嫌・札幌のお茶会を終えて10日。
私の中での確かな変化を感じています。
基本的に札幌が嫌いだという考えは変わっていないのですが、
札幌市内で送る何気ない日常生活においては不快な感情が明らかに薄くなってきました。
その思考背景には「あれは札幌人だから仕方が無い」と理解をするようになってきたのです。
「あれは札幌人。私も札幌人ではあるが、それとは違う方向性を目指しているだけだ」と理解をするようになってきたのです。
今までは札幌市内に住みながらも物理的に札幌社会を徹底的に避けるべきものとして生活をすることで心の平穏を保つようにしてきました。
例:札幌の街中には行かない、札幌の交通網を使わない、札幌市内の組織で働かない・・・など
(上記の例を実践できるだけでも随分違うはずです)
これからも私は必要以上には札幌社会の土俵に入らずに避けるべきものとして生活をしていくと思います。
そして今、私が身に付けつつあるものは精神世界においても札幌社会の土俵に立たないようになってきていることです。
考え方を会得して意識が変わり理解をすることで嫌いな札幌に対する不快感、ストレスが減り自分の中で前向きになってきたと思います。
今後もこのバランスを守りつつ向上していこうと思う限りです。
また一つ、ネオ札幌人(*)にちょっとだけ近づいた気がします by札幌が嫌いな管理人
そして未だに何度も何度もお茶会の時のことを思い返して振り返っています。
読者の方からは今までもコメント、メールも頂いてきましたがやっぱり顔と顔を合わせた生のお声はまた違うなーと感じております。
その感じたことが自分にとってすごく大事なことなんだと認識をしています。
それを今後の自分の生活なり嫌・札幌活動なり将来の目標に向けてどう繋げて活かしていくか。
それが一番大事かなーと思っています。
*ネオ札幌人とは?
→札幌に住みながらも札幌社会の悪影響を受けず札幌社会の土俵に立たずして札幌社会の好影響を受けて札幌社会を楽しむことが出来る大多数の典型的札幌人とは違う特権階級的存在。
私の中での確かな変化を感じています。
基本的に札幌が嫌いだという考えは変わっていないのですが、
札幌市内で送る何気ない日常生活においては不快な感情が明らかに薄くなってきました。
その思考背景には「あれは札幌人だから仕方が無い」と理解をするようになってきたのです。
「あれは札幌人。私も札幌人ではあるが、それとは違う方向性を目指しているだけだ」と理解をするようになってきたのです。
今までは札幌市内に住みながらも物理的に札幌社会を徹底的に避けるべきものとして生活をすることで心の平穏を保つようにしてきました。
例:札幌の街中には行かない、札幌の交通網を使わない、札幌市内の組織で働かない・・・など
(上記の例を実践できるだけでも随分違うはずです)
これからも私は必要以上には札幌社会の土俵に入らずに避けるべきものとして生活をしていくと思います。
そして今、私が身に付けつつあるものは精神世界においても札幌社会の土俵に立たないようになってきていることです。
考え方を会得して意識が変わり理解をすることで嫌いな札幌に対する不快感、ストレスが減り自分の中で前向きになってきたと思います。
今後もこのバランスを守りつつ向上していこうと思う限りです。
また一つ、ネオ札幌人(*)にちょっとだけ近づいた気がします by札幌が嫌いな管理人
そして未だに何度も何度もお茶会の時のことを思い返して振り返っています。
読者の方からは今までもコメント、メールも頂いてきましたがやっぱり顔と顔を合わせた生のお声はまた違うなーと感じております。
その感じたことが自分にとってすごく大事なことなんだと認識をしています。
それを今後の自分の生活なり嫌・札幌活動なり将来の目標に向けてどう繋げて活かしていくか。
それが一番大事かなーと思っています。
*ネオ札幌人とは?
→札幌に住みながらも札幌社会の悪影響を受けず札幌社会の土俵に立たずして札幌社会の好影響を受けて札幌社会を楽しむことが出来る大多数の典型的札幌人とは違う特権階級的存在。