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稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№89(昭和62年9月10日)

2020年01月07日 | 長井長正範士の遺文
整える姿勢に似ている。但し両足はゴルフの場合、左右に開くところが違うが)、少し切先を手前に引き、地から離し、丁度日本剣道形の四本目の仕太刀の巻き返し面を打つ時の手首をくるりと廻し(右手首下、左手首上で自分からは左上頭上に廻しあげ振りかぶる=この際、切先に重心をおき、丁度分胴をふり回し、その先に張力が集中するように)打つように反動をつけつつ、両足のひざを曲げて腰も下げ、振りかぶった両手の手首をやわらかくして、眼の前から胸まで丸く下げ、この反動で切先が正面打ちのように前の方へゆく時、手元をぐっと前に押し出すと同時に両手のひざを伸ばし、腰も伸ばし、スット一歩右足を前にスリ足で踏み出し(左足も右足に従い=いわゆる送り足で)下図の曲線を手首をやわらげて両握りの手で画き最後に足腰でふんばって重い木刀をとめるのです。



実際にやってお見せしますと“なるほど”とすぐ判るのですが、文章で説明するとなると大変むつかしく私の解説も廻りくどくてお判りにくいと思いますが、要は竹刀や普通の木刀で正面打ちの素振りをやるのとは目的が違うという事をご理解願いたいのです。

○重い木刀は何のための木刀か、それは足腰を鍛えるための木刀であるという事が判っていただければ幸いです。

○さて次に今度はぐっと突くように、とめた木刀を反対に自分の左の方へ木刀の先を廻し、くるっと反動を利用し、ふりかぶって、前回同様左図のように振り降ろし、ぐっと手元、足腰ともに伸ばし木刀を前に突き出してとめます。今度は又右の方へ廻してやる、また左の方へ廻して行い、続けて足腰を鍛えるのです。やって頂ければ、これほど足腰に力が入るものはないくらい強力に足腰を鍛える事が出来ます。

「ホ」のあたりで両手をぐっと伸ばします。木刀がほとんど水平近くに下りる瞬間、ぐっと前方に突くようにして足腰を伸ばし、ぐっと木刀を前に出し手の内を締めて止める。



○以上の他、もう一つ、振りかぶらずに、この木刀をつかって足腰を鍛える方法があります。それは先ず始めの木刀を持った姿勢は前項で申し上げたようにゴルフの構え(足だけ違う=前項通り)から始めるのです。まず重い木刀の先に重心がかかるように両手首をやわらかくし、反動をつけ、切先を自分の顔あたりまで上げると同時に両ひざを曲げ腰を落としざま手元を下げ、上図の「ホ」の所のように、ぐっと手元もひざも腰も伸ばして前を突きとめる方法です。即ちこれは振りかぶらず上図のように切先を反動で動かし、突き止めて足腰をぐっと鍛えるのです。以上、長々と書きましたがお判りにくい方はまた今度お会いした時やって見せたいと思っています。この木刀を頂いた時、約30分やらされ、ぐたぐたになったなつかしい想い出があります。四国一周される時、私を連れて下さった関係上、この木刀を下さったので、末長く大切に道場に置いてあります。


【粕井注記】

現在、この木刀は粕井誠が井上館長から預かり、一部補修の上、奈良の自宅に大切に保管している。


(上は小野派一刀流の木刀)




(呈 長井先生 七十六才 誠宏作)


(全国武者修行記念・下に一部、欠け剥がれがあったので、とんぼ堂で補修した)




(重さ 2,312g)
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No.88(昭和62年9月10日)

2020年01月06日 | 長井長正範士の遺文
○吉田先生は私に竹槍の作り方を教えて下さった。先ず竹の長さは七尺だ。その先の節の根元から六寸の長さにハスリ切り(斜切り)、はまぐり形にして灯油をつけ、火にあぶり、藁に包んでこれをくり返す。又、根の方は三寸の節を残し、三寸の所に五寸の藁をつける。これはすべり止めと負傷した時に使うためである、と。

○袋竹刀の作り方
図(下の右側)のような竹を割って革を被せた。
剣道家は木刀ぐらいは自分で作らねば一人前ではない。竹刀も自分で作る心がけが大切と。吉田先生からひと通り教わったが、これとて剣道の稽古と一緒で数をかけねばならぬ。ところで吉田先生が七十六才の時(私が先生より二十五才下だから当時五十一才の時)、全国武者修行をされ、その記念にと私に椿の古木で作られた木刀を頂きました。朝げいこの一部の方にお見せして、その木刀の振り方をお見せ致しましたが、これは大変参考になると思いますので、他の皆さんのため、次に木刀の大体のところを略図によってご紹介いたします。



○大体、上(上の図の左側)のような重さ、長さ、巾、廻りの寸法で、鍔はありませんが、先生の居宅の裏山にあった椿の古木を切って自然の木目、皮はだを生かし、物の見ごとに作られた逸品であり、私の大切な木刀であります。

○所でなぜ上のように、あえて図を画きましたのは、この木刀で素振りをする方法と目的に大いに関係があるからです。ひとことで言うと実は足腰を鍛えるために作られた木刀であるのです。この重い木刀を黙って人に渡し「素振りしてごらん」と申しますと、普通の木刀を持つようにして、この重い木刀を懸命に振りかぶり両腕や両肩に力を入れて素振りしますが、これでは手や腕、肩に大変力を入れないと振れないのです。かえって何のための木刀かということになります。これは次の方法でやるのです。先ず両手の間際を離さず柄頭一杯につめて握ります。すると上図の「ニ」の約18センチぐらいまでを握ったことになります。体は真っ直ぐに立って、足は正眼の構えに開き、右足の前、約15センチぐらい(身長により加減のこと)の所に切先を静かにおく。次に木刀を持った両手首をやわらかくして(ここまでの姿勢格好は丁度ゴルフの、将に球を打たんとする直前の呼吸を(続く)

註:この木刀について
これは私にだけ頂いたものではなく数名の先生方に記念として差し上げられたので、一つ一つ皆、椿の原木から切りとられる関係上多少違っております。然し私はこの木刀をこよなく愛し、長年つかっている間のツヤと重量感はなんとも言えない逸品です。
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No.87(昭和62年9月10日)

2019年12月21日 | 長井長正範士の遺文


○吉田先生が、お父さんから聞いた話だがと言って話された。
昔、四国の香川県に、うるさい喧嘩好きの相撲とりが居った。或る名の通った剣客がおって、
いつものように刀の下げ緒を柄に巻いて従容(しょうよう=ゆったりと 落ち着いているさま)
として歩いていた。

