goo blog サービス終了のお知らせ 

稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.74(昭和62年7月1日)

2019年10月14日 | 長井長正範士の遺文


ここでいう日本的とは、例えば出来るだけ私情をいれず、その催しの概説をのべ、
公演の意義にふれ、さらには公演にいたるまでの関係各位の労をたたえる、
といった“ごあいさつ”をさす。日本人のあいだでなら、それで十分足りる。

私ども日本人は、日常そういうことに忍耐するように馴らされている。
更に言えば、言語というものは、魅力のないものだとあきらめてもいるのである。
この場合、友人が心を暗くしたのは、そのスピーチを
地元のアメリカ人と共に聴かされたということだった。

たとえが悪いが、立小便をしている父親の姿を、年頃の娘が、
たまたま街角で友達と一緒に見てしまった心境に似ている。

言語は、ひとりごとである場合以外は、他者のものでもある。
聴かされる側にとって、自分の時間と体力と、それに相手の言語が喚起(かんき)する
想像力という三つのエネルギーを話し手に提供しているのである。
魅力のない言語は拷問にひとしい。

然も人間は言語こそ、この世の魅力の最高のものだ、と、誰れもが意識の底に思っている。
乳幼児は言語こそ発せられないが、たえず母親の言葉によって
聴覚を通し大脳に快く刺激をうけつづけている。

人間が最初に出会う“芸術”は絵画でもなく音楽でもなく言語なのである。
やがて言語の意味を解するようになると、母親が話してくれるお伽噺に
宇宙のかがやきと同質のものを感じてしまう。(中略)

話し手の正直さこそが言語における魅力をつくるだすということである。
それが唯一の条件でないにせよ、正直さの欠けた言語はただの音響にすぎない。

幕末以来、日本の外交態度について、欧米人から、この民族は不正直だといわれつづけてきた。
私は日本人は不正直だとは決して思わないが、然し正直であろうとすることについての
練度が不足していることはたしかである。
ナマな正直はしばしば下品で悪徳でさえある。
ユーモアを生み、相手との間を水平にし、安堵をあたえ、言語を魅力的にする。

もしニューヨークでの歌舞伎の開幕前のスピーチで、えらい人が、
じつをいうと私は日本人のくせに歌舞伎には関心がうすく、身巧者ではないのです。」
と正直に言ったとしたら、もっとすばらしかったろう。

たとえば以下のように。

「・・・・・私が半生無関心でいつづけたあいだに、歌舞伎は世界に出てしまったのです。
ぜひきょうは皆さんのまねをして、私も後ろの席で見ます。
芝居が終わったあと、どこがおもしろかったのか、こっそり耳打ちしていただけないでしょうか」

先日、英国のチャールズ皇太子のさまざまなスピーチが日本じゅうを魅力した。
言ってみれば練度の高い正直さというべきものだろうか。
言語化された人格がひとびとの心をとらえたばかりか、
その背後の英国文明の厚味まで感じさせてしまったのである。
日本人は喋り下手だといわれているが、それ以上に、正直さに欠けているのでないか。
政界のやりとりをみると、ついそう思ってしまう。終り。

以上は昭和61年6月2日サンケイの「風塵抄」から。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.73(昭和62年7月1日)

2019年10月09日 | 長井長正範士の遺文


○日本人にユーモア感覚あるか。
と題して前駐日大使コータッチ氏が去る3月5火(木)のサンケイ新聞の正論に
寄せられた記事をひるがえって見たい。以下氏の正論の要約をさせて頂く。

“北斎は最高のユーモア家”ユーモアは外国語に翻訳するのが非常に難しく、
ユーモアの多く、特に皮肉と風刺はその国の国民と、その国の出来事を知らないと分からない。
日本人のユーモアセンスが一番よく分かるのは絵画だ、と私が考えているのは多分そのためである。

中世の一部の絵巻物は、サムライや僧侶といった真面目過ぎる人々のうぬぼれを、
からかっているために非常に面白い。私の考えでは北斎は日本で最高のユーモア家である。
彼は他の画家が真面目なものとしか見なさないものに、こっけいさを見出した。

美というものは真面目であると同時に、こっけいでもあるということが彼には分かっていたのである。
日本人のユーモアは、しばしば泥くさい。
(中略)泥くさいユーモアを野卑だと単純に非難してはならないが、
ここに、日本人のユーモアセンスのもつ問題点の核心があると思う。

日本人のユーモア文学の大半は大衆的である。
狂言は能楽を好む貴族的な観客を楽しませるために作られたものと思う。
能楽自体に、ユーモアが入り込むことは、ゆるされなかったからである。
然しシェイクスピア劇では、ユーモアの要素は大悲劇の中でさえ
観客に悲劇と喜劇のバランスを見失わせない限りでは、不可欠と見なされたのである。

膝栗毛の弥次喜多は理解しやすい喜劇的人物であるが、
シェイクスピアのフォルスタッフやデイケンズの「ディビット・カッパーフィールド」の
ミコーバー氏ほどの性格の深さはない。

私は故、源氏鶏太のユーモア小説が大好きで、その一部を英語翻訳した。
城山三郎や、井上ひさしのような作家も、ユーモアセンスを持っていると思う。
然し、日本の批評家は、ユーモアセンスを高く評価していないのではないか。
私の見解では、それは高く評価すべきものである。

“楽しい川柳のウィット”口語体のウィット(機知、才気の意)は特に翻訳が難しい。
私は大抵の川柳は説明してもらえないと、そのユーモアが理解できないことを白状しなければならない。

(中略)日本の政治家が何人ぐらいユーモアセンスをもち、それを使っているであろうか。
政治家たちは、斉藤英四郎氏や本多宗一郎氏のような財界首脳から学べると思う。
このお二人は、真のユーモアセンスをもっていると私は考えている。
その秘訣は、自分自身をあまり生真面目に受けとらないところにある。
“マジメ”の過剰は身体にも精神にも良くないのだ。
以上がコータッチ氏の考えであり、少くともイギリス人はそう思っているのである。
では日本人はどう考えているのか、ここに有名な司馬遼太郎氏に登場して貰い
司馬氏のお言葉を拝聴したい。以下司馬氏のお説。

