(続き)
2.札幌を嫌いではなくなる
札幌を好きになるとは言わずとも、少なくとも嫌いではなくなるという方向性に昇華していくことも合理的だろう。
どうやったらこの札幌社会を嫌いではなくなるか?
という問いを自分自身に投げかけてみたが具体的な回答が直ぐには思い浮かばなかったのが正直なところだ。
それはもちろん私が筋金入りの札幌嫌いだという私の個性が少々極端なのかもしれないが、
しかしその領域に至る前の段階での札幌嫌いのレベルであればまだ間に合うのではないかと思う。
ところで私は幼少期の頃から野菜と魚があまり好きではなかった。好きか嫌いかで言えば嫌いな方だった。
大人になった今の私は野菜と魚が決して好物だとは言わずとも、絶対に食べたくないと思うほどに嫌いだとも思っていない。
食の好みの変化、苦手克服などは良くありそうな例かもしれないが、それと同じ原理で札幌嫌いも克服できるかもしれない。
もちろん今の私にとっては札幌を嫌いではなくなる必要性が全く無いというのもあるし、札幌を嫌いではなくなる自信も全くないが。。。
例えば私が今、億万長者クラスの人間になれば一時的には札幌が嫌いではなくなるかもしれない。
(その様な現実からかけ離れ過ぎたようなショックがあればということである)
しかしそれは同時に自分を見失ってしまうということでもあり、時間が経てば結局元通りになってしまうとも思うので根は何も解決していない対処法に過ぎないのだ。
人にもよるのかもしれないが札幌を嫌いではなくなるということは決して簡単ではないかもしれない。
ましてや1度嫌いになった経験があるのなら尚更だろう。
嫌いになった札幌で生活をする上で自分がどうやって豊かに生活をしていくかという考えを念頭に置きながら、
軌道修正に軌道修正を重ねた結果として気づけば札幌が嫌いではなくなっていたという心境が自然であり理想ではないかと思う。
(続く)
2.札幌を嫌いではなくなる
札幌を好きになるとは言わずとも、少なくとも嫌いではなくなるという方向性に昇華していくことも合理的だろう。
どうやったらこの札幌社会を嫌いではなくなるか?
という問いを自分自身に投げかけてみたが具体的な回答が直ぐには思い浮かばなかったのが正直なところだ。
それはもちろん私が筋金入りの札幌嫌いだという私の個性が少々極端なのかもしれないが、
しかしその領域に至る前の段階での札幌嫌いのレベルであればまだ間に合うのではないかと思う。
ところで私は幼少期の頃から野菜と魚があまり好きではなかった。好きか嫌いかで言えば嫌いな方だった。
大人になった今の私は野菜と魚が決して好物だとは言わずとも、絶対に食べたくないと思うほどに嫌いだとも思っていない。
食の好みの変化、苦手克服などは良くありそうな例かもしれないが、それと同じ原理で札幌嫌いも克服できるかもしれない。
もちろん今の私にとっては札幌を嫌いではなくなる必要性が全く無いというのもあるし、札幌を嫌いではなくなる自信も全くないが。。。
例えば私が今、億万長者クラスの人間になれば一時的には札幌が嫌いではなくなるかもしれない。
(その様な現実からかけ離れ過ぎたようなショックがあればということである)
しかしそれは同時に自分を見失ってしまうということでもあり、時間が経てば結局元通りになってしまうとも思うので根は何も解決していない対処法に過ぎないのだ。
人にもよるのかもしれないが札幌を嫌いではなくなるということは決して簡単ではないかもしれない。
ましてや1度嫌いになった経験があるのなら尚更だろう。
嫌いになった札幌で生活をする上で自分がどうやって豊かに生活をしていくかという考えを念頭に置きながら、
軌道修正に軌道修正を重ねた結果として気づけば札幌が嫌いではなくなっていたという心境が自然であり理想ではないかと思う。
(続く)
個人的に私は札幌を好きになろうという方向性ではありませんし、好きになる必要がありませんしね。
札幌住民に向いていないことが札幌住民になってはいけない理由にはなりません。
それだけで引越しを強制させるような方が札幌から居なくなって欲しいなーと思われるのではないでしょうか?
ちなみに私も大変面倒くさがりです。
コメントが同時進行になっていたようですみません。
北大生さんがおっしゃっているように「一つ目のコメントがいかれている」という自覚があったのなら、最初から二つ目のようなコメントをいただきたかったなーというのが正直なところです。
ちなみに二つ目のコメントに関しては私も同感です。
一度嫌いになったもの(札幌)を「好き」に昇華させていくのは、それこそ本当に何十年レベルの努力が必要かもしれません。
札幌を「好き」とまでは言わずとも、嫌いにならない程度でも決して簡単なことでもありませんしね。
>>北大生さん
はじめまして。spike55です。
道内生まれ、15年程首都圏に暮らし札幌にUターン、今も月数回東京で仕事する者です。
人間、基本的に面倒くさがりです。しかし、
・基礎を固めること(学習)を放棄する「手抜き」
・基礎が固まった後の「手抜き」
両者には大きな差があります。
また、マイペースで生きることは大切ですし、私も基本はマイペースを守ります。しかし、
・他者を尊重した上の「マイペース」
・自分が上位、他者は下位を前提とした「マイペース」
これも両者大きな差があります。
自分の感性と他者の多様性を大切にすること、それは大変なことですし、人によっては面倒と感じるかもしれません。札幌人の多くに欠けるマインドの一つとも思っています。
私も、札幌の好きなところ・嫌いなところは峻別できているつもりです。札幌社会に毒されているとお感じなら、大変でしょうがその感性を大切にしていくことを強くお勧めします。「違っていること」を尊重することが、人生を豊かにすることにつながるからです。
spike55さんのおっしゃること、凄く良くわかりますよ。
その多様性、「違っていること」を尊重することが人生の豊かさに繋がるのですが、まぁ札幌社会に入ってみると面白いくらいにそれがありませんねw
言い換えればそれだけ札幌社会が豊かではないということを札幌社会と関わっていたころに散々身を持って体感をしてきたのが私の札幌生活でもありました。
北大生さんの言われるように確かに言葉にするよりずっと難しいケースも多々あるのですが、せめて自分の知人友人、仕事仲間など間近な方や、或いは札幌が嫌いな方同士の間でも、そのような多様性を尊重しあえるような関係を作っていきたいと思います。