そこへ向こうから、くだんの相撲取りがやって来て、いやにからんで喧嘩をふっかけてきた。
剣客は顔色一つ変えずスイスイと体をかわしていったので、相撲取りもへとへとになって負け
去った。あとで弟子が「相手が侍で、勝負をいどんで来れば如何」と。答えて曰く「下げ緒、
解くまで待てという。待つ者は強い。待てずに斬ってかかる者は、下げ緒を解くまでもなし、
素手で充分だ」と。なるほど味わいのある言葉である。
(註:刀の下げ緒の加筆。下げ緒は約六尺で片いっぽうの紐は三寸(10センチ)長くしておい
た。いざという時、長い方を引っぱって口にくわえて襷(たすき)にしたのである。)

○引き続き吉田先生のお話を書いておきます。
内藤高治先生は親分肌のお方であった。常盤山(常陸山谷右エ門)は兄さんの子である。
兄さんは剣道家で市毛さんと言った。内藤先生がある時、店にひょうたんがあって、ひと目見
られて気に入った。「これは良い、いい品だ」とほめて包ませ、あとで「幾らですか」と値を
聞かれ、お金を払われた。普通の人は、先に値を聞くが、内藤先生はこのように、いつも買う
ときはスカーッとして、あとで値を聞き払われた。ここが良いところであると私は(吉田先生
は)感心した。内藤先生は61才の祝いの時、赤ずきんを着て“赤ずきん、三つ子となりて太刀
わざ磨かん”と詠まれた。一生死ぬまで修養だ、と。

○ちなみに吉田誠宏先生の尊敬された剣道家は、内藤先生は勿論であるが、関東では根岸先生、
関西では三っ橋先生であった。三っ橋先生は片手突きの名人で、持田先生はこの先生から教わ
った。当時、武徳会の岡田理事は堀口武舟氏のけいこを改めて貰いたい為、三っ橋先生とけい
こをして貰った。三っ橋先生は、その時、片手突き二本を出し、武舟先生を鍛えられた。
それ以来、武舟先生はけいこを改められ立派になった。

○吉田先生はいつも明治天皇の御製(ぎょせい)をお手本にして修養されていた。
「天をうらみ、人をとがむることあらじ、わがあやまちを思いかえさば」を始め次のような数
々のお歌を色紙に複写して長井に下さった。私は時々これらの色紙を観て、ともすれば邪心の
起きた自分を励ますのです。

「あやめ太刀 ふりかざしつつ あそぶ子の 目にもあふるる やまとだましい」
「国のため はげめ若人 富士のねの 高きのぞみを胸にいだいて」
等、私自身、いつの年代になっても心新たに、心打たれるのです。

然し又一方、今頃の季節に、かって鳥取の太田義人先生が、吉田先生の所へ二十世紀梨を贈ら
れた。その時、私が居合わせて運よくご馳走になったのですが、先生は早速筆をとって“形よ
し、味も又よし、匂いよし、三よしなるも、なぜなしというらん”と書かれ、礼状に副えられ、
その封筒を私が帰りにポストに入れたことを思い出しました。吉田先生は即座にこの歌を詠
まれたので関心したものです。

このように歌をよく嗜(たしな)まれた。太田義人先生は後になって、この礼状の歌をみて
大変よろこばれました。太田先生は折にふれて吉田先生宅を訪問され、吉田先生も太田先生
の真面目な、又、研究熱心な態度にいたく心を打たれ、何かと剣道の眞髄を話され、時たま、
私も同席し大いに勉強させて頂いたものです。

以下、吉田先生のお話続きます。
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No.86(昭和62年9月5日)

2019年12月04日 | 長井長正範士の遺文


○№85に小川忠太郎先生のお話を書きましたが、その席上、引き続いて小城満
睦先生と堀口清先生が仰いましたことを次に、

○小城先生「私はもう90歳にもなりましたので、閻魔さんに聞いたら、そのう
ちに迎えにくるからもう少し待てと言われた」と諧謔(かいぎゃく)味ある言
葉で淡々として話された。さすが。

○堀口先生「斉村先生は剣は心なり。と言われました。皆さんは正しい剣道の
理念を確立して貰いたい。乗って、破って隙に乗ず、これが大切。しっかりや
って下さい」と話され、私ども同窓は、お三方の先生のお話を心に銘じ、これ
からも尚一層精進してゆく事を誓い、あと宴会に入りました。

○尚、小川忠太郎先生のお説、その後お話のあった事など、私は私なりに箇条
書きにしておいたのを次に書きとめておきます。

1)構えが出来ていること。構えで気を抜いていると正しい構えが崩れる。
  この正しい構えは形から。
2)剣道に大事なのは気と間である。ここから技が生まれてくる。
3)剣道の不動心は日常生活で言えば至誠である。即ち真心である。
  不動心は動かない心ではない事。磐石の精神は不可。
4)古流の形が大切である。形から修行していくと、やる事に無駄がない。
  上達が早い。形で練って、剣道の稽古は応用と考える事。
5)正しい切り返しを行うこと。
6)相手に負けまいという気があると右手が堅くなる。
  負けまいと思うと相手と対立になる。この気持ちを足腰の下におろす。
7)一足一刀から剣道と思っているが、そうではない。
  もっと遠くの方から剣道である。
8)刃筋を立てること=人間の正しさを表現すること。
9)石田和外、元会長は「世の中は剣道だ」と言われた。
10)切り返しの最後の正面打ちをしっかり打つ。これが又、技のもとになる。
11)三角矩=剣先と目と腹のこと。
12)相手の身体めがけて打っていくから、みんな障害物に当たる。
  身体じゃない。剣先である。剣先の先に眼がつく。
  相手がわかるということは、相手の剣先がわかるということである。
13)首切り浅右ェ門は、鼠小僧次郎吉の首を斬る時、小僧が「お願いします」
  といったひとことで斬れなかった。三度めにやっと切れたという話を聞い
  て、山岡鉄舟は感心したそうである。情が入るとかくの如し。
  ついでに申し上げると吉田誠宏先生に聞いた話ですが、芸妓「花鳥」が
  「浅右ェ門さまですか本望です」と言ったので、この時も一回二回と失敗
  し三度目にやっと斬れたという話。
14)たたかれて感謝する。こうでなければならない。
15)切り返しで気剣体一致が大切、これには呼吸が下がっていなければならない。
16)間の手本が一刀流である。

以上、小川忠太郎先生のお話ですが一応これで終っておきます。
また折にふれ書かしていただきます。

さて、次の№87からは吉田誠宏先生から聞いた話やご指導頂いたことなど申し上げます。
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No.85(昭和62年9月5日)

2019年11月20日 | 長井長正範士の遺文


○小川忠太郎先先生が、昨年京都大会の国士舘同窓会の時お話頂いたことを皆
さんにお話致しましたが、これを記録に残しておくため、念のために下記に『
これなら絶対安心だという構え、次に相手をおがむんだ』と仰った。

即ち、構えが出来ていない。この構えなら絶対安心だという構えであること。
平常心を失わない心構えが大切である。それから相手を拝む。これは最高であ
る。これには敵がない。この合掌の精神を世界に広める。それから変化してゆ
くのである。