○言語の魅力=練度高い正直さがカギ
ニューヨークに滞留していたとき、歌舞伎がやってきた。
見に行った同行の友人が暗い表情で戻ってきた。
歌舞伎はすばらしかったが開幕前、ロビーで日本のえらい人のご挨拶があったのをきかされて、
滅入ってしまったという。日本的な規準でいえば、別に悪いスピーチではない。続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.72(昭和62年6月21日)

2019年10月06日 | 長井長正範士の遺文


胸をおどらせる。胸をこがす。胸を借って。胸算用。肩をもつ。肩で風をきる。
肩入れ。肩を並べる。背をむける。背に腹は変えられぬ。腕前。腕がなる。腕によりをかける。
腕をふるう。腕をこまねく。手腕。手を貸す。手ごわい。奥の手。その手に乗るな。
手を加える。手にあまる。手をやく。秘密を握る。爪をとぐ。爪に火をともす。
爪の垢を飲ませたい。爪をかくす。指をくわえて見る。肘鉄砲。腹太い。腹黒い(悪い)。
腹を合わせる。腹が立つ。腹をさぐる。腹にいちもつ。腹の虫が納まらぬ。腹を割って話そう。
へそ曲がり。へそくり。へそで茶を沸かす。本腰。腰が低い。腰を入れる。腰を据える。
腰くだけ。腰が軽い(重い)。尻が軽い(重い)。尻が長い。尻にしく。尻ぬぐい。
尻の穴が小さい。膝詰め談判。脛に傷もつ。親の脛かじり。足が出る。足を洗う。足をとられる。
足並みそろえる。等々挙げて見ると澤山あることに気ずく。

又内臓についても、一層精神的な会話にその名前をつかった。
例えば、脳裏にひらめく。肺腑をえぐる。肝に銘ず。肝が太い。肝をつぶす。肝を冷やす。
肝いり。肝胆相照らす。心臓弱い(強い)。脈がある。血気盛ん。血が通う。
血を血で洗う。血をわける。息が合う。息き詰る。息ぬき。息巻く。断腸の思い。
等々がある。次に武士の刀剣類も生活用語に今もとけこんでいる。即ち鍔ぜり合い。
目ぬき通り。せっぱつまる。鎬をけずる。刃が立たぬ。鞘あて。鉾先をむける(かえる)。
真剣になる。槍玉にあげる等。

○ユーモア感覚と国民性について。
1)フランス人は冗談を半分も聞かずに笑う。
2)イギリス人は最後まで聞いてから笑う。
3)ドイツ人は一晩考えてから笑う。
4)日本人はにこにこ笑っているが全然わかっていない。
5)アメリカ人は決して笑わない。
なぜなら、大抵の冗句は既に知っているからだそうである。
然しこのような憎い冗句を作るのはアメリカ人だそうだ。

でもこの中でイギリス人のユーモアは仲々味があって面白いのが多い。
さすがゼントルマン紳士の国と自認するお国柄である。
いつかサンケイ抄に書いてあったが、その1~2を拾ってみると。

イギリスの議会で、ある独眼の大臣が「世界見渡せば云々」と演説を始めた途端に、
野党議員の中から、すかさず「片眼で何が見える?」というやじが飛んだ。
するとその大臣は落着いて「一目瞭然」と答えたので、議場はどっと沸き、
やがて万雷の拍手が起こったという。

これが日本の議会だったらどうであろう。差別用語も甚だしいではないか。
チャールズ皇太子が日本へこられた時もユーモアのセンスを巧みに発揮された。
又、議会で獣医を開業する国会議員が、演説中、反対派の議席から「獣医」とヤジが飛んだ。
それを受けた議員、やおらヤジの席を向いてやさしくほほえみ乍ら
「あなたも診察いたしましょうか」と切返したそうだ。

駅のトイレの落書きにも冗句が光るそうだ。
「もし君がこれを読んでいるなら、君は正しい方向に向いていない。
初心者よ!両手でもってせよ!清掃係より」
「小便するところに、なぜたばこを捨てるのか。
湿って火がつきにくいではないか!貧乏人より」。

前駐日英大使、サーヒュー・コータッチのご指摘じゃないが、
どうも日本では、むやみと悲壮がったり、深刻ぶったりする論調があふれている。
善くも悪くも“マジメ過剰”のあらわれ、これでは川柳、狂歌のもつ輝かしい伝統が泣くだろう。
最近の新聞投稿欄からのを一つ。「数年前、奥さんを亡くしたA君からの法要の案内が来た。
「亡妻○年忌」とある。近頃うわさがあって、その心境は分かるんですがね。
ユーモアは日本では悲しみ?の戯画だと。

続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.71(昭和62年6月21日)

2019年10月05日 | 長井長正範士の遺文


禅をシナに伝えた達磨大師も「理入-行入」の二面を真理体得の二途として示しています。
これに反し、西洋哲学は一面的な「知」の立場に立ち、行(ギョウ)道を伴なっていません。
それを私は早くから、いわゆる哲学の欠陥と感じていました。

哲学が知のみならず、知情意の全体的発動を含む「気」によって営まれ、
それ自身が一つの人生道として立とうとするならば、哲学も行(ギョウ)道をもつべきだと思います。
そしてその行動としては、身を正し、呼吸を調えるという正身正息が最もふさわしいと思います。

哲学はいっさいの理、即ち物の筋合いを広く見渡し、
これを統合し体系化することを仼とするものですが、
哲学者はそれぞれが身体者である故、おのが身の筋合を調え「万物われに備わる」の理を
“身証”すべきではないでしょうか。

哲学は全体の学であり、全体の本義は主客の渾一(こんいつ)にありますから、
対象に向って発動する「知性」のみでは哲学の本格的な原理とはなりません。
哲学はひろく「心性」にかかわる故、品性を高め「気質」を練磨する実践道たるべきものと思います。

武士は武技を修めるためから、正身正息の実践を行ったし、
またその涵養せる気概、正志の、おのずからなる表現としても、身を正しく保っていました。
山鹿素行は赤穂に流謫(ルタク)の十年間「絶えて惰容なし」と
評せられるような風姿、態度であったといいます。

心がけのよい武士はいつ敵に斬りかかられても即座にそれに応じられるように、
たとえ静かに坐していても、改めて姿勢を調えることなしに、
そのまますぐ適切な動に移り得る身構えを保っていたものです。(静中動あり)。以上

