渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

フェイス

2016年06月30日 | バイク・車



新型メルセデス・アマーゲーGTR。
ぐへっ。漫画みたいな顔に見える。
なんだかチキチキマシン猛レースに出てきそうな感じ。

あまり品があるようにはおいらは見えない。


でも、お好きな方はお好きなのでしょう。

あたしは四輪車はこういうホノボノ系のほうが好きかな。








最近ではこいつがかわいいぜ!






シトロエンDS3カブリオ。
外見はポヤ~ンとしたほのぼの系なのに実は速い。
こういうのが好きだね俺は。車も人も。
見かけ倒しの忍者ハッタリくんは大嫌いなんだ。
見た目が仰々しいのは嘘物さんが多いしね。

ベンツは500Eで終了した、という感じがしないでもない。





TV CM-チキチキマシン猛レース実写版

2016年06月27日 | バイク・車

Peugeot 208 TV CM-チキチキマシン猛レース実写版


プジョーやるなあ。
日本もこれくらいシャレの利いたCM作ってくれれば
いいのになぁ。
岩石オープンまで出てきてるよ(笑
昔は「OH!モーレツ」とかあったのに、今はなんだか
つまらん(まじつまらん)小芝居の白い犬のおとーさん
ばかりが日本CMでは幅利かせてるけどさ~。


ケンケン最高!




送付物の礼儀

2016年06月27日 | 文学・歴史・文化・科学



宅配便等で物を人様に送る時、業者さん任せの印刷で記入される場合は
そのままですが、私は自書の場合には自分の氏名欄の「様」には斜線を
入れるようにしています。

結婚式や式典の出席案内状には返信用はがきが同封されていて、それに
予め送付先の住所氏名が記入されていることが多いのですが、その際には
送り先の相手様には「様」を記入します。
また出席の可否を〇で囲む欄に「御出席・御欠席」とあった場合は「御」は
斜線で消します。

私はそれが礼儀と親から小学生の時に習ったのですが、こうしたことは
別段法律で決まっていることではなく、日本文化の中での社会的な常識
に類することだと思っています。

さらに、年賀状は、印刷しただけの物を先様に送るのは失礼にあたると
私個人は考え、必ず手書き直筆で一筆近況や先様の安否を気遣う短い
一文を
書き添えるようにしています。年賀状が100枚あろうが200枚
あろうが書き添えます。(会社業務としての賀状は別)
また、自筆手紙の中で「私」という単語を書く場合は一番下に、先様の
お名前を記す場合には行を変えて文の一番先頭に先方のお名前を記す
ようにしています。


日本の手紙文の「背景-敬具」「前略-草々」等についても、何も法律で
決まっていることではありません。社会的常識としての慣習かと思います。
時々誤った使い方としては、返信の際に自分の名の後に「拝」を付ける時に
氏だけ記してその後に「拝」を付けることがみられますが、これはフルネーム
で記さないと失礼であると私は習いました。
そうしたことの多くは小学校でも習いましたが、親から教えられたことが
多かったように思えます。

私のこれらの行ないが現代社会で間違っているか適合しているのかどうかは
解りませんが、戦後15年
後の昭和生まれの私が幼い頃はそうしたことが
常識的な礼儀であるとして
教えられましたので、私はそのようにしております。

ただし、これはあくまでも対人という場面の礼儀作法に分類される事柄であって、
一般的な仕事での文章作成やウェブの記載事項においては横書きの文章記述
の場合は縦書きの日本語表記と異なり、文頭一マス空けをしない等、適宜場面
により用法を使い分けています。(手書きでは手紙文に限りすべて行頭を揃えます)
世間一般では論文などでは横書きでも縦書き表記に準じて文頭一マス目空けで
表記されていますが、ウェブ日記やメールや仕事での事務文章などでは英文表記
と同じ自由改行による一行の長短任意設定や文頭マス詰め記述を私はしています。

なお、余談ですが、インターネットが普及して、誰でも自作文書を公開するツール
としてのネット環境が整備された世の中となりましたが、「論文」というものは
学術研究機関に提出された「世界初」の「オリジナル」の研究についての発表
論術を「論文」というのであり、広義における試験問題の論述(便宜上論文と
呼ぶこともある)や、ネット上のブログなどの作文を「論文」とは呼びません。
結構自作ブログ文章を「論文」と自称している人が多いのですが、それは
一般常識的には違うように思えます。
「論文」とは、厳密には学会に発表された学術研究論文のことを指します。


youtubeサムネイルに私の差料の刀が使われている件

2016年06月27日 | 文学・歴史・文化・科学

Japanese sword celebrated Samurai Katana muramasa masamune


このyoutube動画のサムネイルには、私がピアノの上に自分の差料を
置いて撮影し、この徒然日記にアップした画像が無断で使用されています。



原本

上:「則光」(天文年間-1532~1555-/備前国長船)
下:「安芸国大山住仁宗重作 天正八年二月吉日」(天正八年-1580-/安芸国大山)

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しかし、日本刀を紹介するためでしたら、私のサイト画像は連絡なしで使用
してもらっても構いません。
著作権がどうの版権がどうのなどということは私は言いません。
故桑名正博さんが「自分の曲を歌ってくれていることに著作権がどうとか
そういうのは僕は言わない。ええんちゃう。著作権を否定するわけやない
けど」と言ってましたが、私はそれに似た感覚があります。
厳密には現行法には抵触しますが、使用により業として利益を得たりしな
ければ、私個人は私のサイト画像や文章は使用してもらって結構です。
リンク貼って伝統文化の説明に使用してくれたりとかは返って有難い。
ただし、私の日記の画像や記述内容を流用(二次使用であろうが三次使用
であろうが)していたり無断使用したりしていながら「当流に昔から伝わった物」
というような嘘ねつ造を為して自分たちに利益を誘導するために流用し、それ
を指摘したら逆切れで当該案件とは無関係な私の周辺者に訴訟するぞと
ねじ込むようなことでは、まったくもってお門違いです。心得違いと言ったほうが
適切かな。
そのようなことはお控えください。

