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日記(12.21) 「足尾鉱毒の図」特別展示に(太田市)

2013-12-21 20:37:22 | 日記
12月21日 (土曜日)  晴れ  

晴れた!よかった。
雨の日とは気分が違う。

早速、年末恒例の窓ガラスの掃除を始める。

自動車用の液状WAXを先ずはかけておく。
そのあと拭きとるのだが
裏と表のどっちが汚れているのかわからない!

綺麗にしたつもりが・・脚立から降りてから、残った汚れが・・ああ面倒だ!
今日は10枚分程掃除して終わりにする。又明日に・・・
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午後から太田市の学習文化センターのギャラリーで開かれている。

「足尾鉱毒の図」特別展示ギャラリーに・・


孫君もついて来た。これを”あしでまとい”というんだろう。

苦渋に満ちた顔やオドオドロしい絵などは7歳では興味はない。
何か、お菓子のおねだりが目的だ!・・


「足尾鉱毒の図」特別展示を観る。
パンフレット

作家は丸木位里・俊共作・・お二人ともに鬼席に入られた。
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★私が入社したころ、足利・館林方面から通勤してきていた同僚達は
 まだ盛んに戦っていたことが思い出される。
 お米がとれなくなったり、カドミュウム汚染などで土地改良などの
 損害賠償で・・ 日本の公害訴訟の初めだったのか・・
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写真撮影が禁止で外に出てから

入り口近辺を
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チラシには
足尾の鉱毒問題に正面から向き合い、解決の為にその人生を注いだ田中正造。
栃木県岩舟町の篤志家、山中鹿之助氏は、正造の活動に共感し、

「原爆の図の作者として世界的に著名な丸木位里・俊夫婦を招聘し
夫妻は長年にかけて「足尾鉱毒の図」全6冊を完成させました。
この作品は山中氏と親交のあった渡良瀬川鉱毒根絶太田期成同盟会会長
板橋明治氏を介して太田市へ寄贈され、今回、田中正造没後100年の事業として
全作品の特別展示を行っている。
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田中正造没後100年に合わせて

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★田中 正造
天保12年11月3日(1841年12月15日) - 1913年(大正2年)9月4日)は
日本の政治家。

日本初の公害事件と言われる足尾銅山鉱毒事件を告発した政治家として有名
衆議院議員選挙に当選6回。
幼名、兼三郎。下野国安蘇郡小中村(現・栃木県佐野市小中町)出身。
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正造氏の名言が


真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず
村を破らず 人を殺さざるべし
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下記参考に
足尾鉱毒事件(109秒)

◆ 足尾鉱毒問題


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