※図の英語の解釈は長井が勝手に入れましたもので、
シーは普通の解釈では、見る。観察する。合点する等の意がありますが、
もう少し深く入って「悟る」と解釈しました。

※惰容(ダヨウ)とは、1)なまけたようす。2)だらしない行儀をいう。

以前№68に腹について述べましたが通り、
佐藤通次先生の腹、丹田のお話、引続き哲学と身行についての高説、
誠に有難く私は感銘を受けましたので一応ここまで拝写させて頂きました。

先生の「日本の武道」46頁‐49頁(最終頁)です。
以下又私が思っております、いろいろなこと申し上げる時、
その内容が先生のお延べになっている項目にふれました時は、相前後になるかも知れませんが
先ず筆頭に先生のお話を拝写させて頂きたく御了承願います。この項終わり。

○昔から日本人は人間の体の部分的な名前を日常生活の言葉に使って重に精神的な話題にした。
例えば人体の頭の上から下へ順にあげてみると、毛頭ない。毛並みがよい。
間髪を入れず。頭が低い(高い)。頭角を表わす。頭にきた。眉つばもの。眼をつける。
眼がきく。眼をぬすむ。眼にとまる。眼をかける。鼻が高い。鼻にかける。鼻につく。
鼻であしらう。鼻をおる。口が悪い。口がうまい。口が軽い(重い)。いい口さがす。
口八丁手八丁。舌を巻く。舌先三寸。喉から手が出る。喉元通れば熱さ忘れる。顔役。
顔がきく。顔が売れる。顔にかかわる。顔に泥をぬる。顔から火が出る。顔を貸す。
顔をつぶす。面を斬った。面子にかかわる。顔を出す。人を顎で使う。胸を打つ。
胸に納める。胸にいちもつ。胸が裂ける思い。胸さわぎする。胸にえがく。胸にたたむ。

続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.70(昭和62年6月21日)

2019年09月25日 | 長井長正範士の遺文


○その初めに「日本の武道」を最初から拝写すべきですが、私が理解いたしました所から
書かして頂きますので、次回には、その次に判って来ました所を書きたく、従って項目は
ご本と違い相前後致します点何卒ご寛容下さい。以下本文です。

○正身正息
武技の実践には、姿勢を正すということが根本になります。
これを生理的に言うなら、地球の重心に身を委ねて、まっすぐに身を立て、
体のどの局部にも力の凝らぬよう、従って全身が渾然たる球形を成すように身を保つことです。
すると生理の当然として、腰がすわり、首がまっすぐに立ち、下体の中心部に力の中心の座が現われて、
いっさいの動作がその中心の力によって行われることとなります。

ですから、ここに支配する理も、上来述べてきたった武の哲理と同じことで、
身を正す上の生理はそのまま哲学の論理と一致するのです。
武技の動作はいろいろの形を採りますが、動作のどの切断面においても、
全身の筋肉が常に落ちつき切り、一々の動作がいつも「全」の表現であるように、
いわば「神ながら」の動作であるようにふるまうのが、正しい動作となります(「動中静あり」)。
またそのようにしてでなければ、技、神に入るの名人芸はできません。

このことは武道に限ったことではなく、身をもってするいっさいの芸道にも通ずることです。
下体に現れる力の座は、これを丹田と称え、日本では武道、武芸の士が、
何ごとも腹又は腰の力でするようにということを大切な心得としています。
ただし、丹田は全身の力の座ですから、特に下腹を意識して(即ちそこを一局部視して)
そこに力を集中するのではなく、全身の筋合いを調え(ととのえ)、
丹田におのずから力の現れるように、身を渾然と持つのです。

○丹田の所在を確かめる容易な方法があります。
それは、息を吐いて胸を虚にし、残った息で笑ってみることです。
すると腹部がキュッと締まりましょう。その締まる所が全身の力の座、即ち臍下丹田です。
あるいは、つばを呑みこんで、それを腹の底に納めてみます。
すると下腹がキュッと締まって、それを迎えます。笑う際には下腹に力がちょっと脱けて、
息が瞬時に吸いこまれましょう。

笑いにおける、けいれん的な右の呼吸を、一筋に平静に行うのが「丹田息」と呼ばれ、
武道、武芸など、いっさいの身行(しんぎょう)における本格的な呼吸となっています。
この正身正息を道として立てたのも日本文化のすぐれた価値です。
それは人間が正しく生活する上の実践的基準を確立したものです。
この正身正息そのものが、坐禅として又、静坐禅として独立にも行ぜられています。

○哲学と身行
仏教では自覚の両極が般若(の智慧)と三昧(の行)として立てられ、
真理の観照道は身行の真実道と不可分のものされる伝統を保ってきました。
「般若-三昧」又は「慧-定」の対極は大乗仏教では「中観-瑜伽(行)」の形で現われましたし
(この項続く)

※瑜伽(ユガ)は梵語yugaの音釈で相応の意味で、主観、客観の合一不二なること。
瑜伽宗は印度の世観の開いた宗派です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.69(昭和62年6月21日)

2019年09月12日 | 長井長正範士の遺文


○文学博士佐藤通次先生について先ず皆さんにご紹介申し上げねばなりません。
先生は九州大学法文学部及び文部省の研究機関を歴任後、
伊勢の皇學館大學兼亜細亜大学の教授から後年皇學館大學の学長になられたお方で、
立派なお人柄の方で国内は勿論、世界的に著名な哲学者であり、ドイツ語の学者であり、
わが国神ながらの哲学を論理化するために主力を注がれ、多くの著書を発表しておられます。

さて実は私の長女(現、府立金剛高校教諭「国語」(結婚して峯畑の姓)春美42才)が
昭和37年4月皇學館大學の国文学部に入学させて頂いた時、佐藤教授に初めてお会いし、
それから四年間、先生より娘、私と家内共、大変な慈愛あふるるご薫陶を受けたのであります。
その間先生の偉大さが月日を経るに従がい益々崇高な御徳を備えられた方だろうと、つくずく敬服いたしました。
お陰で春美が卒業の時、総代として国旗を掲揚し、答辞を読む光栄にて浴したのであります。
私と家内は式場で思わず感涙にむせんだのであります。