この私の戦国時代の宗重は貴重な史料刀でもあり、旧山陽道の芸州大山鍛冶
の鍛刀地に私のこの作が写真入りで史跡案内看板となり、郷土史料として公開
されています。これは郷土の歴史解説のために、私が史料データを提供しました。


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この私の刀を撮影してくださったのは、美術刀剣刀心
町井勲氏(修心流居合術兵法創始者町井勲先生同人)でした。
驚くことに「日本刀を多くの方に広く知って頂くためでしたら」と無償で
刀身全身の写真撮影を引き受けてくれました。

安藝國大山住仁宗重作 天正八年二月吉日

(撮影者:修心流居合術兵法宗家 町井勲氏)

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私が居合の先輩の御厚意により先輩から贈呈され所有しているこの戦国時代の
大山宗重は、天正八年(1580)、織田信長が本能寺で滅する2年前に、芸州大山
の地で延道彦三郎さんという方が作った刀です。長さ約二尺三寸四分。





この刀は私を可愛がってくれた居合の先輩からの頂き物です。
私は有り難く頂戴し、人の世の歴史の中で私が生きているほんのいっとき
の間だけ私が御預かりするという気持ちで法的に所有させてもらっています。

日本刀に限らず、他者の物を盗んでいながら元から自分の物であると
言い張って私物化し、盗まれた側を悪者にしたりする不届きな者たちは
人の世にはいるものです。
そういうのを世間では何とか猛々しいと言うのですが、そういう邪(よこしま)
な事とは無縁であり、日本刀について純粋に刀のことを多くの人に広めたい、
日本の伝統文化について多くの人に知ってもらいたいということであるならば、
私は私のサイトの画像等を引用してもらっても一向に構いません。
法律というものは権利と義務の連鎖ですが、こうしたことは法律論ではなく、
心の問題だと私は考えています。


拝一刀 胴太貫(どうたぬき) ~現実と空想活劇の虚実~

2016年06月25日 | 映画・ドラマ・コミック



拝一刀(おがみ いっとう)。公儀介錯人。
架空の物語の架空の人物である。
そもそも「公儀介錯人」という役職は歴史上存在しない。
「公儀刺客人」という役職も無ければ当然「裏柳生」も存在しない。
また、劇画・ドラマ・映画の中に出てくる裏柳生の分家の「喰代柳生」
も存在しない。
すべてが作り事の架空の物語なのである。
創作物語は、「作品」として楽しむものであり、現実に存在した歴史事実
と混同してはならない。(あたりまえのことだけど)
スーパーマンやウルトラマンは現実世界には存在しない。

劇画・ドラマ・映画の『子連れ狼』は、大名の介錯をする公儀介錯人の
地位を狙う公儀刺客人の柳生家が公儀介錯人拝一刀を抹殺せんとし、
一刀の妻、一族郎党を皆殺しにする。そして、かろうじて生き残った一子
大五郎と共に拝一刀は子連れの刺客となり、柳生に対して恨みを晴らす
旅に出るというストーリーだ。

拝一刀の差料は「胴太貫(どうたぬき)」といって、これも原作者が考案した
架空の刀である。
肥後菊池の同田貫(どうだぬき)とはまったく関係がない。
(ただし、原作劇画第二シリーズでは内容が大きく変換され、一刀の刀は
肥後菊池の同田貫とされてしまい、一刀から数十年昔にいた東郷重位が
遺子大五郎を育てるという脳細胞爆裂展開になってしまった)

中村錦之助が萬屋錦之介と芸名を変えて臨んだ意欲作のTVドラマ『子連れ狼』
では原作通りに「ドウタヌキ」という刀を使っている。
ドラマでは撮影上の都合から、何口(なんふり)かの別物の殺陣用のドウタヌキが
出てくるが、こういうのは映像作品製作ではよくあることでいたしかたない。





萬屋先生はこのドラマ主演を期に現実の肥後国同田貫作の大ファンと
なったらしく、「同田貫」であればどんな物でも買い取ると刀剣商に触れ
を出し、同田貫を収集した。
そのため、ドラマ『子連れ狼』が放映される前までは、美術刀剣界では
位が低いとされて低価格だった同田貫(2005年頃までの軍刀のような
扱いで実用品の品位の低い刀とされていた)だが、萬屋先生の買い占め
によって一気に価格が数倍に高騰した。市場に品薄になったからだ。
萬屋先生は同田貫だけで数百口を収集していた。かつて1970年代中期
に放送されたテレビ番組の取材で「これ、来たばかりの同田貫。これで
○○○本目くらいかなぁ」とおっしゃっていた。
当然ご自宅では保管しきれず、別に管理の行き届いた倉庫を借りて
保管しているとのことだった。

萬屋先生のご趣味のおかげで、世間では次の3つの現象が起きた。

・同田貫(どうだぬき)をドウタヌキと発音することが広まったこと
・買い占めにより肥後同田貫が市場から消え、経済原理で一気に価格が
 暴騰したこと(通常の刀剣では考えられない秀吉の正宗名刀工作依頼
 の現象)
・ドウタヌキは同田貫であると思い込み、架空の刀剣胴太貫と同一で
 あると誤認する人が大量に増えたこと