以上が去年のお話であった。今年は時間が無かったので、申しわけなかったが、
先生に三分以内でお話頂きたいとお願いしたところ、気持ちよく了解して頂き、
ひとことも話されず、ただ黙って両手を合わせて拝まれ、次に胸に手(片手)
を当てられた。それでおしまい。先生は剣道をここまで昇華されている。剣道
の深遠なること百の言より優る。おそれいった次第である。われわれのたたき
合いの剣道は浅い、大いに反省すべきである。

○或る晴れた秋の店先で、という題で、私がまだ、タネの苗の園芸店をやって
いた昭和30年初期(当時はまだ私の道場「長正館」を建てる前)大阪錬武会な
るものを結成、機関誌を発行しておりました。その第5号に、次のような懐か
しい作文を載せたのがあり、まだ幼稚な頃のことが思い出されて恥ずかしいで
すが、書いておきます。

客「おっさん、お前えらいたたきあい(剣道のこと)強いらしいなあー、どれ
ぐらい、いくねん」。私「いやー、下手な横好きで、あきまへんわ」客「いや
いや、かくしてもあかん、皆いうとんでー、だいぶん強いらしいなー、五段ぐ
らい、いくんか」私「もうちょっとなー」(これはもう少し上やということを
意味していうたつもりやったが)

客「そらせやろ、五段ちゅうたら大したもんやさかいなー、まあそれ以上聞か
んとこ。せやかて四段ちゅうても、えらいもんや、そうか、俺ら四~五人かか
っても屁ともないやろ、まあ、しっかりやり」と言って帰った。

再び秋が訪れて、くだんの客がやってきた。客「お前うそいうたなー、おれ、
字読めんさかい知らなんだけんど、七段やてなー、おれびっくりしたんや、い
っぺんいうてこましたろと思うて今日まで辛棒してたんや、われ、せっしょや
で」

私「えらいすんまへん、別に何段であっても、タネ屋の商売には変わりおまへ
ん、かえって剣道強いというような顔したら、お客さんは寄りつきまへんわな、
それこそ損やがな」客「そやそや、それでええねん、しかし、そんな強いこと
を知って、おれ、お前とこのタネ買うて、うかうか生えんやないかいなーと言
えんな、どつかされるさかいなー」

私「いいえーめっそうもない、わたしの一番こわいのはお客さんだっせー、い
や、ほんまに、手も足も出んさかいなー、今までどうり、どうそよろしう可愛
がっとくなはれ、剣道も、あんたの好きなパチンコもいっしょだっせー、好き
やからやめられしまへんねん、そんでよろしねん、ただやってたら気も晴れま
んね、さかいなー、段みたいなものあるさかい変にくらべられまんねん」客「
そうか、それいうてくれて俺も安心や、どれ、タネもろうて帰るとしようか」
客は帰った。

剣の道はきびしい。
店先で剣道の話の出るのは、まだまだ修養が足らないからだ。
いつになったら本当のタネ屋のおっさんになれるのであろうか。終り
以上で結んである。
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No.84(昭和62年8月20日)

2019年11月19日 | 長井長正範士の遺文


現代人は特に訓練すべきだろう」と平沢教授はいう。
教授のあげるその方法は、

①板の間に素足で両足を揃え20秒立つ。それから片足を上げる。左右10秒ずつ。
②中足指前関節(足の指の付け根の関節)を曲げる運動。
③目標物に、左足が真っ直ぐ向かうような歩行を意識してやる。
④女性の場合「左足が主軸になっていれば、スカートが左さがりになっている
はず。鏡に姿をうつした時などちょっと注意してみる。

○ふんぞり返ると滅亡。平沢教授は「日本人の重心の後退現象」に関しても重
大な警告をしている人だ。日本人の重心がどんどん後ろへ(つまり、かかとの
方へ)移っている。みんなふんぞり返って歩くようになったという。

この後退現象が現在の速度で続くと20年後にはもう自力で立てなくなり、滅亡
するしかないという見解である。「雪の日に観察に出たのは、実はこのことに
ついての関心もあったからですが、さすが、みなさん前かがみで歩いていまし
たね。ふんぞり返った東京人が、雪の日のわずかの間だけ原始人にかえったと
いうことですよ。雪でも降った折りに人間が重力に抗して“立つ”ということ
が、どういうことか考え直してみるのもいいことではありませんか。

○マラソン名選手のパンツは左下がりだ!
1974年、福岡国際マラソン大会の優勝者は米国の F・ショーターだった。大会
の前日、彼は平沢教授に「ぼくは左足で走る」といった。右足はサブ(※)だ。
左足が疲れると右足が代行して、また左足に戻る。
“左足で走る”時間が長いほど記録がいい。というような話をした。

教授はその後マラソン選手をよく観察し、名選手は走っているうちにパンツは
やや左さがりになっていることを知った。又、千葉の小学校三年生を調査した
ところ、得意なスポーツなどで大いに気分がのった時は、左のソックスがひど
く汚れ、気分がのらないような時は、左右同じ汚れだと判った。以上、足博士
の平沢東京工業大学の教授のお話を終ります。

【※】サブ(sub)とは、「下」「下位」などの意味の接頭語でこの場合は助手、
補欠の意味あいから右足は主役でない従だ、ぐらいの意味にとる。

○所で私の家内が今を去る四年前(昭和58年3月2日旅行の富士山の風穴を出た
途端転倒し、気がついた時は沼津の富士病院のベッドの上だったそうで、右大
腿骨複雑骨折でした。私はいつも剣道関係で各地へ旅行し、家内が留守番ばか
りで道場を守っていてくれるので、家内に友人と楽しくゆっくりと旅行してく
れと行って貰ったのがこの始末、全く不徳の致すところで気のどくした気持ち
で一杯でした。

そんな時、娘婿が学校の勤めを休んで急遽車を飛ばして沼津病院でとりあえず
応急手当をして貰い、夜を徹して車の中で寝かしたまま大阪へ連れて帰って貰
い、翌日大手術をしたのでありますが、後日元気になりどうにか松葉杖で歩け
るようになった時、転倒した時の模様を詳しく話してくれと言いましたが、当
日はみぞれが降り風穴を出た所の下り坂のデコボコの道が凍っていた。

そこまではおぼえているが、どうして、どのようにして転んだか、アッという
間だったので気を失っていたので思い出せないが、と言ってジーッと考えてか
ら、そうです、思い出しました、左手で傘を持ち右肩にハンドバッグをかけ、
外へ出た途端左足をすべらして転んだような気がする、と言いました。

その時は左足をすべらして右大腿骨を骨折する婦人が大変多いと聞いていまし
たので成る程と思いました。そして平沢教授のお説を拝読して本当に左足の大
切さを思い知らされました。家内の入院に際しましては皆様からお見舞いを頂
きまして感謝してます。手術後75日目に退院。その後ステンレスの器具も中か
ら出し、只今ではチンバ引き乍らもぼちぼち歩けるようになっています。