あとで、佐藤通次先生に鄭重にお礼の挨拶をして、
先生のいついつ迄もご長寿を祈りつつ娘と共に帰りました。
その後も先生から娘に良いお婿さんがいるが、どうか某大学の医学部を卒業、
博士号をとって医院を開業したての優秀な男子だ。若し春美君よかったら、
相手の男性に話していがと、遠慮がちに言って下さったので私と家内が先ず願ってもない
良いお相手にと乗気になったのですが娘は佐藤先生のご恩情身に浸み有難いが、
ここ当分結婚する意志がないので鄭重にその旨伝え、お礼方々おことわりしたのです。
私達は惜しいて惜しいてたまりませんでしたが本人の意思を尊重してあきらめました。

尚、蛇足でありますが昭和41年3月娘が卒業。
その夏、高校教員採用試験に合格早速採用して頂き、その後英語の教諭、峯畑通と交際を続け、
結婚する事になり、その時の校長竹谷新先生(後府立天王寺高校の校長となられた)
の御媒酌を頂き挙式致しまして、佐藤通次先生にご報告申し上げたのでありますが、
心からよろこんで祝福して頂いたのであります。

初め佐藤先生に気がねしておりましたが、そんな心の小さいお方ではありません。
にこやかな温顔は今も忘れることが出来ません。その佐藤先生が、昭和41年1月21日に開かれた、
新教育懇話会、第64回例会における先生の講演「日本の武道」を先生の御承認を得て同会が発行された、
その本を佐藤先生が自筆で“長井長正様 佐藤通次”と書かれ
「長井さん、参考になるかどうか判りませんが、お暇がありましたら見て頂ければ幸いです。どうぞ」
と下さったのですが、その当時は私も心身共に若く未熟でしたので、読ませて頂いたのですが、
私の頭では無理で、なかなかむつかしく感じていました。

それから時折り拝読させて頂き乍ら今日に至り、部分的に判断がつくようになり、
これは素晴しい、なんで今まで感ずかなんだったのか、と思い、
それ以来何遍も読まして頂き、その都度新たに教えられる個所を発見し、
今更偉大なる哲学者哉と敬服しているのであります。
註:前口上が長くなりましたが、次回はいよいよ本論に入ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.68(昭和62年6月14日)

2019年09月11日 | 長井長正範士の遺文


かかってゆくような感じで30秒もたなんだ事をおぼえている。
おかしな面を打ってゆくと、サッとあえて間をとられるから届かない。
多分、そんな面はいけないよと言われんばかりにサッと引かれて、
私に教えられたのだろうが、その時のことなど、今から想像すると、スッスッと
動かれる足の使い方が本当に見事であった。

それにつけて、もう一つ私が道場で見ておった事を述べておきたい。
それは私の先輩(私が国士舘に入った一年生の時の四年生)の馬田誠さんが、
斎村先生にかかっていかれた、ある日のひとこまである。

馬田先輩は上段が得意で、その日も斎村先生に「ご無礼します」と言って上段をとられた。
先生はよしよし遠慮はいらんよと言わんばかりに竹刀でしきりに上段をとれと合図されていた。

さあ、それからが大変である。斎村先生はスッスッと前へせめられるのである。
その前へ攻めていかれる足運びは又格別早くもないのであるが前に出られて止まれないのである。
一方馬田さんは上段にかぶったのはよいが、その直後先生が中へスーッと入って来られるから
打ちおろすどころか、あとへ下がるばかりで打てない。

見ていると、この状態が少しのどよみもなく先生が攻めてこられるので
馬場さんは上段のまま後へ下りっ放しで道場を廻り始めたのである。
途中、馬田さんは、たまりかねて甲手を打つ、先生は下がられず、
ふところの大きい構えから、ほんの少し手元を下げ或いは引くだけで
剣先はそれで空を打つどころか道場床板をパーンと叩くはめになってしまう。
その直後先生の剣先は馬田さんの、のど元へひっついてゆく、こんな事のくり返しで、
とうとう細長い道場の大方二辺近くまで馬田さんは下がられた。

この間、たしか4~5回は甲手、または面を打たれたが、
いずれも先生のお体にいっぺんもふれた事がない。
私共は息を呑んで見学して斎村先生の偉大さに感服したのである。

あとで、馬田さんが私共に「斎村先生にお稽古願ったお礼に師範室へ行ったところ、
先生は“おい馬田!お前、今日は道場の床を打ちに来たのか”と、
にっこり笑われた」と話された。

ちなみに馬田さんは第2回卒業生(私は第5回、昭和12年卒)で四年生のキャプテンであり、
卒業後、国士舘の助教授時代は上段の名手として全国に有名であった。
然し惜しいことに戦死された。又その時、指揮官としての将校に相応しい勇猛果敢な戦歴でも有名で、
聞くところによると弾丸を受け、毅然そして立ったまま壮絶たる戦死であったという。
さすが九州男子(福岡出身)である。

以上、腰の力から足の運び、斎村先生、馬田さんの話にまで横道に入ったが、
これは大事な話なので、あえて脱線を意識して述べた。
次に腰の大切さに引続いて腹について述べる。(№8.9.10.30の加筆)

○腹について
1)下腹に力を入れるための一手段として、ぐっと両肩を落とす。
2)臍下丹田は臍下約3センチの所をいう。
丹田の丹とはよく練った葉=不老長寿の薬のことを言い、
田とは田畑であり特定のものを作るところ。昔は田=原。原=腹に通ずると解釈した。
3)臍下丹田に力が入ると逆に肩も手も柔らかくなる。
4)臍下丹田は氣海丹田とも言って、氣の集まるところが丹田であるとも言われているように、
心と肉体との鍛錬の大切さがここにある。
5)丹田息によって、下腹部に気力を満たす事が己が生命力をより強く養う事が出来る。
このことは私の長女の大学時代の恩師佐藤順次先生の貴重なお話を次回に拝写させて頂く。

○参考迄に腰と腹とについて日常会話に使っている言葉。本腰。腰をすえる。腰くだけ。腰ぬけ。
等、沢山ある。腹太い。腹が座っている。腹が出来ている。腹をさぐる。腹にいちもつ。腹黒い。
腹わるい。人の娘を腹ませる?これはいけない。正式の字は孕むと書く。等々沢山ある。
日常の会話に身体の一部を使ったものが沢山あるが、これは又、項を改めて書く。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.67(昭和62年6月14日)