原作の第一シリーズの劇画も萬屋版のドラマも珠玉の名作だが、この
拝一刀の愛刀の架空刀の「胴太貫」には隠されたとんでもないカラクリの
事実がある。
こちら → 消された画
こちらも → 刀工の交流と茎の形状

現在でも実在の肥後国菊池の同田貫をドウタヌキと呼ぶようなことが
一般化されてしまっているが、同田貫はドウダヌキである。
これは幕末の名工源清麿をキヨマロと読む誤伝が一般化したのと
同じ現象ともいえる。(清麿は本来はスガマロ。兄の真雄はマサオでは
なくサネオ)
こうしたことは、長船長義を「チョウギ」と呼びならわす便法的使用法とは
異なり、おそらく誤伝がそのまま多くの人に真実として誤認されたまま
一般化して普及した類のものだろう。
世間の多くの人は歴史事実をよく精査せずに思い込みで鵜呑みにする
傾向が強い。
江戸城の天守は二度築城されたが、振袖火事と呼ばれた明暦の大火
以降は建造されていない。
それなのに『暴れん坊将軍』の八代将軍徳川吉宗の時代に江戸城天主
を堂々と出しているような時代劇が非常に多く、大衆はそれを観て現実
かと固く誤信する。
ドラマの世界ならば害はない。
だが、本当の歴史上の事実と架空創作物を区別しようとはしない傾向が
大衆にあることを狙って、大ねつ造を繰り返して集客して金員を得ようと
する族(やから)は世の中に多いので注意が必要だ。
精査すれば嘘まみれであることは判明するのだが、一般的には大衆が
見抜こうとする力を上回る巧妙なやり口で欺罔(ぎもう)するので、人は
騙されてしまう。つまり、それらの目的は虚偽を基にした集客による金員
集めであり、詐欺行為であるのだ。
これは自称武術流派などだけでなく、刀剣関係者でも多くいる。
例えば一例としては、刀工二代目小林康宏と会ったこともない人間が「私は
刀匠小林康宏と懇意にしている。名刺も持っている」として周囲に振れまわっ
てそれによって何らかの利益を得ようとしている人間もいたりした。
事実は康宏は一度もその人間に会ったこともない。
そうした人物がある剣術居合流派の「代表」と自称したりしている。
何も知らない人は騙されるだろう。

私はふと、武術を学ぶ根幹は、強いか弱いとかよりも、「真実を見抜く事」では
なかろうかと思う。
武技においても、虚実の虚に惑わされて騙されては命を失う。それが武術
なのではなかろうか。

映像作品などは「作品」であり、あくまで創作物だ。ドキュメンタリーフィルム
ではないのだから。



ドラマ『子連れ狼』に出てくる拝一刀の携帯武器は多くある。
代表的な物を列挙すると以下だ。
 ・大刀=胴太貫(ドウタヌキ)
 ・長巻
 ・槍
 ・手裏剣
 ・短刀
 ・斉発銃

私は個人的な勝手な憶測では、この長巻も「胴太貫(ドウタヌキ)」の清水
甚之進信高の作だったら面白いなと思う。

拝一刀の仕込み長巻。


仕込み槍。


手裏剣。


これらも全部同作者だという設定だったら面白かっただろうとは思うが、
原作でもドラマでもそうしたプロットは用意されていなかった。
もともとが齟齬というか(もしくは仕組まれた裏のカラクリだったかも
しれない)、架空刀である胴太貫(ドウタヌキ)の作者を原作では実在の
刀工(肥後同田貫ではなく尾張の刀工)をあてこんでいるという変則業
をやっているので、かなり複雑な仕立て味となっている。
だが、その仕掛けを見抜くと、数倍『子連れ狼』を楽しめる。

敵の刀はもとより、石仏だろうが鉄棒だろうが何でも斬ってしまう斬鉄剣の
胴太貫だが、堺の鉄砲鍛冶の斉発銃だけは切れなかった。




こういうところは妙に取ってつけたようにリアル(笑)。

現代刀工小林康宏(二代目)の刀は斬鉄できることは確かだ。
現に3.2ミリの鉄板をも私は斬っている。(極薄鉄板は逆に摩擦熱
で刃先が溶けることがあり、切断は容易だが刀が傷む)
しかし、小林康宏絶対論みたいに脳内で妄想して作刀を希望する
人が後を絶たず、かなり困惑している。
二代目小林康宏が作る刀は斬鉄できる斬鉄剣とはいえ、まっとうに
鍛え造った刀であれば他の刀工の作でも鉄は截断(せつだん)できる。
軟鉄の釘あたりは一般古刀や新刀(一部)でも切断できる。
二代目小林康宏が現代刀の中では頑丈さにおいて突出していること
は確かな事実ではあるが、宮入一門の藤安将平師の刀も斬鉄が
できる斬鉄剣であるし、東北にも斬鉄剣を作る作者はいる。
(専門的なことを少し述べると、材料如何よりも工法にこそ堅牢な刀身
を作るキモがある。康宏と同じ材料を使おうとも、将平と同じ材料を
使おうとも、出来ない作者は出来ないし、出来る作者は出来る。鋼を
どのような方向に持って行くかが最大の要点だ)