この年は京都大会に欠席しまして、ひたすら家内の看護につとめましたので何
かにつけて、私自身もよい勉強になりました。以上
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No.83(昭和62年8月20日)

2019年11月15日 | 長井長正範士の遺文


○さて、この左足の大切さについては、去る 58年8月12日(金)の朝げいこの
時、一刀流刃引の形のうち「裏切」と「拳の払」との仕方の左足の使い方を実
際にやって見て貰いましたが、その頃まだコピーをして皆さんに差し上げてお
りませんでしたので、この際、記録に残しておくため書きとめておきます。

「裏切」は打方が仕方の右小手を打ちにくるので、仕方はこの剣を打ち落とす
とき、左足を左に寄せ、半ば右向きになり打落します。これは先ず左足を左に
寄せ、それから打落とすのではなく、これを一拍子で行うのです。

「拳の払」では打方が仕方の左拳を払いにくるので、仕方は左足を右に寄せ(
右足の後ろへ)半ば左向きになり、剣を打落すのです。このように「裏切」で
も「拳の払」でも自由自在に左足を働かせていることに留意して貰いたいので
す。

○次にこの左足について大変興味深い記事を剣友、澤田兼男教士に頂いたので
皆さんにも参考になるやも知れんと思い転記させて頂きます。

毎日新聞(夕刊)昭和59.2.7に、東京工大教授、平沢弥一郎氏のお説、これを
編集委員の今吉賢一郎氏が次のように書かれています。以下要約させて頂きま
す。

雪の東京でたくさんの人が転んだ。19日から23日まで、雪による転倒事故で救
急車は1430回も出動、入院は 722人にもなった。どうしてこんなに転んだのだ
ろう。平澤教授(59)(保健体育)は「左足ですよ、左足に注目すべきです」
と云われた。足の研究30余年、著名な“足の博士”の学問的裏付けのある発言
である。

東京に雪が積もっている間、平沢教授は、たびたび外に出て人々の歩き方、転
び方を観察した。右足を滑らせたか、左足を滑らせたかで、大変な差るようだ。
左足を滑らせた人は、そのまま倒れてしまうことが多い。右足だと、滑らせて
も、左足が安定している限りは大丈夫だ。

平沢教授が観察した転倒例は一件の例外を除いて、すべて左足を滑らせたもの
だった。転ばないように慎重になっている人は左足を安定した場所に置こうと
するようだ。マンホールの鉄の蓋の部分は雪が早めに融けて安全な場所となっ
ていた。平沢教授がじっと観察していると、なんと、この部分には、通行人の
大半が左足を乗せて通った。

教授の学説は既によく紹介されているが、一口で言えば「人間は左足で立つ」
ということ。「右大脳半球が支配する左足を主軸として立っている」「左足が
人間の大黒柱」といってもいい。これは教授自らから開発した測定機器によっ
て数万人の歩行を観察した結果である。

「左足は支持脚、右足は運動脚」多くのデータから一般に右足より左足の面積
が大きいこと。何かを目ざして歩行する時、真っすぐ目標物に向かっているの
は左足であって右足ではないことなどが明らかになった。「左足は安定保持と
方向性、右足はスピードコントロールと全身の器用性の役割を分担している」
と教授は結論ずけた。

左足が主軸として、その安定保持の役目を十分に果たしていればいい。左足が
不用意のため、その役割を果たしきれなくなった時が、転倒につながる危機だ。
東京に雪が積もっている間、平沢教授が知人と別れる時のあいさつはこうだっ
た。「お気をつけてください。左足」

○いつも「左足が主軸」になっている人は身構えも整うし、危なげない。それ
なら日常的に「左足が主軸となるように訓練のようなことが可能だろうか。
「可能だし、歩き方が下手になってしまった(続き)
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No.82(昭和62年8月15日)

2019年11月14日 | 長井長正範士の遺文


四本目、六本目、七本目が後の先で勝つように仕組んである。では一本目から
七本目まで皆、互いに先の気位で進んでゆくのに(但し四本目だけは形を制定
する時、陰陽の構えにて互いに進み云々と書いてあるが、これとて先の気持ち
は変わらない)

なぜ四、六、七本目の三本だけが後の先なのか、これを一刀流をやっていると
解明出来るのである。即ち左足で勝っているのを後の先と言っているのである。
詳しく申し上げると、四本目は、いったん頭上で相打ちとなり、次に仕太刀は
左足を左に転じ巻き返し面を左足前で打つのである。即ち左に体捌きをし左足
で勝っている。

六本目は打太刀が仕太刀の気魄に押され下がって尚も攻めてくる仕太刀の出は
なをくじくつもりで軽く小さく早く仕太刀の右小手を打ってゆくが、仕太刀は
既に乗り勝っているものだから安々と左足を左に開き腰をひねってこれをすり
上げて小手を打って勝つのであるが、この左足を左に捌いて腰をひねり、稍々
(やや)斜め右向きに相手の打ちを摺り上げるところに大きな意義がある。

それを知らず、摺り上げることばかりに気をとられて、手で先ず摺り上げ足は
そのままか、少し左の方へ寄る程度で、手足の一致しない打ちをしている者が
あるが、これは真の後の先で勝つ精神と技の知らない者である。

七本目も打太刀が仕太刀の胸部を突くが、仕太刀も先の位であるので、さあこ
いと言わんばかりに打太刀の突いてくる度合いに応じ、呼吸を合わせ(受け身
になっていないから腹をすえ打太刀に応じられるのである。)相突きの気持ち
でその剣を支え、相手の心を読むと案の状、打太刀のは左足右足と二足一刀で
捨て身で面を打ってくるが、仕太刀はすかさず右足を右に開き「左足」を踏み
出して打ってくる相手とすれ違いに右胴を打つ。

この所がポイントで、左足が右足の前へ行った時、既に抜き胴を打つ態勢であ
るので左拳は自分の中心から右にいっている。即ち一番なことは手と足とが一
致するという事で、いつも左足と左拳は同一の線上であるという事をわきまえ
て頂きたい。

従って左拳が自分の体の中で離れるのはこの七本目の抜き胴の場合に限り、と
いう事になる。自分を守るための大事な左足と左拳はいつも同じ行動をとるこ
とが大切である。一寸横道にそれたが、左足右足と腹を斬り進む。この左足の
捌き方が後の先の重要な意味を含んでいる事を大方の皆さんはご承知頂いたと
思う。

ついでに余計なことだが、左足を左前(約30度~35度)にして相手の正面打ち
の出頭小手を打つ時の左拳は左足に伴って左拳が自分の中心より稍々(やや)
左の方に寄っていることは当然である。これ以外の相手とわれの直線的な技に
は自分の大切な左拳が中心を離れることはない。