2019年09月10日 | 長井長正範士の遺文


○腰の刀について(№26の加筆)今年の2月6日(金)朝、皆さんにお渡しした分です。
1)腰の力によって大きく構えられる。
2)腰の力によって尻べた、太ももに及ぼして発達する。
3)腰の力が入っておれば相手が攻めて来ても、ぐっと応じられるものである。
(この時は、ほんの瞬間であるが、とめ息すること、以前話をした通り)
4)腰で歩くこと。

この腰の大切さは前に話した通りであるが、人間が歩く姿を面白く
三つに分けて申し上げたことをここに改めて書いておく。
1)昔の侍は腰で歩く。
2)暴力団は肩で歩く。
3)芝居の役者は柔らかく歩く。

我々剣道を修行する者は腰で歩くよう心がけねばばらない。
又、へそを前に出すようにして歩けともいわれている。
禅で「歩々是道場」といわれているように、歩くにしても日常茶飯事すべて道場である。
剣道は屋内の板床で修錬するだけがすべてと考えるのは大変狭い考えである。
こんな時代になれば余計道場の中の剣道だけでは視野が狭く日常生活にほど遠く、
人間形成に余り役に立たない。

この「歩々是道場」で剣道を志す者はかくあるべし、
という昔の実話があるので、ついでに書き留めておきたい。

私が国士舘で修行していた時、よく斎村先生宅へ行き、
ある日、こんなお話を聞いたことがある。

斎村先生が大島治喜太先生と二人で北陸方面を武者修行して廻られ、
富山県の富山円という先生のところへ行って、ご指導をお願いしたのであるが、
なかなか直接指導して頂けないので、いらいらして、思い切って先生に、
毎日ご歓待頂くばかりで、直接先生からご指導頂けないのは何故ですか
とお伺いしたら、富山先生は「あんたらのはいている下駄を見たら稽古はつけられん、
下駄の裏をよく見てごらん、外輪にして歩いているもんだから外側が減っておる。
剣道の足運び、あれでいいのかね。足もとの基本からやり直し、道を歩くのも、
この心がけで眞っすぐ歩くようにいつも心得修行してゆく、これが剣道家の大切なところ、
一歩一歩歩くのも道場と心得ないような者には稽古はつけられん」といわれたそうである。

それ以来、。斎村先生は眞っすぐ、スッスッと静かに歩かれるようになったのである。
この先生のお話を直接聞いて成程と感銘を受け或る日、朝稽古のあと先生の
おはきになっている下駄の裏をぬす見して驚いたことに眞っすぐに前の歯、
後ろの歯共に同じ低さに減っているのである。

それからいつしかそんな事を忘れていたが此頃になって一刀流をやり出してから
特に靴のかかとが眞っすぐに減るように歩くことを心がけている次第である。

それにつけても、思い出されるのは、朝げいこで私共が始まる前に整列して
じっと正座してお待ちしておると、師範室から斎村先生、大島先生、岡野亦一先生、
小野十生先生、小川忠太郎先生方が静々と足音立てずじ、入場され、
私共の前に順次に座られた事が、今でも克明に思い浮かぶのである。

その時の斎村先生の歩まれるお姿は「美しい」ひと事である。
具体的に申し上げると勿論腰で歩かれ、足の踏み方は、かかとから絶対に踏まれてない。
むしろ足の前のたなごころからスッとおろされ、
それが何んとも言えない眞っすぐな歩み方であった。

先生のお稽古の足運びは勿論その通りであった。
先生には余り技はなく、何んの変哲もない、お方のように思ったが、
初めて先生にかかっていった時、それはそれは大きく、遠く、頑丈で、
丁度うどの大木に(№68に続く)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.66(昭和62年6月12日)

2019年09月07日 | 長井長正範士の遺文


○人間というのは人と人との間と書くことは皆さんのご承知の通りでありますが、
この間(ま)のとり方が対人関係で大変大事なことと思います。
従って我々はお互いの人間関係を大切にして、修養していかなければなりません。

この修養は人生終る迄修養と心がけ、洋々として死につく。
それまでには日常生活に於いて、憂い、嘆き、悩み、苦しみ、恐れ、驚き、疑い、惑う、等の
幾多の邪念を踏みにじって修養していかなければならない。

ついでに申し上げると、間は国訓で“けん・ま”と言いますが、
この“ま”を使った日常生活の言葉を拾ってみると、居間、欄間、隙間、間に合う、
間に合わせ、間に間に、間延び、間抜け、間引く、間が悪い、間を持たす等、
数え上げればまだまだ澤山ありますが、この間のとり方が如何に大大事か
心に銘記しなければなりません。

剣道に於ける間のとり方のお手本は一刀流であると小川忠太郎先生が仰っています。
一刀流の組太刀の形を修錬しておりますが、私もつくづくそう思います。
そして一刀流をやっておりますと、ひしひしと有難く生き甲斐を感じる今日此頃であります。
これからも益々一刀流組太刀の稽古に精進し
皆さんと共に生きるよろこびを味いたいと思っています。

東大寺の北河原管長は自分が生きているんだというような考えではなく、
私は生きさせて頂いているんだと仰っています。このひと言感銘を受けました。
私も、すべてに感謝報恩の念をもって、
このすばらしい人生を生きさせて頂きたいと思っております。

ちなみに欄間の語源を申し上げておきます。
昔、中国の座敷(客間として上等の部屋)の入口の襖の上の長押(なげし)に
馥郁(ふくいく)として香る蘭の鉢物を置いて飾ったところから、
ここを欄間と言った。従って欄間のある部屋を客間として大事にしていたのです。

○小川忠太郎先生は今の日本剣道形は自然の理法でない。
なぜなら皆が相談して作ったんだからである。
将来これでは駄目だという時代が来たら変えてくれと言われておった。

明治の末に「日本剣道形」が出来てから、いい人が出ていない。
剣道でいいのは古流の形があった時代である。間のお手本が一刀流だと仰った。
小川忠太郎先生にしてこのお言葉あり、恐れ入る次第であります。

私の仕えた吉田誠宏先生も生前たびたび仰っておられました事を思い出します。
降而(くだって)私思いますには、この日本剣道形を古流の形として残しておき
有段者の大人の方に形を研修して貰いたいと思っています。