小林康宏の刀が人気が出るのは私は作刀スタッフなのでファンの方々の
気持ちを嬉しく思うが、独り歩きした伝説化の風潮にはいささか康宏本人
ともども困惑している。
康宏の刀ならば何でも斬れると思い込んで、それに基づいて作刀依頼を
してくる人がかなり多いからだ。(その手の希望者はすべてお断りしている)
康宏作とて、硬物に棟打ちしたら折れるし、平に置いてそこを斬撃すれば
折れる。
ただし、通常の使い方の場合は著しい強靭性を示すというだけで、康宏作
だから何でも斬れるということではない。学校の鉄棒などは康宏でも切断
などできない。
現実と夢想・妄想の区別は大切なことだと私は思う。
そして、刀剣としての作位というか、美術性などは同じ斬鉄剣を作る藤安
将平刀匠のほうが康宏よりもずっと上である。
ただ、藤安刀匠の新作注文を一手に引き受けている町井勲氏(藤安刀工の
弟子)によると、「康宏さんは上手ですよ」とのことだ。
町井氏は二代目康宏作刀復活の際にまず最初に注文希望の手を挙げた
人だし、現実に打ち上がった二代目康宏の注文作を所有している。
ご自身の差料の一つの二代目康宏の他にも二代目康宏作を現実にご覧に
なって、刀剣商・日本刀研磨師・刀工修行者・兵法者の厳しい目からみて
康宏のことを「上手」と言う。私が「本人も言ってますが下手ですから」と
謙遜ではなく本気で町井氏に言うと、町井氏はお世辞ではなくやはり本気で
それを否定して「いや、上手ですよ」と所見を述べる。
しかし、ナカゴ仕立て、上(かみ)の美術性と多様性、作刀の総合的な技術力
においては小林康宏よりも藤安将平のほうがずっと技量が上である。
ただ、二代目康宏は二代目康宏以外にはまず造れない刀を造る。
実際に二代目康宏に倣って作刀した作などは、やはり二代目康宏とは出来
上がりの様態が異なる結果を示したりしている。
(15センチ以下の合法品小物に関しては私が造る物が一番二代目康宏に
近似かと思うが、これは思い込みではなく、実際にその評価を専門家らから
得ている。私の合法作が別作者の刀工銘を切られ刀剣商に売却目的で持ち
込まれたという笑えない現実も過去にあった。ちなみに私の作はすべて斬鉄
テストをしている。このテストに関しては、互いに別作者ながらも斬鉄剣受付
窓口という盟友である町井氏は否定的だ。ただ、それは「売り物」の場合には
私も首肯できる。だが、私の作は一口も売ったことはない。すべて進呈品だ)

まっとうな刀ならば細く薄い鉄などは裁断できます。
小林康宏に対して、架空妄想的なところで作刀依頼をされても、そのご希望に
沿う刀をつくることなどはできません。
最近、「るろ剣の逆刃刀を造ってくれ」という依頼があり、さすがに丁重にお断り
しました。ファンタジーに脳内の立ち位置がある方のご希望には沿えません。
たしかに、「斬鉄剣」という呼称は、1970年代初期に東京地方の斬術者たちが
初代小林康宏の刀を指してそう仲間内で呼称し始めて名が知れ、それが某
漫画がアニメ化の時に、途中からアニメに現実世界の呼称が流用されたという
のが歴史の事実であり(原作では「流星」、アニメも最初の頃は斬鉄剣という
呼び方ではなかった)、小林康宏こそが「元祖斬鉄剣」なのですが、アニメの
ようにコンニャク以外何でも斬れる刀を小林康宏は造っている訳ではありません。
どうか、現実と空想架空妄想をごっちゃにしないように重ねてお願い申し上げ
ます。


さて、映像作品には齟齬やちぐはぐな間違い、手違いというものは多くある。
ドラマ『子連れ狼』において、最大の事件はこれだ。

裏柳生の総裁である柳生烈堂(これも本当は列堂が実在人物の名)は拝一刀に
矢を目に刺されて失明する。


だが、第二部シリーズになったら、刺されて失明したのは右目ではなく
左目になってしまっている(笑)。


こういうのはですね、大五郎が男の子ではなく、第二シリーズから女の子に
なるようなもので、やってはいかんミスというか大雑把過ぎる映像表現だと
思うのですよね(苦笑

さらに細かいことをいうと、ドラマ『子連れ狼』は、第一部、第二部、第三部と
放送されて、第三部からは大五郎役が交代したのだが、それよりも大きく
異なる事象が見られる。
それは、第一部、第二部においては、刀のアップシーンなどでは真剣が
多用されていたが、第三部ではまったくすべて全編においてお土産屋で
売っているような模造刀が撮影に使われているのだ。
これは何らかの当局からの指導あるいはスポンサーかプロデューサーから
の示唆があったものだろうと思われる。
そして、アップのみならず殺陣で使われる刀も、第一部、第二部での拝一刀
のドウタヌキの特徴であった「二筋樋」ではなく、第三部ではただの棒樋と
なってしまっている。



正直申し上げて、第三部は刀剣に関しては映像作品の作り込みがぞんざいで
とてつもなくいただけない。
但し!
役者の演技は第三部が一番いい。

斬鉄剣ドウタヌキが裏柳生の策略により折れて茫然自失の拝一刀。
なぜか刀身の樋は第一部、第二部の二筋樋から棒樋になっている。


映像はあくまで創作物の映像作品としてお楽しみください。
ファンタジーを現実社会に持ち込むのは、常識的社会では通用しません。

柄、なっげ~!でも、これは現実社会でも武具として多く存在しました。


ここらあたりの「現実と空想活劇の境目」は、きっちりと見抜いてほしいと、
この日記を読まれている読者の方々にはお願いしたいと思います。




 


