
 古き良きものが崩れていく現実が淡々と示される。

 作詞家の故・阿久悠さんは小津映画を見ながら、
 家の間取り図を描いたことがあったそうだ。

▼そこでは家族それぞれが、他の家族を見るともなく
 目の端に入れながら暮らしている。

盆栽をいじる父、料理をする母、本を読む妹、グローブに油を塗る弟――。

「絆」という語をあまり叫ばずにすんだ時代かもしれない。
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▼いま、「孤」という字が社会にのさばる。
 むろん家族にも地域にも煩わしさや重荷はある。

 それを嫌って、つながりを断ち切る方向にアクセルを踏みすぎて来なかったか。
 功と罪を、古い映画は問うているかのようだ。


▼「おれは豆腐屋だから豆腐しか作らない」と言って
 作風を変えなかった。
 今ならどんな映画を撮るだろう。
 その墓は鎌倉の円覚寺にあって、「無」の一文字が刻まれている。

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3年程前に、この無を見に行ったがなんだか沢山の人がいて、
その先は檀家さんだけだったのか?良くわからずじまいで、
結局、見ずに戻った円覚寺だった。
近いうちに一人鎌倉散策に行こう。
建長寺の裏手の山にも上がって観たい。