稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.57(昭和62年4月10日)

2019年06月15日 | 長井長正範士の遺文


○一刀流の教え
改めて逐う(おう)て押えて隙に乗じて勝つべき實体(じったい)を見極め、
勝つべきところで、わが気剣体一致をもって、切込んで勝て。

切る時には、両足に切りを乗せ、両手に切りを集め、
物打ちを働かせる正しい心の切りをもって切れといっている。

故に現代のように道具を纒い(まとい)、竹刀を使って行う稽古でも、
素肌と思い、丸い竹刀でも、反り、鎬ぎがある真剣と心得、法にも適った
技法をもって必殺必勝の攻防をかけてこそ真剣味をもつ剣道が学ばれるのであると。

私はこの素晴らしい一刀流の精神技術を如何に竹刀剣道に表現するかという事を
絶えず念頭に入れ稽古に励んでおり、少しでも本物の剣道に近ずきたいと思っている。

右の教えは簡にして要を得た名文である。何遍も読んで心の糧として修養して頂きたい。

○剣道を正しく学ぶと、万事の観測が正確で、予見が適中し、
必然的に心も行いも正しくなり、人格が立派になり、
必勝不敗の人生を完了し得るに至るであろう。

それには、ただ観念的に思いをめぐらすばかりでなく、
具体的に先ず剣を正しく使う稽古から入らねばならない。

○奥伝の「捨目付」について
形に見える目付を一切捨て去ること。
過去を見て、現在を悟り、現在を見て未来を察するという巧智を捨て、
過去、現在、未来の三色を透見して無色の中に臨在する永恒を真観し、
万全の真相に突入する明哲至極に到達せよと教えているのである。

ここまでくると奥の深さが無限に深いことを思い知らされるのである。
お互いに生涯を通じ精進して行こうではないか。(この項終り)
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