とんでもない速さの改造スクーター達

2016年06月25日 | バイク・車

とんでもない速さの改造スクーター達


どんだけ速いんだよ。
特に2台目のクリップオンハンドルを付けてるバイク。
0-100はTZ250より速いように思える(排気量比)。
なんでも0-100が2秒のスクーターもあるらしい。


ただ、メットなしのおねーちゃん?
メット被れよ。
安全第一だよ。





襷(たすき)がけ

2016年06月24日 | 文学・歴史・文化・科学



坂妻さんですね。田村正和さんのお父様。
これは歴史的金字塔といえる映画『血煙高田の馬場』
(1937年公開/監督:マキノ正博)の名シーンです。

高田(たかた)の馬場の決闘は史実です。
元禄7年2月11日(1694年3月6日)の春の日、江戸郊外の高田
(たかた)の馬場(現在の新宿区西早稲田)で起きた決闘でした。
うちの先祖のトモさんが死ぬ5年前ですがそれはどうでもよい。
史実は武士同士のいざこざの一対一の決闘で、対決者の一方と
一緒に同行した中山安兵衛が一対一で行なわれた決闘で不意に
加勢しようとした二人を斬り倒したのですが、これが江戸市中で
評判になり、大きく脚色・ねつ造されて行きます。
安兵衛が斬り倒した人数が最初は瓦版で18人とされ、その後に
どんどん加算されて、酔いつぶれて寝ていたところ助太刀に
酒を煽って韋駄天走りをして23人斬り伏せたなどと講談では
講釈師がパンパンと噺をまくしたてるようになりました。
創作ねつ造が多く登場し、学習院大学の敷地内には安兵衛が
決闘後に刀を洗った「血洗いの池」と呼ばれている池があります
が、これは大正時代の学習院高等科生徒による創作であるといわれ
ています。
また、馬場下町には今でも「うちが堀部安兵衛が酒を煽って
決闘に行った店」と自称している酒屋があります。
私は西早稲田馬場下町界隈の住人でしたのでよく知っていますが、
ものすごい態度の店で、一切「いらっしゃいませ」「ありがとう
ございます」は言いません。そして「ふん」という態度で客を
睥睨する一般小売酒屋です。あれ、なんだかすごい(笑

で、モノガタリというのは史実とは大きくかけ離れているという
典型がこの「高田の馬場の決闘」や「四十七士の討ち入り」なの
ですが、ここでは映像作品等に観られる「襷(たすき)がけ」に
ついてみてみます。

「高田の馬場の決闘」では多くの創作モノガタリでは中山安兵衛
(後の堀部安兵衛)は堀部氏の娘から襷を貰ってそれを巻く、ある
いは別人から襷をもらう等々なのですが、その襷の掛け方に注目
してみます。

こうした左内脇に結び目を作る方式は、俗に「女中結び」や
「お手伝いさん結び」(戦後か?)などと呼ばれた方式でした。


実際の武芸者に多かった結び方は、このように左脇で結び目を
作ってから背中に回すいわゆる応援団のような方式が多かった
とも云われています。実際に江戸期の絵図などではこうした
結び方
も見られます。





(これは観劇したかった)


ただし、あくまで私見としては、迅速性を重んじる場合は、武士の
襷がけにおいても左脇結びはあったのではなかろうかと思います。
というものも、後ろ結びでは、もし結び目がほどけたら一気に状態悪化
になり
ますし、襷を解いて捕縛等に使用する場合の迅速性に欠けること
が考えられるからです。

しかし、固く結んだ場合は、やはり背中に回すほうが邪魔な結び目が
腕の動作を妨げないので、後ろ結びのほうが実用的かとも思います。
これは、熾烈な迅速性が求められる現代のカルタ取りなどの競技でも、
選手は応援団結びをして一切腕の邪魔になる部分を背後に持って行って
いることからも類推できます。すごいのは袴の結び目さえもやや左
に配置して右手の動きの妨げにならないようにしている。まさに競技上
における実戦的な様式にしている訳です。

歴史事象については、明らかな証拠や確定事項ではない限り、断定的に
21世紀の現代人が決め付けるものではないと私は思います。
まあ、それでも、盗人と同じく、人の世はねつ造や創作詐称の種は尽き
まじなので、あたかも江戸期から直伝されているかのように主張し出す
カタリを始める人たちもいることでしょう。
それは、「血洗いの池」と同じことだろうと思います。
新選組のダンダラ羽織が常用されていなかったのは、知っている人は
知っていますが、映像表現物語では、あれは一つのシンボルですので、
映像作品においては多用されています。
でもそれは「創作世界」での出来事です。
創作映像表現と現実の史実を同一視するのは時代考証以前に、論外です。
論外というか、かなり危険です。そのうち「ねずみ人間」の声が聴こえて
きそうな感じで。
私の知り合いに劇画『乾いて候』の御毒味役の「腕下主水(かいなげ
もんど
)」が実在したと信じて疑わない人がいて、本人は確信している
だけに、その想像力と現実と妄想の境界のなさにかなり興味深くお噺を
拝聴したことがあります。(実話)


-江戸名所図による高田(たかた)の馬場-




なんとなく横浜鶴見の生麦のあたりに似てますね。

創作やねつ造ではない事実の実話として、私は刀の下げ緒を襷に
かけた
ある武術人にとんでもない技を見せてもらったことがあります。
それは、下げ緒を襷にかけていて、それをパッと解いて、こちらに
投げる。彼は「打つ」と表現していました。
最初は試しに私は素手で拳法の構えでした。いわゆる徒手格闘技の
構えです。
すると、ムチのように伸びて飛来してきた下げ緒で手が絡め捕られて
しまいました。西部劇のカウボーイのように輪っかなど作っていません。
ところががっちりと縛られていて完全に自由を奪われている。
次には飛来した下げ緒を掴みました。すると刹那、ヒュルヒュルと
下げ緒の波が飛んできて手がガッチガチに絡め捕られる。

