今日は仕事絡みで一人のお客様と接したのだが話を聞いてみると東北地方から札幌に来て3ヶ月とのこと。
さり気なく「札幌どうですか!?」と聞いてみたりしたのだが、
そのお客様の応答、仕草、雰囲気、会話の内容が私にはとても寂しく感じた。
敢えて具体的な会話例はここでは伏せておくが、
「札幌社会に馴染めない」「札幌生活が楽しくない」「札幌生活が孤独で寂しい」
という様に私には聞こえた。
あの時のお客様と似ているというか、やはり思い出させられる出来事でもあった。
(参照:忘れられないお客様)
余程このブログのことを教えたくもなったし、何も出来ない自分の無力さを痛感させられながら私は帰路に着きました。
帰りの運転中に私はこんなことを考えていました。
「札幌市外(道内、本州)出身者を中心にした気軽に行けるようなコミュニティカフェ、飲み屋的存在の集まり場を作ったら楽しいだろうなー」
「俺にもっと力があれば直ぐにそういうのを作るのになー」
「他の誰かがそういう類のものを作ればそれはそれでいいんだろうけど、やっぱり自分でやってみたいなー」
「俺がやりたいし、俺がやらなくちゃ!」
「今の自分の力の無さを糧にして頑張ろう」
そんなことを考えていると歯がゆくなってきました。
このブログ等を通したネット上の声を聞くのもそうですが、
実際に間近で対面した方から札幌社会に苦労しているような実情を感じると、より一層リアルに私の意識に伝わってきますし本当に何とも言えない気分になります。
札幌社会に違和感を感じている人間に何かを与えられるような力が欲しいと痛感をさせられました。
これを糧にして今後より一層がんばっていこう。
がんばりましょう。
さり気なく「札幌どうですか!?」と聞いてみたりしたのだが、
そのお客様の応答、仕草、雰囲気、会話の内容が私にはとても寂しく感じた。
敢えて具体的な会話例はここでは伏せておくが、
「札幌社会に馴染めない」「札幌生活が楽しくない」「札幌生活が孤独で寂しい」
という様に私には聞こえた。
あの時のお客様と似ているというか、やはり思い出させられる出来事でもあった。
(参照:忘れられないお客様)
余程このブログのことを教えたくもなったし、何も出来ない自分の無力さを痛感させられながら私は帰路に着きました。
帰りの運転中に私はこんなことを考えていました。
「札幌市外(道内、本州)出身者を中心にした気軽に行けるようなコミュニティカフェ、飲み屋的存在の集まり場を作ったら楽しいだろうなー」
「俺にもっと力があれば直ぐにそういうのを作るのになー」
「他の誰かがそういう類のものを作ればそれはそれでいいんだろうけど、やっぱり自分でやってみたいなー」
「俺がやりたいし、俺がやらなくちゃ!」
「今の自分の力の無さを糧にして頑張ろう」
そんなことを考えていると歯がゆくなってきました。
このブログ等を通したネット上の声を聞くのもそうですが、
実際に間近で対面した方から札幌社会に苦労しているような実情を感じると、より一層リアルに私の意識に伝わってきますし本当に何とも言えない気分になります。
札幌社会に違和感を感じている人間に何かを与えられるような力が欲しいと痛感をさせられました。
これを糧にして今後より一層がんばっていこう。
がんばりましょう。
事情があり北海道を離れられず、JR北海道(典型的な札幌企業!)の運行姿勢から故郷・旭川からの通勤にも踏み切れず札幌に暮らしていますが、札幌では心穏やかになりにくいです。
特に以下3点については、強く違和感を感じます。道外で同じことをすると、血を見かねません。
(1)「○○ですよねぇ↑」と、食って掛かる口調。
我を押し通し、執拗に同意を求める姿勢に、厚かましさを感じます。
自分優位を保つために、他人を不愉快にさせる話し方をする必要があるのでしょうか。
(2)細部への異常なこだわり。
外見を完璧に整えたつもりでも、基礎や骨組みが強固でなければ勝負になりません。
札幌人は重箱の隅をつつく割に要所の詰めが甘く、残念。
(3)運転の荒さ。
ハイスピードで交差点に突っ込む車に、高速道路で合流を妨げる本線車両に、肝を冷やします。
速さを求める余り事故を起こし、ケガをし車を壊しては、元も子もないような気がしますが…。
自分の感覚がおかしくなったのでは?と思い、3日間東京・大阪を歩いてみましたが、札幌人ほど無遠慮な人種はいないとの結論に達しました。周りに毒されずに生きようと、思いを新たにしたところです。
札幌外出身者のコミュニティがあれば、是非参加したいです。
札幌批判に終わらず、小さな輪からでOKなので多様性を尊重し向上しあえる場があれば、救われる人も多いと思います。