そして少年には、この辺で新たに基本の形を作ってやるべきだと思います。
少年の試合、試合に明け暮れする昨今、形は稽古の如く、稽古は形の如くと言われるように、
一番大事な少年期にこそ基本の形が望ましい。

中学の1~2年になり一級からすぐ初段を受ける
インスタント時代には余計必要ではないでしょうかが、
少年に突きを危害防止やらさないのに初段を受けるのに旧態依然として
日本剣道形の三本目の突きを課すのはどうかと思うのであります。

然し私は一刀流を前に申し上げましたように17年間やっておりますが、
そのお陰で日本剣道形の大切さも判って来ましたので、
出来れば皆さんも何か一つ古流の形をやって極めて頂きたいと思います。
今の竹刀剣道に一番近いのは我田引水で恐縮ですが
一刀流だと思っておりますので一刀流をお薦め致します。
私が今日あるは一刀流のお陰様だと思ってます。 終り

備考:私の道場では少年用の形として
長正館少年基本の形五本を作りましてずっとやっております。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.65(昭和62年6月10日)

2019年09月04日 | 長井長正範士の遺文


○古いことを知っているだけでは何にもならない。
剣道もそうである。昔の先生は方はこうだった。立派だった。
昔はあんなことも、こんなこともあった。
等々よく知っていることは良いことではあるが、ただ知っているだけでは何もならない。

或る大先生は偉かったと懐古調だけに止まらず現代の社会は何もかも昔より
うんと進んでいるのだから、現代に即応する剣道、現代に活かす剣道でなければ何もならない。
だから自分の他に見られない良い個性を見極めそれを生かし、
工夫して自分で剣道を作りあげていかなければならない。
でなければ今の目まぐるしい実社会に剣道が溶け込み、
剣道即実生活の実をあげることは出来ないであろう。

我々は何か壁にぶつかり、行き詰まりになると、古い事を参考にして考える必要はあるが、
それでも参考になることは少ないのである。宗教で言うなら、坊さんが慈の中にある
八万ものお経を読んでも、明日の事を知らない者は何の役にも立たない。

明日を知る者は智者である。後世を知り、未来を知る。
即ち、過去、現在、未来、三世の因縁を生き抜いて行く。
ここに剣道修行の心得として大切なことである。
以上先師から教わり、私自身徒ら(いたずら)に過去の郷愁にとらわれず、
一刀流を更に極め現代剣道に如何に活かしてゆくかが自分に与えられた使命と心得、
これからも精進してゆきたい。

私は時々日曜の朝、鈴木健二アナウンサーの「お元気ですか」の番組を見て、
自分の勉強の資としている。次にその中で私が成程と感に打たれた話を披露しておく。

○坂田栄男名誉(碁)本因坊のお話
大正9年生ル、今迄64回優勝された。昭和36年には連続7回優勝されている。
これが放映されたのは、去年(昭和61年)の10月19日(日)の朝であった。
お話の要旨。

1)アマは教わるが、プロになると教わらない。又、教えない。故にプロは自分で強くなる。
2)碁は激しく攻めるのと辛棒に辛棒を重ねて凌ぎ打つのと二通りあるが、
  自分は今迄、時代に応じ、この二通りあった。
3)勝負で勝とう勝とうと思ってやると勝から遠ざかるものである。
4)坂田氏は色紙に「傲骨虚心(ごうこつきょしん)」と書かれた。
  これは常に気概をもって生きると同時に、謙虚に、という事で、
若い時、鳩山一郎氏より頂いた言葉だそうである。
5)勝負は気合と気合のぶつかり合いで相撲と似ている。
 即ち気力がなければ勝負が出来ない。集中力は疲れてくると無くなる。
  若い時はよいが、年をとるとうすらぐ。
  故に年をとれば、時間の使い方を研究しなければならない。
  本当の苦手は自分のミスに気がついても泰然自若(たいぜんじじゃく)として
  表情を変えず打つ人だと仰った。
  我々剣道を志す者大いに勉強になると思いませんか。

○剣道は藝術也と№8に書きましたが、往年の日本画の大家、横山大観(明治元年水戸生れ、
東京美術学校第一期卒、学校長、天心の薫陶を受ける)は
「芸術は感情を主とす、世界最高の情趣を顕現するにあり」という事を座右の銘としておられた。
さすが日本一、世界に名だたる芸術家である。以上
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.64(昭和62年6月5日)

2019年08月28日 | 長井長正範士の遺文


○臍下丹田に力を入れることを知っていても、ぬくことを知らない。
自然体の剣道には陰陽上下がある。この事は大変大切であるからあえて加筆しておく。
これに関連した項目は№8.9.10.24.30を見て頂きたい。

○呼吸についても以前お話したように(№6. №30)大切なことなので、もう少し具体的に述おく。
呼吸には吐き息、吸う息、含み息がある。(№10)剣道の最高の呼吸は含み息である。
含み息は胸式や腹式での呼吸をするのではなく殆んど呼吸していないように見えるが、
実は空気を含んでいる口の中だけで呼吸する。これを含み息というのである。

だからフッと出られるのである。このことを先師から習い長年研究して来たのであるが、
これは竹刀剣道で相手を打とう打とうと思って力んでおっては到底含み息で打てない。
一刀流のハッとした瞬時の応じ技の時、思わず打って出た時にのみ含み息で打っている
ことに気がついて、この含み息こそ最高の呼吸だと此頃になって感じている。

但し初めて一刀流を習う時、ともすると先に攻めることを忘れ、
相手が打って来たら、その起こりがしらを打ってやろうと思い、
どうしても待ちの稽古になりやすい。

待ちの稽古は心ばかり動いて迷ってしまう。
これは一刀流の切落の精神に反するもので、含み息どころではない。
一刀流の「一つ勝」は最も高度な先々の先で切落されているのである。
この切落は三年で出来ると小川忠太郎先生は仰ったが、
ひるがえってみると、愚鈍な私は一刀流をやり出してから17年経つが
未だに満足出来る切落が竹刀剣道で表現出来ないでいる。