きょとんとしていたら、今度は刀を持って構えてみろとのことで
やってみました。
刀という長い物があるのに、手が飛来した下げ緒で絡め捕られる。
何度やっても捕られてしまう。
片手だから柄頭側からの飛来で捕られるのだろうと思って両手で
正眼に構えても捕られてしまう。
まるでマジックでした。
世の中には恐ろしい技というものがあるものです。
その状態で手裏剣でも打たれたら一発でアウトです。
世の中には、ネットで表などには出てきていない恐ろしい技を持った
人たちはごちゃまんといるよなと、その時のことを思い出すたびに
天狗になっては命取りだなと思う次第です。
予定調和の約束稽古でキツネとタヌキの化かし合いをやっている
うちはよいのですが、現代戦は刀槍を用いた対決はありえないとは
いえ、本物の武術というのは実に本質部分が恐ろしい。

そもそも決闘自体が「決闘ニ関スル件」という明治の法律で禁止され
ていますので、腕試しの直接対決などはありませんし、現代では
あっては
ならないことですが、本物の伝統武技というのはやはり「術」
である
だけに、想像で脳内に創作した妄想「技」とは雲泥の差があり
ます。
一言でいうと、「次元が異なる」。


帰宅後、私は脳裏に焼き付けた下げ緒打ちを何度も練習しましたが、
まったくサッパリで今に至っています。
手裏剣もサッパリだし、居合もてんで丸で駄目夫くんで、つくづく
武術的な才能がないのだなぁ~、なんて思っています。
「ならば頭で勝負だっ!」とか言ったらいきなしチョーパンくれそう
だし、俺(笑)。「頭使ったぜ」みたいな。
私は
喧嘩もしたことないし、仮にしても弱いだろうし、人をぶった
ことも人にも親父にもぶたれたこともない。
とことん気の弱い一般ピーポーの小市民
なのだなぁ、と自分で思います。




葉隠(はがくれ)

2016年06月19日 | 文学・歴史・文化・科学


葉隠(はがくれ)って、これのことだよね?

字の癖

2016年06月19日 | 文学・歴史・文化・科学


刀屋うを新の文字が刀工小林康宏にクリソツな件(笑









備後福山城

2016年06月16日 | 文学・歴史・文化・科学




おれ、この藩にあんまし縁がないんだよね。

ここは縁があるけどねー。



とか思ってたら、大ありだった。
おふくろの高校の前身が藩校だった。
忘れてたよ(≧∇≦)

しかも、うちとも縁があった備中水田国重の末裔は、福山藩にても駐鎚
してたんだった。
水田国重の江戸期の作刀地は現在の岡山県井原市だが、明治維新の直後は
備後福山ともども深津県になった。
その後、井原は岡山県に編入され、福山は広島県に組み込まれた。

そういえば、今の東京都品川区は江戸ではなく、品川宿だった。
維新後は品川県てのがあったっけ。
あと、今の東京都特別区よりも、戦前の東京市の区のほうが何だか俺は
好きだな。
麹町区とかさ。
それも戦前35区時代よりも明治の15区時代のほうがいい。
漱石の時代ね(笑

にしても、東京都民、特に山手線内の区民は最大の城下町に住んでるという
ことだよな。
江戸期にはパリを抜いていたんだから、世界一の都市だった。
パリはきちゃない街だが、江戸は上下水道完備だったからねー。
江戸市民は綺麗好きだったし。
もてようなんて歯がすり減るほど磨いてたなんてのは馬鹿だけどな(笑

虚像の中の真実 ~時代劇などの素顔~

2016年06月15日 | 映画・ドラマ・コミック

修心流のサイト記事にこんなのがあった。

→ 子供の発想は凄い ~暴れん坊将軍を見て放った一言~

なるほど、そりゃそーだ(^^;

昔、高橋版『桃太郎侍』を見ていて、ふと思ったことがある。
高橋桃太郎は1回の放送で約20~25人切り殺す。
高校生の時、番組を見ながら「そうか~。年に1100人以上斬るから、
これで江戸の人口増加抑制してたんだな。この先、放送が続いたら
いってえ、どんくらい江戸人口を減らすんでい」とイトコ兄と言い合って
笑った
記憶がある。
『桃太郎侍』は高橋英樹版は1976年10月から1981年9月まで放送
された。
全258回である。
そこで数えてみると全話258回であるから、1話で23人と見積もって
全話で
5934人を斬り殺していることになる。(スペシャルを除く)
古今東西、これほど人を斬り殺した「剣豪」はいない(笑



ところが、実際のところ、ある記録の計算によると、江戸期の死刑執行
数は
年間1500名近くになる。1日平均約4名が死刑を執行されていた。
10両盗めば斬首確定の時代だった。1両は時代によりレートが異なるが
現代貨幣価値換算で1両12万~3万に相当する。
心中で生き残っても死刑。不義密通も死刑である。不倫・浮気?とんでも
ござんせん、てな世の中だった(建前上は)。「間男首代五両」とか言わ
れていたが、不義密通はいつの時代も多かったのだろう。(ある調査に
よると、日本においては現代主婦の6割が浮気経験がある、という結果
が出ている。フランスほど大乱れ丁子刃文百花繚乱でなくとも、日本人も
かなり淫放だ)