即ち左足も従って相手に対し真っすぐに向いていなければならない。
このことは至って大切なことなのであえて申し上げておきたい。

以上のように後の先は皆左足を捌いて勝っているので左足の大切さ、と同時に
歩むが如き軽快な足の運びが大事なことを銘記して頂きたい。
次に大事なこと。

去年の1月25日発行の「日本武道」新春に中倉清先生が新春偶感と題して「剣
道も、昔から一眼二足と云って、その人の足捌きを見れば上達するか否かが判
るとまで云われたものだ。それ程、剣道には運足というものが大事であること
は今更申し上げるまでもないことである。

だが剣道もいつの間にか前後だけの運足になって、左右の捌きというものが全
くない。これでは若い青年時代は、前後だけで間に合うけれども、五十、六十、
七十になっては足の早い体力のある者には到底太刀打ち出来ない。今年は寅年
に当り、強い足、前後左右の足捌きを勉強したいものである。」(以下省略さ
せて頂く。)と誠に理の叶った良い教訓を頂いたと、今も尚この記事は残して
ある。(続く)
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No.81(昭和62年8月15日)

2019年11月13日 | 長井長正範士の遺文


上段の霞:(中略)仕方、右足、左足と後へ引き、とっさに剛の意に転じ、打
方の水落を突いて勝つ。

逆の払:(中略)仕方、右足、左足と二歩退き云々。・・・等、いずれも後へ
下がるのに前の右足から先に左足の後ろに引き、ついでに左足を右足の後ろに
引く。この辺のところ、いずれも仕方が左足が地に着く瞬間、打ちに出るよう
に組太刀で作ってある。即ち前々から私が何遍も申し上げているように、左足
に力を入れ、ふんばってから(左足を後ろへ蹴るように力んで打ちを出す)打
ちを出さないよう、これらの形で体得(足におぼえさすまで)しなければなら
ない。勿論打方はここをよく承知の上、自分も亦、足運びに気をつけ仕方に呼
吸を合わせるよう呼吸を合わせえてやることが大切である。如何に左足が軽快
に動かなければならないかおわかりと思う。

尚又、更に言うなれば前述の如く、勝負は殆んど歩み足で勝っており、特に左
足前で体捌きをして勝つ技も多いことに注目して頂きたい。例えば、

拳之払:これは切先をつけて相手の心を試み、打ち間を知るのを読心というの
であるが、この拳の払で読心術を学ぶにはもってこいの技である。この仕方の
足ずかいは歩み足で調子よく美しく上品に勝つ技を教えてある。

浮木:は真の真剣の理がこもり、争わずして勝つ上乗の太刀技であり、私はこ
の技をご指導頂いてから大変感銘を受け、この技を体得するに当り、どれほど
自分の人生に役立ったか計り知れない。皆さんも竹刀剣道で是非ともこの浮木
をやって貰いたいものである。これとて、心、技のとどまるところなく、歩み
足で位攻めで進んでゆく。そして争わないで勝ってゆくのである。素晴らしい。

切り返し:これも歩み足で攻めてゆき、堂々と勝つのである。

左右の払:仕方左足前で打方の右小手を打って勝つのである。

陰の払:仕方左足を軸にして右足を引き、尚左足を軸にして又右足を前に踏み
出して、打方の右小手を打ち、又右足を引いて陰の残心をとる。(これを例え
ていうと左足を扉の要のように、扉の蝶つがいのようにし、左足を中心に右足
を開いて閉めて開いてしなよくつかうのである。その他順不同になるが、

巻返:(中略)仕方は左足を引き応じて喰違いに右足出し云々・・・

引身之合下段:仕方(中略)右足を引き脇構えにはずず云々・・・

発(ほつ):微妙な左足のつかい方。(一刀流極意の本の161頁~162頁)

長短:打方左足から四歩踏み込み長駆して突きにくるに対し、仕方の足ずかい。

詰(つまり):仕方切落しざま突き進み、とまることなく歩み足で位攻めする。
尊い技。

余(あまり):仕方は「長短」と同じように足ずかいし、打方の力を余し、そ
の余力を利してわがものとなし、余すところなく勝つ。

以上、一刀流大太刀五十本の中で主な変わった足ずかい、特に左足で勝つ等の
大切な技を挙げてみたが、まだまだ細かい足ずかいが五十本の中にあるが、こ
れ等を列挙すると一刀流の組太刀五十本を全部詳解しなければ尽せない故、省
略させて頂く。詳しくは「一刀流極意」を読んで頂ければ幸甚である。

このように一刀流を毎日稽古していると思わず竹刀剣道で攻防打突の間に歩み
足で留まることなく或は右足後へ或は左足前へ、又左足斜め左前にと自由に歩
んでくれていることに気ずくのである。私は今から十年前にハッとこの足ずか
い、特に左足の軽快な動きに気ずき、それ以来私が色紙に何か書く時、関防印
(“謹んで書きはじめます”の意味で、その形は縦に長いもので、書の右肩に
押す朱印で、自分の好む詩、文を刻むもの。)

一歩不留:(一刀流極意の484頁にあり)とし、又私の終生の目標とし座右の銘
としております。さて次に左足の大切さに関連して、日本剣道形を考えて見た
い。太刀七本をみると、先先の先で勝つ技は一本目、二本目、三本目、五本目
であり(続く)

-------------------

【欄外】

◎教えてある
剣道には教えはない。ただこの道を歩めと導くのみとはずっと以前に申し上げ
たがここで教えてあると書いたのは矛盾していると感じられますが、これは相
手が教えるのではなく指導して貰ってなるほどと判って体得した自分の立場か
ら教えられたと感じとり、始めて「教えてある」と言う言葉の表現をしたので
ある。(以下同じ)誤解のなきようお願いしたい。
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No.80(昭和62年8月13日)

2019年11月12日 | 長井長正範士の遺文


同時に後ろの右足を前に踏み込み仕方の腹のまん中を突きにゆく)仕方は前の
右足を引き分里の差で体を右向きにかわし打方の切先をそらし云々(以下省略)
とあるように、打方も亦、仕方の足運びに呼吸を合わせるように左足を前に(
仕方右足後ろに)踏み込んで腹を突いてゆく(仕方は後へ引いた左足はそのま
まで右足後ろへ体は右向きとなり体をかわす)このところが大変大事な足ずか
いなので、あえて説明を加えたので、これでも感じられたように、己れの大事
な左足の軽快な運びが如何に大切か判って貰える筈である。敢えていうと歩み
足で行動しているのであって、いちいち送り足でやっていない。

それで以前、私が申し上げているように歩み足で昔の真剣勝負をやった。この
ところ大事なことなので暫く横道にそれるが、真剣勝負に勝ち、生き残るため、
命をかけて作りあげたのが、(一刀流に限らず他のすべての流派はみんな工夫
して作った)古流の形であるから、そこに真の理合が含まれている。

昔、真剣勝負では検視の役員の前で勝負する時、先ず役員に丁重な礼をし、互
いに近ずいて、そんきょ又は片ひざをついたりして丁重な挨拶の礼を交わし(
これは決死の覚悟で殺し合いの場でも、先ず儀式としてやった)、いざいざと
立ち上がった時は、本能的に互いにずーーっと下がり引き離れたのである。

その互いの距離は必ずしも場所によって決まっていないが、相当離れた事は確
かである。そこから、じり、じりと攻め合いの勝負が始まったのであるが、今
の形はこれになぞらえて殆どが打、仕の距離が九歩であり、そこから歩み足で
攻め、一足一刀の間合(古流では生死の間合)に入る瞬間勝負を決した。

或いは両者が随分遠いところから肺腑をえぐるような何とも言えない「威声」
を出して無我夢中に走りよって、ぐさっと斬り合いした、ということを先祖か
ら聞いている。そしてその結果が深手か浅手か或いは一方的に斬ってしまった
のか、又、相打ちでガシッと剣と剣とが合った瞬間、又、お互いに後へ引いて
(本能的に)又、ジリ、ジリと攻めて勝負したらしく、先師のお話では今の竹
刀剣道のような鍔ぜり合など千に一つあるか無しの勝負であったという。

(ちなみに今の鍔せり合いはなっていない)真の鍔ぜり合いでなく、拳せり合
い、柄ぜり合い等で、これで竹刀の刃部が相手の体にくっつくが、くっつかま
いが平気で押し合い、どこを打とうか、jひょっとして打たれやせんかと迷い
乍ら思わくもし乍ら接触して平気で自分は鍔ぜり合いをしているんだぐらい思
っているから残念乍ら20秒位かかると1回めは注意を受け2回やれば直ちに反則
という悲しい結果に現在はなっている。

本当に真剣になれば竹刀剣道と雖も、うかうか鍔ぜり合いなど出きる筈がない。
竹刀がわが身に当れば斬れるから、古流をやっている者は鍔ぜり合いの瞬間、
それはそれは命がけで、瞬時持ちこたえてもさっと引き離れる(本能である)
然し、千に一つ、鍔ぜり合いで、どうにもならず引くに引けず切羽(せっぱ)
詰まって、その挙句、どちらか思いきって相手の剣を押さえ或いは剣の下を一
瞬くぐって斬るか、後へ互いに引き下がったもので、これとてそんなに長く時
間はかからなかったそうである。この辺のところ、今のテレビで立ち回りを見
るとよくわかる。

この点、殺陣(たて)師はよく古流を研究史演出している。私は良い殺陣師の
呼吸のあったチャンバラは楽しくよい勉強になる。以上、大変文面冗長にして
思わぬ脱線をしたが、このこともお話のついでに大切なことと思いわざと書き
とめておいた。了とせられよ。以下尚一刀流の足ずかいを続けたい。(続く)

-----------------

【欄外】
威声とは、国語的解釈では、おどす声、おびやかす声ということであるが、剣
道では相手がかけ声を出し、その声が終るか終らない時に、己れの方から更に
大きなかけ声を出し(相手の声におおいかぶせる如く)て威圧するかけ声であ
り、間のびしないよう心がけること。

上記の真剣の時、かけ声を出し乍ら斬ってゆくのをあえて威声と書いたのはそ
の意味である。これに関連して参考までに申し上げると、この威声の出すタイ
ミングをうまくやると大変よい事がある。それは少年の元太刀になったとき、
少年がヤーッとかけ声を出し打ってくる、その直前に、元太刀は少年の声が終
るか終らない瞬間に「ハイ」とか「ホイ」とか「ホーレッ」とか威声を出して
やり、少年をして勇んで打つ機会をこれによって与えるのである。これは威声
をうまく利用した例である。
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No.79(昭和62年8月13日)

2019年11月09日 | 長井長正範士の遺文


○小野派一刀流大太刀組太刀の中で主な仕方の足ずかいを次に挙げると、

二つ勝:
仕方は一つ勝のように進む心で切落し、切落しざま一拍子で打方ののどを突き、
打方が左上段に引取る左小手を打ち、打方の動静を監視しながら、右、左足と引
き間合を離すと、打方から続いて再び深く正面を打ちにくるから、早くもその心
を読んですかさず進んで切落しざま一拍子で打方ののどを突き勝つ続き技につか
う足ずかいである。

従って打方は仕方が右足を引き左足を引くと同時に呼吸を合わせ追い込んで二度
めの打ちを出す。その心理は仕方に初めの技の打ちと、次の技の打ちとの二つの
係りあいの進退について、心の糸を相手の心につなぎ(打、仕とも)これをゆる
めず、断ち切らず、よく引っ張って引寄せもし、送り出しもして、待中懸、懸中
待のところを弁(わきま)えて行うところに意義があるのです。

このように説明すると感じられるのは、なぜ仕方があえて前の足の右足から先に
後へ引き次に左足を後へ引くのか疑問が少し解けて来たように思います。そうで
す、その通りで、このポイントは左足が地に着くか着かないかの瞬間(左足が軽
く着き、まだ重心が前の右足に残っている時)切落とすように心がけてやること
が大切で、これに反し、仕方の左足が完全に地について重心が両足の中心になる
まで打方が打って出るようなことをすれば、この技は死んでしまうのである。

一つ勝って油断するな、もう一つ、すかさず打つぞの意をもって打って出れば仕
方は大変勉強になる。「一刀流極意」の本には書かれてないが、この左足をふん
ばって打ちに出ないよう、左足をやわらかく踏み、サッと右足で打つための手助
けをする女房役が左足と心得てやって頂きたい。

小野派一刀流ではこのように前の右足から先に左足の後へ引く足運びが多いので
ある。次の技はより一層左足の大切さを教えている。

下段の付・中正眼:
この技の中正眼という構えを先に説明すると。大正眼と正眼との中に位する正眼
であって、守りの中に攻めのある体勢と気力のこもる構えであり、右足先を爪立
て、左足の爪先へ近く引きつけて構える。この構えを中正眼ということを先ず念
頭において貰いたい。

この技は下段の付と中正眼との二つの技だけにしぼって説明すると、(中略)打
方が仕太刀を急に右下に払いくじくので仕方はこれに応じて急に右小手を中心に
左手上げ、刃のほうを右に切先を下に、くるりと手首を廻し打太刀をはずす。打
方が体をとり直し、右上段にかわるところを仕方は表から両手首を右から左に返
し、打方の右上段の小手を打ち右上段に構える。そして仕方は打方を眼下に見お
ろし、右、左足と引き乍ら右上段から中正眼にまでかわるところを、打方が面を
打ちにくるから、仕方はそれを軽快に切り落して勝ち、打方が右上段に引きとる
その小手を打ち、左足から引いて下段残心にとる。

