稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№115(昭和63年1月10日)

2020年05月17日 | 長井長正範士の遺文


〇豆腐問答という面白い話が残っていますが、落語では“こんにゃく問答”と言って皆を笑わせているのと同じような内容で、皆さんもよくご存知の事と思いますが、新しく話を進める手段として一応述べておきます。但し話の進め方は私なりに脚色してゆきますので、この点ご了承下さい。

〇その昔、土佐の潮江の眞如寺に誠に徳の高い禅僧がおられることを風の便りに聞いた東の国のある禅僧が、どれほどの高僧であるのか、一度問答をしてみたいと、雲水一人を連れて、はるばるやって来ました。雲水を宿に残して早速眞如寺に参りますと、境内の片すみに、噂の高僧が黙々として竹箒で落葉を掃いているではありませんか。よく見るとさすが天下に名だたる高僧だけに身なりも甚平姿でごく質素なものです。彼(東の禅僧をいう・・以下同じ)はこれ幸いと早速無言の問答に入ったものです。

先ず両手の指で輪を作って見せたところ高僧は鸚鵡返しに右手を高々と挙げて指三本を出しました。これを見た彼は感心したかのような表情で指二本を出しました。高僧はすばやくこれに応えて指で片方の眼の下を押しました。これを見た彼は色を失い、早々と退散して宿に帰りました。

待ちかまえていた雲水が「どうでしたか?」と伺いますと、彼は『いやー噂にまさる名僧じゃわい、初め、わたしが、両手で輪を作って、世界は?と問うたところ、すかさず、指三本を出して「三千世界なり」と答えられたので、それではと、指二本を出して「日本は?」と問うたところ、間髪を入れず、眼の下を指さして「眼下に在り」と答えられた。さすが高僧だ。身なりも質素で在家と変わらぬ。誠に見上げたお方だ』と感心してかの高僧をほめたのであります。

舞台が変わって、くだんの甚平姿の高僧がようやく掃き終る頃、用事から帰って来た本物の高僧が、ふと見ると境内に隣り合せの豆腐やのおっさんが、何やらぶつぶつ言って不機嫌そうな顔つきなので『どうしたんや?えらい機嫌悪そうやが?』と声をかけると豆腐やのおやじ、「いやー、どこのどいつか知らんが、ここへくるなり、あの糞坊主め、指で輪を作って」、お前とこの豆腐何ぼや?と手まねで聞きやがるので、おらあ指三本出して、三文だ!と言ってやったんだ。そしたら、あいつ、指二本出しやがって、二文にまけろと、ぬかしやがったんで、俺頭にきて、あかんべーとしてやったら顔色変えて逃げて行きよった。」という話です。

これに関連してもう一つご紹介申し上げましょう。

〇問答第二
関西のある大学の総長が、嘗て大学時代、心理学を専攻され、今日に至るも、ずっと研究を続けておられましたが、最近になって一つ実験をしてみようと、ある計画をたてられました。その計画とは今、わが国では最高の地位にある哲学者のA先生を招聘して、自分の大学の五十の坂を越した校務員と問答して貰おうという事なのです。

ここで先ず、校務員について説明しておかなければなりません。彼は気の毒にも若い時、事故に会いまして、片眼、片足を失い、現在は義足で然も耳が遠く、不自由な体の上、無学ではありますが、よく働き、仲々良い人物であります。が、然し、律義者によくありがちな偏屈なところがあり、真直ぐな気性だけに、一寸気に入らぬ事がありますと、すぐ癇癪玉を破裂させ、どなり立てるので、教授連始め、廻りの人達は、腫物をさわるようにして気をつかい乍ら(続く)
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