江戸時代は司法と行政が分離していなかったので、疑わしきはまず
しょっ引く。牢屋は未決拘留の場所であり、裁判による「刑の言い渡し」
は最終審判だった。
現代は司法制度が全く異なるのに、「警察に逮捕されたのは悪い人」と
一般人の中に強い概念が残っているのも、この江戸期の意識の延長に
ある。無実であろうが、しょっぴかれたら「悪人だろう」という発想だ。
また、実際も「とりあえずガラ取っとけ」という発想が警察にも根強くある
ので、自白強要や冤罪事件も後を絶たない。

江戸期の極刑には以下がある。

 死罪・・・・斬首刑。財産没収の上、死体は様(ためし)に使われる。
 磔(はりつけ)・・・屋外で立木に縛り付け、執行者が槍で何度も串刺しにする。
 獄門・・・斬首の後、首を獄門台の上に晒して見せしめにする。
 鋸挽(のこびき)・・・竹のノコギリで罪人の首を引き切る刑。罪人を穴埋めに
  して晒しものにし、一般通行人にノコギリを引かせた。
 火罪・・・火あぶり。放火犯に対して適用。
 下手人・・・・一般殺人罪に適用。財産没収、様なし。死刑で一番軽い刑。

これらは町人に対するもので、武士は「斬首」と「切腹」しかない。また、
死体は刀の様(ためし)に使われることもなかった。

幕末から明治初期にかけての死刑執行数はネット百科によると以下の通りだ。

 1869年(明治2年) 480以上
 1870年(明治3年) 1080以上
 1871年(明治4年) 1246以上
 1872年(明治5年) 1128以上
 1873年(明治6年) 970 近代刑法参考の律令による執行
 1874年(明治7年) 750 斬首刑廃止。絞首刑採用。

江戸期の死刑についてはこちらが参考になります。 → こちら



昔、前職の時に、法制史の史料を調べるために国立公文書館と国会図書館
に行った時、江戸期の極刑についての史料を見た。
グゲゲゲのチョンワチョンワでエグかったわぁ(^^;
死刑よりも拷問が凄くグロかった。
基本的には江戸期は「とりあえずなんでもしょっぴけ」で、下級警察官吏の
下っぴきや岡っ引きの十手持ちが容疑者を番所にしょっ引いて、それを下級
武士の同心あるいは
与力が軽く嫌疑を調べて牢にぶち込む。そして拷問に
よって「自白」させる。

犯罪の真偽などはどうでもいい。とにかく自白によってやっていないことも
「あたしがやりました」と言わせるような熾烈な拷問をする。
これは戦時中の特高警察などもそのやり口を引き継いでいた。

映画・ドラマの世界は、空想活劇の世界なので、直に現実世界の事象
には繋がらないが、部分的に真実の現実世界のことも描かれたりして
いるので、「虚像の中の真実」を見極めるのは難しい。
それでなくとも、最近はファンタジー脳が大流行なのか、時代物作品が
現代でも存在するとか思いこんでる人がいるようだし。
われらは裏柳生である、とかさ(^^;
もうね、まじで奇天烈ゼッコーチョー!てな感じで楽しませてくれる。
飛天御剣流も実在したらしいしなぁ。

それにしても、あれだけ人を殺して、桃太郎侍さんはなぜ捕まらなかったの
だろうか。
まあ、武士の悪者を取り締まるのは所轄が違うからね。一般町人は
町奉行所管轄だが、武士には町奉行は手を出せない。武士を取り締まる
のは目付・大目付の出番なのだが、まあ、言ってみれば、泥棒の親分に
泥棒を取り締まらせるようなものなので、まったく取り締まりにはならない。
今の権力者のワルモノが大手を振ってまかり通っているのとまったく同じと
いうこと。

 


福田照男のFUN TO RIDE

2016年06月13日 | バイク・車

福田照男のFUN TO RIDE


超ウルトラ・スーパー・スペシャル・ド級素人向けの説明V(^^;

それよりも、福田さんのこのクシタニのツナギの色が超私好みの件。




結局、ANA色なんだよな(笑)。


【車の傑作CMまとめ】感動のトヨタCM、セクシーなスバルCM、犬の恩返しCM

2016年06月12日 | 映画・ドラマ・コミック

【車の傑作CMまとめ】感動のトヨタCM、セクシーなスバルCM、犬の恩返しCM


作り物だと分かってはいても、最初と二本目のトヨタのCMは
いいなとか思ってしまう自分がいる。
娘の反抗期とかよくわかるよ。ほんとにこんな感じ。
二本目はまったく一本目と同じシチュエーションですべて娘の側からの
目線がカメラの映像としている。パパがひげ剃ってる時の湘南電車の
進行方向が逆だけど(^^;
これはわざとの裏技的な隠し演出だろう。

全体の作りはやらせである完全な「狙った」作り話ではあるのだが、
現実としては
私などは(今のところ途中までは)重なる部分もあり、トヨタ
CMは感慨深く観る
ことができる。


ハーレー・デイビッドソン

2016年06月12日 | バイク・車

「やっちまいました」
広島の刀剣仲間からメールが来たので、「手でも怪我したか?!」と
心配したら、添付されていた画像を見て「ぬぁにぃい~~?!」と
思った。

ハーレーの新車購入契約書だった。

すぐに返事をした。
「まさかトッツァンくせーヤカンタンクのじゃねーだろうな?」と。
するとすぐにマシンの画像が送られて来た。

ほげほげほ~~~~!

こげな感じのカコよかバイクですたい!


思わず「ハァ?・・・レ~?」と声が出た。
きゃ~!とってもいいじゃん!

おいら自身は典型的なヨーロピアンスポーツを好むが、ハーレーでは
こういうのに限っては大いに好きだ。あのヤカンタンクのじじくせえ
成金趣味のようなハーレーは大嫌いだが。アメリカンノスタルジーも
感じないし。第一乗ってる連中が嫌いだよ。オートバイが好きなのでは
なく、成金のベンツの横づけみたいな感覚のオヤジばかりだから。
つい先日もさ、高速のSAで車を発進しようとごくゆっくり出たら、横から
ヤカンおやじが前を横切ろうとして急ブレーキかけて勝手に倒れたのよ。
俺はほんの20センチほど車を発進させただけ。
そしたらとんでもなく怒鳴り散らして怒ってから、「起こすの手伝え!」
とかなんとか岡山弁でおらびょーとるわけよ。
「てめ、岡山か」とは思ったが、それよりも何よりも、てめえ一人で起こ
せないバイク乗ってんじゃねーよ、ヤカンおやじ!と思ったね。

この画像のように自在にスピンターンでもできない限り、じじいやおやじが
トロトロとヤカンタンクなんか乗ってるんじゃねーよ、とかまじで思う。

ヤカンでもドイツ軍や旧日本軍の陸王みたいなのはいいと思うよ。
乗ってる奴らが「プロ」だから。
松本零士先生の戦記漫画にも旧軍のバイク乗りの悲哀の作があったが、
プロ中のプロという前に、バイク乗りの孤独が描かれた作だった。

オートバイは孤独な乗り物だ。
だが、常に自分と一体としてある。
そして、二輪であるバイクは自分一人では立てない。バイク乗りがスロットル
を開けて、心臓に混合気を吹き込み、操縦してやることでやっと走る。走る
という本来の生を乗り手によって与えられる。
だから、バイク乗りは自分で立ち、自分でその車を起こせなければならない。
ただの空間移動用の重機のようなエンジン付き二輪車に乗ってご満悦の
連中で、独立自尊のライダーの魂を持ってる奴がどれほどいるか。
特にヤカンおやじ!
自分で起こせない、自分では面倒がみてやれないというお前が乗っている
それは一体何だ?
バイクに罪はない。お前らがタコなだけだ。

しかるに、この友人の新車、かっこいい。


これは、あれだな。
俺が中学生の頃に、ナウでイカしたゴキゲンなヤング(笑)のクールスって
のが「おれたちはよぉ、クールスってんだけど」てので乗ってたようなやつ
だな(^^;
こういうモデルは昔の不良の憧れだった。

若いキャロル矢沢永吉とクールス
CAROL & COOLS キャロルとクールス


オープンカーの周りを走っているバイクは舘ひろしや岩城晃一の
クールスだが、まだヘルメット着用義務がなかった時代のことだ。
キャロルも言ってることは今のビジュアル系わっけわからんバンド
みたいにパープー丸出しで知性のかけらもない話しぶりだが、
ヤザワもこんな感じだった。
街のチンピラを装ってる風の演出でもあったのだが(^^;
暴走族とは路線は違う。

とはいっても初期のスペクターなんてこんな雰囲気だったけどな(笑
COOLS クールス


バイク

2016年06月11日 | バイク・車



先日久しぶりにバイクに乗った。
鈴鹿を走っていたレーシングライダーだった奴を後ろに乗せて。
普段二人乗りは私もしないが、彼は数十年ぶりだったという。
車をペタンとバンクさせたり、S字で切り返したりしているときに
彼は「おひょひょ~い!」とアラレちゃんのような声を出していた(^0^)

ハンドリングがよい車の筈なのに、コーナーでアンダーが出ていた
のは、二人乗りによる相対的なキャスター角立ちの問題だと思う。
それでも、昔彼女をRZの後ろに乗せてディズニーの周回コースで
NSをブッチしたときには「二人乗りなのによくやるなぁ」と言われたが、
あれは後ろに乗る女の子が体重が軽くて上手かったからというのもある。
二人乗りはまず後ろの人は動かない「物」になり切るのが一つ。
それと、コーナー進入等のフルブレーキの時には、後ろの人はステップ
を踏ん張って前の人に体重をかけないことが一つ。
そして、後ろの人はブレーキング時だけでなく絶対に操縦するライダー
に常に身を委ねたりして体重をかけないことが絶対に必要だ。
操縦者が操縦できなくなっちゃうから。

気持ちはわかるが、こんなのは駄目。

(能年ちゃん、お願いだから女優やめないで)

こういうのもバツ。


だめある。


これなんて最悪。


この革命戦士チェ・ゲバラの乗り方が正しい!(嘘






本当のところは、後ろの人が操縦者に抱きつくのは絶対に
良くないのである。

これが良いお手本。


これも。


これもだす。


これもだっ(笑)。操縦者は伝説のランディ・マモラだよ。


コーナリングでは後ろの人はバランスを取ってはならない。
理由は曲がれなくなるから。


バイクというのは一人乗り設計なので二人乗りすると極端に
性能が落ちる。
キャスター角も変わるので旋回性も落ちる。
ブレーキも利かなくなる。
タンデムでの性能低下は2ストマシンなどではてきめんだ。

でも、やはり、2ストマシンのほうが私はやっぱり好きである。
パーン!とロケットのような加速をするバイクが好きだ。

こんなのはたまらないぜ。(この1KTは売れちゃったみたいだけど)
てか、ちゃうやろ。これレーサーTZを公道走行用にしたやつやろ。
違うけど。


しょうがねえ。
きょうは雨も降ってないし、俺の真紅のイタリアンカラーの
ドカティでも出すか。
カッケー!俺の真っ赤なドゥカティー!