大体以上のような技であるが、この時の仕方の中正眼の時の切りは軽快で速妙で
あれと教えてある。この所を何遍も繰返し修練すれば如何に左足の軽快な働きが
大切かがわかるのである。ここがわかり体得(足おぼえ、手おぼえ、体がおぼえ
る)すれば以上のような単調に固まることなく、己れが思うままに品をかえ、相
手を動かし、己れ従わせて、相手を自在につかう工夫が大事であるから更に此上
とも稽古を重ねるよう教えてある。私は目下それを組太刀の形だけにとどまらず
竹刀剣道で元に立った時、努めて修錬に励んでいる。

摺上(すりあげ):
(中略)仕方が右上段にかぶり、打方を眼下に瞰おろし、動静を監視し乍ら、右、
左足と二足引き(この時、打方は正眼から仕方が右足を引く時に調子を合わせ、
わが左足を前に運び、仕方が左足を引くと(続く)
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No.78(昭和62年8月7日)

2019年11月06日 | 長井長正範士の遺文


○健康法について
全国信用金庫組合長 小原鉄五郎氏(85才)は、
1.何でも食べる、2.頭を使う、3.体を使う、4.苦労する、5.わだかまりを持たぬ。
人間はいじわるをしてはいけない。夜ねむれない。これが私の健康法だと言われている。

なるほど良いことを言われている。私もおそまき乍ら見習って実行したい。
尚、小原鉄五郎氏は下の仕事をしている人には、
1.正確な仕事をせよ、2.公私の別、はっきりせよ、3.エチケットを重んじる。
相手と気持ちよくつき合う、よい感じを与える。という方針を徹底されている。
私共剣道家の学ぶべきところである。

此頃の若者の中にはエチケットなんてどこ吹く風、世の中は乱れたものである。
皆、私共は“三尺さがって師の陰を踏まず”と習った。今までこれを怠ったことはない。
今は三尺飛び上がって師の頭をなぐる時代で嘆かわしいことである。

以上一応健康長寿についての項は終る。

○剣道に於ける左足の大切さについて
まず左足の大切さを申し上げる前に言っておきたいのは、
左手、左足は自分を守る大事な手足であり、右手、右足は攻撃の手足であるということを
大略承知して貰った上で本論に入りたい。

○左足は一足一刀の間合に於いては自分であること。
右足は相手であるということ。従って左足(左拳も)は相手に対し正中線に真っすぐむけ
(左拳も自分の中心からはずさない)外むき(撞木足)にならないよう、又、
軽くたなごころで立ち力まず、かかとを異常なまであげないこと。
(右足も同様たなごころで立つ)つま先に力を入れて立つと盗み足が出来ない。
盗み足は以前に申し上げたが尺とり虫のように、つま先で屈伸をくり返し進むことをいうのである。
眞剣勝負で、寸、秒を争う間合の攻め方に、こうして、じりじり攻めていったのである。
つぎ足を盗み足と勘違いしている人があるが、これは間違いである。

一寸横道にそれましたが左足は攻防打突に於いて、いつでも軽く踏みしめ、
ハッとした時、打ちに出る瞬発力の手助けをしなければならない。
若し左足を力んで構えて、そのまま力を入れて右手右足で打ちに出ると
起こりがしらが大きく、相手に見破られ打たれるのである。

一刀流では特にこの足ずかいをやかましく言っている。
竹刀剣道は主に送り足であるとは誰しも承知の上であるが、
私は一刀流を学んで17年、此頃ようやく次のように感じとり私は実行している。

即ち、送り足は歩むが如しと。ある時は後へ間をとる時、前の右足から下がり、
即ち右、左と下がる。その時、相手が面を打って来た時、すかさず左足を約30度左へ開き、
相手の出がしらの甲手を打つ(完全に体さばきが出来ている)手前みそではあるが、
これが私の得意のわざである。

これもひとえに一刀流のお陰である。
若し相手が正面を打ってきた時、体さばきすることなく直線的に右足前で、
その出がしらの小手を打ったとしても余り効をそうさない。面の方が有効打となる。
それを左足前で体を左(約30度)へさばき、小手を打てば、
相手は眼の前に相手が居らず自分の右へ開いて、小手を打たれたのだから精神的ショックは大で、
ハッとして「参った」と感じるのである。これが相手の心を打つという一つの例ではなかろうか。

では一刀流ではどんな形の中に以上のような足ずかいがあるのか次回に謹んでご紹介申し上げたい。
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No.77(昭和62年8月7日)

2019年10月30日 | 長井長正範士の遺文


○ビクトル・ユゴーは“40才は青年の当年期であり50才は老年の青春期である”と言った。

○サミュエル・ウルマンは“年は重ねるだけでは人は老いない。
人の老いるのは理想を失った時から”と言っている。

○私は、昔も今も自分は代わらないんだという考えでいる。
時計や日めくり、カレンダー等が刻々と時を刻み、日や月が移り変わって行くだけであって
己れは少しも変わらないのだ、と思って常時初心の気持ちを持ち続けて修養してゆく、
これが剣道家の心がけねばならぬ当り前の行であると心得ている。

○あの剣聖内藤高治先生が61才の還暦を迎えられた時、
“赤ずきん、三つ子となりて大刀わざ磨かん”と詠まれたそうである。
剣道の大家、内藤先生にして然り、ましてわれわれ未熟者は
一寸段が上がったぐらいで思い上がってはならない。
一刀流に「循環端無し」という言葉をよくよく吟味すべきである。
以上年会に関係した事柄を書きましたが、これに関係して
人間の健康訓ともいうべき教えを2~3紹介しておきたい。

○人生は六十才から
七十才にしてお迎えあれば、留守と言え。
八十才にしてお迎えあれば、まだ早いと言え。
九十才にしてお迎えあれば、そんなに急がんでもよいと言え。
百才にしてお迎えあれば、そろそろ考えてみても良いと言え。
これなどまだまだ序の口であろう。更に

○人の世は山坂多い旅の道 年令(とし)の六十に迎えが来たら
還暦 六十才 とんでもないよと追い返せ
古希 七十才 未(ま)だ早いとつっぱなせ
喜寿 七十七才 せくな老楽(おいらく)これからよ
傘寿 八十才 なんの未(ま)だまだ役に立つ
米寿 八十八才 もう少しお米を食べてから
卒寿 九十才 年令(とし)に卒業はない筈(はず)よ
白寿 九十九才 百才のお祝いが済むまでは
茶寿 百八才 未だまだお茶が飲み足らん
皇寿 そろそろゆずろうか日本一
これなどなかなか諧謔(かいぎゃく)味があり、うまくまとめたものである。

○健康訓として、京都大徳寺大仙院住職 尾関宋園師は、
五十や六十 花なら蕾 七十八十は働きざかり
九十になって迎えが来たら 百まで待てと追い返せ

次に老人健康と長寿十訓として次の項目を挙げておられる。
一、少肉多菜 一、少塩多酢 一、少糖多果 一、少食多齟(※) 一、少煩多眠
一、少怒多笑 一、少言多行 一、少慾多施 一、少衣多浴 一、少車多歩