ただ1年に2~3回、ハッとした瞬間、思わず打って出た無意識の面なり甲手の技を、
あとになって、なんであんな技が出たのであろうと自分でも不思議に思うことがある。
こんな時は恐らく含み息でフッと出たのであろうと思っている。
これを良いことにして再び切落の技を出してやろうと考えていると絶対に出来ないのである。

さて世間でよく言われる言葉に、含みのある人(慈愛のある人)だ、
何事もよく弁えて(わきまえて)心大きく包み入れてくれ、含蓄のあるお方だと言う、
この含みのある人という言葉は剣道から来た言葉である。

次に止め息であるが、これは相手が攻めて来て、打ちを出そうと瞬間、
それに対して応じ技が出ない時、即ち瞬間打たれやしないかと心が動きハッと受け身になり、
己れが竹刀をあげた時は必ずと言って息を吸うている。
こうなるときまって打たれるのである。

この時迷わずハッと瞬時息を止める。
そうすると無意識に竹刀の先を相手の、のど元へつけて構えている姿勢になっている。
言いかえれば迷えば瞬間止め息をすることである。
然しいつまでも止め息で力んでは技も止まり、そのあとに打たれる事必定、
止め息ははあくまで瞬間で迷いの心をぐっと押さえるに用いるのである。
その他の場合には止め息はしない。

○剣道は自分の修養のために行うものである。
ことは前回№63に述べたが、修養のためには自己を減却して修行しなければならない。
スピードと力で叩くことばかり考えて練習することが剣道を考えているのは間違いである。
もう少し守りを中心に考えねばならない。
あらゆる形は皆、己を守るために作ってある
(この守りは打たさないようにする受け方の意味と勘違いしないように)
この形を中心にして竹刀剣道の修錬を積めば、自らその眞理をつかむ事が出来るであろう。終り
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.63(昭和62年6月5日)

2019年08月24日 | 長井長正範士の遺文


○修養とは
ひとことでいうと、自分の欠点に打勝ってゆくことをいう。
そして心の修養の位で攻めるも道の大切なところである。

さて我々剣道を修行する者は、物の大切さを考えると同時に
自分の肉体の大切さを考えねばならない。
そして健全なる肉体から生ずる心の持ち方を修養してゆくのである。

○日本は世界位置長寿の國といわれているが、女性が80才、男性が75才まで伸びており、
誠に結構な話であるが、それでよろこんでいてよいのであろうか。

それ等の老人達に長生きして幸せかどうかを聞いてみると、
その殆どの人達は思いやりのない社会で生きてゆくのが、
とても淋しいと言っているようである。

故に一家族の肉親愛を外へ広げてゆく、即ち人間愛まで高めてゆくことこそ大切である。
これには先ず自分の住まいの手近な地域社会のお互いを助け合いをし、
やがては大阪人なら大阪を愛し(郷土を愛し)近畿を愛し、
日本国民を愛するまで輪を拡げ、愛国精神に目覚めなければならない。
ここに剣道の意義があるのである。
実に剣は愛なりと言いたい。

○感謝謝恩について。
曽て(かって)吉田誠宏先生と八幡の円福寺へ修行に行った時のお話。
雲水は食事のあと、茶碗を拭く。
これはどれだけ綺麗に食べても、のりが三粒分ぐらい残るので勿体ないからである。
だから水で洗わないのである。

雲水は三勺の米でお粥一人分である。三合の米をお粥にして十人で食するのである。
吉田先生が曽て禅の修行に始めて入られた時、雲水が食事したあと、
そのお粥を食べられるのであるが、おも湯ばかりで、米粒一つも残っていない。

よくもまあこんなに上手に最後の米粒まで掬って(すくって)食べたものよと感心し、
腹ペコペコでそのおも湯ばかり飲んでた。
ある日のこと、おも湯を飲もうとしていたところ、炊事係の雲水が
「吉田さん、川へ行って来なさい」と言われたので、
何んのことか判らないまま、すぐ近くの小川へ行ったところ、
何んの変わったことも無いので、暫く思案していたが、ハッと気がついたのである。

そこに百姓さんが、大根や葉っぱを洗うところがあって、
そこに葉っぱの切れはしや、黄色い葉っぱを捨ててある。
これを見て「ああ、そうだ、これを拾うてこいと暗示してくれたのだと喜こび、
持って帰って、きざんで、おも湯の中へ入れて炊いて食べようとしたが、
如何に腹ペコでも水くさくて食べようがないと思った時、
雲水が黙ってひとつまみの塩を茶碗の中に入れてくれた。

その美味しかったこと、生涯その味は忘れられない。
有難くて涙が一杯出たのである。
私はお膳のお粥を前にして思わず先生のお話に心を打たれ、
とどめなく涙を流したのである。

その時のお粥の塩加減のよさ、温かさ、とろっとしたねばりの美味しさは
今も口中に残って忘れる事が出来ない。
禅宗では、このことが、即ち健康に対する精神的な救われになってゆくのである。
感謝報恩の生活をしてゆく。そこに人生のよろこびある。

○吉田誠宏先生の一日。
午前6時起床、寝床で体操、発生げいこ。道場参拝、四股(しこ)を踏む。
打込台に対す。静中動あり、動中静ありを修業する。大木太刀で素振りする。
(この素振用の木刀は誠に重いもので、椿の古木で作られたもの)
朝食、畑仕事、夕方道場へ参拝、後、午前に同じ。
夜10時就寝。睡眠時間は8時間である。以上が先生の日課であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.62(昭和62年6月1日)

2019年08月20日 | 長井長正範士の遺文


ままを受け入れ、生かしたのです。人の失敗を許す心、とがめない心は、
まさにすべてを受け入れることの出来る開かれた心と言えましょう。

○利己心は心を曇らせる。
我々の心には」、こうしたい、ああもしたい、これが欲しい、
あれが欲しいというような、さまざまな欲求があります。

それ自体は善でも悪でもありません。然しともすると他人や社会の利害を考えないで、
自分の欲求だけを満足させたいとする自分中心の心が働きやすいので、
これ等は利己心と言えましょう。

相手の立場に立ち、相手を理解し、受け入れる心を開かれた心というなら、
閉ざされた心はこの利己心と言えるでしょう。

人を非難したり、妬んだり、自分をよく見せたいというような気持も利己心です。
これは仏教でいう煩悩にあたるでしょうか。

物や名誉、権力などを限りなく欲しがる心、このような利己心をもっていると、
物事を正しく見、正しく考え、正しく行動することが出来なくなります。
その結果、失敗しても「すみません」という素直にあやまることが出来なかったり、
人の善意を「有難う」と素直に受けとれなくなってしまいます。

