頑張れ!じゃがいも3兄弟!自分に甘く、子供に厳しい親父の日記パート2

この日記は、子供達の日々の成長や反省を書き綴り、子供達の成長を真に願う方々と熱く語れる場になればと思い作成しました。

敵対心

2021年04月19日 | 日記

別に、自分に自信があるわけではないけど、ここ最近、人に対して敵対心を持つことは少なくなった。

人に敵対心を持つ理由は劣等感だったのか何だか分からないけど、自分にないものを持っていたり、羨ましい気持ちが敵対心に変わっていくことってあるのかなと。
 
でも、やっぱり思いおこしても、苦手、嫌悪感ってのはあっても(これは人よりありそう)敵対心ってのはそこまでなかったと思う。
 
自分のことに精一杯で、敵対心を燃やす程、時間の余裕がなかったという感じかなと。
 
また、敵対心を持たれても、これは相手が思うことであって、一応心当たりは模索しますが、自分から攻撃したわけではないので、あまり気にはならない。
 
自分は人から崇められたいと思ってないし、人と群れたいとも思っていない。
 
純粋に我が子やその時代を共にした仲間と同じ目標やルールを掲げてやっていただけだったけど、それを見て『何であいつが・・』と敵対心を持つ人がいたり、『あ、この人(このチーム)やたら敵対心持っておられるな〜・・』と感じることはあった。
 
でも、敵対心を持たれる覚えなんてないと自信を持って言えたし、たとえ持たれたとしても煽ったり、攻撃したりはしない。
 
そんなところに時間やエネルギーを使いたくない。
 
当然、敵対心を持たれてる相手にいい顔する程人間は出来てないんで、心は閉ざすし、結果で勝負するだけだと静かに燃えるだけ。
 
ま、敵対心を持ったり、持たれたりと、人と生きてたらあるんでしょうけど、時が流れて、『あ、あの人、こういう意味で言ってたんだな』と自分の若さを反省することもあるし、また、敵対心を持たれていた人を見て、『あ、この人、変わったな』と感じることもあります。
 
若さゆえの劣等感は人との出会いや経験によって変化していくし、劣等感や負けを糧にする人は強いと思うし、ただ劣等感で敵対心を燃やす人は、ただ敵を作っているだけで成長しない。
 
その差は大きい。
 
間違いなく大きい。