以上
上のように言われてみればなるほどと思うが、これを努力して実行せねばならない。(続く)

※通常、齟(ソ)と読む。
齟とは歯の揃わないことを言い、転じて、物のくいちがうことをいう。
同音の咀嚼というのるが、これは食物をよくかみしめることを言い、
このかみしめ方が更によくかむため上下左右にかむことを表わしている。
即ちくいちがいよくかむこと。咀嚼より強度がある。
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No.76(昭和62年7月23日)

2019年10月18日 | 長井長正範士の遺文


1)Aが1のカードを出して勝った回数をx回、2のカードを出して勝った回数をy回として
Aの得点の合計をx・yを用いて表わせ。

2)最初のゲームではA・Bの得点の合計が12・15になった。
このときAが1のカードを出して勝った回数は何回か。

3)2度目のゲームではAの得点の合計がBの得点のゲームより3大きくなった。
Aの勝った回数は何回か。

以上の文章題で、1回読んだ時は、ぼーっとしか意味が取れない。
次に大分むつかしいようだと感じる。
更に読むと意味はわかるが、さて式をどう立てていいか、具体的にふみ出す自信がない。

ここでやめたら、それっ切りである。
実際に書いてある通り、一つ一つ納得してゲームをやり、得点をつけて勝負を決して見る。
ゲームが正しくやれば、半分出来たと思ってよい。次に式を作りにかかる。
式が出来たら計算に入る前にもう一度読み直してみて「よし」と結論を出したら計算にかかる。
ここで何回問題を読んだか?そしてどんな読み方をしたか?振り返ってみよう。
ここに剣道精神たる集中力、思考力が必要なのである。

たまたま入試問題に例をとったが、試験中に実際にゲームをせよと言っているのでは無い。
難問をどのような心構え、態度で解決の途を探せばよいのか、歩めばよいかを言ったのである。

即ち数学を不得手と思いかけている人、又、不得手と思い込んでいる人が、
そのような心構えで具体的にどのように鉛筆をとれば
貴重な一歩がふみ出せるかを言ったのである。

そしてこの態度が会得できれば、あとは努力、自信の積み重ねである。
数学に向うとき逃げてはいけない。先ずふみ出すことである。
そのふみ出す方向を見定めるために、国語の力、剣道の精神が何物にもまして大切なのである。
おしてこれは眞剣勝負の攻めの構えである。

そして此の攻めの構えは1時間も2時間も続けられるものではない。
数学でも同じで、1時間も2時間もやったという子供は必ず、うすめてやっているのである。
机に向かってはいるが、他の事を考えているか、何かで遊んであいるのである。
濃縮、眞剣なる緊張をした後は、必ず頭を休めなければならない。
緩急よろしきを得てこそ本当の鍛錬になるのである。

“数字は国語なり。国語は剣道なり。”
という言葉の何を言わんとしているのかの一端を述べてみた。
成長しつつある柔らかい細胞の子供等の将来のために、
この小文句が少しでも役立ってくれれば幸いである。

昭和60年5月1日
奈良女子高等師範学校理学部数学科卒業
大阪帝国大学理学部数学科(微分、積分学講座)修了。
元公立高校数学科教諭 長井利子

以上

ご参考迄
公文(くもん)数学教室の公文先生と家内とは
私立東高校の数学を教えていた同時代の友人であり、
又、私ともお友達のつき合いを今尚続いているが、
此間(このあいだ)公文先生も家内と同様“数学は読解力から始まる”
と言っておられました。ちなみに公文先生は阪大の数学出身です。

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No.75(昭和62年7月23日)

2019年10月16日 | 長井長正範士の遺文


○数学は國語なり。國語は剣道なり。ということ。
これを言ったのは私の家内です。
嘗て(かつて)朝げいこの一部の方にコピーして見て貰いましたところ、
あるご熱心な高校の剣道の先生から、その内容の一部について、ご質問があり、
直接家内から解答を申し上げ、よろこんで頂きました。

その後、金沢の押田七段(金沢高教諭)も同様ご質問を頂き、
ご熱心な先生のご指摘に家内もこと詳しくお返事を致しました。
その後になっても、うわさが広がり、広く皆さんに伝えるため、
この№のコピーの中に再記録してはどうかとのお声があがりましたので、
大変恐縮ですが、家内の言ったことを、ありのまま次に書きとどめておきます。
(剣道を志す者、この文を読み、何かをつかんで頂きたい)

『長正館の剣道生に数字を』
“数字は國語なり。國語は剣道なり。”という言葉を冒頭に述べたが、
この言葉は未だ誰にも言ったことはないし、又聞いたこともない突飛な言葉である。
われ乍らよくもこう思い切った文句を考えついたものだと驚き入っている。

この言葉を「全くわからんことを言うとる」と思う人。「大分変人だな」と感じる人。
「何か少しぐらいわかるような気がする」と考える人。
又「実にそうだ、何事でもそう言えるんじゃないかな。
いや全くわが意をすっぽぬかれた言葉だ。実に参った。」と感嘆する人。
いろいろあると思う。私はこの人達すべて正しいと思う。
何も思いもせず、感じてくれない人。この種の人が一番寂しい存在である。

誰でも小学校で算術なり算数なりを習う。そして中学校では数学を学ぶ。
そして大なり小なり苦労をし、又解けた時のよろこびを体験する。

自分の体験をふり返ってみる時、数字に対して、とにかく先ず文字、数字を読まねばならない。
眺めているだけでは一歩も進まない。その文字、数字の表わしている意味を解さねばならぬ。

例えば2+3=5なる式は、りんごを2個持っていたところへ、
又3個もらったら5個になったという風に単なる式から意味がわかったり、
又、文が作れたりしたらもうしめたものである。

a(b+c)なる数式の意味、これは縦aメートル、横(b+c)メートルの
長方形の面積を示していると感じてもよいし、
一人当りb円のノートとc円の鉛筆をa人の子供に買ってやった代金と考えてもよい。

どちらにしてもa(b+c)=ab+acを簡単に理解できる。
式から文を作ったり、又、文から式を作ったりすること、ここから理解への道が拓けてくる。
そのためには問題をよく読む。わからなかったら、わかるまで読む。
きっと問題の中に解答の鍵がある。眞剣に問題を読んで考えることから始まる。
解決の原動力は一にも二にも精神を集中して命がけで読むこと、
読んで問題の眞意をつきとめることにある。

最近の例として、本年、大阪公立高校入試の問題四、配点(9/75)について考えてみよう。
1・2の数を1つずつ書いた2枚1組のカードをA・Bが同時に1枚ずつを出し合い、
数字が同じ時はAの勝、異なる時はBの勝とし、
出したカードに書いてある数の和を勝者の得点とする。
これを10回くり返して1ゲームとする。続く

◎長正の感想
「文武両道」というが私は「文武一如」と言いたい。如何でしょうか。
現代の剣道を志す者は視野を世界に広めなくてはならない。
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