更に、自分の間違いを正す勇気も持てずに、
色々と理屈をつけては自分の立場を貫こうとします。
然もそれが正しいことだと思い込んで人に痛みや、苦しみを
与えているのにも気ずかないことが多いのです。
人生のさまざまな悩みのタネはこの利己心が作っているのではないでしょうか。

○利己心を取り除いていく
「論語」の中で、門人が孔子の人格をたたえて
「意なく、必なく、固なく、我なし」と述べています。

「意」とは自分の考えだけで判断するということ。
これは自分勝手な考え、自分本位の行動が全くなく、どのような場合でも
相手の立場を思いやって行動することの大切さを述べています。
つまり自己にとらわれる心、利己心を取り除くことが大切だということでしょう。

では私たちの心を曇らせている利己心を取り除いていくにはどうしたらよいのでしょう。
それには先ず一つの例をとって話してみたいと思います。

○ここにガラスのコップの中に墨汁が一杯入っているとします。
その中へ、少しずつ綺麗な水を注ぎ込んでゆくうちに、
やがてコップの中は綺麗に澄んだ水へと変わっていくます。

かりにこのコップを私たちの心とします。中の墨汁は利己心です。
すると注ぎ込む綺麗な水は一体何でしょう。
それは相手の立場に立ち、相手を受け入れる素直な心、開かれた心と言えるでしょう。

例えば人を育てようとする低い、やさしい心、すべての人に対する深い思いやりの心です。
人に満足や安心を与える心、人の長所や功績を認め、欠点があれば補っていく温かい心です。
これ等を道徳心、又は慈悲の心とも言えます。
このような考えから自分の閉ざされた心がだんだんと開かれ、向上し、
思いやりにあふれてくれば、相手のよい点がよく見えてくるものです。

以上はニューモラル(新しい、これからの道徳)の教えであり、
私自身、一刀流の切落の精神と相まち剣道即実生活の實を挙げたく、
これからも益々修養を重ね剣は愛愛なりの精神を体得すべく
皆さんと共に精進して行きたいと思っております。
この項 終り
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.61(昭和62年6月1日)

2019年08月18日 | 長井長正範士の遺文


◎朝げいこの皆さん、その後、京都大会や何やかやで暫く私の話をコピーして
皆さん、お渡し致しませんでしたが、4月17日(金)の朝、お渡し致しました分から
整理して漸(ようや)くまとめましたので、再びコピーしてお渡し致したいと思います。

ちなみに、今迄の№1から№60までひと区切りにし、第一編とでも致しまして、
№61からは新たに第二編のつもりで述べて行きたいと思いますので、
又、総論のような所から入ってゆきたいと思います。

○日本の国体ほど大宇宙の眞理に叶った国は世界中にない。
1、天照大神=天照(あまてらす)=太陽の事であります。
2、日本という國名と国旗、日の丸を考えて頂きたい。
3、神武天皇は武の神様であります。
4、日本は天皇と申し上げる。即ち天の皇(御子=皇)と言います。
5、他国は天皇という名称はありません。皇帝とか、大王、王、帝王という名称はあっても
天の皇(みこ)は日本の国だけであります。
この項は№26の国体の項に続いて心にとどめて頂きたい。

○心について
1、心から出た言葉は相手の心に響く。
2、心を磨けば顔も輝く。
3、心のたんれんした者は技が正しい。
4、心廣体胖(ひろし=寛大さの意)=四書の中の大学にある。
即ち心広ければ肉体も豊か(ゆたか)。心と肉体がひろくゆたかであること。
更に進んでは心せまく、わが肉体の煩い(わずらい)を、くよくよと気にしてはいけない。
病は気からと言われるように心を病に止めず心を大きくもってすれば体もゆたかになり病気しない。
ということで、これを額に書いて湯川胃腸病院の待合室の正面に掲げてある。
湯川院長のお兄様である、故、湯川秀樹博士の書かれたものである。
私はこれを見て大変教えられたのである。
流石、湯川胃腸病院の評判のよいのは、ここに在ると、
つくづく湯川先生の仁術に感銘を受けたのである。
とかく此頃の医者に気をつけなければならないのは算術の藪医者の多いことである。
心すべきである。
5、心は外に出すものではない。体内に安らかに納まっておらなければならない。
剣道で打とう打とうと思い続けて叩き合いするのは
心が外に表われ心が動き相手にも心を迷わせられるのを戒めねばならない。
昔からよく歌われている歌に“心とは如何なるものを謂うやらん、
墨絵に画きし松風の音”胸に手を当ててよくよく吟味すべきである。
心については№6、21等、再度読んで頂き修養のかてとして頂きたい。
尚、以前、口頭で言いましたが
“心とは心に迷う心なり、心に心、心変るな”
生涯修養である。次に心に関する一つの物語を記しておく。

○或日、ある寺の和尚が庭に咲いた由緒ある椿のひと枝を、小僧に命じて
茶人宗旦(千利休の孫で千家流茶道を創立した江戸時代の茶人)のもとへ届けさせました。
ところがどうしたわけか、椿の花は途中で落ちてしまったのです。
小僧はビクビクし乍ら、宗旦に自分の失敗を詫びました。
ところが宗旦は小僧を茶室に招き入れると、床の間に、利休作の竹の花入れをかけ、
その中に椿の枝を入れ、花入れの下に落ちた花を置きました。
そして薄茶一服を点じて「ご苦労さん」と、労をねぎらったというのです。

この逸話を聞いて某氏は、ほっと心に安らぎを覚えたのです。
労をねぎらうというのは相手を大切にする心の表れです。
宗旦はビクビクしている小僧さんの気持ちをすっぽりと包みました。
そして落ちた椿の花もそのあるが(この項 続く)

註:№53に昔の武士訓の心を紹介しておきました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.60(昭和62年4月12日)

2019年08月17日 | 長井長正範士の遺文
主なものを挙げてみると。



備考
まだまだ澤山あるが、このくらいにとどめておく。
何かの話のあやにもなれば幸いである。 この項 終り。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする