突然ですが、おうちを建てます☆

お菓子作り、お庭、ハーブ、料理、うちの犬のことなどについて書いています。

ひとりごと(バジル)

2009-05-20 09:28:23 | ひとりごと
*注 タイトル「ひとりごと」では建築日誌はかいていません。建築日誌をご
欄になってくださる場合は、2008年の記事をごらんください。




うちのバジルは綺麗です。
3株のうち、1つはかなり虫に食われています。
でも、元気なので、そのまま様子を見ています。
(虫の姿は見えないので、多分ヨトウムシのせい)

ベニシア・スタンリー・スミスさんの本の中で、次のような文章を読みました。

「ベニシアのハーブ便り ― 京都・大原の古民家暮らし 」
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%99%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%96%E4%BE%BF%E3%82%8A-%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%83%BB%E5%A4%A7%E5%8E%9F%E3%81%AE%E5%8F%A4%E6%B0%91%E5%AE%B6%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97-Venetias-Ohara-Diary/dp/4418075038

「ある学者の研究によると植物は害虫から身を守る自衛策を持っているということです。ある程度の量の葉を虫や動物に食べられることにより元気になる植物がいくつかあります。ところが、…」


また、虫に食われたハーブは、何かの成分を体内に出すため、よりおいしくなるらしい(科学的根拠不明)、というのも読んだことがあります。

真偽のほどは定かではありませんが、うちのバジルがもう少し大きくなったら、試食してみようと思います。
そして、以前、アパートのベランダで育てていたバジル(今はない)と味比べをしてみようと思います。
(ベランダのバジルは、ものすごくいいかおりで、美味しかったです)


バジルはとても綺麗です。
色が綺麗です。
植物は物じゃなくて、生きているんだなあ、っていう感じが見えます。
なにかをオーラのような感じが、バジルの周りにあります。
(見えませんが(^^ゞ)

ベニシアさんの文章を読んで、人間も同じかも、と思いました。
人間も困難とかあって、そうすると、体や心の中から何かが出てきて、より、綺麗になるのかも。
余計なものがそぎおとされ、本当のその人らしさが、出てくるのかも。

たまたま最近「艱難汝を玉にす(かんなんなんじをたまにす)」という言葉も読み、また、同じように思いました。


苦労があるのは当たり前で、人を磨いてくれる、ということは多分、みんななんとなく知ってるんだと思います。
だから、
「こんなことがあった」
ってぐちを聞いてもらうと
「そういうこともあるよね」
という言葉をくださるんだと思います。

でも、贅沢にも私は聞いていただき、そのお返事を いただくだけでは、心のもやもやは晴れませんでした。
だから、私はさらに自分を責めました。
「みんなこうやって支えあって生きているのに、なんで私はそれができないの?」
今ある現状に感謝していない自分を責め、さらにぐちを言っている自分を責め、聞いてもらっても、さらに気にしている自分を責めました。
そして、責める事で、気にすることを強く強く押さえつけようとしました。

押さえたら、何も気になることもすぐに忘れられるようになりました。
そして「これが大人なんだ」と思えました。

でも、違っていたようです。
それは体が徐々に教えてくれるようになりました。
押さえる、という経験がどういうものかを体験しました。






最近まで「自分よりも他人を優先する」べきと思っていました。
そういう人をみると「すごいひとだなあ」と思いました。

でも、実際にそうやってみると、心の中でなぜか「もやもや」することがありました。
なぜか、そうしたくない、という気持ちがありました。

私は「自分よりも他人を優先する」ということを実行できるようにするために、自分を「どうでもいい存在」にしていました。
今では、おそらく、その「もやもや」は本当の自分が「それは違うよ」と言っていたんだと思います。

最近になり、自分を大切に思うことの大切さを知りました。

「押さえていたこと」についても、昔だたら「じゃあ、今度から押さえるのをやめてよう」とやり方を変える、と言う感じで対応していたと思います。
ただ、今回はその「押さえていた」ときの気持ちをみていきました。

すると、それは「私を守ろうとしていたんだよ」というやさしい気持ちでした。
その気持ちを感じると、穏やかな気持ちになります。
昔だったら、そんな「自分を守る」なんて受け入れられない、許せない言葉でした。
今は、それは頭が自分をコントロールしていたと知っています。
「押さえていた」のは、きっと「私は私を大切に思っているよ」と気が付いて欲しくて起こったことだったような気がします。


「押さえていた」ことで、辛い気持ちになりました。
でも、それは私が私への愛情をもっていたから、私をこれ以上辛い思いをさせないようにするために、していたことでした。

こう思ったとき、同時に親のことを思いました。
「小さかった頃、なんであんなことをされたんだろう」
今でも消化できていない、子供のころに辛い気持ちになった記憶がありました。
頭では理解しようとしていても、気持ちがもやもやしていることがありました。
でも、今はそれが本当に愛情からしてくれたことだった、と素直に感じられています。
辛さの感じよりも、より愛情のほうを感じています。
今はそれがうれしいです。




話が少しそれてしまいました。
バジルは押さえるよりも、出していくと、どんどん綺麗になる、ということを見せてくれているように思います。

(写真は
フリー素材屋Hoshino
http://www.s-hoshino.com/kiyaku.html
からコピーさせていただきました)

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